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しおりを挟む示し合わせたわけではないが、さきほどの談話室の面々は風呂場にやって来るタイミングも同じであった。天音のとなりにはハルヒコの姿もある。
混雑のピークは過ぎたが、むさ苦しく汗くさい脱衣所の中で、どことなく5人と2人のあいだには溝のようなものが隔たっている。だがそれを打ち消すようにサラが天音に「アイスなくなっちゃいそうだから、あとで買いに行こう」と誘うと、天音はいつものように微笑んで「うん」と返した。すると耀介も「俺も明日の昼メシのパン買いに行く」と割り込みつつ、そっと天音の後頭部を触った。
「な、何?」
「……コブができてないかと思って」
「コブ?大丈夫だよ。頭は打ってないから」
「いや、倒れたときじゃなくて……」
「?」
「覚えてない?」
「何を?」
「後頭部を、パカーンって殴られたの」
「へ?!……いつ?」
「……やっぱり覚えてねえか。でも平気そうだな。お前頑丈だし、たぶん石頭だし」
「ちなみに殴ったのは高鷹ね」と珠希が口を挟むと、天音は「何でそんなことしたの?!ていうかいつ?」と困惑した。だが高鷹は「……さ、さっき、毛虫がついてたからよ、なんか毒がありそうなやつ」と目を泳がせながらごまかし、珠希の手を引いてさっさと浴室へ入っていった。
「毛虫……?」
天音が怪訝な顔で自分の後頭部をさするが、手触りに異常は見当たらない。すると耀介も「まーまー、殴ったは大げさだな。ちょっとこう、パシンって軽くはたく程度だったわ」と、訝る天音の背を押して浴室へ促した。
ー
並んで身体を洗い、洗い終えたものから湯船に浸かっていく。天音はシャンプーまでいっぺんに済ませようと、先に頭を洗っていた。その背後で、ハルヒコとサラを除いた男たちが天音の背中をやはりまだ不安げな目で眺めている。今は先ほどのような妙な雰囲気は感じられない。
だがシャワーで泡を洗い流すと、流れる湯を止めずに、またしても天音がうずくまってピタリと動きを止めた。そのことに先に気がついたのは珠希だ。「天音?」と声をかけ、反応がないので不安になりすぐに湯船から上がると、シャワーを止めて横からそっと覗き込んだ。
「具合悪いの?」
「……ううん、平気。でもなんか、さっきからちょっと、めまいがするんだ」
めまいと聞いて、珠希が苦い顔で高鷹を見やる。彼は気まずい顔をして、ゆっくりと珠希から瞳を逸らした。
「今日はお風呂に浸からないで、早めに寝れば?明日朝イチで違う病院に行くから」
「うん……でも何か、具合が悪いのとは違うんだ。むしろあと少しで……」
「あと少しで?」
「あと少しで、良くなりそうな気がする。なんか変なの、今は夢から覚める直前みたいというか……もうすぐで、やっと目が覚めそうな感じがする」
「そう……やっぱりちょっと変だったもんね」
するとその様子を見ていたハルヒコが、おもむろにザバリと湯船から立ち上がった。浴槽からも出て、ペタペタと天音に歩み寄り、真後ろに仁王立ちになる。
「……なにしてんの?」
珠希が見上げると、ハルヒコは「立て、星崎天音」と言った。まだ湯船に残る男たちが顔を見合わせ、何か嫌な予感をおぼえた耀介が思わずそろりと立ち上がった。だがハルヒコの動向が見えぬので、浴槽からは出ずにそのまま立ち尽くした。
天音が素直に従い、ゆっくりと立ち上がる。倒れぬように珠希が手を添えるが、「タマキンはちょっと下がってろ」と手で払われ、不本意ながらもその場からどかされた。ハルヒコと天音が向かい合う。誰も何をしてるのかとは問わない。と言うより、その異様な雰囲気に口を挟めなかった。
「白丸、お前はよくやってくれた。ちょっと手段が間違ってるし、あまり人間的な発想ではないが、ともかく俺を満足させようとするその心意気はありがたく受け取ろう」
「……ハルヒコ?」
「だがもういいんだ。お前の役目はもう終わりだ。それにもし力を使い果たしたら、お前はどうなる?もしも消えたりしたら、俺がせっかく助けた意味もなくなるではないか。そうなる前に奴の身体から手を引け。せっかく日の目を見られたのだから、どこか違う地で自由に生きればいい」
「何言ってるの?平気?」
「星崎天音よ、お前の怒りの力を見せてくれ」
「何だあいつ、アニメの見過ぎか?」と高鷹がつぶやく。だがサラと大吾郎は真剣な面持ちで、固唾を飲んでふたりを見守っている。
「ハルヒコ……何か怖いよ」
天音がめったに見せない顔をする。だがこれは本当に天音の顔なのだろうか?このふたりの周囲だけ、まるで空気が凝ったように固まり、身動きも取れないほどの重圧に満ちている。しかし次の瞬間ハルヒコが取った行動で、重苦しい空気はぐにゃりとねじ曲げられ、男たちはみな一様に口を開け呆然とした。
「さらばだ白丸!!」
ハルヒコが天音の身体を抱きすくめると、そのまま押し倒してふたりは正常位のような格好になった。股間と股間がぴたりと密着する。だがセックスに及んでいるのではない。天音を抱きしめているように見えるが、よく見るとハルヒコは反対の手で天音の尻を思いきり揉みしだいていた。
重い空気が、今度は真冬の湖のように凍りついた。すなわち硬直したのだ。彼らの奇行をよく知る寮生たちも、その驚愕の顔をふたりに向けたまま固まり、5人の男たちは止めることも考えつかぬほど頭の中が真っ白になった。
「ハルヒコ、やだ、何?部屋に帰ってからにしようよ」
「おいさっさと目覚めろイグアナ野郎!!いつまで白丸に乗っ取られてる気だ!!」
耳元で怒鳴るハルヒコの叫びが浴室中に響き渡る。
「白丸、くだらんことでせっかくの力を無駄にするな!!お前がどうがんばろーとこの男は他人になびかん!!あと張り合いがなさすぎて腹が立つし何より気色悪い!!我慢ならんのだ!!おらさっさとしろーー!!」
「や、やっぱカイザーの方が検査必要なんじゃねえか……た、珠希、危ないからこっちいらっしゃい!!」
蒼白になる珠希を呼び寄せ、高鷹が浴槽から腕を伸ばして怯える恋人を抱きすくめた。するとサラが「あ」と小さく声を発し、彼も耀介のとなりでゆっくりと立ち上がった。
「ど、どーした?」
「天音、戻ってきた」
「は?」
直後、サラが「ハルヒコもういいよ!危ないから離れて!!」と叫んだ。はじめて聞くサラの大声である。だが興奮するハルヒコの耳には届かない。サラが止めようとして浴槽から上がろうとすると、同じく事態を察知した大吾郎が手をとって止めた。そしてそれは、間一髪の判断であった。次の瞬間、ハルヒコの怒鳴り声を上回る咆哮のような怒声が彼らの耳をつんざくように響いた。
「いい加減にしろぉぉこの野郎!!!」
天音にのしかかっていたハルヒコの身体が、その姿勢のまま突如宙に浮き上がった。だがそれは天音がハルヒコの腹の下に潜り込ませた足と、肩を支える腕によって、力づくで持ち上げているのだ。
「いつもいつも……」
こめかみに血管が浮き上がり、軸足に思いきり力を込める。
「触んなっつってんだろオラぁぁぁーーーー!!!」
巴投げのように渾身の力で投げつけられ、ハルヒコは放物線を描いて宙を舞った。大柄な体躯が、まるで秋風に舞う木の葉のようだ。どうにか鏡は避けたが、バチーンと派手な音を立ててタイルに背中からぶつかり頭から崩れ落ちると、脱衣所でバックドロップもどきを喰らったいつかの天音のように、彼もまたすべてを晒した格好となった。
「カイザァァァーーー!!」
高鷹が浴槽から飛び出してすぐさまハルヒコを抱き起こした。すると彼は「エルサウサルのトンネルに……白丸が隠してる金塊が……しかし無数のチワワに邪魔されて……」とただでさえ細い目をさらに半眼にしてうわごとを言っており、高鷹が「うわあああ本格的にイカれちまったーーー!!!」と泣きわめくような吠え声をあげた。
ー
その翌日。珠希の言いつけに逆らうことができず、結局半休を取って最寄りの総合病院に赴き、ふたり揃って脳神経外科にかかるハメになった。
受付の際にふたりとも頭を打ったと告げると「事故に巻き込まれたんですか?」と係りの女に問われたが、面倒なことになるのを避けたかった天音は、ハルヒコが片手にスケボーをかついでいたのでとっさに「ふたりでスケボーしてて転けただけです」と事態の隠蔽をはかった。「しゃあしゃあと言いくさってこの野郎……」というハルヒコの文句は聞き流した。
そして検査の結果、誰の目から見てもすっかり「元通りであった」ように、天音にはやはり異常はなかった。異常だったのは昨日である。そしてハルヒコも金曜の夜同様に頭の中は無事であったようだが、首のわずかな痛みを訴えると軽いむち打ちであると診断された。「そういえば僕も何か痛むな……」とついでに診てもらうと、どういうわけだか自分にもハルヒコと同じ症状が見られたので、天音は首をひねった。
ハルヒコは十中八九昨夜の巴投げのせいだが、自分はむち打ちになるようなことをした記憶はないからだ。しかし無事であることには胸をなでおろし、痛み止めと筋弛緩薬と胃薬を処方され、初診料とCTとレントゲンの代金を支払い病院を出た。ハルヒコには2度目かつ前回とほとんど同額の出費であり、「おとついに引き続いて無駄な金を払っちまったなあ」と渋い顔でぼやいていた。
昼過ぎから登校すると珠希と高鷹とサラが様子を見に教室にやって来たが、「頭は平気だったけど、なぜか首が軽いむち打ちになってるんだよねえ」と天音が不思議そうな顔で言うと、珠希とサラは何も言わなかったが、ふたり同時に高鷹の顔を見上げていた。
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