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梅雨入りはまだ先だが、不安定な春の空は予報より早く雨雲を引き連れてきて、サラのクラスの体育は急きょ保体に差し替えられた。
教室内にもブーイングの雨が降るが、担任の中川が「やっとかなきゃいけないことがあるんだよ」と煙たそうにあしらった。中川は今日も無精髭が伸び、3パターンくらいしかない中の青いジャージを着て、靴下にサンダルを履いている。浅黒い肌に細い目をして、女から見れば良い男とはとうてい言えないだろうけれど、細かいことを気にせずいつも大らかで誰にでも分け隔てないから、サラは珍しくこの教師を気に入っていた。

「自習にしたってお前らおとなしく勉強なんかしねえんだから、今日はダイジな話をしまーす。まあどうせ時間あまるからそしたら自習な」

そう言うと、中川が片手に持っていたナイロン製の大きなカバンから、おもむろに勃起状態のペニスを模した模型とコンドームの箱を取り出し、教卓にドンと置いた。ざわめきが一瞬スッと引いていき、そのすぐあとに津波が押し寄せるごとくみんながギャーギャーと騒ぎ始めた。

「うっさい、中坊じゃねんだからこれくらいで騒ぐな。ごらんのとおり今日はコンドームについてだ。君たちの中にも彼女がいるって人は当然いると思う。今はいない奴も、遅かれ早かれいずれ誰かとお付き合いすることになるだろう。いまどきなら同性と付き合う人もそう珍しくない。いずれにせよ、これとは長い付き合いになる」

中川が箱の中から1枚の包みを取り出し、生徒たちの前に高らかとかざした。みんながその小さな四角い桃色の包みに注目するが、サラは教卓になど目もくれず、かと言って試験勉強も当然せず、手作りの小説につまらなそうに目を通していた。これは今日の休み時間に、漫画研究部に所属するという見知らぬ生徒から通りすがりに押し付けられたのだが、作品の主人公はサラをモデルにしたのだと言われ、気色悪いが「いらない」と突っぱねることもできず、とりあえず渋々受け取ってきたものである。

内容は、ごく普通の高校生活を送っていた主人公が死ぬところから始まり、ふと目覚めた不思議な世界で突然勇者にさせられ、よりどりみどりの女のキャラクターたちと共に悪と闘いながら世界を救うというものである。挿絵だけはやけにうまいが、その勇者はまさしくサラを模した人物であった。

「いずれ初めての瞬間がやってくるだろうが、来たるべきときに、お前らちゃんと自分でコンドームつけられるか?あるいはすでに性交渉があったとしても、相手任せにしたり、つけたくないからつけてないなんて奴はいないか?避妊をしないとどうなるかってのは前にも授業でやったな。望まない妊娠だけじゃない、いろーんな性病…STDってのを教えたけど、それらに感染するリスクが高まるし、近ごろはHIVや梅毒という危険な感染症がまた日本で流行り始めてる。自分の持ちモンにはきちんと自分でゴムをかぶせなきゃダメだ。男の責任ってやつだぞ。だから今日はそのための実技をやります」

じつぎ~?!と一斉に笑い出す生徒たちと、気まずそうに不自然に目をそらす生徒たちとで分かれる。

「せんせー、それがやらなきゃいけない授業?」

「そうだ。ずっと特別授業で組んでたんだが、今年から保体でやることになったんだ」

「彼女できなそうな人は自習でいいですかー?」

「ダメです」

「でもマジでヤッたことない奴だけでよくない?女子だけ集まるやつみたいに」

そう言うと、クスクスと笑いあう声や冷やかしの言葉がそこかしこから飛び交った。

「ヤッたヤらないは関係ない。みんな等しく学ばなきゃいけないことだ」

「先生もちゃんとゴムしてる?」

「もちろん」

またしてもどよめきと笑い声が巻き起こるが、サラはこのつまらない小説をどこでやめようかと悩みながら黙々と惰性で読み進めている。せっかく頑張って書いたそうだから読んであげたいとは思うが、それにしても高校生が書いたとは思えぬほど稚拙で、まったく面白くない。

「ちゃんと毎回コンドームをしてるって奴でも、もしかしたら正しいつけ方ではないかもしれない。そうすると避妊に失敗する確率がグンと上がる。だからこの時間で、ひとりずつにやってもらうぞ。席順に5人ずつくらいに分かれろ。これを回すから、ひとりひとり順番に正しいやり方でつけること」

そう言うなり、中川はカバンからゴロゴロと大小様々のペニスの模型を教卓上に出し、教室はとうとう悲鳴のような大笑いの渦に包まれた。「まずは先生が手本を見せるから」とためらいもなく模型のひとつを手に取り、地獄のような時間がスタートする。色めき立つ生徒たちに反し、明らかに怪訝の色を浮かべていた生徒たちは、憂鬱そうにため息をついた。



ー「……さ、サラ」

「へ?」

呼びかけられてようやく顔を上げる。とっくに授業が始まっていたことに、たったいま気がついたかのような顔だ。

「なに?」

「あの、これ……話聞いてた?」

5人1組のグループにあてがわれた、1本の怒張したペニスをかざしながら、同じグループの生徒が気まずそうに問う。

「え……なにコレ」

やっぱり何にも聞いていなかったか、と生徒たちは呆れたように笑った。

「先生が、これにコンドームはめろってさ」

「なんで?」

「正しいつけ方を学ぶんだと」

「へえ……」

教室中の視線が、ちらちらとサラに注がれている。

「さ、サラは……つけたことある?」

「んーん、無い」

「じゃあサラからやっていいよ。俺たちは知ってるから」

「わかった」

その返事を皮切りに、生徒たちは惜しみなく全神経をサラの手元に集中させる。よく見ようとわざわざ席を離れてこちらに寄ってくる者まであった。
中川が「コラ、立ち歩くな」と注意するが、それでも生徒たちは続々と立ち上がり、ついには野次馬の輪がサラのグループの周りにできあがった。

「お前らうっとうしい、あっち行け」

「いいだろ。おめーらだけで楽しむなよ」

「楽しむって何だよ」

「ああ、サラちゃんの指……」

「きっしょ」

サラがコンドームの袋をやぶり、机上で天を向くペニスの先端に、取り出した薄い膜をそっとあてがった。つけたことは無いと言うが、大まかなやり方は知っているらしい。群衆は息を飲む。だがこの席にはよりにもよっていちばん大きなサイズの模型が回されてきたため、中川が「あ、香月、それだと多分入んないわ」と張り詰めた糸を断ち切るように、もうひと回り大きなサイズのコンドームを持ってやって来た。

「いいかみんな、コンドームはちゃんとサイズ別になってる。サイズが合ってないとこれも"失敗"の原因になるぞ。ゴムのサイズがでかいと膣内で動かしてるときにすっぽ抜けたり、反対にキツいとやぶれたりするからな」

淡々と説明されるが、その生々しさにとうとう赤面する者もあった。

「これだけでかいとLサイズだな~。俺と一緒だ」

「うわサイアクだ、セクハラ教師」

「やだねえオッサンって」

「何を言う、お前らもしっかりと自分のサイズを把握しとけよ。大事なのは、たとえ自分のがSサイズであったとしても、その現実を受け止めることだ」

中川まで輪の中にやって来たため、結局男たちは片手に模型を持ちつつ全員サラの周りに集まってきた。サラは(何で囲まれてるんだろう……)と思うが口にはせず、中川から渡されたコンドームの袋をピリピリと破いた。

「そうそう、中身を端に寄せて袋を破る。そしたら最初はここの精液だめの空気を抜くんだ。爪を立てないようにな」

となりで中川が自分の持っていた模型を使いサラに実演指導を始めたので、生徒たちは邪魔な中年男を目に入れないようにして、綺麗なサラだけに集中する。そして彼の目の前に置かれたペニスを、自分のものだと無理やり思い込んでいた。
中川の「よけいな」指導を受けつつ、どうにかゴムをくるくると下におろしていく。指先がツーっと上下するたび、まるで自分のモノをいじられているようなむず痒さが湧きおこってくる。するとサラが「先生、大っきくて入んない」と少し困り顔でつぶやくように発し、男たちはとうとうニヤけ顔をこらえきれなくなった。しかしサラと中川は男たちのふらちな心境など意にも介さず、目の前のペニスを真剣な眼差しで見ている。

「ああーこれだけちょっとサイズ間違ったかなあ。もうこれ以上大きいサイズのコンドームないんだよな。あとで別のやつに変えてもらうか」

いいや、先生のでやってみな、と危険なセリフで中川が自分の使っていた模型を、サラの前に差し出した。彼らにはこのペニスなどただの物体でしかなく、現にただのゴム製の模型でしかないのだが、野次馬の男たちにはもうそのようには映っていない。
もういちど同じ手順でコンドームを装着させ、今度は無事にきちんと根元までたどりついた。サラの目の前には、内1本が「準備完了」した2本のペニスと2枚のコンドームが散らばっている。「どうだった香月。ハメてみて」と中川が尋ねるが、鈍感な彼にセクハラの意図はない。

「けっこうめんどくさかったです」

「そうだろう。でもごく自然な手順で装着できるようになってる。みんなも今のを手本にしてやってみろ。ほら、さっさと席もどれ」

中川に追い払われるようにして、満足した男たちは「サラありがとう」と礼を言って素直に席に戻っていった。

放課後。保体の話はその授業内容も含めて他クラスまで猥談として行き渡ったが、サラはそんなことなどつゆ知らず、ひとり漫画研究部の部室をとつぜん訪れて部員たちを仰天させた。そして小説を押し付けてきた生徒の前に立ちはだかるなり、「絵はいいけど、文章はつまんないからやめた方がいいよ。あと日本語の勉強して」と吐き捨て、彼の胸に冊子を突き返して去っていった。

小説を胸に抱えたまま呆然とする生徒のとなりで、夏のイベントに向けて作業をしていた部員が、「怖いけどいい匂いするな」とボソリとつぶやいた。
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