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「君、これまでひとり部屋だったのか」

ハルヒコはすでに送られていた荷物の箱を開けもせず、その上にあぐらをかいて座っている。「この1本が学生時代のラストだ」と言って、堂々とタバコを吹かしていた。天音は彼の前で萎縮したように正座し、何も言えなかった。

「う、うん……。同じ部屋だった子が留学に行っちゃって、去年からね」

「なるほど。ではマスターベーションのことだが……」

「は?」

「今後も変わらずに好きなタイミングでしてくれて構わない。俺もそのつもりだ。君が勉強していようがメシを食っていようが親に電話をしていようが、したくなったらする」

「ええ…それは……」

「男2人の相部屋だぞ。刑務所のようなものだと思え。我慢は身体に毒だ、遠慮はいらない」

「はあ……(よくわからない)」

「君は童貞か?」

「え?……何、そんな突然」

「正直に」

天音は困惑しきりであった。今すぐにでも寮長に訴えてこの男との相部屋を解消してほしかった。

「う、渦川くんはどうなの?」

顔を赤くして恐るおそる尋ねると、ハルヒコは鼻から煙を出し、もういちど吸い込むと今度は輪っかを2個も吐き出した。

「うわ!輪っかだ」

「俺は今年で19だ。すなわちもう18禁という呪縛を解かれている」

「……」

「なんだその目は」

「解かれているから何なの?……セックスはしたことあるの?」

天音が問うと、ハルヒコは沈黙した。だが10秒もすると両耳がまっ赤に染まっていった。

「赤くなってるけど……」

「き、君がセッ……そんな言葉を堂々と使うせいだろ」

「は?」

「俺は時の流れに身を任せて生きてきた。これからもそうして生きていく」

「あのー……だから、セックスは」

「やめんか!!」

「ひいっ!」

顔をまっ赤にしたハルヒコに突如左手で後頭部を押さえつけられ、天音はカーペットにひたいがぶつかるすんでのところだった。

「ちょっと!何すんだよ!!」

「寝るぞ。灯を落とせ」

「もう、意味わかんない。何なのこの人」

ハルヒコは「卒業するまでしばしの別れだ」と言って、茶の入った紙コップにタバコを捨てると、先ほど天音からまんまと奪い取った2段ベッドの上段に上がっていった。だが部屋の電気を消してからしばらくして、天音がおもむろに「どうせ君も童貞なんだろ。ハタチまでに捨てたいとか思ってるんだ」とボソッと言うと、ハルヒコがすぐさま降りてきてベッドに侵入してきた。

「わ、わ、なに!ちょっと!ちょっ……」

次の瞬間、天音は狭いベッドの中で悲鳴をあげた。だがほとんど声が出なかった。がっちりとサソリ固めを喰らっていたからだ。

「あががが……痛い!痛いって!!ごめ、ごめんなさ……ギブギブギブ!!!」

「俺はメキシコでの生活が長くてな。今後発言には気をつけろ」

「わかりました!わかりましたから!!」

「現地ではこんなもんじゃ済まないぞ。日本に生まれたことに感謝しろ」

そう言って足をほどくと、ガン!と派手な音がした。ハルヒコが思いきり頭をぶつけ、そのままぐしゃりと天音の真横に沈み込んだ。

「うわあ!!」

至近距離で顔を向けあってしまい、天音は思わず壁に逃げた。そのせいで彼もまた後頭部を思いきりぶつけてしまい、「ぐう……」と唸って頭をおさえながらうずくまった。

(何してんだ……真夜中に何してんだ僕たち……ていうかこいつホント何なの……)

ハルヒコは気絶したのか起きなかったので、起こすのも面倒だったため天音が上段で眠ることにして、結局そのまま朝を迎えた。早朝、寝息を立てているハルヒコを確認して、死んでいなくて良かったと少しホッとした。






ー「天音、昨日あいつ平気だった?」

翌、日曜日。美術部で休日の活動がない天音は、他の運動部の生徒たちの練習の手伝いに駆り出されることが多い。今日はサッカー部の試合でグラウンドを使われているので、寮の裏庭で野球部の耀介の「自主トレ」だというトスバッティングに付き合わされていた。耳元でパカーンと豪快な音を立て、球がネットに次々と飛び込んでいく。

「渦川くん?」

「うん」

「……まあ大丈夫。部屋のど真ん中にサンドバッグ吊り下げられた以外は」

「サンドバッグ?」

「部活には入らないで、部屋で鍛えるらしい」

「クソ迷惑だな」

「……ね」

「はー、こんなもんでいいや。何球いった?」

「220」

「けっこー頑張った。昼メシにしよ」

「午後は?」

「午後は出かける。天音は?」

「ぶらぶらしてる。それか高鷹たちとテニスでもしよかな」

「あそう」

連れ立って食堂に行くと、部活や勉強でひと段落を終えた寮生たちが集まっていた。天音たちがいつものテーブルにつくと、珠希と高鷹と大吾郎もやってきた。

「天音、きのう部屋からすごい音したけど、何してたの?」

隣室の珠希が尋ねるが、天音は昨夜のことを話すのが面倒なので、「音なんてした?」とトボけた。

「あれ?隣かと思ったのに」

「何にもしてないよ。戻ってすぐ寝た」

「そう……」

「ところで、渦川くんは?」

「カイザーだろ」

横から高鷹がすかさず訂正する。

「さあ。僕が部屋を出るときには寝てたけど」

「まだ寝てるのかな?起こしに行く?」

「いいよ」

「えー、天音の薄情者」

「じゃあ珠希が起こしに行って」

「僕?」

「そうだ、お前が行ってこい。今んとこカイザーくんに好意的なのはお前だけだ」

「……高鷹も一緒に行こうよ」

「やなこった。めんどくせえ」

「もー……別に好意的なんじゃないよ。みんなが冷たいだけだろ」

そう言って珠希が立ち上がり、天音たちの部屋に向かった。だがその数秒後に、廊下から「うわあ!」と叫び声がした。

「何だ?」

食堂の面々が一斉に出入り口の方を見やり、嫌な予感がした天音と高鷹がすぐさま駆けつけた。

「……何してんの?」

食堂を出てすぐの曲がり角で、尻餅をついている珠希とひっくり返っているトランクス一丁のハルヒコを見つけた。耀介と大吾郎も後に続き、かたわらにスケボーが転がっているのを見て、彼らはすぐに状況を察した。

「念のため言っておくが、俺たちは接触してないぞ」

ハルヒコが何事もなかったかのようにスケボーを片手に起き上がる。

「このちびすけと出合い頭にぶつかりそうになっただけだ」

「渦川くん、廊下でスケボーは禁止だぞ。規則にも書いてある。それから寮内を歩くなら最低限Tシャツを着てズボンを履いてくれ。共有スペースは君の部屋じゃないんだから」

天音がため息をつき、珠希を引っ張り起こした。

「もう、びっくりしたあ。君を起こしに行くとこだったんだよ」

「そうか。すまない」

だが、と人差し指を立てる。

「曲がり角に対して君はあまりにも無警戒すぎる。スラムだったらひたいに1発であっさりあの世行きだ。日本に生まれたことをありがたいと思うんだな」

立ちすくむ天音たちと、それを背後から見ていた寮生たちは、またしても昨夜と同じ気まずい沈黙を味わった。珠希だけが「スラムでパンイチの奴の方がヤバくない?」と訝しげな顔で言った。
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