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しおりを挟むー「あれ、ハルヒコくん?……と香月先輩」
手を洗い終えた池田が、ふたりとすれ違った。いつも仏頂面のハルヒコの顔がやや蒼白になり、何かにおびえた子供のようにサラの手をぎゅっと握っていた。
「ど……どしたの?ホームルーム始まるよ」
「天パくん、悪いけど君から先生に言っといて」
「は、はあ……」
「この人きのう、風呂場ですべって転んだんだ」
「あ、そうだったんですか。だからそんな……」
「保健室で怪我を診てもらうから、授業には少し遅れると思う」
「わかりました……言っときます」
無表情で淡々と告げるサラに、ヘビににらまれたカエルのごとく、池田がへこへことしながら了承した。だが立ち去るときにおもむろに顔を寄せられ、池田は声も出せず身をすくめると、首元にフッと息を吹きかけられたので、ビクリと痙攣し生唾を飲んだ。その様子にサラがうっすらと微笑むと、「フケで人形作れそうだね」と言い残し、すっかり意気消沈したハルヒコを引き連れて去っていった。その様子を、クラスメイトたちが興味津々でドアから覗き見ていた。
「池田、あの先輩と知り合いなの?」
教室に戻るなり林田に問われる。
「いやあ、知り合いっていうか……」
「あの人の存在感すげえよな。全然学校来ねえのに」
「うん……」
「なあ、あんな近づいて何話してたの?」
近づかれたのは肩のフケを吹き飛ばすためだ。だがそんなことは言えず、「いや、渦川くんの怪我について何か知らないか聞かれただけ」と嘘をついた。しかし耳元に当たったサラの吐息の生々しい感触は、まだ消えていなかった。
「貴様、俺を騙しやがったな」
ハルヒコがベッドに寝かされ氷のうをあてがわれながら文句を垂れた。サラはどこ吹く風で背を向けて窓辺の椅子に座り、グラウンドでクラスメイトたちが体育の授業を受けているのを眺めている。
「そうでも言わないと、あなたは来ないんでしょ」
養護教諭の白石がなだめた。
「ああ来なかったとも。ヘドロになる心配がないならな」
「でも放っておくのは本当に危ないのよ。見たところ腫れも無いし平気だと思うけど、痛みが続くなら必ず病院にかかってね。ここのかかりつけのところ、杉崎医院ってとこ。寮から歩いてすぐだから」
「けっ、しゃらくせえ」
日向ぼっこをする猫のようなサラの背中を見つめ、白石は「よく連れてきてくれたわね。頑張った」とつぶやいた。
「お前、いっつもこんなところでひとりでボケーっと過ごしてんのか?」
氷のうをあてがいながら立ち上がると、窓辺に歩み寄った。
「堕落人間め」
「……」
丸椅子をつかむと、サラのとなりに置いてどかっと腰掛けた。
「……お前の髪の色は天然か?」
「うん」
「目の色も?」
「うん」
「混血か?」
「ううん」
「変わった色をしているな。」
「うん」
「変わってるが、きれいだ。」
「……」
「今日はアレやらんのか?」
「……アレって?」
ハルヒコが指で輪を作り、何かを口にくわえる仕草をした。
「……マリファナ?」
「吸う方じゃない、吹く方だ」
「ああ、シャボン玉のこと。やりたいならやれば。ベッドの下に置いてある」
「お前はやらんのか」
「やらない。……君のお父さんとお母さん、何してる人なの?」
「何も。きのう割れて死んだのを見ただろ」
「生きてるときは何してたの?」
「知らん。本能のままに交尾をして出来あがった俺を、糞と同じ感覚でひり出しただけの人間どもだ。知る由も無い」
「兄弟は?」
「なぜそんなことを聞く?」
「聞いちゃ悪いの?」
「ああ、あまりにも無益だ。1週間の排便回数と同じくらい無用な情報だ」
やや置いて、薄茶色の瞳がハルヒコの真っ黒で小さな瞳をとらえた。
「君って弱いよね」
「……何?」
「弱さが服を着て歩いてる」
今にも眠ってしまいそうな気だるげな重いまぶたが、ヘラヘラといたずらな笑みを浮かべている。
「天音が何されても君を許してあげてる理由がよくわかるよ。だって何かみじめだし、見ててかわいそうなんだもん」
かすれた声で言うと、おもむろに白石の方を向き、「先生、頭いたい」と訴えた。
「熱測る?」
「ううん。少しだけベッドで寝たい」
「次の授業は?」
「びじゅつ」
上手く発音できないのか、舌足らずに答えた。
「美術は出なきゃダメよ」
「はーい」
もう一度ハルヒコと向き合うと、今度は血の気のない冷たい目をして「それ持ってさっさと授業戻れば?」と言い放った。すると次の瞬間、ハルヒコがサラのうなじに手を回してグイッと引き寄せ、ひたいとひたいを力任せにくっつけた。
「……小僧、俺をほんの少しだけ怒らせた罰だ」
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