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第3章 宮廷
第19話 邪教
しおりを挟むブリヤンは話を始める。
「シオン君、『ノーブルの黄昏』を知っているかい?」
シオンは頷いた。
現公王レオナルドより遡って6代前の公王デラオアⅠ世の治世に起きた出来事である。
当時の公国は新たに発見された鉱山の豊富な鉄資源により税収が爆発的に増加し、また諸外国との交易が盛んに行われていた時代で、金と文化と活気が飛び交い公国は更なる飛躍が約束されていたはずであった。
しかし王族を始め宮廷貴族達はその財を民に回す事はなかった。そのほとんどを自分達の悦楽に興じる為に使用したのだ。公都では毎晩の様に宮廷貴族達の盛大な夜会が開かれ、本来は情報交換等の重要な場であったはずの社交場は、単なる爛れた狂乱の会場と化し無駄金が湯水の様に使われていった。
そして王族や諸貴族が新たな富と文化を生み出す土台を民に提供する事無く消費のみに専念した結果、公国の財政は逼迫する事となる。
そこで問題視されたのが国への手柄を上げた者達に対する報償だった。信賞必罰は国の根幹であり、これを守れないのはマズい。悦楽に腐った彼らの脳味噌でもそのくらいの危機感は感じ取れたようで金や土地以外の何かを与える必要があった。
いや、本当はまだまだ財政的な余裕は有ったのだ。豊富な鉄資源は莫大な利益を生み出し続けており、馬鹿げた消費を無くしてしまいさえするならば何も問題は無かった。
しかし1度味わった贅沢から離れる事を良しと出来なかった公都の指導者達はその場を凌ぐ苦肉の策として爵位を与える事にした。
平民には男爵位を与え爵位を持つ者達には陞爵を行い、それを20年以上やり続けた結果、貴族の数は元の数倍に膨れ上がり、名ばかりの貴族が公都に溢れ返ったという。
こうして公国は本格的な財政難に陥る事になる。が、相も変わらず貴族達は『いずれ誰かが立て直すだろう。』と遊び狂っていた。
だが、そんな愚者達の狂宴などいつまでもは続かなかった。
公国を立て直すために多大な出血を強いて改革を行った者が居た。デラオアⅠ世の崩御の後に王位を継いだ、5代前の公王となるフェルナンドⅢ世である。
彼は国益に関与しない貴族達から強引とも言える手法で爵位を取り上げ彼らを平民に叩き落とした。苛烈なやり方に当時の宮廷貴族達は猛反発したが、公王を後ろから支えたのは地方を支える諸侯達であった。彼らは公都の貴族達の狂乱振りを苦々しく思って居たのだ。時に反乱も勃発したが諸侯達の持つ兵力と莫大な財力による協力によって公都に巣くう宮廷貴族は一部の上級貴族を除いて一掃されたのであった。
この一連の愚行と立て直しを総称して『ノーブルの黄昏』と識者達は呼び公王デラオアⅠ世は『暗愚王』の蔑称で密かに呼ばれている。
「実は彼の出来事で発生した問題は今も未だ根強く残っているんだ。」
ブリヤンの言葉にシオンは首を傾げた。
「どういう事でしょうか?当時の名ばかり貴族達は殆どが排除されたと聞いていますが。」
「いや、一部の上級貴族達の子孫は今も宮廷内にいる。そして当時の栄光を取り戻すのだと息巻いている。つまり『何もしたくないが富と名声は欲しい。自分達は無条件で優遇されるべきだ』と主張したいのさ。歴史的な愚行を『栄光』と呼ぶとは、愚かにも程があるだろう?」
「・・・。」
シオンは絶句する。
「まあ、そんな顔をするな。今の陛下の治世に於いては大部分の貴族が全うに役目を果たしている。悪事にばかり荷担し役目を果たしていないのはごく一部だ。」
「その貴族達の調査に私にも協力しろと言う事でしょうか?」
「いや、調査は既に最終段階だ。証拠もそろい始めている。・・・君に協力して貰いたいのは違う件だ。」
「違う件とは?」
ブリヤンはジッとシオンを見た。そして1枚の紙片を机に置いた。逆三角形を基調とした紋章が描かれてる。
「!・・・これはオディス教の・・・」
シオンは険しい表情でブリヤンを見た。おぞましい邪教の紋章だった。
「これは何処にあったのでしょうか?」
「我々が調査している貴族宛ての書簡に入っていた。我々が押収した事はまだ当人は気が付いていない。まさか邪教と繋がりがあるとは思わなかったのでな、流石に私もこれを見た時は絶句したよ。」
「その書簡の中には他に何が入っていたのですか?」
「それだけだ。恐らく、其れが届くだけで意味が通じる何か合図のような物になっているのだろう。」
少年は紙片を手に持った。
「それで意味が通るほどに深い付き合いをしていると言う事ですね。そしてもし本当に合図だとするならば、オディス教は宮廷に対し何かの行動を起こす可能性があると言う事。」
シオンの呟きにレオナルドが表情を綻ばせた。
「なるほど、聡明だな。事態を正しく把握出来るようだ。ブリヤンが目を掛ける訳だ。」
ブリヤンは穏やかに一礼して見せる。
そして再びブリヤンはシオンを見た。その瞳に何やら苛烈な光が宿っている。
「・・・。」
シオンは突然見せた伯爵の表情の変化と気迫の高まりに何かを感じ取った。
「そして我々は邪教が既に宮廷内に入り込んでいるとの情報を掴んだ。これより、その人物を急襲するつもりだ。君にも同行して貰いたい。」
「・・・!」
急激な力の高まりを感じてシオンは剣の柄に手を掛けた。
変化は急激だった。
黒い瘴気がロイヤルガードの1人から吹き出す。ロイヤルガードは甲冑を残してグズグズの黒い泥濘になって床に崩れ落ちる。
「陛下!!」
ブリヤンが即座に立ち上がりレオナルドに駆け寄ると部屋の出入り口となる扉に走った。残る3人のロイヤルガードが2人を庇う様に後に続き扉へ移動するが、寸手のところで壁を走る様に広がった黒い瘴気が扉を塞ぎ全員を閉じ込めてしまった。
室内は壁も床も天井も黒い瘴気に覆われて、さながら闇夜に放り出されたかの如き錯覚に陥る。
「何が起きている?」
レオナルドが落ち着いた声で事態の把握に努めようと呟きながら、前方で剣の柄に手を当てたまま身構える少年を見遣った。
シオンはレオナルド達5人と黒い泥濘の間に立ち無言で身構えていた。突如、泥濘付近の瘴気が盛り上がり何かを形造る。其れは瘴気の蛇となってレオナルドに飛びかかった。
「!」
ガードの1人が持っていた盾を構えてレオナルドの前に立ち蛇を受け止める。が、蛇はそのまま霧と化してガードを包み込み瞬時に昏倒させた。
『受けられない!?』
シオンは横目にその光景を見ながら戦慄した。
『何者かの意思なのか、それとも何か罠や呪いの様な物なのかが解らない。マズいな・・・』
この場には魔術師が居ない。つまり事態の予測が立てられず、残りの4人は為す術が無いのだ。
『行くしか無い』
シオンは自分を標的にさせる為に泥濘に向かってスルスルと距離を詰めた。
再び瘴気が盛り上がり蛇が形成されると、今度はシオンに向かって飛びかかって来た。
「シオン君!!」
ブリヤンの声が響いた刹那、シオンの左腰の鞘から青白い閃光が迸り蛇は消滅した。
「おお・・・」
後方から驚愕の声が聞こえてくる。
少年の右手にはやや湾曲した長剣が握られていた。刀身は銀月の様に青白く輝き、同色の霧の様な物を纏っている。思わず見惚れてしまう程の美しい片刃剣だが本能的に何か危険な雰囲気を感じずにはいられない。混沌期の宝剣『妖刀残月』。彼は久しぶりにその愛剣を引き抜いた。
泥濘の周囲から今度は複数の蛇が出現し次々にシオンへ襲いかかる。が、シオンは巧みな体術と剣閃に依ってその全てを切り裂き泥濘に突進した。
あの泥濘を斬れば事態は変化するはず!
しかしシオンはその時に自分の足が霧によって囚われている事に気が付いた。バランスを崩したシオンに蛇が襲いかかる。
「!」
咄嗟に剣を盾代わりにして蛇を受け流したが、上手く捌ききれずに蛇はシオンの左腕に直撃した。
「グっ!!」
左腕を凄まじい激痛が駆け巡り、それが収まると痺れてピクリとも動かせなくなる。
静寂が辺りを支配する。シオンの息使いのみが漂う。
『この状況を打開出来るのは彼しかいない』
ブリヤン達は息を呑んで少年を見守った。と、何か口篭った嗤い声が辺りに響いた。
『ククク、ようやく当たったか。魔剣持ちが居るとはな・・・だがこれで終いよ。瘴気の毒が汝を呑み込むのも直ぐだ。』
愉悦に浸るような底冷えのする声がシオンを煽る様に放たれる。
「・・・。」
しかしシオンは意思ある声を聞く事に依って逆に冷静さを取り戻した。
「フフフ。」
『・・・。』
「これで勝ちを確信するとはな。オディス教とやらを少し買い被っていたようだ。どうやら謀略は得意な様だが戦闘は素人らしい。」
『下手な挑発だ。』
シオンは見下したような笑い声を上げた。
「挑発では無い、真実さ。・・・もし俺が貴様の立場ならこの場にいる全員の息の根を止めるまで決して喋りはしない。無言で殺す。・・・だが貴様は『喋った』。つまりオディス教の正体を全く掴めていなかった俺に、人を超える存在では無く同程度の人間であるという情報を与えてしまったんだ。」
『・・・。』
「これが、素人で無くて何だと言うのか。随分と間抜けな邪教も在った物だ。」
『愚弄は許さんぞ。』
闇から漏れる声に深刻な怒気が籠もった。
シオンは表情に冷笑を浮かべながら首に掛けていたペンダントを外した。
「例えばこれが何だか判るか?」
『?』
シオンは無造作にペンダントを放り投げた。その瞬間、ペンダントに填め込まれていた紫水晶が光り輝き瘴気の空間を引き裂く。
『!!』
声にならない悲鳴が上がり、空間は元の部屋に戻った。
シオンの眼前にはフードを被った黒装束の男が立っていた。紫水晶から放たれた光を受けたせいか至る所が傷ついている。痩せた腕から見て取れる灰色の肌は瘴気に冒された証だ。黄色く濁った瞳が底光りする。
「馬鹿な・・・。何故、我が術が破られた。」
「あのペンダントはな『魔術限定』の結界破りの法具だったのさ。貴様が喋ってくれたお陰で相手が人間かそれに類する存在だと限定できた。で、あれば使われているのは種類こそ解らなくとも魔術の類いである事は間違い無さそうだ。・・・つまり、そういう訳であの貴重な法具を使う決心が付いたんだよ。貴様達が間抜けだと言った理由が解ったか?」
闇の魔術師は憎々しげに説明するシオンを睨め付けた。
「だが、結界が破られたからと言って我が術が封じられた訳では無い!」
魔術師の腕がシオンに向けられると恐るべき速度で蛇が飛び出す。
「!」
瘴気の毒とやらが回り始めたのか身体が重い。咄嗟に身を捻るが蛇はシオンの左肩を抉った。鮮血が飛び散る。
時間が経てば経つほど毒は回り勝機は遠のく。シオンは一跳びで魔術師の眼前に迫った。闇の魔術師の表情に残忍な笑みが零れる。
「馬鹿め、我が肉体には結界が張られて・・・」
魔術師は最後まで言い切る事は出来なかった。
多少の結界など物ともしない妖刀残月が、その名の如き剣閃を閃かせて魔術師の首を跳ね飛ばしたからだ。
戦闘は終了した。
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