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44、新しい道
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それからマティルダはキースの用意してくれた屋敷で生活を始めた。今度は門番もおり、警備も厳重で、オズワルドを中へ入れることはできない。
(わたしのことなんて、もう探してないかもしれないけれど)
彼は炎の中助け出してくれたが、やはりシェイラを捨てることはできない気がした。彼女が修道院へ入りたいと言い出せば、また心は彼女に縛られ、離れることはできないように思う。
それとも、今度こそ違うのだろうか。
デイヴィッドが好きだと告げた時の、どうしようもなく傷ついたオズワルドの表情を、マティルダはふとした拍子に思い出してしまう。
(そんなにショックだったのかしら……)
ほんの少し可哀想な気もしたが……これまでのことを思えば、やはり胸がすく思いがした。
(わたしのいないところで、思う存分やったらいいわ)
今はただ、煩わしいことから解放されて自由に暮らしたかった。
幸いキースはオズワルドからマティルダを奪えたことが嬉しいようで、また幾分の余裕ができたのか、以前のように距離を無理矢理詰めてくることはなかった。
キース以外にもマティルダに会いに来る人間はいて……
「マティルダ。また会えてうれしいです」
「ふふ。ありがとう。でもあなたが一番会いたかったのはポーリーではなくて?」
ニックが何か答える前に「ワン!」とポーリーが先に答えて彼へ駆け寄っていく。どうやら少し離れている間にすっかり懐いてしまったようだ。べろべろと顔中舐め回されているニックは心底幸せそうな顔をしながら再会を喜んだ。
「ポーリー。ニックが困っているわ。こちらへいらっしゃい」
マティルダがそう言うと、ポーリーはまた元気に尻尾を振ってマティルダのもとへ戻って来る。よしよしと腕を広げて抱きしめてあげると、折り畳み式の幌がついた馬車へ乗り込む。ニックもよっこらせと立ち上がり、ごく自然にマティルダの隣へと座ってきた。
二人掛けだから隣に座るしかないのだが、身体がぴったりと触れ合う距離間は、傍から見れば恋人か夫婦のような関係に……見えるのだろうか。
マティルダにはよくわからなかった。
「今日はいい天気だから、絶好の散歩日和ね」
「公園までは馬車で行きますけどね」
二人は週に何度かこうして散歩に出かける。
「あの、マティルダ。今さらですけれど、僕が一緒についてきていいんですか」
「あら、どうして?」
「だって……またあなたがご主人に強引に連れ去られてしまうのではないかと思って……」
彼はあの時自分が離れたばかりに怖い思いをさせたと自責の念を抱いていた。
「あなたのせいじゃないわ」
きっとニックではなく別の男でも――男がいなくても、同じようなことは起こっていただろう。
(ぜんぶ、丸く収まったんだわ)
「はぁ……だったらいいんですが……でもやっぱり、あなたとこうして二人きりで出かけるのは今後控えるべきかもしれません」
「今日はやけに常識的なことをおっしゃるのね。パメラに何か言われたの?」
ちょうどこの前パメラが遊びにきてくれて、ニックも居合わせたので紹介したのだ。いろいろと質問攻めにされ、困っている様子だった。
「いいえ。ただ……あなたは嫌ではないのかと思って」
ニックはポーリーから視線を上げて、マティルダの吸い込まれそうな黒い瞳を見つめた。初めて、彼に自分の姿を映してもらえた気がする。そんなことを思っていると不意に馬車が揺れ、マティルダは体勢を崩し、ニックの胸の中へ飛び込むようにして倒れてしまう。
(あ……)
あの人とは違う香りだと思った。
「大丈夫ですか」
「ええ。ごめんなさい。わたし、支えきれなくて……」
顔を上げると、驚くほど近い距離で彼は自分を見つめていた。
そしてその瞳には、これまでの自分たちの関係を変えそうな熱を灯していた。
「……あなたは、公爵のことを愛しているのですか」
緊張した声。ポーリー以外はすべてどうでもいいというニックが、マティルダのことを知ろうとしている。
「いいえ」
「では侯爵に対して未練がおありなのでしょう」
「どうしてそんなことをお聞きになるの」
「……再会したあなたは、どこかぼおっとして、憂鬱そうな顔をしていたから。まるで大切な何かを失ってしまったように……悲しんでいました」
「……」
マティルダはニックの胸をやんわりと押して自分の席に座り直した。
「すみません。こんなこと、僕が聞いても気持ち悪いだけですよね……」
落ち込んで、後悔に滲んだニックの声。マティルダは前を向いたまま、どこまでも続く一本の長い街路樹を眺めながら、ふとゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
そして隣に座るニックの手に自分の掌をそっと重ねた。びくりと大げさなほど彼の身体が震える。前を見据えたまま、彼女は続けた。
「ポーリーを好きな子に、悪い人はいないわ。だからこれからも、あなたとは仲良くやっていくつもりよ」
しばらくしてから横を向き、固唾を飲んで自分を見つめる瞳に微笑んだ。ニックの肌がきらきらと輝く陽の光でみるみる赤く染まっていくのがわかった。
「マティルダ……」
(失っても、新しい関係を築いていけばいいんだわ)
デイヴィッドほどの情熱を自分がまた持てるかわからない。たぶん、彼ほど自分の心を揺さぶる存在には二度と出会えない気がする。
けれど無理だと諦める必要もないだろう。だって自分は生きている。生きている限り、心は傷ついて、喜びを得るものだから。
(旦那様ほど愛せる人がいなかったら、それはそれでいいわ)
答え合わせは死ぬ時。その時にまた彼に会えるだろう。
それまで、この人生を愉しもうとマティルダは艶やかに微笑んでみせたのだった。
(わたしのことなんて、もう探してないかもしれないけれど)
彼は炎の中助け出してくれたが、やはりシェイラを捨てることはできない気がした。彼女が修道院へ入りたいと言い出せば、また心は彼女に縛られ、離れることはできないように思う。
それとも、今度こそ違うのだろうか。
デイヴィッドが好きだと告げた時の、どうしようもなく傷ついたオズワルドの表情を、マティルダはふとした拍子に思い出してしまう。
(そんなにショックだったのかしら……)
ほんの少し可哀想な気もしたが……これまでのことを思えば、やはり胸がすく思いがした。
(わたしのいないところで、思う存分やったらいいわ)
今はただ、煩わしいことから解放されて自由に暮らしたかった。
幸いキースはオズワルドからマティルダを奪えたことが嬉しいようで、また幾分の余裕ができたのか、以前のように距離を無理矢理詰めてくることはなかった。
キース以外にもマティルダに会いに来る人間はいて……
「マティルダ。また会えてうれしいです」
「ふふ。ありがとう。でもあなたが一番会いたかったのはポーリーではなくて?」
ニックが何か答える前に「ワン!」とポーリーが先に答えて彼へ駆け寄っていく。どうやら少し離れている間にすっかり懐いてしまったようだ。べろべろと顔中舐め回されているニックは心底幸せそうな顔をしながら再会を喜んだ。
「ポーリー。ニックが困っているわ。こちらへいらっしゃい」
マティルダがそう言うと、ポーリーはまた元気に尻尾を振ってマティルダのもとへ戻って来る。よしよしと腕を広げて抱きしめてあげると、折り畳み式の幌がついた馬車へ乗り込む。ニックもよっこらせと立ち上がり、ごく自然にマティルダの隣へと座ってきた。
二人掛けだから隣に座るしかないのだが、身体がぴったりと触れ合う距離間は、傍から見れば恋人か夫婦のような関係に……見えるのだろうか。
マティルダにはよくわからなかった。
「今日はいい天気だから、絶好の散歩日和ね」
「公園までは馬車で行きますけどね」
二人は週に何度かこうして散歩に出かける。
「あの、マティルダ。今さらですけれど、僕が一緒についてきていいんですか」
「あら、どうして?」
「だって……またあなたがご主人に強引に連れ去られてしまうのではないかと思って……」
彼はあの時自分が離れたばかりに怖い思いをさせたと自責の念を抱いていた。
「あなたのせいじゃないわ」
きっとニックではなく別の男でも――男がいなくても、同じようなことは起こっていただろう。
(ぜんぶ、丸く収まったんだわ)
「はぁ……だったらいいんですが……でもやっぱり、あなたとこうして二人きりで出かけるのは今後控えるべきかもしれません」
「今日はやけに常識的なことをおっしゃるのね。パメラに何か言われたの?」
ちょうどこの前パメラが遊びにきてくれて、ニックも居合わせたので紹介したのだ。いろいろと質問攻めにされ、困っている様子だった。
「いいえ。ただ……あなたは嫌ではないのかと思って」
ニックはポーリーから視線を上げて、マティルダの吸い込まれそうな黒い瞳を見つめた。初めて、彼に自分の姿を映してもらえた気がする。そんなことを思っていると不意に馬車が揺れ、マティルダは体勢を崩し、ニックの胸の中へ飛び込むようにして倒れてしまう。
(あ……)
あの人とは違う香りだと思った。
「大丈夫ですか」
「ええ。ごめんなさい。わたし、支えきれなくて……」
顔を上げると、驚くほど近い距離で彼は自分を見つめていた。
そしてその瞳には、これまでの自分たちの関係を変えそうな熱を灯していた。
「……あなたは、公爵のことを愛しているのですか」
緊張した声。ポーリー以外はすべてどうでもいいというニックが、マティルダのことを知ろうとしている。
「いいえ」
「では侯爵に対して未練がおありなのでしょう」
「どうしてそんなことをお聞きになるの」
「……再会したあなたは、どこかぼおっとして、憂鬱そうな顔をしていたから。まるで大切な何かを失ってしまったように……悲しんでいました」
「……」
マティルダはニックの胸をやんわりと押して自分の席に座り直した。
「すみません。こんなこと、僕が聞いても気持ち悪いだけですよね……」
落ち込んで、後悔に滲んだニックの声。マティルダは前を向いたまま、どこまでも続く一本の長い街路樹を眺めながら、ふとゆっくりと口元に笑みを浮かべた。
そして隣に座るニックの手に自分の掌をそっと重ねた。びくりと大げさなほど彼の身体が震える。前を見据えたまま、彼女は続けた。
「ポーリーを好きな子に、悪い人はいないわ。だからこれからも、あなたとは仲良くやっていくつもりよ」
しばらくしてから横を向き、固唾を飲んで自分を見つめる瞳に微笑んだ。ニックの肌がきらきらと輝く陽の光でみるみる赤く染まっていくのがわかった。
「マティルダ……」
(失っても、新しい関係を築いていけばいいんだわ)
デイヴィッドほどの情熱を自分がまた持てるかわからない。たぶん、彼ほど自分の心を揺さぶる存在には二度と出会えない気がする。
けれど無理だと諦める必要もないだろう。だって自分は生きている。生きている限り、心は傷ついて、喜びを得るものだから。
(旦那様ほど愛せる人がいなかったら、それはそれでいいわ)
答え合わせは死ぬ時。その時にまた彼に会えるだろう。
それまで、この人生を愉しもうとマティルダは艶やかに微笑んでみせたのだった。
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