神が去った世界で

ジョニー

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第3章 宮廷

第20話 気持ち

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 静けさの戻った室内では荒々しいシオンの息使いだけが響いていた。しかし、かろうじて立っていたシオンが片膝をつくのを見てブリヤンが叫ぶ。

「シオン君!!」
 ブリヤンは駆け寄り倒れ掛けるシオンを支えた。
「救護兵を呼べ。」
 レオナルドがロイヤルガードに指示を出し1人が部屋を飛び出して行き、残りの1人は倒れたガードの鎧を外しながら呼びかけている。
 ブリヤンもシオンに呼びかけた。
「シオン君、しっかりし給え!」
「・・・ガードの人は・・・?」
「まだ息はある。大丈夫だ。」
「回復師か薬師を・・・瘴気の・・・解毒を・・・ガードの人に・・・」
 シオンの言葉にブリヤンは彼の左腕を見て息を呑んだ。紫色に変色している。
「まさか、本当に毒が?シオン君、君は回復師か薬師の当てはあるのか?」
「ギルド近くの薬師のマリーさんか・・・アカデミーのルーシーを・・・。」
 シオンはそこまで言うと意識を手放した。


「ルーシー=ベル嬢とは君か?」
 ルーシーが1人教室でマリーから貰った薬草学の課題に取り組んでいると、公国騎士が3人、突然に入室して尋ねて来た。
「は・・・はい、そうですが。」
 その尋常ならざる雰囲気にやや怯えながらもルーシーは頷いた。
「驚かせて済まない。私は公国騎士でビル=ハーゼンと申す者。公王陛下より勅命を賜り参上した次第だ。至急の要件で申し訳ないが、君はシオン=リオネイルという少年を知っているか?」
「はい、存じておりますが・・・。」
「その少年とロイヤルガードの1人が宮廷にて公王陛下とアインズロード伯爵閣下を賊からお守りした際に、瘴気による毒を受けた。これの治癒に協力して欲しい。」
「え!?シオンが!?」
 理解が追いつかずルーシーは身を強ばらせたが直ぐに頷く。が、困った表情になる。
「解りました。でも、薬草が必要です。アカデミーに許可を貰わないと・・・」
「それはこちらで許可を貰うから気にしなくて良い。何が必要かな?」
「では『ウルアナの根』と『蒸留水』と『エンデアの乾燥花』を。あと、蜂蜜か何か甘い物を。」
「解った。それは後ろの2人に後から持ってこさせよう。君は私の馬で先に宮廷へ来て欲しい。」
「解りました。」

 バタバタと移動を開始するルーシーと公国騎士達を向かいの教室から見ていた魔術科の生徒達がざわめき出す。
「あの子、騎士に連れて行かれたわよ。」
「セシリー様と友達面して調子に乗ってたから騎士様に目を付けられたんじゃ無い?」
「回復師なんて言って本当は毒物の研究してるって話だぜ。」
 下らない噂話を始める生徒達をセシリーは強く睨み付けると咳払いをして黙らせる。そして厭わし気にルーシーの去った先を見遣る。
『ルーシー、どうしたの?・・・お父様なら何か知っているかしら。お父様は今日、陛下にお会いすると言っていたわ。』
 セシリーは早退を決意した。

 アカデミーから王城までの距離はそれ程離れてはいない。そこを繋ぐ街道をルーシーを乗せた騎馬が1騎疾走している。ルーシーは騎士の背中にしがみつきながら声を掛ける。
「ギルド近くの『マリーのハーブショップ』ってお店の店主でマリーさんって人が居るんですけど、本当はその人の方が私よりもずっと適任なんです。」
「安心していい。その女性も別の騎士達が迎えに行っている。本来は宮廷の回復師団が治癒に充たるのだが、今日は生憎と正教会との会合で出払っていて不在なんだ。」
「そうなんですね。」
「それに君は少年の指名だそうだ。だから来て貰いたいとの陛下の仰せだ。」
「え・・・シオンが私を・・・。」

 思わず腕の力が緩んで馬から落ちそうになり、慌ててしがみつく。
 こんな時に頬が上気するのを感じてルーシーは頭をぶんぶんと振った。気合いを入れ直した表情でもう眼前に迫った王城を見上げる。


「シオンさん!!」
 案内された救護室にルーシーは飛び込んで息を呑んだ。
 少年はベッドに寝かされていたが、その貌は青白く生気がまるで感じられなかった。

 駆け寄り、紫色に変色した腕を取るとその冷たさが伝わってくる。腕にドス黒い霧の様な物が揺蕩っているが恐らく瘴気なのだろう。ここまで瘴気に冒されながらも狂人と化して居ないのはシオンの精神力の強さの賜物だろうが、他に何か抵抗しうる素養を持ち合わせているのかも知れない。
 ルーシーは心を落ち着けると、詠唱を始める。

『翠嵐の王の腕手に微睡みし黄昏の羊よ。安らぎの雨衣を持ちて彼の者を包み給え・・・セイクリッドキュア』

 解毒では無く破邪の魔法を唱える。するとルーシーの全身から光の靄の様なものが溢れ出し、シオンの左腕に移っていく。その途端に光りが黒い霧に食らいつく様に襲いかかり「シュウシュウ」と異様な音が流れ始める。

 どれ程の時間が過ぎたのか。ルーシーが放ち続ける破邪魔法が遂に黒い霧を消滅させる。ルーシーはホッと息を吐き出して汗を拭った。随分、体力と精神を消耗してしまったが解毒が残っている。
 シオンは先ほどの死んだような表情に比べるとだいぶ表情が楽になった様に見えるが、其れでも未だ苦しそうだ。

「待っててね、シオン。今、直すから・・・」
 そう言ってシオンに再び手を翳そうとした。が、目の前が暗くなりルーシーはフラリと倒れ掛けた。そんな彼女を支えた者がいる。誰かと思い振り返るとそこには彼女の師が立っていた。

「マリーさん。」
 ルーシーが名を呼ぶと、マリーは穏やかに微笑んで見せた。
「良く1人で頑張ったじゃ無いか。まさか破邪魔法を使える上にあれ程の怨念を払えるなんてね。ここまで処置出来ていれば後は安心だ。・・・疲れただろう?解毒はあたしに任せて休んでな。」
「でも、もう1人ロイヤルガードの方の処置が・・・。」
「そっちはもう解毒まで終わらせてるよ。安心しなさい。」
 ルーシーはそれを聞いてホッと息を吐いた。
「すごいです・・・。敵わないなぁ・・・。」
「当たり前さ。元Cランクの回復師の腕を甘く見られちゃ困るよ。」
 マリーが悪戯っぽく微笑むとルーシーは力無く笑った。

 ルーシーが改めて周りを見渡すとセシリーと同じ髪色をした貴族然の男性や騎士達など、何人もの人間が室内に入り込んでいた。1人の騎士に椅子まで導かれて座らされるとルーシーはマリーの手際を見ながらシオンの顔を見つめる。

 すると彼女の元に先ほどの貴族の男性が近付いてきて声を掛けた。
「君がルーシー=ベル嬢かな?」
 見上げると優し気な瞳がルーシーを見下ろしている。
「は・・・はい。」
「私の名前はブリヤン。アインズロード伯爵家の当主だよ。娘がいつも世話になっているね。」
「!」
 ルーシーが慌てて立ち上がろうとするとブリヤンは手で押さえた。
「疲れているだろう?そのままでいい。」
「有り難うございます。ルーシー=ベルです。セシリー・・・さんには、私こそいつも助けて貰っていて本当に感謝しています。」

 ルーシーの挨拶にブリヤンは頷くと興味深そうに彼女を見る。

「それにしても先ほどの魔法は見事だった。君が治癒に専念している間に後ろでマリー殿から聞いたが、あの瘴気は生半可な呪いでは無かったそうだ。」
「そうだったんですか・・・。」
 時間が掛かったのが自分の未熟故のものでは無かったと知り、ルーシーはホッとする。
「それに、君が選択した薬草の材料は完璧だったそうだよ。」
「・・・。」
「成る程・・・。セシリーが君を高く評価する訳だ。」
 ブリヤンの言葉にルーシーは首を振る。
「セシリーの方がずっと凄いです。いつも真っ直ぐに前を向いていて、気高くて、強くて、美しくて、そしてとても優しい・・・私の憧れの人です。」
「有り難う。愛する娘を君のような子にそこまで評価して貰えるのは嬉しいものだ。」
 友人の父の娘を思う言葉にルーシーは寂し気に微笑む。
 ブリヤンはその表情に首を傾げたがそこには触れず、シオンがアカデミーに対して行った働きかけの数々を話して聞かせた。
「・・・だから、君を・・・いや、回復師コースを取り巻く現在の環境はきっと良くなるよ。もう少しの辛抱だ。」
「シオンがそんな事を・・・。」
 ルーシーは横たわるシオンの横顔を熱く見つめた。

「さて、手当ては終わったよ。」
 マリーが振り返ってルーシーを見る。
「後はルーシーに任せるよ。」
「え、でも私よりもマリーさんの方が良いんじゃ・・・?」
「そうかな。あたしはルーシーが適任だと思うよ?」
 美貌の回復師は片目を閉じて、意味有り気に笑って見せる。
「そうだな。彼が目を醒ますまで側で看てあげて欲しい。」
 ブリヤンもルーシーの肩に手を置いてそう言うと、ルーシーは頷いた。


 シオンは闇の中を歩いていた。左手には黒光りする蛇が無数に巻き付いており、それがシオンを強制的に奥へ奥へと引っ張って行こうとする。シオンは必死にそれに抗うが少しずつ引きずられていく。
 やがて、蛇が連れ込もうとする先に何かが佇んでる事に気が付く。

『あれは何だ』
 とてつもなく悍ましい何かを見たような気がする。
『女?像?・・・生きているのか?』
 正体が全く掴めない。
 だがあれは近づいては駄目な奴だ。本能が其れを悟る。しかし抗い切れ無い。参ったな・・・。

 その時、闇の中にポッと光りが浮き上がり手が現れる。シオンよりも小さい少女の手。それはシオンの左手を掴む。
『温かい・・・』
 シオンがそう感じた途端に、蛇が悲鳴を上げて跡形も無く粉々に消え去った。同時に忌まわしい気配も消えて無くなる。
『助かったのか?』
 シオンは薄れていく闇の中で確かに感じた温もりを思い左手を見つめた。


「・・・。」
 昏い泥沼の中から引き上げられるかの様にシオンは意識を取り戻し、薄らと目を開けた。

 誰かが自分を覗き込んでいる?
 視界が明確になるにつれて、それが心配気に覗き込む栗色の髪の少女だと分かった。
「・・・ルーシー・・・。」
 シオンが彼女の名を呼ぶと、ルーシーは嬉しそうに微笑んだ。
「シオン・・・。良かった、目が覚めて・・・本当に・・・。」
 ルーシーは自分の視界が滲むのを感じて目を伏せながら、シオンの左手をそっと握る。その手の温かさに何か込み上げる感情が溢れ出してシオンは彼女の華奢な手を握り返した。
「来てくれたんだね、有り難う。」
 ルーシーは首を横に振った。
「有り難うなんて・・・。私こそ有り難う。シオンがアカデミーに働きかけてくれた事をセシリーのお父さんから聞いたわ。・・・本当に嬉しかった。」
「ああ、伯爵が話したのか。ルーシーにそう言われると何だか照れくさいな。でも素直に嬉しいよ。」
 シオンは微笑んだ。

 毒が抜けたばかりで体力が戻っていないせいか、いつもからは考えられない程に弱々しい笑みだが、その双眸には今まで見た事も無い様な優しさが籠もっている。
 ルーシーはシオンの微笑みに吸い込まれるかの様に目を逸らす事が出来なくなり、その白磁の頬は熱く火照り始めるのを感じた。
「・・・。」
 何かを話さなければと思いながらも、ただ、ひたすらにこの見つめ合う状況を壊したく無くてルーシーは言葉を失った。自分の手を握るシオンの左手の温もりが伝わってきて心臓が早鐘を打つ。

『・・・どうしよう・・・』
 思いも掛けずに生まれたこの状況にときめきながらも、実際、ルーシーはこの後どうしたら良いか解らずパニックになっていた。
 シオンの彼女を握る手は先ほどよりも力が込もっている様に感じる。でも何も言わずにルーシーを見つめるだけ。

 その時間は長かったのか短かったのかは判らない。が、やがてシオンはスッと目を閉じて呟いた。
「ルーシーの手はとても温かいね・・・こうしていると落ち着くな・・・。」
 その表情はとても穏やかで安心しきっている貌だった。

 それを見てルーシーの心は先程まで吹き荒れていたパニックは嘘のように立ち消えて、ともすれば全く真逆の落ち着いた、とても愛おしい感情が押し寄せてくるのに気付いた。

「シオン・・・。ええ、私もよ・・・。」



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