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しおりを挟む自習室に行っても試験勉強に集中できず、キャスター付きの椅子でごろごろ転がり、背後の壁に静かにぶつかった。
楽しい週末を過ごしてリフレッシュできたと思ったが、やはり生活の場で起こることがいちばん自分の日常に影響を及ぼすものだ。
高鷹ですらもサラには童貞なのかと面と向かって聞けないが、サラの人生の中に性交渉があったのかは、誰しもさりげなく気にしているだろう。勝手にこんなことを考えることには背徳を覚えるが、気になってしまうものは仕方がない。
彼と心の距離が近づいたと感じたときは、本当に嬉しかった。素直に笑うところもうじうじと落ち込んでるところも、あらゆる側面を自分だけに惜しみなく見せてくれるサラのことが好きだし、放っておけなくていつだって気になるのだ。
(うーん……きっとあーゆーのが小悪魔ってんだな……)
通路の壁にぶつかったまま腕を組んでぼんやりと考える。「天音?」ととなりの席から呼びかける大吾郎の声も耳に入っていない。まもなく消灯とあってか、いつもより混んでいた自習室には、気がつけば天音と大吾郎のふたりだけになっていた。
「天音」
ハッと我にかえる。
「もう部屋戻るぞ」
「ああ、うん」
「何か考えごとか?」
「……ううん。ボーッとしてただけ」
サラのことを考えていたと言い出すのは、大吾郎相手では気まずい。すると彼はしばらくしてからおもむろにこう切り出した。
「なあ、夏休みのことなんだけどさ……」
「ん?夏休み?」
ヤマ場の期末どころか中間試験もまだこれからというのに、夏の話とはずいぶん気が早い、と思った。
「サラってさ……渦川くんと過ごすのかな?」
「……あー……」
またしても胸がチクリとなる。天音は今年も彼を実家に招くつもりではいたが、彼とハルヒコがよくわからない関係に陥ったとあって、はたして予定どおりに行くのだろうか?それにしても大吾郎は勉強中にずっとそんなことを考えていたのかと、彼には悪いがそのいじらしさがかわいいと感じた。
「さーねえ、どーするのかねえ」
口ではあいまいなことを返すが、サラは恐らくハルヒコの帰省に帯同するであろうことは予想がついている。
「まあ、うちの実家にも誘ってみるよ。花火大会のときなら来ると思うし」
「あのさ、それほんとに俺も行っていい?」
「いいってば、むしろ来て。なんなら親の工場の電話番と事務のバイトも手伝って。重機の作業終わるまで掘っ建て小屋でゲームしてるだけでいいから。夏は人手が足りないんだ、だから今からアルバイト確保しろって親がうるさくて」
「バイトできるならいいな。8月の大会後に行くよ」
「わーい、助かる。僕の分担が減る。親がずーっと組合長とか町内会の役員をやってるせいで、地元の付き合いとかけっこうかったるくてさ、祭りの準備と片付けの手伝いとか、小学生サッカーとバスケのコーチもやらされるんだ。夏休みなのに働き詰めなんてやってらんないよ」
「忙しいんだなあ。天音は将来、親の仕事を継ぐのか?」
「継ぎたくない。地元を離れたい」
「他にやりたいことあるのか?」
「いやーそれがねえ、恐るべきことに特に無いんだ。外国に住んでみたいなってのはあるけど、今の僕には非現実的だ」
「遠くに行きたいんだな」
「うん、遠くに行ってみたい」
「……渦川くんの実家とか、けっこういい感じに遠いんじゃないか?島だろ」
「へ?」
「夏休み、俺たちも行こうよ、渦川くんの地元」
大吾郎の唐突な提案に、天音の顔がみるみるうちに悪だくみをする子供のような笑顔になっていく。それは大吾郎にも感染していった。
「部活は?」
「合宿とか大会直前じゃなけりゃ休めるよ、いつでも」
「じゃあ今度ハルヒコに聞いてみる」
「おう。……ちなみに渦川くんの実家、ホームページあったよ」
「うそっ」
大吾郎がスマホからアクセスし、ページを開いて見せた。
「このうずかわ農園ってとこ。メインは名産品の農作っぽいけど、酪農もやってるし、菓子製造とレストランと民宿と現地ガイド、フィッシング、ダイビングのインストラクター、マリンスポーツ用品のレンタル屋、あとレンタカー屋もやってる。農家ってかもはやレジャーの会社だな」
「手広いなあ、島まるごと支配してんじゃん。うずかわ農園ってか、うずかわアイランドだ」
「お前らふたりとも御曹司なんだな」
「離島の農園と下町の鉄クズ工場のね……。ん?社長の写真載ってる。これが育てのお父さん?」
生産者紹介のページには、開拓時代のようなウエスタンハットをかぶりこんがりと日に焼けた40代半ばくらいの男が、乳牛の横で腕を後ろに組んで立ち、ハルヒコとは似ていないくっきりとした目鼻立ちをして、白い歯をのぞかせてさわやかに微笑んでいた。黒くたくましい身体つきに青いチェックのシャツとジーンズ姿がよく似合っている。写真の下には【代表・渦川笑一】と記されていた。
「やっぱりこの帽子かぶってんのか……」
「へー、もっとブッ飛んでそうな人かと思ってたけど、ふつーーーの優しそうなおじさんだね」
「な」
「親戚かな」
「そうだろ」
「じゃー夏休みはこの渦川ファミリーに会いに行くってことで。ホンモノのお父さんとお母さんはいないけど」
「おう」
「アイツの悪行をぜんぶこの社長にバラしてやる」
「優しそうだけど怒ったら怖そうだな」
「確かに」
すると自習室に管理人のおばさんの旦那さんがやってきて「今日の勉強はここまで」と言われ、ふたりはすぐに道具を片付けて旦那さんに挨拶をして、「おやすみ」とそれぞれの部屋に戻っていった。
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