悪女は愛する人を手放さない。

りつ

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4、日記

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 翌日。昼近くに起きたマティルダはさっそく図書室へ足を運んでみることにした。

 オズワルドの言った通り、広い部屋に本棚がたくさん並べられおり、そこに端から端までぎっしりと本が詰まっていた。

「奥様がお読みになられる本はこちらの棚にあります」
「他のはすべて旦那様の?」
「旦那様のもありますし、先代様の本も、遺品整理の時に移したのであるはずです」

 たしか奥の本棚がそうだと教えられたが、あまり興味はなかった。

「何かご用がありましたらお呼びください」
「ええ。ありがとう」

 メイドは失礼しますとお辞儀をして図書室を出て行った。一人になったマティルダは上から順に本のタイトルを眺めていったが、途中で飽きてしまい、適当に一冊取り出してぱらぱらと捲った。

 だがやはり腰を入れてじっくり読むという気にはなれず、どんな内容かもわからず棚へ戻した。写真や絵が中心の本だったらいいなと探してみたが、それらしいものは見当たらず、すべて活字の本のように見えた。

(お義姉様は全部お読みになったのかしら)

 雰囲気からして読書家のイメージがある。

 ちなみにマティルダは読まないわけではないが、積極的に読む方でもなかった。庭を散策する方が時間を忘れられる気がする。

(でも温室にはあまり近づいてほしくなさそうだったし……)

 何もない、と言ったオズワルドの顔はどこか強張っていた。メイドと同じだ。何か疚しいことを隠している。

(お義姉様と思い出の場所なのかしら)

 そんなことを考えながらマティルダは図書室内をあちこち歩き回る。棚、棚、棚ばかりで天井近くまで隙間なく並べられた本を見ていると何だか同じ場所をぐるぐる回っている気になってきた。

「なんだか疲れちゃった……」

 行き止まりが見えて、そこにだらしなく背中を押しつけて座り込んだ。脚をペタッと床に投げ出して、両手をだらんと下げる。こういうポーズを取った人形が実家にあったなと思った。

 実にだらしない格好だが、今この部屋には誰もいない。例えいても、注意もしないかもしれない。

(わたし、このまま本当に人形になってしまいそう)

 何もない。何も起きない毎日。オズワルドに一度も抱かれず、女主人としての役割も求められない。一体何のために自分はここへきたのだろう。

(子どもができないことを理由に離婚するつもりなのかな)

 そういう行為をしてもいないのに子ができないことをどちらかのせいにして国王陛下に頼む。オズワルドは自分が泥をかぶるだろう。妻に否は一切ないと。

 だがどんなに男が悪いと述べても、こういう場合はたいてい女性が悪者にされる。自分は石女として世間に認定され、再婚するのにも苦労するだろう。

(面倒くさいな……)

 考えることが段々面倒になってしまって、毎日の不眠が重なって、マティルダは次第に瞼が重くなってきた。今寝てしまえばまた夜眠れなくなってしまうとわかっていても、重力に逆らうことができないようにゆっくりと目を閉じて、眠りに落ちた。

 夢の中で、見たこともない男性が自分を見ていた。とても悲哀のある目をしていた。マティルダはなぜそんな悲しそうな顔をしているのか尋ねたかったが、夢の中だからか声は出なかった。

 そしてハッと目を覚ますと、床に倒れ込むようにして寝ていた。と同時に目の前の、他の本よりもやや薄く、赤い背表紙の本が目に留まった。特に意味もなく、なんとなく気になって、起き上がって本へ手を伸ばした。

 肌触りの良い表紙に、今までとは違ってきちんと前から一ページずつ捲らなければならない気にさせられた。最初のざらざらしたページにはこう記されていた。

『この頃一日一日が、瞬くように短く感じてしまう。自分は毎日意味のあるものとして過ごすことができているか。不安と、少しでも充実した日々を送れるよう、今日から日記をつけようと思う。だが単に備忘録として終わってしまう可能性もある』

「日記……」

 誰の、と思ったところで、メイドが先代侯爵の本があると言っていたことを思い出す。

(じゃあこれは、亡き侯爵の……?)

 オズワルドの兄、デイヴィッドの日記を見つけてしまい、マティルダは驚いた。そして勝手に読んではいけないだろうと、本棚へ戻すべきだと思った。

 しかしもうこの世にはいない個人の手記を、この大量にある蔵書の中から偶然見つけたことに運命を感じ、また今まで全く興味の湧かなかった彼の人となりを知りたいという好奇心の方が勝ってしまった。

(ごめんなさい)

 数ページだけ読んで、読むのをやめよう。そう思ってマティルダは教科書のお手本のように綺麗に整った文字に目を通していった。

(――何だか飽きてきてしまったかも……)

 勝手に読んでおきながら失礼な話であるが、だんだんマティルダは退屈になってきた。それほどデイヴィッドの日記は淡々と、その日自分がしたことを簡潔に記していた。

『快晴。昨年不作に悩んでいた土地を一年休ませることに。話し合いで納得』
『曇り。午後から雨。一日書斎にこもり、書類に費やす』
『雨後晴れ。先日の落雷で壊れた橋の修理』

 日記というより、記録であった。

 記し方からでも、彼の生真面目な性格が伝わってくる。ずっとこの調子が続くのならば、もうやめてしまおうか……。マティルダがそう思い始めた時――

『その日、私は彼女の姿が忘れられなかった』

 初めて、人間らしい、彼個人の言葉が書かれていた。マティルダは注意深くその日の出来事を読んでいく。どうやらデイヴィッドは親戚から勧められた見合いで出会った女性に一目惚れしたようだ。

『青にも緑にも見える美しい目が私を見た瞬間、大いに動揺してしまい、彼女に捕えられた錯覚に陥った』

(青にも緑にも……)

 シェイラだ、と理解した。

『正直結婚に対してはあまり乗り気ではなかった。しかし彼女と出会い、考えが変わった』

 感情を抑えようとして、抑えきれないデイヴィッドの興奮が伝わってくる。その後も彼の日記の内容はシェイラが中心となっていく。

『二回目の顔合わせ。薔薇の花束を送ると、笑顔でお礼を言われる。儚げな微笑は今にも消えてしまいそうで、また見たいと思わせ、愛らしかった』
『薔薇ではなく、野原に咲くような素朴な花が彼女は好きそうだ。彼女自身が、そう見えた』
『彼女を大事にしたい。幸せにしたい』

 やがて最初の筆記が嘘のように、饒舌にデイヴィッドはシェイラに対する想いを綴っていく。

『今まで女性に対してこんなふうに熱くなることはなかった。きっとシェイラは私にとって特別な女性なのだろう。初恋と言えるのかもしれない。彼女のためならば、自分はどんなこともできる。誰かを愛おしいと思う気持ちは強さに変わるのだ』

 マティルダは一度そこで本を閉じた。

 外から足音が聞こえたから。そして、シェイラとオズワルドの関係を知っているからこそ、デイヴィッドの言葉はあまりにも胸に堪えた。

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