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1章

1-10.疾走

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「はぁ……はぁ……」

 息が弾む。足も段々と動かなくなっている。グラウンドを五周くらい回っている感覚だ。

「こんなメモ渡されてもさ……」

 握りしめたメモが、激しい運動と緊張とで出た汗で滲んでいるのが分かる。
 メモには、休憩した川から巨木の裏までのコースと、ひたすら走ってエミナさんの弟を助けろという事が書いてあった。

「魔法をかけてくれたのはありがたいけど……」

 エミナさんは、僕との別れ際に魔法をかけてくれたらしい。エミナさんに肩を触れられてから、体が軽くなって、疲労もそれ程感じなくなった。

「これ、魔法が切れたらどうなるのかな? ……いきなり疲れが出てきて死んじゃったりしないだろうなぁ……」

 なんだか急に不安になってきた。とはいえ、ここで本当に逃げ出して町まで戻るとして、無事で戻れるかなんて分からない。この森全体が、怪しげなネクロマンサーとやらに支配されているのだろうから。

「ナイフだけじゃあ、あんな化け物とは戦えないしなぁ……」

 ズボンのポケットに入っているナイフも、メモと一緒に渡されたものだ。メモによると、丸腰よりはマシだろうと武器を渡してくれたらしい。
 が、さすがに熊……しかもリビングデッドの熊と戦う事は出来なさそうだ。
 いずれにしても、僕は、このメモを頼るしかない。二人がどこまで考えていたのかは分からないが、この紙に書いてある事を強制的にやるハメになっている。

「はぁ……はぁ……くそっ!」

 凄い理不尽さを感じるが、大きな声を出すわけにはいかない。小さな声で毒づく。

「もうすぐ着く筈だぞ?」

 地図では、そろそろ巨木が姿を現す頃だ。というか、姿を現してもらわないと困る。魔法で増強されているとはいえ、体力は確実に消耗しているのだ。そろそろ着かないと、体力が持たない。

「あ……あった!」

 上を見上げると、木々の間から触手の様にうねる木の枝らしきものと、巨木が見えた。メモの絵は下手だが、多分、あれに辿り着ければいいのだろう。
 僕はひたすら走った。巨木がぐんぐんと近付いてくる。近付くにつれ、その木が枯れている事に気付く。

「うわ……」

 遠目からでは分からなかったが、木の幹がボロボロになっている。そして、今まで緑色の葉だと思っていたものは、全く別の者だった。緑色の蛇が、木全体に巻き付いている。おぞましい光景だ。
 僕はその光景に恐怖を感じながらも走った。

「うん?」

 暫くすると、なにやら騒々しい音が聞こえはじめ、そのうち人の声も聞こえてきた。一人はエミナさんの声だ。

「イミッテちゃん、これ以上は……!」
「まだだ! ギリギリまで……!」

 続いてイミッテの声も聞こえる。

「ここまでのようねぇ……もうちょっと楽しめるかと思ったけど……」

 今度の声は、誰の声か分からない。聞き覚えの無い声だ。

「ま、まずいのかな……」

 話の内容から察するに、エミナさん達は追い詰められているみたいだ。

「でも、もうすぐだよな……」

 声のする方へ急ぐ。どうやら、声は巨木の後ろから聞こえて来るらしい。
 どうやら僕は、ぐるりと大きく木を回り込んでいたらしい。

「きゃあっ!」
「イミッテちゃん!」

 イミッテとエミナさんの叫び声が聞こえる。上を見ると、木の枝が足に巻き付いていて、宙吊りになっているイミッテの姿が見えた。

「フフフ……もう終わりにようかねぇ」
「くそっ! 放せ! 放せよおっ!」

 イミッテは必死にもがいている。

「ど、どうしよう……僕の力じゃどうしようもないしなぁ……」

 イミッテを助けようと思ったが、魔法は使えないし、弓も無い。勿論、拳銃なんて、もっと持っているわけないし……そもそも持っていたとしても、僕ではどれも使えないだろう。

「……あ!」

 巨木に人が縛り付けられている。髪の毛は黄色く、逆立ってツンツンしている。それに、羽飾りと、グリーンとブラウンの服。エミナさんに聞いた、ロビン君の特徴そのものだ。

「居た!」

 僕はロビン君を目指して巨木に近付いた。巨木はモンスターらしく、枝をブンブンと振り回して暴れている。が、こちらとは反対方向なので、ロビン君の近くに着くのは簡単だった。

「ロビン君? エミナさんの弟のロビン君だよね!?」

 巨木の根元に括り付けられているロビン君に話しかける。

「ん……誰だい……? あんたは?」

 体力の消耗が激しいみたいだ。口調は強いが、呂律が回っていないし、声も弱弱しい。

「助けに来た。待ってて!」

 ロビン君を括り付けているのは、細い縄だ。このくらいなら、僕でも引き千切れると思う。

「ん……!」

 意外と頑丈だ。

「駄目だ……」

 考えてみれば、拘束するための紐が、そんな簡単に千切れるわけはない。

「ナイフ!」

 イミッテの叫び声が聞こえた。
 声の方を見る。イミッテがこちらを見ていた。
 イミッテは巨木の枝に体を拘束されているが、空中に吊られているおかげで視野が遠くまで広がっているので、こちらの様子が見えるらしい。
 しかし、木の枝の締め付ける力が強いのか、木の枝は体に食い込み、顔は苦痛で歪んでいる。身に付けているチャイナ服もボロボロだ。

「あわわ……急がないとまずいかも」

 僕は急いでポケットの中にあるナイフを取り出し、カバーを外した。

「このためだったのか……」

 どうにしたら安全に紐を切れるのか分からないが、とにかく切らないといけない。紐の上からナイフを押し付け、切ろうとする。。

「こんな感じにやってるよな、映画とかだと」

 ナイフを持つ手に力を入れ、紐の方にも上に引き上げるように力を入れる。

「ん……んん……!」

 更に思いきり紐にナイフを押し付ける。ブチッという音と共に、紐に僅かに切込みが入る。

「あ……」

 この調子なら、どうにか切れそうだ。僕は一旦力を抜いて、再びナイフを強く押し付けた。
 ――ブチブチッ!
 切れた瞬間、紐はゴムのように弾け、地面に落ちた。

「う……」

 ロビン君が倒れてきたので、僕は急いで支えた。

「逃げろ! 黒蛇こくじゃはとっくに気付いてるぞ!」

 再びイミッテの声だ。

「逃げるったって……!」

 どこに逃げるのか。僕は周りを見渡した。すると、こちらに走ってくる、黒い何かの姿が見えた。

「……!」

 良く見ると、女の人だった。少し縮れた長い髪は黒く、衣装も黒かったので、一瞬分からなかったが、あれは人間だ。

「う、うわっ!」

 女の人は周りに蛇を従え、自らの体にも蛇を纏わりつかせながら、こちらへと走っていて、顔には満面の笑みを浮かべている。
 その様子に、僕は恐怖した。あの人から逃げるんだ。

「ロビン君、走るよ! 辛いかもしれないけど……あとちょっとだから!」

 そう言って、僕はロビン君に肩を貸した。
 気が動転しているのだろうかか。何があとちょっとなのか自分でも分からないが、とにかく、僕はロビン君を連れて逃げないといけない。
 ロビン君も、力を振り絞って必死に足を踏み出している様子だ。

「ふふふ……逃がさない……」

 黒蛇こくじゃと呼ばれた黒ずくめの女は、そういいながら、僕の方へ手をかざした。

「ダークボルトだ! 逃げろ!」

 イミッテの声が響く。

「に、逃げろったって……!」

 黒蛇こくじゃの掌に、一瞬にして黒い塊が形成された。後は発射するだけといった様子だ。そんな状況を前に、僕はどうする事も出来ない。ロビン君を担いだ状態で飛び退く事も出来ないし、短い間に距離を稼いだって、防げるものでもあるまい。

「やめろ黒蛇こくじゃあぁぁぁ!」

 イミッテの叫び声が、空しく木霊する。
 僕は、ロビン君を助ける事が出来ないのか。散々走った挙句、これだ。もしかすると、僕はビルから飛び降りて死ぬ価値さえ無いのかもしれない。
 ……いや、ロビン君だけなら、もう少しだけなんとか出来るかもしれない。
 僕は咄嗟にロビン君を地面に伏せさせ、そこに覆いかぶさった。
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