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サチとサンジン様
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◇
祭りから数日経ち、清はまだその余韻に浸っていた。家にいる時はいつもスマートフォンを持ち歩き、暇があれば写真を眺める始末だ。
もう一度祭りが行われたりしないだろうか。そうしたら、またサチを連れていかれるのに。大人しく来年を待つことすらままならない。
本当はサチのことを皆に紹介したくても、ああして恰好を誤魔化せるのは祭りごとがなければ難しい。
今のところは何か仮装出来るイベントを待つことにして、清はサチのお土産に駄菓子屋でお菓子を買うことにした。部活で忙しかったので、サチと会うのは祭り以来だ。部活が早めに終わった一昨日も顔だけ出してみたのだが、その時は残念ながら会えなかった
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
相変わらず、おばあさんがのんびり座っていて、にこにこと店内を眺めている。清以外の客はいない。しかし、この辺りの小中学生が通っているらしいので、経営はどうにかやれているのだろう。清が軽くなった財布の中身を確認する。
祭りで小遣いを使ったので、今日は細やかな値段の物にしようとカゴに入れていたが、あるものに目が留まってしまった。
──三百円か。
決して高価ではない。しかし、駄菓子屋の中では一番値が張るかもしれない。小遣いが減った状態の清には少々背伸びする金額だ。
一度そこから離れてみたが、結局カゴにそれも入れておばあさんのところへ差し出した。
「三百八十円ね」
いつもの倍以上の小銭を財布から取り出す。今月は慎ましく生きなければならない。最近サチの分も払っていたこともあり、小遣いの減りが速くて困る。後悔は全くしていない。
袋の中から一つだけポケットに仕舞い、山に向かう。
サチは山から出られるようになっても、たいてい山で過ごしている。山以外は知らないことばかりで不安だというのと、なんとなく山にいる方が調子が良いと言っていた。
知らない土地にぽつんと一人置いていかれたと考えると、山に戻りたくなるのも頷ける。山から出て自由になりたい反面、慣れ親しんだ場所から出るには勇気がいる。
「喜ぶかな」
サンジン様に仕えてから腹は減らなくなったらしいが、食べ物は食べられるし味覚もある。毎回数十円の駄菓子で笑顔を見せてくれるのは心が温かくなる。
駄菓子屋がある通りを過ぎると、少女が一人道端でしゃがみ込んでいた。具合でも悪いのかと思ったが、近づいてみれば、スケッチブックを持っている中田だった。
何か描いているのだろうか。今日は部活が休みなので、暇を持て余しているのかもしれない。
近づいても気付かれない。そのままスケッチブックを覗こうとして止めた。
「中田さん」
「わぁ!」
驚かせたら悪いと思って声をかけたのだが、結局驚かせてしまった。中田が立ち上がって顔を赤くさせる。
「ごめん、いきなり話しかけちゃって」
「ううん、えい。びっくりしただけやき」
「絵の練習してたの?」
言われた中田がスケッチブックを見遣り、後ろに隠す。
「えーと……うん」
恥ずかし気に答える姿に遠慮しつつも、清は隠されたものに興味が湧いてしまった。
「僕もよくスケッチするんだけど、中田さんはどんなの描いてる? 言いたくなかったら言わなくていいよ」
「平気ちや。見る?」
「うん」
差し出されたスケッチブックを清が両手で受け取った。
「開くね」
「うん」
緊張が伝わってくる。ゆっくり開いてみると、一ページ目に蟻の行列が描かれていた。
「わ、細かい」
小さな小さな蟻なのに、しっかりその体が表現されている。今の清には難しいと思った。
次のページにはダンゴムシ、その次にはうさぎが。うさぎは描いたことがある。だけれども、自分のそれよりずっと細かい。なるほど、技術もそうだが、観察力の差だ。
「市原君はどんなの描いちゅう?」
「僕は建物とか木とか……かな。うさぎ描いたことあるけど、こんな上手に描けなかったよ。毛の描き方とかすごいね」
「私はまだまだ。先輩はもっとすごいちや。部長とか。やき、私ももっと上手くなりたくて練習しちゅうがよ」
「そっか」
清からしてみれば、同級生も先輩も皆自分より上手いと思う。しかし、当人からしてみたらまた違う世界が見えている。
技術一つ取っても、形を再現出来ているか、構図や筆運びはどうかなど多岐に渡る。清はまだその入口に立っただけなのだと痛感した。
「もう、えい?」
「あっごめん」
想定外に集中してしまっていたらしく、話しかけられて中田に謝りながら返した。
「ありがとう。勉強になった」
「市原君のも今度見せて」
「うん、もちろん」
言ってから、このスケッチブックに遠く及ばないことに気が付いたけれども、これも勉強だ。アドバイスの一つでももらえたら御の字だと思おう。
「市原君はどこ行くが?」
中田がちらりと袋を見てから言う。何かの用事にしては軽装だと思ったのだろう。
「ちょっとサンジン様のところに。あそこで遊んだりするんだ」
言ってから後悔した。しかし訂正は出来ない。
「ああ、あこは人の手が入らないきえいって聞いたことある。けんど、人気が無いき怖くない?」
「全然。そうだ、駄菓子よかったらどうぞ。スケッチブック見せてくれたお礼に」
「ありがとう」
「じゃあ、行くね」
清が手を振る。中田も深追いするつもりはなく、手を振って返した。
「気を付けて」
「うん」
角を曲がったところで中田の様子を陰から窺う。幸い、その場に留まることなく、彼女は去っていった。
清が慌てて元来た道を戻る。中田に追いつく手前で違う道に逸れ、駄菓子屋を目指した。
祭りから数日経ち、清はまだその余韻に浸っていた。家にいる時はいつもスマートフォンを持ち歩き、暇があれば写真を眺める始末だ。
もう一度祭りが行われたりしないだろうか。そうしたら、またサチを連れていかれるのに。大人しく来年を待つことすらままならない。
本当はサチのことを皆に紹介したくても、ああして恰好を誤魔化せるのは祭りごとがなければ難しい。
今のところは何か仮装出来るイベントを待つことにして、清はサチのお土産に駄菓子屋でお菓子を買うことにした。部活で忙しかったので、サチと会うのは祭り以来だ。部活が早めに終わった一昨日も顔だけ出してみたのだが、その時は残念ながら会えなかった
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
相変わらず、おばあさんがのんびり座っていて、にこにこと店内を眺めている。清以外の客はいない。しかし、この辺りの小中学生が通っているらしいので、経営はどうにかやれているのだろう。清が軽くなった財布の中身を確認する。
祭りで小遣いを使ったので、今日は細やかな値段の物にしようとカゴに入れていたが、あるものに目が留まってしまった。
──三百円か。
決して高価ではない。しかし、駄菓子屋の中では一番値が張るかもしれない。小遣いが減った状態の清には少々背伸びする金額だ。
一度そこから離れてみたが、結局カゴにそれも入れておばあさんのところへ差し出した。
「三百八十円ね」
いつもの倍以上の小銭を財布から取り出す。今月は慎ましく生きなければならない。最近サチの分も払っていたこともあり、小遣いの減りが速くて困る。後悔は全くしていない。
袋の中から一つだけポケットに仕舞い、山に向かう。
サチは山から出られるようになっても、たいてい山で過ごしている。山以外は知らないことばかりで不安だというのと、なんとなく山にいる方が調子が良いと言っていた。
知らない土地にぽつんと一人置いていかれたと考えると、山に戻りたくなるのも頷ける。山から出て自由になりたい反面、慣れ親しんだ場所から出るには勇気がいる。
「喜ぶかな」
サンジン様に仕えてから腹は減らなくなったらしいが、食べ物は食べられるし味覚もある。毎回数十円の駄菓子で笑顔を見せてくれるのは心が温かくなる。
駄菓子屋がある通りを過ぎると、少女が一人道端でしゃがみ込んでいた。具合でも悪いのかと思ったが、近づいてみれば、スケッチブックを持っている中田だった。
何か描いているのだろうか。今日は部活が休みなので、暇を持て余しているのかもしれない。
近づいても気付かれない。そのままスケッチブックを覗こうとして止めた。
「中田さん」
「わぁ!」
驚かせたら悪いと思って声をかけたのだが、結局驚かせてしまった。中田が立ち上がって顔を赤くさせる。
「ごめん、いきなり話しかけちゃって」
「ううん、えい。びっくりしただけやき」
「絵の練習してたの?」
言われた中田がスケッチブックを見遣り、後ろに隠す。
「えーと……うん」
恥ずかし気に答える姿に遠慮しつつも、清は隠されたものに興味が湧いてしまった。
「僕もよくスケッチするんだけど、中田さんはどんなの描いてる? 言いたくなかったら言わなくていいよ」
「平気ちや。見る?」
「うん」
差し出されたスケッチブックを清が両手で受け取った。
「開くね」
「うん」
緊張が伝わってくる。ゆっくり開いてみると、一ページ目に蟻の行列が描かれていた。
「わ、細かい」
小さな小さな蟻なのに、しっかりその体が表現されている。今の清には難しいと思った。
次のページにはダンゴムシ、その次にはうさぎが。うさぎは描いたことがある。だけれども、自分のそれよりずっと細かい。なるほど、技術もそうだが、観察力の差だ。
「市原君はどんなの描いちゅう?」
「僕は建物とか木とか……かな。うさぎ描いたことあるけど、こんな上手に描けなかったよ。毛の描き方とかすごいね」
「私はまだまだ。先輩はもっとすごいちや。部長とか。やき、私ももっと上手くなりたくて練習しちゅうがよ」
「そっか」
清からしてみれば、同級生も先輩も皆自分より上手いと思う。しかし、当人からしてみたらまた違う世界が見えている。
技術一つ取っても、形を再現出来ているか、構図や筆運びはどうかなど多岐に渡る。清はまだその入口に立っただけなのだと痛感した。
「もう、えい?」
「あっごめん」
想定外に集中してしまっていたらしく、話しかけられて中田に謝りながら返した。
「ありがとう。勉強になった」
「市原君のも今度見せて」
「うん、もちろん」
言ってから、このスケッチブックに遠く及ばないことに気が付いたけれども、これも勉強だ。アドバイスの一つでももらえたら御の字だと思おう。
「市原君はどこ行くが?」
中田がちらりと袋を見てから言う。何かの用事にしては軽装だと思ったのだろう。
「ちょっとサンジン様のところに。あそこで遊んだりするんだ」
言ってから後悔した。しかし訂正は出来ない。
「ああ、あこは人の手が入らないきえいって聞いたことある。けんど、人気が無いき怖くない?」
「全然。そうだ、駄菓子よかったらどうぞ。スケッチブック見せてくれたお礼に」
「ありがとう」
「じゃあ、行くね」
清が手を振る。中田も深追いするつもりはなく、手を振って返した。
「気を付けて」
「うん」
角を曲がったところで中田の様子を陰から窺う。幸い、その場に留まることなく、彼女は去っていった。
清が慌てて元来た道を戻る。中田に追いつく手前で違う道に逸れ、駄菓子屋を目指した。
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