悪女は愛する人を手放さない。

りつ

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5、同じ気持ち

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「あの、どうかしましたか、マティルダ?」

 夕食の席。マティルダは気づかぬうちにじっとシェイラの顔を見ていたらしい。

「あ、ごめんなさい」
「わたしの顔に何かついていますか?」

 ふるふると首を振る。その子どもっぽい仕草に、シェイラは思わずといったように微笑んだ。決して嫌な感じではなく、花開いたような、一度見たらもう一度見てしまいたくなるもので……デイヴィッドの言う通りだと思った。

「オズワルドは今日も遅いですね」

 シェイラはマティルダが寂しがっているだろうと思ってか、彼のことを口にした。だが今のマティルダにはあまり聞きたくない名前であった。シェイラの口からその名が出たことも、嫌に思えた。

「お仕事が忙しいと言っていたわ……でも今度しばらくまとまった休みがとれそうだから、どこか二人で出かけてきたらどうかしら」

 マティルダが知らないことを、なぜかシェイラは知っている。彼女は自覚があって言っているのだろうか。それとも無自覚だろうか。

(嫌な人)

「マティルダ?」

 突然ナイフとフォークをテーブルに置いた彼女を、義姉は心配した顔で見てくる。

「ごめんなさい。もうお腹いっぱいなんです」
「まぁ、そうなの?」
「はい。ですから失礼しますわ」

 まだ何か言いかけるシェイラを無視して、マティルダは食堂を後にした。

 夜遅く。オズワルドが帰って来るのが窓から見えた。しばらく待っても彼はマティルダのもとへ来ない。だからこちらから様子を見に行くと、応接間でシェイラと話をしていた。そっと扉に近寄って、壁に背中をくっつけた。

「――すこし、……たら、……」
「きみは……だな……俺は、」

 何を話しているのかよく聴こえない。だが恐らく自分のことだろうと思った。

 そのまま初夜の時のように抱き合うのかではないかと、怖さと嫌悪感の入り混じった気持ちで待っていたが、シェイラだけ部屋を出てこようとしたので、慌ててマティルダは自分の部屋へ戻って行った。

 一晩、マティルダは日記をこのまま読み続けるかどうか迷った。すべて読み終えたところで、読後感は決まっている。読まない方がいい。だがやめた方がいいと思うほど読みたくなってしまうから人間は困った性分をしている。

 それに彼女は他にすることがなかった。シェイラが一度、侯爵邸で飼っている犬たちの散歩に一緒に行かないかと誘ってきたが、その犬たちは自分を見ると吠えてきたので、マティルダは断った。

 そっけない態度にシェイラは悲しそうな顔をして、彼女付きのメイドが一瞬眉をひそめたので、きっと不快に感じたのだろう。マティルダも罪悪感を覚えたが、自分を嫌っている犬と散歩になど行きたくないと逃げるように図書室へ入っていった。

 そして何かを忘れるように日記を取り出し、続きから読んでいく。

『とうとうシェイラと結婚した。教会で白いドレスに身を包んだ彼女は言葉にできないほど綺麗だった。一生忘れることはできない』
『その夜、初めて彼女を抱いた。彼女は痛みで泣いた。彼女に苦痛を与えてしまい、とても申し訳なく思う。けれど一方で、彼女のすべてを手に入れたという幸福感に満たされる。彼女は一生、私のものだ。私だけの、ものだ』

 最後の文字だけ、インクの濃さが違っていた。後から、書き足したみたいに見える……。

『朝、目が覚めると彼女がそばにいる。これから毎日この光景が見られるのだと思うと、結婚してよかったと心から思う』

『少しずつ、彼女が私に砕けた表情を見せてくれるようになった。彼女は控えめな性格なので、本当に困っていることがあっても我慢する。夫として心配だ。私には言えなくても、メイドや家令など、とにかく誰かに言ってほしい。いや、やはり本当は私を頼ってほしい』

 デイヴィッドはシェイラのことを心から気遣っていたようだ。マティルダはオズワルドの態度を思い出す。彼も自分に同じようなことを言っていた。けれど、きっとデイヴィッドはもっと熱を込めてシェイラに言ったことだろう。だって彼は本当に愛しているのだから。

『初夜で痛みを覚えていた彼女も、次第に快感を拾い始めた。昼間見る貞淑な彼女とは違い、私の愛撫に乱れて、縋りつく様は娼婦のように淫らだ。だがそのことを恥ずかしく思う瞬間もあり、そういう時はやはり可憐で何も知らない少女のように見える』

『しかしやはりどこかまだ遠慮があるようで、途中で我に返ってやめてと言われる。みっともないところを見られたくないと。夫婦といっても、何もかもすべてを相手に曝け出すべきというのは暴論である。しかしこれが自分の妻のこととなると、私は非常に焦燥感に駆られた』

『シェイラが私に壁を作ってしまうのは、まだ私のことを本当の意味で好きにはなってくれていないからだろう。十という年齢差を、ここにきて重く受け止める』

『いつか、彼女が私のことを好きになってくれるよう、今は努力を積み重ねるしかない。多くの時間を彼女と過ごして、同じ想いになってくれることを切に願う』

 マティルダは自分が息を詰めて読み進めていることに気がついた。心臓が緊張で痛い。自分は何をこんなにも恐れているのだろう。

『今日、仕事でずっと家を留守にしていた弟が帰ってきた。シェイラにも、紹介した』

(ああ……)

 その日付けから、しばらく記録が途絶えている。

 マティルダはまさかと思った。けれど、今まで一日も欠かすことなく彼女への想いを綴っていたデイヴィッドが書くことを忘れたとは思えなかったし、日付けだけは記されていた。だから恐らく、ペンは握ったけれど書けなかったのだろう。

 彼は知ってしまったのだ。

 自分の妻と弟が、互いに恋に落ちたことを。

『二人が初めて出会った時、時が止まったように互いを見つめ合っていた。それはまるで私がシェイラに心を奪われた瞬間を彷彿とさせた。あの時は私一人だけだった。だが彼らはどちらとも、互いに心惹かれたのだとわかった』

『私が平静を装って弟に疲れただろうと言うと、あの子は我に返った様子でああ、と答えた。彼女も同じだった。先ほどのことを誤魔化すように、取り繕うように、オズワルドは饒舌に話し始め、それに彼女は熱心に相槌を打った。普段どちらも話すことを苦手としているのに。あまりにも必死に話すので、少しおかしかった』

 その時のデイヴィッドの気持ちがマティルダには手に取るようにわかった。自分も同じ気持ちを味わったから。

 でもデイヴィッドの方が自分よりも辛い気がした。

(可哀想な人……)

 その後を読むのは非常に苦痛を伴い、胸に堪えた。

 愛する人が自分の弟に惹かれていく苦しみを、自分のものとから心が離れていく絶望を、文字だけで、まざまざと伝えてくる。いや、文字だけだからこそ、いっそう胸に迫ってくるのかもしれない。

『否定したい。間違いだと言い聞かせる自分がいる。彼女は私の弟を、弟は私の妻を、何とも思っていないと……冷静さを欠いた、臆病で幼稚な自分が必死で訴えている』

『だがもう一人の冷静な自分が気づいてしまう。彼女の目があの子を追いかけていることに。あの子が私の妻を見ていることに。ばれないように、自分の気持ちを必死で抑えているようにも見えるが、どちらも無意識に相手を求めている。それは本能だろう』

 もう読みたくない。手を止めてしまいたい。いっそこのページを破り捨てて、暖炉の火にくべてしまいたい。

 だがマティルダは読んでしまう。読みたかった。読まなければ――知らなければならない。知りたいのだ、自分は。

 シェイラとオズワルドの関係を。そして、デイヴィッドのことを。

 それは恋に落ちたような、強烈な感情であった。


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