上 下
9 / 9

幕よ、あがれ!

しおりを挟む
 その日の、ヒミツ基地の演劇小屋・リビングにて。
 私は先輩たちに、常泉先輩と会ったことを話した。
 大演劇祭のことを聞かれ、少しだけ答えてしまったことも。
 あと話の流れ上、セントに先輩たちのことを聞いていたことも……正直に話した。
「鳥塚」
 苅安賀先輩が、セントの頭にチョップをお見舞いする。
「いて!」
「沈丁花に俺たちのことをペラペラ喋ったな」
「いいじゃないですかあ。マシロも団員なんだし」
「ダメとは言ってない。どうせ俺になんやかんや言われるから、言ったことを黙ってたんだろう。その考えが気に食わない」
「そ、それは……すいませんでした」
 ジロリとにらまれ、子犬のように肩を震わせ体を丸めるセント。
 すごい。苅安賀先輩、何でもお見通しだ。
 探偵役もいけるんじゃない?
「それで、お前は常泉先輩に何か情報を聞き出せたのか」
「あっ。い、一応……。常泉先輩は、高校の演劇部の一員としてではなく、自分の動画チャンネルの仲間といっしょに大演劇祭に出るみたいです」
 それを聞いたウガツ先輩が、ひょいっと顔を上げる。
「常泉先輩は、何人で出るのかな」
「俺以前、チェックしたんですけど。どうも常泉先輩含めて、三人で運営してるみたいですよ。だから、三人じゃないですかね」
 セントが言った。
 常泉先輩のチャンネルのことを聞いたのって、演劇部に演劇対決を申し込まれた日だったっけ。日下部先輩が言ってたんだよね。
 セントってば、あの後ちゃんと常泉先輩のこと調べてたのか。えらいなあ。
「三人か……」
 ウガツ先輩が考え込むように言った。
 セントが常泉先輩の動画チャンネルをスマホで検索して見せてくれる。
「常泉先輩はコントが好きみたいだな。チャンネルの動画もお笑いの緩急が研究しつくされている、クオリティの高いものばかりだった。スピーディでテンポも洗練されてる」
 チャンネルに投稿されている動画一覧を見てみると、動画の再生回数はどの動画も三万再生以上は必ずしている。
「でも……うちもそうですけど、演劇で三人って、やっぱり少なくないですか?」
 大演劇祭の公演もセントが、ほぼ一人での裏方。
 苅安賀先輩が少し手伝いに入る程度だ。
 すると、ウガツ先輩は「いや……」と首を振った。
「確かに、人数が多いのはいいことだよ。登場する役者は多ければ多いほど舞台が派手に見える。でも、その分テンポを合わせるのも難しくなる。反対に、二人だと舞台がスカスカに見えてしまう。その点、三人と言う数は見栄えがそんなに寂しすぎず、息も合わせやすい数だ。コント芸人さんが、三人組では多いぐらいだ、と言うくらいだしね」
 言いながらソファから立ち上がり、私たち三人をぐるりと見渡した。
「常泉先輩は、ギリギリまで作品の精度を上げてくるだろう。こっちも負けてはいられないよ。『ファニーキャスト』のクオリティを限界まで上げるんだ! ……そして、沈丁花くん」
「は、はい」
 何事かと身構えると、ウガツ先輩の手が私の肩の上にポン、と置かれた。
「鞠沢マリオのこと、頼んだよ」
「は……はいっ」
 その熱いまなざしに、私の胸にも火が灯されるようだった。

 *

 いよいよ、十六夜市主催大演劇祭が始まった!
 大演劇祭は十六夜市芸術文化会館にて二日かけて行われる。
 飲食の屋台や、ワークショップとさまざまな展示イベントも設けられる十六夜市あげての一大イベントだ。
 ウガツ先輩が去年大賞を取った路上演劇部門では十名のアクターが、文化会館の駐車場の歩道や、ちょっとした広場など、さまざまな場所でゲリラ的に上演される。
 そして、屋内ホール部門では私たちを含めた計四チームの作品が上演されることとなる。
 私たち、そして常泉先輩たちは二日目だ。
 一日目の二チームは……どちらもすごくて、見入ってしまった。
 そして同時に、私は大丈夫かなと不安になってきてしまう。
 いや。だめだめ、苅安賀先輩に怒られちゃう。
 自分に、自信を持つんだ。
 がんばれ、私!

 *

 次の日。大演劇祭二日目が始まった。
 私たちの出番は、二番手。常泉先輩たちの次だ。
 朝からそわそわして落ち着かなかったけど、ハチミツ入りのホットティーで、喉のケアはしっかりとしてきた。
 出番までの楽屋へと向かう、屋内ホールの廊下。
 心がざわざわと落ち着かない。
「第四楽屋。ここだな」
 セントがドアを開けてくれる。
 広々とした、和室だった。
「先輩たちは?」
「さあ。屋台でメシでも食ってるんじゃないか。あの人たち、大食らいだから」
「え? そうだったの?」
「ウガツ先輩なんて、回転すし四十皿制覇したことあるらしいぞ」
「あはは、うっそ~」
 セントが、心配そうに私の顔をのぞき込んできた。
「マシロ。大丈夫か」
「えっ……」
「読み聞かせのときのこと、思い出してたのか?」
「ごめん。いい加減に忘れないとね……」
「そんなこと……」
 その時、バタンとドアが開く。
 見知らぬ三歳くらいの小さな男の子が、トタトタと楽屋に入ってきた。
 きょろきょろと、誰かを探しているみたいだ。
 私は男の子の目線に合わせ、しゃがみ込んだ。
「こんにちは~。どうしたの?」
 男の子が、ぺこりと頭を下げた。
 ていねいな子だな。
「ルイくんをおうえんしにきたの」
「ルイくんって……!」
 セントを見上げると、「へえ」と笑っている。
「前言ってたウガツ先輩の甥っ子さんって、この子のことじゃないのか」
「そうかも」
 すると、男の子がハッとした顔をした。
「えほんのおねえさんっ?」
「わあ、覚えててくれたんだね。ありがとう」
「ジュマ。チョコレートすいせい、まいにちよんでてねっ」
 ジュマくんって言うんだ。『チョコレート彗星』は、ジュマくんが読み聞かせに来てくれたときに選書していた絵本。
 毎日読んでるって、そんなに繰り返し図書館で借りてくれてるのかな。
「あれっ、ジュマ?」
 ウガツ先輩が屋台で買ったらしいたこ焼きの袋をさげて、楽屋に入ってきた。
「ダメじゃないか。ここは関係者以外立ち入り禁止なんだよ。姉さん……いや、ママはどうしたんだい」
「ルイくんっ。えほんのおねえさん、いたっ」
 私を指さし、嬉しそうに言うジュマくんに、自然と顔が緩んでしまう。
「ジュマくん、チョコレート彗星を借りて読んでくれてるんですね。毎日読んでるって、さっき教えてくれました」
 すると、ジュマくんを抱き上げながら、不思議そうな顔をするウガツ先輩。
「いや、ジュマは母親に頼みこんで、あの本を買ってもらったんだよ。毎日読みたいからって言ってね。君の読み聞かせが、そうとう魅力的だったんだろう」
「え……っ」
「あれれえ。マシロってば、今めちゃめちゃ感動してる?」
「う、うるさいなっ。腹黒セントッ」
 でも、今セントにからかわれなかったら、うっかり涙があふれちゃってた。
 本当にめちゃくちゃ嬉しい!
「ルイ。お姉さんいたぞ。そこで待ってもらってる。目を離したすきに、ジュマが消えていたらしい」
「まったく。ジュマには今度、ハーネスのついた迷子防止リュックでも買ってやろう」
 ジュマくんを抱っこしたままお母さんの元に連れて行こうとするウガツ先輩。
 ふと、私の方を振り返って言った。
「沈丁花くん。もうすぐだね。大演劇祭」
「は、はい……」
 ピシッと背筋を伸ばす、私。
 しかし、ウガツ先輩は「あはは」と笑って言った。
「緊張しているなあ」
「す、すみません」
「……舞台は生ものだ。そして今から君は舞台の上で、その役の人生を生きる。失敗したっていいさ。何故なら、人生と言うものはアドリブがきくものだからね。僕たちといっしょに舞台を思いっきり楽しもう!」
「は……はいっ!」
 ウガツ先輩の言葉は、まるで魔法のように私の心に溶け込んでいった。

 もうすぐ、始まる。
 ——大演劇祭が!



 二日目の一番手の公演が始まろうとしていた。
 十二時開演『配信集団ドラマ座』。
 常泉レンズ先輩のチームだ。
 上演タイトルは『レンズチャンネル、七転八倒!』。
「レンズチャンネルは常泉先輩の動画チャンネルの名前だ……。まさか、本人役で演じるつもりなのか?」
 セントが言うので、パンフレットのキャスト一覧を確認してみた。
 するとそこには、おかしなことが書かれていた。
『常泉レンズ役……一宮トウジ
 一宮トウジ役……豊川イッサ
 豊川イッサ役……常泉レンズ』
 な、何これ。
 自分の役を……違う人がやってる!
 ウガツ先輩が私のパンフレットをのぞき込み、「ふうむ」とうなった。
「自分役を他人にやらせることによって、一枚フィルターを通すことになる」
「……どういうことですか?」
「そうだなあ。沈丁花くん、君が鳥塚くんのこと演じるとしたら、どんなキャラになると思う?」
「優しい腹黒キャラ、ですかね……」
 ウガツ先輩が「ふふ」とアゴに手を添える。
「つまり、身近な人間に自分をキャラ付けして演じてもらうんだ。自分がやるよりも、より鮮明なキャラになりそうじゃないか?」
「確かに……!」
「さらに、このキャスト一覧で観劇する側の掴みもバッチリだ。常泉先輩はこのパンフレットから、すでに観客の心を掴みにきている」
 もうすぐ、常泉先輩たちの上演時間だ。
「十六夜市大演劇祭二日目第一公演。配信集団ドラマ座『レンズチャンネル、七転八倒!』。
 常泉レンズ役……一宮トウジ
 一宮トウジ役……豊川イッサ
 豊川イッサ役……常泉レンズ
 開幕いたします。どうぞ、心ゆくまでお楽しみください」



 ———セットは、常泉の配信部屋。
 動画の再生回数がふるわないレンズチャンネル。
 どうすれば、動画を見てもらえるようになるのか、一宮・豊川とアイデアを出しあう常泉。
 しかし、事態は思わぬ方向へ。

 常泉の配信部屋の押し入れから物音がしたのだ!
「閉まってあるものが崩れたか? 整頓しろよ、常泉」
「猫じゃない? レンズってば飼い始めたんなら僕にも見せてよお」
「いや、泥棒じゃないか? カメラカメラ!」
 常泉はすぐさまカメラを構える。
 この動画をアップすれば、確実に再生回数が稼げる!
「動画のタイトルは〝【ガチ】家にいた泥棒、逮捕してみた〟で決まりだ!」
 カメラを回しつつ、抜き足差し足で押し入れへと近づいていく三人。
 そこへ再度、物音。今度はさっきよりも大きい!
「いやこれ……幽霊じゃなーい?」
「そっちでもいい。いやむしろ、そっちのほうが面白いかもな」
 楽しそうな豊川に、カメラを離さない常泉。
 一宮は一歩下がったところから、不安げに言った。
「なあ、常泉」
「なんだよ、一宮。今、忙し……どうした?」
 目のすわった一宮に、不穏な空気を感じる常泉。
 しかし豊川は心配したようすで言う。
「どうしたの、トウジ。なんだか……幽霊みたいな顔してるよ」
 常泉は心の声で叫ぶ。
「まさかこれ、一宮が幽霊……ってオチかッ?」
 だんだんと、ひとりだけビビっていく常泉。
 カメラを構える力もなくなっていく。
 しかし、それは一宮の常泉をビビらせるための演技。
 常泉の見えないところでは、〝ドッキリ大成功〟の看板が用意されている。
 しかし、常泉の恐怖は止まらない。
 豊川は何も知らないのに、常泉の不安を確実にあおっていく。
「ねえ、トウジ……大丈夫?」
 常泉は恐怖がピークになり、豊川が押し入れを開けようとしても「ちょっと待てっ」と止める始末。
 だが、いよいよ豊川が押し入れを開けてしまう。
「ぎゃあああああーッ」
 常泉の恐怖の叫びが、轟く。
 当然、押し入れには誰も何もいない。
 バランスを崩した雑誌の山が無残な姿になっているだけだ。
「ドッキリ大成功ーッ」
 一宮の冷静なピースサイン。
 すべては一宮のドッキリ企画だったのだ。
 そして、暗転。
 後日、レンズチャンネルにアップされた〝【ドッキリ】レンズ、叫ぶ! 恐怖の侵入者?〟は動画サイトの急上昇ランキングに入り、見事チャンネル内での最高再生数を叩き出したのだった———

 配信集団ドラマ座の上演が終わった。
 入れかわりのキャストだったけれど、そんなの気にならないくらいのクオリティ。
 常泉先輩が誰かを知っている私からしたら、二倍面白い作品だった。
 終始、笑いにあふれていたなあ。
 私も控室のモニターで見させてもらっていたけれど、ずっと笑ってた。
 ウガツ先輩も……。
「面白かったですね」
「ああ。面白かった」
 同じタイミングで、全員が立ちあがる。
 お互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
「しかし、勝つのは僕たちだ!」



 そして、十六夜大演劇祭も終盤。
 屋内ホール部門はトリである私たち、劇団ヒミツ基地。
「ついに来たね、この時が」
 ウガツ先輩が、私たちを見渡し言う。
「ヒミツ基地史上、最高の舞台にしよう!」
「「「はいっ」」」
 舞台袖から見える客席。ほとんど埋まってる……。
 お客さんたちにたくさん笑顔になってもらいたい。
 その思いは、読み聞かせをしていたころから変わっていない。
 私のこれまでの想い、今からの舞台にすべて乗せる。
「十六夜市大演劇祭二日目第二公演。劇団ヒミツ基地『ファニーキャスト』。
 鞠沢マリオ役……沈丁花マシロ
 円藤エニシ役……宇月ルイ
 部員・先生役……苅安賀ハイド
 開幕いたします。どうぞ、心ゆくまでお楽しみください」
 お客さんに、笑顔になってもらうために。
 今から私は、鞠沢マリオになる!

 ———エンゲキが大好きな、鞠沢マリオ。
 大好きな小説『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』をエンゲキ化するために奮闘する。
 マリオがエニシに『空飛ぶキャバリア~』を激推しするシーン。
 テンポのいいやり取りが要求される重要なところだ。
「じゃあ、まずはそのキャバリなんとかが何なのか、教えてくれないかな」
「犬です」
「犬は無理だよ。舞台にあげられないからね。だから、エンゲキにすることはできないかな」
「どうしてですかっ」
「いや、今言ったよね? 犬だからだよ!」
「犬の何がいけないんですかっ」
「じゃあ君がその、キャバリなんとかを役者に育てるんだなっ? タレント犬に出来るんだな?」
「いえ、僕はブリーダーじゃないので……」
「引くの早っ! 」
 絶妙な間とテンポが重要視されるシーンだったが、なんとかやりきる。
 お客さんの反応もいい感じだ!
 ———マリオの『空飛ぶキャバリア~』エンゲキ化運動はどんどん激化していく。
 『キャバリア・キングチャールズ・スパニエル』を早口で言うシーン。
 なんとかトチらず、十回をクリアした。
 マリオがエチュードで犬役を演じるシーン。
 犬のリアルな演技は、動画サイトや近所の犬を観察して追及してきた。
 マリオの執念が現れる部分だから。
「すごくうまいね、犬役」
「好きなので。だから、研究してるんです。犬のことを」
「どうしてそんなに『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』をエンゲキにしてほしいの?」
「演劇にすれば、自分のすぐ目の前で『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』の世界を体感できるからですよ。俺は、この小説のおかげで……もう一度エンゲキをやろうと思えたんです!」
 マリオは幼いころ、特撮番組を見て自分も演技と言うものをやってみたいと思った。
 そのことを母親に言ったら通わせてくれたのが、子どもエンゲキ教室だ。
 場面は、ここから過去に戻る。
 薄暗くなった照明。
 サスペンションライトが幼いマリオ役の私と、先生役の苅安賀先輩を照らす。
 幼いマリオ役と言うことで、動きも活発に、そして伸びやかに演じる。
 ———エンゲキが好きになったマリオは、一気に才能を開花させた。
 しかし、あまりにも他の子と差がついてしまったことで、先生は言いにくそうに幼いマリオに言う。
「もうマリオくんは上手だから、この教室には通わなくてもいいんじゃないかな」
 先生にそう言われたマリオの、無表情のなかに宿る、切なさややるせなさ。
 当時のウガツ先輩の悲しみ、行き場のない思いを自分なりに全力で表現する。
 常泉先輩は、この公演を見てくれているかな……。
 伝えたい!
 ウガツ先輩はただ、演劇がやりたかっただけなんです、って!
 その時ふと、一番前の観客席が目に入ってしまった。
 ジッとこちらを見つめている、まっすぐな瞳。
 ———常泉先輩……!
 見てくれてたんだ!
「もう、マリオくんは上手だから、この教室には通わなくてもいいんじゃないかな」の次のセリフは「はい……」だ。
 言わなきゃならない、「はい」って。
 それなのに———。
「いやだっ」
 幼いマリオの口からは、台本とは違うセリフが飛び出してしまった。
 内心で焦る私。
 しかしどうしてか、次から次へと台本とは違う言葉が飛び出してくる。
「どうしてエンゲキが好きなのに、がまんしないといけないの?」
 すると、先生役の苅安賀先輩がこっそりと唇のはしをつりあげた。
 〝おもしろいじゃないか〟。
 そんな苅安賀先輩の声が、聞こえてくるようだ。
「どうしてって言われてもな。マリオくんはもう十分、エンゲキを楽しんだんじゃないかな。こんなに上手になったんだしね」
 先生を演じながら、落ち着いてアドリブを返してくれる苅安賀先輩はさすがだ。
 助かった……!
 でも、幼いマリオのアドリブは止まらない。
 視界の端に常泉先輩が映るたびに、こみあげてくるものが、抑えられない……!
「ぼくは、まだまだエンゲキがやりたい。だって、好きなんだもん!」
「マリオくん。君はエンゲキで〝一番になりたい〟のかな」
 違う、マリオはエンゲキで一番になりたいわけじゃない。
 マリオは……。
「ぼくはただ、ずっと、ずっと……エンゲキをやりたいだけです!」
 そこで、舞台は暗転した。
 セントが、キリのいいところで気を効かせてくれたんだ。
 よかった……どうなることかと思った。
 私のせいなんだけど……。
 だから、苅安賀先輩に怒られる、かと思ったんだけど。
 暗闇の中で苅安賀先輩に、ポンと肩に手を置かれた。
 その手は、意外にも優しかった。
 ———エンゲキを辞めさせられ、気落ちするマリオ。
 そんな時に出会ったのが『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』だった。
 突き抜けるほどにおかしくて、そして切ない。
 一匹の犬が大暴れするシュールコメディ。
 やがてマリオの勢いに負けたエニシは、『空飛ぶキャバリア~』を次の公演の脚本にすることを決意する。
 スプーキー中学校演劇部が本気を出した、犬の擬人化エンゲキ。
 犬役はもちろん———鞠沢マリオ。
 この劇で、エンゲキ部はエンゲキの大会に挑んだ。
 結果は……選外!
 しかし、マリオの挑戦は止まらない。
「次はもっともっと上の賞を目指す! この『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』で!」
「ええっ。今度は違う脚本にしようよっ? せめて、短いタイトルに!」
 エニシの叫びが、空に消えていく———

 勢いよくジャンプして、軽快に袖にはけるマリオ。
 それを追いかけるエニシ。
 にぎやかなBGMがかかり、『ファニーキャスト』は終幕。
 客席からたくさんの拍手が聞こえる。
 それだけで胸が、目頭が、熱くなる。
 やり遂げた。駆け抜けた。
 鞠沢マリオの人生を……。
 袖でボーっと余韻に浸っていると、苅安賀先輩がそばに来て、低い声で言った。
「勝手にアドリブを入れたな。一年生のくせに」
「……ハッ」
 お、怒られる!
「す、すみませんでした……」
「いいじゃないか」
「へっ」
 ど、どういうこと?
「ゲッコー先輩の脚本に、ぴったりハマったな」
「ど、どういうことですか?」
 ポカンとしていると、ウガツ先輩が苅安賀先輩の後ろからひょこっと顔を出した。
「沈丁花くん~! よかったよ。君のアドリブ! 鞠沢をしっかりと分析した結果だね。やっぱり君をスカウトしたのは正解だった!」
 嬉しそうに私の両手を握る、ウガツ先輩。
「あのセリフは私が言ったと言うよりも……マリオが勝手にしゃべったんです」
「それでいいんだ。それが、役者というものさ」
 ウガツ先輩は、とろけるように目を細めた。
「沈丁花くん、君の新しい舞台は……どうだい?」
 私の、新しい舞台。
 前までは、もやもやとしてうまく言えなかった。
 でも、今ならハッキリと言える。
「とっても、楽しいです!」



 大演劇祭の結果発表を前に、私たち劇団ヒミツ基地はホールのロビーにいた。
 目の前には、配信集団ドラマ座がいる。
 ロビーで決闘……じゃなくて!
 常泉先輩が何か話したいことがあるらしい。
 まあ、何を言われるのかは、だいたい想像がつくけれど……。
「君の〝あれ〟……アドリブでしょ。見てたらなんとなくわかったよ。なんで、あんなの入れたの?」
 常泉先輩は、無表情だった。
 その威圧感に、私は「え……えっと……」と、どもってしまう。
 舞台の上ではあんなにすらすらと、アドリブができたのになあ。
「沈丁花くんに他意はありません。あれが鞠沢マリオと言うキャラクターの本心だったから、本番でセリフを変えただけのことです。役者なら、おわかりでしょう」
 ウガツ先輩が代わりに答えてくれた。
 しかし、常泉先輩はやっぱり不機嫌そうだ。
「マリオじゃないでしょ。沈丁花くんはお前の気持ちを代弁しただけだろ。あの〝エンゲキ教室の先生〟のモデルも俺だしな」
 ふん、と鼻を鳴らし、常泉先輩は腕を組んだ。
 ウガツ先輩は、黙っている。
「俺はてっきり、お前は俺のことをライバルと認識してないのかと思っただけ。あんな〝ぼくはエンゲキができればいい〟なんて生っちょろい意識でいられては困るからさ」
「え? 僕が常泉先輩のライバル……ですか?」
「……はあっ?」
 それは、長い沈黙だった。
 本当に、シーンと言う音が聞こえてきそうな気まずい静寂。
 永遠に続くかと思われた無音を破ったのは、一宮先輩と豊川先輩だった。
「っく……ははっ。おま、常泉……まあまあ、落ち込むな」
「ぷっはははは! ライバルだと思ってたの、レンズだけじゃん! そりゃ、あんなヒドイことしておいて、ライバルの座に収まれるわけないじゃんねえ!」
 爆笑する二人に、常泉先輩の眉間のシワがさらに深く刻まれていく。
「イッサ。トウジ。お前らあ……ッ」
 その時、ザザザと楽屋に取り付けられたスピーカーからノイズが入った。
『ただいまより、十六夜市大演劇祭の表彰式を行います。参加者の皆様は、小ホールにお越しください……』
「とりあえず、行こっか! またゆっくり話そうよ。ヒミツ基地のみんな」
 豊川先輩が手を振り、一宮先輩が常泉先輩を引っ張っていく。
 あぜんとする私たちに、ウガツ先輩が言った。
「僕たちも行こうか。いよいよだ」
 私は、黙って頷いた。
 心臓がバクバクと踊り出す。
 私たちは、はやる気持ちを抑えながら小ホールへと急いだ。

 *

 私たちは———負けた。
 大賞は、配信集団ドラマ座。
 私たちは、審査員賞だった。
 ……負けちゃった。
 でも結構、清々しい気持ちなのも確かだ。
 どうしてだろう。
 そっか。全て、出し尽くしたから……かな。
 悔しいけれど、悔いはない。
 少しだけにじんだ涙をすぐに拭いた。
「これが、演劇かあ」

 ……すっごく、楽しいや!

 劇団ヒミツ基地に入団して丸一年、私とセントは十六夜中学校の二年生になっていた。
 ウガツ先輩と苅安賀先輩はいよいよ三年生に。
 日下部先輩と美土里先輩は中学校を卒業していった。
 結局、美土里先輩たちがいる間に、演劇対決の決着はつかなかった。
 美土里先輩は「お互いが生きている間に必ず決着をつける!」と叫びながら卒業していった。
「どんだけ壮大な約束なんだよ」と苅安賀先輩は笑っていた。

 *

 とある日の放課後。劇団ヒミツ基地のリビング。
 セントがここぞとばかりに立ち上がり、叫んだ。
「もう限界です! 団員を増やしましょう! 営業活動をさせてください!」
 バアンッとテーブルが叩かれ、ガラスポットのルイボスティーがゆらゆらと揺れる。鬼のような迫力のセントだけれど、ウガツ先輩はほっこりとした顔でお茶を飲んでいるだけ。「鳥塚も怒りの表情がいたについてきたなあ」としか思ってなさそう。
 おそらく、セントもそのことは承知のうえ。気にせず話を続けた。
「裏方の表現の幅を増やしたいんです。それには団員の人数が圧倒的に少ないです。わかってますかっ?」
「わかっているよ。ああ、スーッとするなあ、このお茶は」
「明後日の方向を見つめないでください! もう手遅れってわかってる顔で」
 そう。時すでに遅し。今年の部活見学会はすでに終了してしまった。つまり、演劇をやりたい子はもう演劇部に入部しちゃってるんだよね。
 劇団ヒミツ基地への入部希望はゼロ。いっこうに話が進む気配のない会話に苅安賀先輩に泣きつくセント。
「ハイド先輩! 誰か心当たりありませんか?」
 すると、苅安賀先輩はコーラのペットボトルをペコペコやりながら、嫌そうにいう。
「……新入生ではないが、目ぼしいやつはいる」
「ええっ! 誰だい、ハイド! この際、小学生でも大学生でも、社会人でもいいよ!」
 やけくそぎみのウガツ先輩に、苅安賀先輩は「口にしたくもない」と苦虫を噛み潰したようにその名前を口にした。
「日下部先輩と美土里先輩だ」
 聞きなれた名前に、私は「へっ」と目を丸くした。
 その時、
 ———ガラッ
 リビングの扉が開けられた。
「やあ、ヒミツ基地くんたち~! 入団しにきたよ~」
「えッ!」
 まるで図ったかのように現れた、日下部先輩と美土里先輩。日下部先輩は、ヒーロー登場といったテンションだ。
「ど、どういうことッ?」
 二人とも、高校の制服を身にまとっててなんだか新鮮だなあ、って違う違う。どうしてここに!
「先輩がた、お久しぶりです」
 苅安賀先輩がソファから立ち上がって挨拶をすると、美土里先輩が素早くそれを制した。
「ゲッコー! 俺は納得してないぞ! 先日までライバルであった劇団ヒミツ基地にそうやすやすと入団など……」
「ムック」
 日下部先輩の声のトーンが変わる。ツンケンしたオオカミみたいだった美土里先輩は、一瞬にして、縮こまったポメラニアンみたいにぷるぷる震えだす。
「そんなこと気にしているから、君はいつまでたっても常泉先輩に叶わないんだよ。君に足りないもの。そう、それは〝柔軟な発想〟だ。さあ、いおう。〝俺も劇団ヒミツ基地に入ります〟と」
「それは本当に、じゅ……柔軟な発想だといえるのか?」
「もちろんだよ、ムック。上を目指すなら、君にとっての茨の道を選ぶ選択も、必要なんじゃないのかな」
 優しくほほ笑んでいる日下部先輩だけど、一歩間違えば、まるで脅迫シーンのようだ。まあ、美土里先輩はこうでもしないといつまでも意地をはってそうだもんね。
「わかった。俺も……劇団ヒミツ基地に……再び、に、にににに入団しよう」
「おおっ! やったじゃないか! 一気に団員が二人も増えたぞ!」
 大喜びのウガツ先輩。しかし、苅安賀先輩は少し複雑そう。そりゃ、そうだよね。苅安賀先輩とは犬猿の仲だし……。
「……コーラ、切れたな。買いに行くのが面倒だ」
 コーラかい! それがなくなったせいで、変な顔してたんですねっ。
「なんだ、沈丁花。変な顔してるぞ」
「先輩のせいですよ!」
「は? 何で俺のせいになるんだ。いい度胸じゃないか。何なら、今からエチュード対決でもするか」
「何でそうなるんですか!」
 それを耳ざとく聞きつけたウガツ先輩が、ハッピーオーラ全開で駆け寄ってくる。
「いいじゃないか! さっそく始めよう。〝劇団ヒミツ基地・エチュード対決〟を! 全員稽古部屋に走れ!」
 号令と同時に、ウガツ先輩と日下部先輩がリビングを飛び出して行った。
 苅安賀先輩と美土里先輩はにらみ合いながら、その後に続く。
 それを眺めながら、セントが苦笑する。
「……楽しく、なりそうだな?」
「うるさくなりそうだな、とも言えるね」
「ふはは、確かに」
 でもやっぱり……楽しくなりそう、ともいえるかな!



 木もれ日があふれる稽古部屋、私たちは喜怒哀楽を稽古する。
 次は誰の人生を演じるだろう。
 私の舞台は、まだはじまったばかりだ。


 おわり
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...