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4.思い出のアップルパイ

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「話せるわけないじゃん。前のお父さんと別れてからずっとしんどそうだったお母さんが、やっと幸せになれたのに……」


 苦しそうにこたえる由梨ちゃんに、ミーコさんは申し訳なさそうに、先ほどから飛び出したままの三角の白い猫耳を下げる。

 本来ならすぐに引っ込めていそうな猫耳がそのままなのは、きっと今は他にお客さんがいないからなのだろう。


「そうですよね、すみません……」

 由梨ちゃんはミーコさんの腕の中で、小さく首を横にふる。


「新しいお父さんとは、上手くいかれてないのですか?」

「ううん、仲良しだよ。三年前からよくうちに遊びに来てたし、私もよく遊んでもらってたし」

 でも……、とミーコさんから少し身を離し、由梨ちゃんは肩を落として口を開く。


「新しいお父さんは人間なの。前のお父さんも人間だったけど、前のお父さんはお母さんがあやかしだって知ってたから良かった。けど、新しいお父さんはお母さんがあやかしだって知らないの」

「そうでしたか……」

「うん。前のお父さんは元々あやかしのことを知ってる人だったみたいだけど、新しいお父さんはお母さんの職場で知り合った普通の人間だって、お母さんが言ってた」


 人間の世界で暮らすあやかしが、人間の前では他の人間と何ら変わりない姿で過ごしているのは、人間を必要以上に脅かさないためだ。

 あやかしのことを知らない人間の前でいきなりあやかしの正体を晒したら、それこそ化け物扱いされてしまう。


「お母さんが人間の世界が好きで、人間と一緒になって私が生まれたことは知ってる。だから、そのために私も人間の姿で生活していくことは悪いことだと思ってないよ。けど、二人が愛し合っていることもわかってるけど、どうしても一緒に暮らすのは息が詰まりそうで……」

 そして、由梨ちゃんは複雑さの滲み出た表情で告げたのだ。


「それに、新しいお父さんのことは嫌いじゃないけど、いい人だってわかってるけど、やっぱり自分のお父さんだと思うのは難しいよ……」

 由梨ちゃんはそこまで言い終えると、滲んでいた涙を袖で拭って、机の上の勉強道具を片付け始める。


「やっぱり帰るね。そこのおねえさんの言う通り、お母さん、心配してるだろうし。本当は、ミーコさんのところに泊めてもらいたかったけど、無理だってわかってるから」

「無理ではないですよ。いつでも来ていただいて構いませんが、必ず事前にお母さんの承諾をもらってきてくださいね」

 私にはそのくらいのことしかできませんが、とミーコさんは由梨ちゃんに優しく微笑んだ。


「ありがとう、ミーコさん。どうしても無理だったらお願いするかも。こんなこと言ったって、お母さんのこともミーコさんのことも困らせるだけなのにね」


 机の上に出ていた勉強道具を全て詰めたランドセルを背負うと、由梨ちゃんは会計を済ませて寄り道カフェを出ていく。

 その後ろ姿が、何だかとても寂しげに見えた。

 *

 それからというもの、由梨ちゃんは毎日のように寄り道カフェを訪れるようになった。

 初日の帰り際のシリアスさはまるで嘘のように、由梨ちゃんは元気はつらつとした姿を見せた。

 けれど、人間の小学生と何ら変わらない無邪気に笑う姿を見ていると、由梨ちゃんが無理に演じているものなのではないかと考えてしまう。


 由梨ちゃんが毎日寄り道カフェにに来て、ケーキセットを食べて、日が暮れるまで宿題をして帰るようになって、はや一週間が過ぎてもそれは変わらなかった。

 坂部くんやミーコさんの話によると、私がお休みしている土日も朝から夕方まで、寄り道カフェに来ていたそうだ。

 それほど混み合っているお店ではないから、それ自体お店としては問題ないみたいだけれど、由梨ちゃんは一体どんな気持ちで毎日寄り道カフェに来ているのだろう。



「……の? 綾乃?」

「は、はいいいいぃぃっ!」

 ポンと肩に手を乗せられた衝撃で、思わずその場に直立してしまう。


「どうしたのよ。びっくりした……」

 目の前には、怪訝そうに首をかしげる明美の姿があった。

 さっきまで教室で授業を受けていたはずなのに、いつの間にか終わって昼休みになっていたようだ。


「ごめんね。ちょっと考え事してて」

「ははーん。さては恋の悩み?」

「へ……?」

「隠さなくていいの。最近、綾乃が何か悩んでる感じだったのには、気づいてたんだから」

「それは……っ! バイトのことでいろいろ考えていただけで、そんなのじゃ……」

「綾乃のバイトって、坂部も一緒だもんね。ほら、やっぱり坂部のこと考えてたんじゃない」
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