神が去った世界で

ジョニー

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第3章 宮廷

第23話 後宮にて

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 公王レオナルド暗殺未遂以降も宮廷内の雰囲気は何も変わらない。

 事件を完全に伏せたい公王とブリヤンが事件を知る少数の人間に徹底的な箝口令を敷いた為である。だが、事件を知る少数の者達を巻き込んでブリヤンは精力的に解決に向けて動いていた。

 連日呼び出されて徐々に不機嫌になって行くマリーの顔に苦笑しつつも宥めながら依頼を重ね、王宮書庫を覗いてはカンナと情報を交換し、直属の部下にはこの件に関わりを持つであろう貴族達の監視と証拠集めの指示を出し、一連の事件のあらましを綴った手紙を自領にてブリヤンの代行を務める息子のバーラント宛てに届けさせた。
 シオンもアカデミーに顔を出したりギルドやブリヤンからの依頼を熟したりしながら、久方ぶりの平穏な日々を送っていた。

 そんなある日、シオンはブリヤンに宮廷内の執務室に呼ばれた。

 勧められた椅子に腰掛けたシオンはブリヤンの言葉を待つ。
「シオン君、君はロイヤルガードの他にプリンスガードの存在を知っているかな?」
 ブリヤンの問いにシオンは頷いた。
「はい。ロイヤルガードは公王、公王妃両陛下の直属の近衛隊でプリンスガードはアスタルト公太子殿下直属の近衛隊と認識しております。」
「その通りだ。公王陛下の御子息はアスタルト公太子殿下がお一人である為、その御身は公国において極めて重要なお立場にある。その為、ロイヤルガードから人数を割き、異例のプリンスガードが結成されている。」


 アスタルト公太子はその壮麗な見目と供に文武に余すところなく才幹を発揮している公国期待の次期公王候補である。もし仮に公太子が暗殺や不慮の事故、病などで斃れた場合、国民をして公国の未来は閉ざされると言わしめる程の逸材である。


 情報が命とも言える冒険者のシオンも当然に知る内容であった。
「存じております。・・・まさか、殿下の護衛を?」
 冗談ではないと言いたげにシオンはブリヤンに対して表情を顰めて見せる。
「いや、最初はそう思ったのだが、カンナ嬢が陛下に献上してくれたペンダントを新しく提供してもらう事で事は足りそうだったのでな。それはいいのだ。ただ、陛下にはもう1人、御子がいらっしゃる。」
「まさか・・・。」
 嫌な予感がする。
 ブリヤンはそんなシオンの心中を察したかの様に頷いた。
「一時的に、君に任せたい。」
「ご冗談を!」
 殆ど悲鳴に近い声でシオンは拒否の意思を示した。
「彼のお方は年頃の女性ですよ!?」
「承知している。無論、正式なものでは無い。プリンセスガードが結成されるまでの2~3週の間だ。」
 ブリヤンの表情は至って真面目なものだった。
「・・・。」
 シオンは絶句する。


 公王レオナルドには公太子であるアスタルトの他に、もう1人娘がいる。
 第一公女として生を受けた姫はシャルロットと名付けられ国民からその誕生を祝された。御年14歳になるその姫は両親と年の離れた兄に愛されながら美しく成長を遂げている。


「シャルロット姫殿下には専属のガードが付いていない。これまではその必要無しと判断されていたのだがな。先日の一件以来、何処に邪教の使徒が潜んでいるか分からないこの状況ではプリンセスガードも結成する必要があると陛下は判断された。」
 ブリヤンは、紅茶で喉を潤すと再び口を開いた。
「ガードの候補となる騎士は既に選ばれているが、再度の調査が必要となる。さらにガード心得も習得して貰う必要がある以上、どうしてもある程度の時間が必要になる。君に頼みたいのはその間だけの護衛だ。」

 ブリヤンの話は分かる内容だ。通常の賊の撃退は勿論期待されているのだろうが、何よりも邪教徒を単独で退けてしまったシオンの功績が評価されているのだろう。

「・・・しかし・・・。」
 シオンが口を開き掛けるとブリヤンは被せるようにさらに言葉を繋いだ。それは当にこれからシオンが問おうとした内容の答えだった。
「無論、陛下の諒承は頂いている。と、言うよりも君を推挙されたのは陛下ご自身だから、本来は否やの言は認められないんだ。だが、王宮勤めでも無い君にその理論は余りにも横暴だからね。一応、ウェストンの許可も取ってきた。報酬の話も済んでいる。後は君の返答次第だ。」
 シオンの反論は予測していたのだろう。ブリヤンはそこまで言うとニッコリと微笑んで見せた。何とも悪い顔である。
「・・・。」
 シオンは開き掛けた口を閉じると憮然とした表情でブリヤンを見た。
「事後承諾とは酷いです。」
 ブリヤンは無言で微笑んだままだ。
「・・・嵌められた感は否めませんが、そこまで話が通っているならお引き受け致します。」
 どんどん深みに嵌まっていく状況を憂いシオンは小さく溜息を吐いた。

 シオンはもう1つの気に掛かる点を尋ねた。
「閣下の護衛は如何なさるのですか?」
「無論、この際忘れて貰って構わない。姫殿下の御身と私では比較にならんよ。」
 ブリヤンは当然の様に言い切る。
「畏まりました。では、私は今後どの様に動けば宜しいでしょうか?」
「うむ。」
 ブリヤンは控えの間に向かい声を掛ける。すると、1人の女官が入室してきた。
「シャルロット公女殿下専属の女官でエリス殿だ。」
「エリスと申します。」
 ブリヤンの紹介に応じて女官はシオンに一礼を施す。年齢は20代前半といった所か。薄い色の金髪をハーフアップに纏めた姿は清潔感に溢れている。
「シオン=リオネイルです。」
 シオンも挨拶を返す。

 2人の挨拶を見届けるとブリヤンは頷いてシオンに声を掛ける。
「シオン君、今日はもう引き上げて貰って構わない。明日はエリス殿の案内に従ってくれ給え。」
「はい。」
「・・・頼むぞ。君の役目は公女殿下の護衛だ。殿下の私室内まで入る必要はないが、殿下が室内を出られたら何処へ行かれるにしても常にお側から離れぬようにな。夜間は女性騎士が警護に入るから自由にしてくれて構わない。」
 ブリヤンの眼に真剣な光が宿っている。

 何かが起こるとしたらシャルロット姫の身に起こると予測しているのだろうか?
 シオンはブリヤンに一礼する。
「畏まりました。」


 翌日、シオンはエリスに案内されて後宮に足を踏み入れた。
 王族の世話をする侍女や女官、護衛騎士達が散見される宮内は静寂に包まれており、騒がしい宮廷内に於いて別世界の様である。

 すれ違う侍女や女官達がエリスに頭を下げながら通り過ぎていく。が、皆、一様にシオンを好奇の目で盗み見ていく。
 厳かに前を歩くエリスにシオンは話し掛けた。
「エリス殿。やはり後宮では男性は珍しいようですね。」
 エリスは振り返る事無く言葉を返した。
「そうですね、ここで働く者は女性が殆どです。男性は外縁を守る騎士様のみですから、ここまで奥に入ってくる男性はそうそう居りません。それと・・・」
 エリスはシオンに返答し、さらに言葉を繋いだ。
「・・・それと、私の事はエリスと呼び捨てにして頂いて結構です。」
『いや、しかし・・・』
 シオンは躊躇う。


 後宮とは王族のプライベート空間である。そこはつまり最高のマナーが求められる空間でもある。
 その為、そこで勤める事が許される者は貴族かそれに匹敵するマナーと教養の持ち主に限られる。侍女勤めでも男爵か子爵の令嬢、女官ともなれば伯爵令嬢や伯爵夫人もあり得る。
それに、先程からの通り過ぎる女性達の態度を見ていると彼女がそれなりの立場にある者だと見受けるのは容易い。


「申し訳ありません、エリス殿。それは承服致しかねます。貴女にしましても、その他の方々にしましても、恐らくは貴族のご令嬢かそれに匹敵するお立場を持たれた方々とお見受け致します。その様な方々を呼び捨てると言うのは平民の私には出来かねます。」
 その言葉にエリスの足が止まった。驚いたような表情でシオンを振り返る。
「よく、ご存知ですね?」
「冒険者などをしていると色々と常識は身に付けざるを得ません。」
「・・・。」
 エリスはマジマジとシオンを見ていたが、はしたないと思ったのか視線を逸らしまた歩き始める。
「・・・私の知る冒険者のイメージと貴方は随分違うのですね。」
「そうですか。エリス殿はどの様なイメージをお持ちで?」
 一瞬の躊躇いの後、エリスは口を開いた。
「・・・これは単なる私個人のイメージなのでお気を悪くされないで欲しいのですが、冒険者は無頼で常識とは無縁。マナーや王宮の仕組み等はご存知無いものだと思って居りました。」

 要は野蛮なイメージという事か。辛辣な評価にシオンは苦笑する。

「エリス殿の見解は間違いではありませんよ。年齢をある程度重ねた者はそうでもありませんが、若い冒険者にはイメージ通りの者も居ります。何しろ、社会の規則に縛られるのが嫌で楽に金を稼ぎたいと安易に考える愚か者の逃げ道になっている節も在りますから。困ったものです、実際には全く楽な事は無いのですが。」
「ふふふ。」
 エリスは笑う。

 堅苦しい女性かと思っていたが、そんな事は無い様だ。シオンも少し安心する。やがてエリスは扉の前で足を止めた。
「こちらがシャルロット公女殿下の居室になります。」

 扉を開けて控えの間に入ると、エリスは更に奥の彫り物で装飾された樫製の扉の前に立った。
 ノックして奥から許しの言葉が上がるとエリスは扉を開け、一礼を施した。シオンは部屋の主から姿が見えないように後ろに控えて待つ。
「姫様。本日より暫くの間、姫様の護衛を務める者を連れて参りました。」
「どうぞ。」
 可憐な少女の声が聞こえるとエリスがシオンを促す。

 部屋の中は様々な調度品で彩られた豪奢な造りになっていた。目立つのは兎に角も布であった。ドレープの掛かったカーテンや天蓋付きのベッドを飾るレースなど殆どが高価な絹である事が判る。それが至るところに飾られていた。
 その中央、真っ白なビストロテーブルとセットで置かれた純白のアームチェアに座る藍色の髪の少女がこちらを見ていた。一瞬、驚いたような表情を見せたが直ぐに微笑んで見せる。
 父王と同じ色の髪は胸元まで伸ばされており緩やかなウェーブが愛らしさを際立たせている。シオンを見る藍色の瞳は大きく、美しさよりは可愛らしさが強調される。
 世間の噂は兎角当てにならないものばかりだが、シャルロット公女の愛らしさだけは正しいものだったとシオンは思う。

 公王レオナルドが溺愛して止まないと噂の姫君を前にしてシオンも流石に緊張する。
「シャルロット=アントワローズ=ロンドバーグです。」
 シャルロットから挨拶を受け、シオンは胸に手を当てて一礼した。
「ご尊顔を拝謁する栄誉を賜りまして光栄に御座います、公女殿下。この度、公王陛下より殿下護衛の任を賜りましたシオン=リオネイルと申します。以降、お見知りおきの程を。」
「はい、宜しくお願い致しますね。」
 シャルロットは柔らかく微笑んで向かいのアームチェアをシオンに勧めた。
「・・・。」
 一瞬、エリスに視線を投げると彼女は『従うように』と眼で合図を返す。
「では、失礼致します。」
 シオンは勧められた椅子に腰掛けた。

「貴方の事はお父様とアインズロード伯爵からお聞きしました。急な話のようで申し訳ない事ね。」
 シャルロットは見た目通りのおっとりとした声でシオンに話し掛ける。
「申し訳ないなど、その様な事は御座いません。殿下。」
「そう?それなら良いのだけど、今、王宮は大変な時期だと聞いております。貴方は元々はアインズロード様の護衛をしていらしたとか。」
「はい、左様に御座います。」
 シャルロットは侍女の入れたカモミールの紅茶を口に含む。
「どうぞ、貴方も召し上がって?」
 小首を傾げてシオンにも紅茶とシフォンケーキを勧める。計算しての仕草か天然なのかは判らないが女性に慣れていない男性は今の仕草だけで籠絡されてしまいそうだ。
 シオンは勧められるままに紅茶を口にした。甘い香りがシオンの鼻腔を擽る。
 そのシオンの様子を見ていたシャルロットはふと尋ねる。
「貴方のその髪と瞳の色、黒髪に黒い瞳というのは珍しいですね。西の大陸出身の方かしら?」

 純粋なカーネリア人から黒髪黒目の人間は生まれない。この色はカーネリア大陸から西に位置する大陸で時折見られる色合いだと言われる。

 シャルロットは何の気無しに尋ねただけであったが、シオンは困った様な表情で笑うだけで言葉では返答しなかった。不敬と取られても致し方無い態度ではあったがシャルロットは咎めなかった。
「話しづらい事を聞いてしまったかしら。答えなくとも大丈夫ですよ。」
「申し訳御座いません、殿下。」
 シオンは頭を下げて非礼を詫びる。
「いいえ、構わないのよ。ただ、その、貴方の髪と瞳の色がとても綺麗だったので聞いてみただけだから。それよりも・・・」
 シャルロットはシオンを見つめた。
「これから大変でしょうけど宜しくね。」
 シオンは頷いて答えた。
「は、畏まりました。もとより仕事ですので大変などと思う事は御座いません。」
「いえ、そうではなくて・・・。」
 姫は緩やかに首を横に振った。
「私、良く外出するので大変だと思うのです。」
「それは無論の事でしょう。一日中、この部屋に居られる訳が御座いません。私の仕事は城内の如何なる場所へでも付き従い御身を守る事ですからご心配には及びません。」
「いえ、そうではなくて・・・。」
 姫はまた緩やかに首を横に振った。
「私、城の外へ良く外出するので大変だと思うのです。お忍びで。」

「・・・は?」
 シオンは珍しく間の抜けた声を上げて、微笑む姫を見つめた。


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