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第一章:竜生始動篇

第8話『外れたゴム手袋』

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 ゴム手袋を付けて水を触ると、少し気持ち悪い。
 素手で水を感じると、指先から冷えていって凍える。
 俺は、水に触れる選択蛇口に背を向けたかった。

 背けなかった。


  ===


 生命として初の激情。破裂的な感情の解放。
 自制機能が停止したとき、生物は本能と習慣に依存する。
 俺は感情が黒く塗りつぶされると同時に、脳が活性化される感覚を覚える。

「まずはお前らだ」

 ホノンは殺気を撒き散らしつつ、俺とゾフラに背を向ける。
 この場で最もゾフラを憎むホノンが、私情を抑えて下位を処理する。

 ホノンとリタの絆は堅牢だ。
 2人の関係は"親友"という2字では表現しきれない。
 傍から見れば血の繋がりを錯覚するほど、互いを信頼している。

「おやァ、ちっせぇ背中がガラ空きだぜェ?」

 ゾフラが剣を構えたとき、俺の殺意が膨れ上がる。
 リタの次はホノンが傷つけられる。それは許されない。
 俺が上位聖騎士ゾフラを潰す。

「"烈焔斬リアマ・フィロ"」
「おっとォ、そういやここには雑魚がもう一匹いたなァ」

 俺の放つ攻撃を軽く弾くゾフラ。
 恐らく、魔力を込めた剣は魔術を弾けるのだろう。
 俺は即座に地を蹴り、ゾフラに肉薄する。

「安直ゥ!」
「"風纏躰エアロ・アーマー"」

 俺はゾフラの攻撃圏内に至る直前に詠唱。
 地を蹴ってゾフラを飛び越えた俺の髪が舞う。
 攻撃が頭のすぐ近くをかすめた。

「いいな、それェ!」
五月蝿うるさい、死ね」

 自分でも驚くほど低く冷たい声が響く。
 殺気を込めた拳は、しかしゾフラに軽くかわされる。
 直後に剣撃を間髪でかわし、俺は跳躍で距離を置く。

「俺をぶっ殺してぇなら、それじゃあ遅すぎる。
 力も足らん、魔術も未熟、行動は軽率。
 んな雑魚がいくらいようと、塵は塵だァ」
「俺は塵だ。それは認めよう」

 俺はその時気がつかなかった。
 ゾフラだけが、気がついていた。
 それは幸運だったといえよう。

「安心した。アンタじゃなきゃ詰んでたよ。
 俺みたいな塵でも潰せそうだ」

 俺の口辺には、酷く冷淡で薄気味悪い笑みが張り付いていた。

 そして腰を落としたとき、その笑みは綺麗サッパリ消えていた。
 能面のような無表情が、ゾフラの網膜を埋め尽くす。

「うわっ!?」
「なんだこいつ!?」

 そんなことをしているうちに、ホノンは下位2人を封殺した。
 20秒程度で2名を失神に追いやり、こちらを振り向く。
 その目には光が無く、顔には血が張り付いていた。

「さあ、あとはお前だけだ」

 ホノンと俺に挟まれたゾフラがハッとする。
 俺とホノンを見比べ、眉間に手を当て、笑う。
 歪んだ口から放たれたのは、予想だにしない言葉だった。

「なるほどォ。鏡の秘境を突破したのはてめぇの方だったかァ」

 ゾフラの目は俺に向いていた。
 鏡の秘境の認知及び、突破者の推測的中。
 こいつは何者だ。

「いいぜェ、気に入った。ならマジでやる。
 馬鹿にしたのも全部取り消しだ。盤面をゼロに戻す。
 俺の敵は、アンタ等だァ」

 ゾフラが剣を正眼に構え、油断なく俺たちを見据える。
 既に位置を変化させており、2対1の構図を確立している。
 その瞳からは半端さが抜け、真剣味を帯び始めた。

「上位聖騎士『烈刃』のゾフラ」
「塔主候補生『銀翼』のホノン=ライラルフ」

 ゾフラの言葉は即座に返された。
 これがこの世界における儀礼なのだろうか。

「......同じくシン=ルザース」

 俺はため息とともにそう言い、腰を落とす。
 本気で上位に挑み、リタの仇を返す。

 ゾフラの首筋には、一筋の雫が伝っていた。


  ★★★


 ゾフラは強かった。
 上位聖騎士という名は伊達でない。
 俺たちは防戦一方となった。

 そう、あのホノンでさえ手が出ない。
 魔術を使う前に距離を詰められ、とっさに防御する。
 体勢を整える前に追撃が飛び、思うように行動できない。

 2対1でこの苦戦。ゾフラのスピードが異常だ。
 恐らく身体強化系の魔法を使っているのだろう。
 挙動が人間のそれではなかった。

 ホノンの崩れを俺が補い、ホノンが俺を守る。
 呼吸をする間すらない攻防の中、俺たちは必死に抵抗し......
 二人とも崩れた。

「ったく、妙に動けるガキ共だったなァ。
 道理で警戒されるわけだァ」
「ッ......けい、かい?」
「そうか、そりゃ気がつかんよな。
 なら教えてやるぜェ、真実ってヤツをよォ!」

 地面に倒れたホノンが、ゾフラを片目で見上げる。
 ゾフラは気色の悪い笑みを貼り付け、ゴミを見るかのような目で俺たちを見下ろした。

「死ぬ直前の脳に刻んでおけェ。
 生き物ってのは、なにかに夢中になってる時が一番よえェ。
 そん時に殺すため、そん時を"作った"んだよ」

 夢中になる。それは集中すること。
 俺たちは前方にいた下位に気を取られ、背後からのゾフラの攻撃に気がつかなかった。
 その状況を"作った"。

 簡単な話だ。
 ゾフラは"下位聖騎士2名の怪しい行動"をリークし、俺たちを誘導。
 おびき寄せられた俺たちは、まんまと罠にハマった。

「......"警戒される"ってことは、アンタはアタマじゃないってことか」

 俺の言葉を聞いたゾフラは、目を見開かせる。
 そして不機嫌な顔をし、剣を握り直す。
 俺の頭上に剣が構えられた。

「ほんっと、あの秘境を踏破しただけある。
 お前は一番ザコかと思っていたが、一番の脅威だ。
 まァ、その脳が活躍できなかったのは残念だがなァ!!」

 ゾフラは高らかに笑い、剣を振りかざす。
 そして俺は思う。本当にゾフラの言う通りだ。
 

「さあ、それはどうかな」

 俺は指を下に振る。
 ゾフラは俺の発言を強がりと捉え、笑う。
 その笑い顔が歪んだ。

 頭皮、頭蓋、脳、鼻腔、口蓋、下顎。
 岩の槍はそれらを通り抜け、脳漿のうしょうと血を撒き散らす。
 そして、心臓に突き刺さって止まった。

「あ、......ア゛?」

 唐突な出来事に、生物は行動が遅れる。
 それが生理的な現象であっても、だ。
 叫び声は、3秒後に発せられた。

「ぁあ゛は゛ア゛あ゛ァ!???」

 槍が口腔を貫いているため、叫び声は抑えられる。
 それでも耳を抑えたくなるほど、ゾフラの叫び声は大きかった。

 俺の手から、ゴム手袋が外れた。
 水かと思って触れたそれは、生暖かい血だった。
 ああ、思っていたとおり、とても気持ち悪い。

 俺はゾフラを殺した。


  ★★★


 シンは弱い。
 他者を傷つけることに抵抗がある。
 だから少し遅くて、まだまだ甘いと思っていた。

 シンは弱い。
 魔術は上手くても身体能力は並程度だ。
 だからボクは簡単にシンを倒せる。

 シンは弱い。
 そもそも経験値が少ない分、対処のレパートリーが貧弱だ。
 だからリタもボクも色々な手を使ってシンを負かしていた。


 間違いだった。
 シンは強い。ボクにもリタにもない強さがある。

 賢さ? いいや、リタだって同じくらい頭がいい。
 冷静さ? ボクもリタも同じくらい冷静だ。
 魔術の腕? そんなの、ボクの方が圧倒的に上だ。

『さあ、それはどうかな』

 あの時、ゾフラを亡き者にした時。
 シンはその場の誰にもできないことをした。
 それだけじゃない。生物だれしもあんなことできない。

 シンの使った魔術は"岩槍穿シュタイン・ランツェ"。
 込める魔力量に比例して大きくなる魔術。
 シンはそれを使っていた。

 自身の魔術ではゾフラに敵わないと判断。
 自然法則"自由落下"を利用して討伐することを決意。
 その時からシンは、ずっと空中の槍に魔力を注いでいた。

 ボクだって同じようなことはできる。少し難しいけれども。
 だがシンは、怒りを纏い、殺気を放ちながら計算していた。
 ゾフラの位置を防戦一方になりながらも誘導し、岩槍を落下させた。


 狂気じみた冷静さ、無感情さ。
 シンがゾフラを敵とみなした瞬間から、盤面はシンの手のひらの上にあった。
 同じ生物であることが信じられず、鳥肌が立つ。


 なあ、シン。
 今その無表情の下にある感情は、どんな色をしているんだ。

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