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求愛行動

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 テレビの動物系番組で、コモドオオトカゲの映像を見たことがある。
 インドネシアのコモド島に棲むオオトカゲである。
 成長すると、全長が2メートルを超える、恐竜のようなオオトカゲだ。
 二股の長い舌を出したり引っ込めたりしながら、結構な速度で走り、ヤギに襲い掛かっていた。

 でも、黄色のシャツを咥えているのは、ああいうトカゲではなかった。
 茶色やグレーのような地味な体色ではない。

 鮮やかな緑地に黒とオレンジの波打つラインが入った、毒々しいほど派手な色合いをしている。
 さらに背中には、平たい剣のような突起物を幾つも生やしていた。

 コモドオオトカゲとは、姿勢も違った。
 前肢で胸を張るように大きく上半身を立て、そこから首が伸びている。

 手足の生えている位置が違うのだ。
 トカゲやワニのように、胴体の側面から足が生えているのではなく、馬や犬猫のように、胴体の下から足が生えている。

 トカゲではなく、これはドラゴンの一種かも知れない。
 サイズも大きく、太く長いしっぽを含めなくても、車一台ほどはありそうだった。

 首の先には、背と同じく突起物で装飾されたような頭部があり、黄色いシャツを咥えていた。
 シャツの色が半分赤く変わっているのを見て、あたしは産毛まで逆立った。
 もちろん黄色のシャツの中には、あの不摂生で運動不足な男性が入っているのである。

 「チャーム!」と黄色が悲鳴を上げると、人食いドラゴンの突起物がボウッと変色した。
 黄色が「ハイ・チャーム! ファースネイション!」と叫んだ。
 これがたぶん、魅了の魔法、チャームの上位バージョンなのだろう。

 ピアノの鍵盤を端から端までを一気に鳴らすように、人食いドラゴンの突起物が、頭部から背中まで、目まぐるしく変色し始めた。

 さらに、黄色の腰を咥えたまま、人食いドラゴンはきょろきょろと首を左右に振った。
 何かを探しているようにも見える。
 これって、もしかして……。

 求愛行動ってやつじゃないのかしら?
 あたしは、羽を広げたクジャクを思い浮かべた。
 オスが美しい羽を大きく広げるのは、メスへの求愛行動である。
 グンカンドリが、嘴の下にある真っ赤な袋を大きく膨らますのも、メスへの求愛行動である。

 黄色いシャツは、チャームの呪文で、人食いドラゴンを手懐けようとしたのかも知れない。
 ところが思惑は外れ、人食いドラゴンは、チャームで魅了され、興奮し、発情し、訳も分からないまま、背中の突起物を変色させる求愛行動をとりながら、メスを探しているのだ。

 咥えている黄色いシャツは、求めるメスへの貢物のつもりかも知れない。
 チャームの呪文を止めさせなきゃ。
 でも、声を出せば、人食いドラゴンがこっちに向かって来るかも知れない。
 あたしがそう躊躇したとき、喉を詰まらせたような唸りを最後に、黄色が静かになった。

 途端に人食いドラゴンの動きが止まった。
 口が半開きになると、黄色が草地に落ちる。背中の突起物の変色も収まった。

 頭の位置を低くすると、草むらを掻き分け、人食いドラゴンは何事も無かったのかのように去っていった。
 残ったのは、赤黄色になったシャツの男性である。

 あたしは、おっかなびっくり斜面を下り、転がっている赤黄色に近づいていった。
 もし、息をしていないなら近寄りたくない。
 怖い。

 でも、まだ息をしていたなら……。
 それでも、あたしにできることは、何もない。

 だけど「がんばれ」と励まし、遺言を聞くぐらいならできるかも知れない。
 誰も知らないような場所で、一人で死んでいくのは辛いはずだ。
 あたしなら、絶対に嫌である。
 覚悟を決めて、さらに数歩近づく。

 と、不意に、赤黄色が転がっている、その向こう側の草むらがガサガサと揺れた。
 風に吹かれて揺れたのではない。
 何かがそこにいる。

 丘陵地の雑草は、均一に伸びているわけではない。
 揺れたあたりの草むらは生い茂り、深くなっているようだった。
 揺れた草むらから、唐突に顔が出て来た。
 女性の顔である。

 若い。二十代前半ぐらいに見えた。目が大きな美人であった。
 くすんだ赤毛をし、どこか驚いたような目をしている。
 女性はあたしを見つけると、瞬きをし、声を掛けて来た。

 甲高くて、聞いたこともない言語であった。笛の音を連想させる。
 「助けてッ! こっちです! こっち!」
 それでも助けてもらえると思い、あたしは大きく手を振った。

 たぶん、この世界の住人なのだろう。
 男性だったら、少しは警戒したかも知れないが、あたしと同じ女性である。
 赤黄色のシャツの手当てをしてもらえるかも知れない。

 安堵した瞬間、女性の首がヌッと伸び、あたしはギョッとして足を止めた。
 草で滑って、尻もちをつきそうになる。
 ろくろ首のように長く伸びたわけではないが、それでも尋常の伸び方では無かった。

 思わず短い悲鳴を上げると、女性の左右に一つずつ、さらに別の女性の首が現れた。
 首を伸ばしたまま草むらを掻き分け、最初の女性が姿を現した。
 それは、女性の顔をした、でかい鳥の化け物だった。

 あたしは目を見開いて、一歩、後退した。
 三人、いや三羽、いや三匹は、草むらを出て来ると、首を軽く前後に振りながら、目を見開いた笑顔で近寄って来る。
 その笑顔が妙に親しげで怖い。

 ダチョウほどの身長は無い。
 やや、前傾した姿勢のせいもあるのだろうが、あたしより頭の位置は低い。
 しかし、ライオンやトラだって、あたしより頭の位置は低いのだ。

 左端の一匹が、赤黄色のシャツの横で立ち止った。
 頭を下げると、黄色シャツに顔を近づけ、匂いを嗅ぐような仕草をした。
 ツンツンと鼻先で黄色いシャツをつついているようにも見える。
 そして、再び顔をあげた。

 美しい顔が血に染まっている。
 しかも、恐ろしいことに、何かを咀嚼していた。



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