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ファニー・キャスト

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 翌日。劇団ヒミツ基地のリビングルーム。
 テーブルに山積みになった脚本を前に、私は目をぱちくりさせていた。
 なんだろうこれは、と思っている私を横目に苅安賀先輩が言った。
「演劇部のせいで大幅なロスタイムだ。大演劇祭まで残り二か月と三週間ほど。未だ、脚本も決まっていない状態だ」
「まさか、この大量の山から大演劇祭でやる台本を探すんですか?」
「そうだ。何か問題でもあるのか、沈丁花」
 演劇部との対決以来、苅安賀先輩は私のことをちゃんと名前で呼んでくれるようになった。
 それは、めちゃくちゃ嬉しいんだけれど。
「問題って言うか、この大量の脚本たちを今から読むってことですよね。一日じゃ終わらないんじゃないですか」
「仕方ないだろう。時間がないんだから。いい舞台にするには、脚本選びが一番大事だ。これは、演劇部との対決じゃない。大演劇祭という大舞台の脚本だ。一番慎重になるべきだ」
「そうですけど~」
 こんなにあったんじゃ、何が良い脚本なのかもわからなくなりそう。
 ……なんて言ったら、苅安賀先輩にどやされそうだけど。
「ルイ、お前はどう思う。俺は前も言ったがSFだな。この山のどの辺にあるのかわからないが」
「……そうだね。ずっと考えていたんだけれど」
 ウガツ先輩は、私たちの方へしっかりと向き直る。
「やっぱり僕は、大演劇祭の脚本はゲッコー先輩に書いてもらいたい」
 一瞬、場が静まり返った。
 初めに沈黙を破ったのは、もちろん苅安賀先輩だ。
「いや、勝負は引き分けだ。俺たちはまだ勝っていない。ゲッコー先輩に書いてもらうには、演劇部にきっちりと勝利をしないことには」
「常泉先輩に勝つには、ゲッコー先輩の書いた本が必要なんだよ」
 ウガツ先輩の強いまなざしに、苅安賀先輩は大きく息をついた。
「確かにそうだ。だが、美土里先輩がなんと言うか……」
「あの~先輩がた。日下部先輩からメールがきましたけど」
 勢いよく反応した先輩たち。
 セントが脚本の山の頂上にスマホを乗せると、私たちは全員でそれをのぞき込んだ。

 ———ヒミツ基地くんたち、お疲れさま。
 僕の最高傑作が完成したよ。
 実はずっと前から書きたかった内容の話だったのだけれど、役にぴったりの演者が見つかったんだ! だから、すらすら書けたよ。
 時間もないことだし、今すぐ取りに来てほしいな。よろしくね———

 苅安賀先輩は心底驚いた顔をしている。
「ど、どういうことだ、これは? ルイ、お前……事前に日下部先輩に脚本を依頼していたのか」
「いや、僕は何も」
 ウガツ先輩も首を振った。
「とりあえず、行ってみよう。演劇部の部室に」
 メールを読んだとたん、ウガツ先輩の表情はいつもの明るいものに戻っていた。
 よかった。先輩の元気がないと調子が狂っちゃうもんね。

 *

 外はもう夕方になっていた。
 学校に戻った私たちは、さっそく演劇部の部室に向かおうと、校門をくぐる。
「おい」
 振り返ると、銀杏の木の影に美土里先輩が立っていた。
「ムック先輩、何してるんですか」
 苅安賀先輩の出会いがしらの挑発は、もはや伝統行事だね。
 でも、美土里先輩が持っているものを見て、すぐに何かを察したみたい。
「それ、ゲッコー先輩の書いた本ですか」
「そうだ」
 三十枚ほどの紙の束がクリップで留められている。
 それが、四冊。四人分の〝台本〟だ。
 美土里先輩は、それをウガツ先輩に差し出した。
「ゲッコーからだ」
「何で、ゲッコー先輩は僕たちに脚本を書いてくれたんですか?」
「さあな。何かを見て、面白そうな話が思いついたんだろう。あれは、生粋の物書きだからな。まあ……うまくやれ。劇団ヒミツ基地」
 そう言って、その場を立ち去ろうとする美土里先輩。
「ありがとうございます、ムック先輩。〝あの時〟も……」
 ウガツ先輩の言葉に、美土里先輩が振り返る。
「俺はあの時、自分が正しいと思ったことを言ったまでだ。常泉先輩よりも、自分の考えの方が正しいと」
 すると、今度こそ美土里先輩は行ってしまった。
「ウガツ先輩」
 見上げる私にウガツ先輩は、眉尻をさげた。
「一年前、僕が演劇部に部活見学に行った場所に、ムック先輩もいたんだよ。一年のときは、ずっと帰宅部だったみたいでね。ゲッコー先輩に誘われて演劇部に入ろうと決めたみたいだったんだけど」
 手にした台本に視線を落とすウガツ先輩。
 その横顔を夕陽が照らしていた。
「常泉先輩が僕の入部を拒んだとき、ムック先輩だけが常泉先輩に反論してくれたんだ。〝そんなことを言うのはおかしいです〟ってね。もちろん常泉先輩は取り合ってくれなかった。でも、僕は嬉しかったよ。おかげで気落ちすることなく、すぐに自分の劇団を立ち上げることが出来たんだからね」
「常泉先輩がいる演劇部に入りたくなかったらしいムック先輩が、ヒミツ基地に入ったのは俺が入団した後だ。まあ、俺とケンカの日々だったんだがな」
 苅安賀先輩が面白くなさそうに、頭の後ろで手を組んでいる。
「だが、ゲッコー先輩は何で俺たちに台本を書いてくれたんだ?」
「そこですよね……」
 苅安賀先輩とセントが不思議そうにしている。
「まあまあ。先輩がどんな話を書いてくれたのかも気になるじゃないか。聞いてみるのは、それからでも遅くないんじゃないかな」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、いったんヒミツ基地に帰って、台本を読んでみようじゃないか」

 *

 劇団ヒミツ基地の演劇小屋で、私は初めての〝台本〟というものを手にしていた。
 これだけでもう、わくわくが止まらない。
受け取った台本の表紙に、タイトルが書かれている。
「……このタイトル」
 私は目を丸くして、それを読み上げた。
「『ファニーキャスト』 脚本・日下部月光……。演劇の話なんでしょうか」
 パラッとページをめくってみる。
 すると、登場人物の一覧が載っていた。
「えっ!」
 そこに書いてある文字の羅列に、つい声を張り上げてしまう。
「何で主役のところに、私の名前があるのっ?」
 混乱する頭で、何度も読み返す。
 しかし、いくら読み直しても、書いてあることは変わらない。
「なるほど。ゲッコー先輩が言っていた、ぴったりの役者っていうのは沈丁花くんのことだったようだね」
 ウガツ先輩がニコニコ顔で言った。
「〝当て書き〟ってことか」
 苅安賀先輩が、感心したようにアゴに手を当てている。
「当て書きって……?」
「その登場人物を演じる役者をあらかじめ決めてから、脚本を書くことだよ。主役だなんてすごいじゃないか、マシロ!」
 バシン、とセントに背中を叩かれるけれど、私はどうしても納得いかない。
 だって。
「なんで私が主役? しかも、この主人公〝男〟なんですよ———ッ?」
 私の叫びが、劇団ヒミツ基地のリビングにこだました。



 その日はもう遅くなってしまったので、そのまま解散することとなった。
 苅安賀先輩に「家でじっくりと台本を読んでくるように」と、クギを刺されつつ。
 しかし、家に帰った私は自室の机で「ううーん」と頭を抱える。
「日下部先輩はどうして私を主役に? しかも、男性役なんてっ!」
 ウガツ先輩も苅安賀先輩も、私が主役だということをすぐに受け入れちゃうなんておかしいよ。
 もう、大演劇祭まで時間がないのはわかってるけどさ。
「そうか……あの人たち、自分たちがスゴイ役者だから、一般素人のことをわかっていないのかも。一般素人は、いきなり男性役の主役なんてできないんだって、わかってもらわないと! よし、ちょっと調べてみよう」
 私はスマホの検索アプリを開き、検索ボックスに調べたいワードを打ち込んでいく。
「えーと……『演劇 性別 役 逆転』。これで出るかな」
 すぐに検索結果が表示された。
「わっ。男女逆転の舞台って結構あるんだなあ……」
 ずらずらと並ぶ検索結果をスクロールしていく。
 そのなかで気になったページをタップする。
「えーと、なになに……〝演劇において、異性の衣服をまとい演じることを『異性装』と 呼ぶ〟……」

 ———演劇部は、男子部員が少ないことが多い。そのため、女子が男役を演じる『異性装』がよく見られる。

「そういえば、演劇を描いたドラマや漫画も、女の子が主人公のものが多いかも。だから、異性装で役の幅を広げてるんだなあ」
 演劇界では、よくあること。
 なんら不思議な事態ではないことは理解できたけど。
 調べたら調べたで、思い知った。
 やっぱりいきなりの異性装の主役だなんて、私には大役過ぎ!
 今日はあまりにも驚きすぎて、何も言えなかったけれど。
 明日、先輩たちにきちんと言おう。
 〝さすがに無理ですよね〟って。
 スマホを充電器に挿すため、ベッドサイドのコンセントに手を伸ばした。
 そばのスツールには、目覚まし時計と小説を置いている。
 そしてもう一つ。
 読み聞かせを辞めるときに貰った、スクラップブックだ。
 私は、思わずそれを手に取った。
 ゆっくりとページをめくりながら、ぼんやりと眺める。
 図書館での読み聞かせの常連だった子たちからの、寄せ書きメッセージが貼られていた。
 覚えたての可愛い文字で、一生懸命に書いてくれている。
『ましろおねえさん たのしいおはなし ありがと』
『ましろおねいさんのえほん たのしかったです』
『ましろちやん だいすき』
 それを読むと、いつも胸がいっぱいになる。
 私の読み聞かせで、喜んでくれる人がこんなにもいたんだって。
 いつでも、読み聞かせの世界に戻れる。
 いつでも、逃げ出せる。
 でも……。
『ましろおねえさんのこえ とってもかわいいです
 わたしも おねえさんみたいに いろいろなおはなしをよんで
 みんなのことを えがおにしたいです』
 じんわりと、にじんできた涙をぬぐう。
 スクラップブックを胸に抱きしめる。
 みんなの思いが温かい。
「……まだ、やれる!」

 *

 放課後、私たちは劇団ヒミツ基地の演劇小屋に集合していた。
 リビングにて、おのおの『ファニーキャスト』の台本を手にしている。
「さて。台本は読み込んできたかな。じゃあ、さっそく本読みに……」
「待ってください!」
「どうした? 沈丁花くん」
「本当に、私が主役でいいんですか? しかも、男役で!」
「沈丁花くん。君、台本はしっかりと読んできたのかな」
「それは、はい……」
 主役と言うだけあって、セリフ量もハンパじゃなかったけど。
「それじゃあ、この台本を読んで、ゲッコー先輩の意図はつかめたかい」
「へっ。そんなものがあるんですか」
 ハッ。やばい、この流れは。
 案の定、苅安賀先輩の盛大な「はあ」と言うため息が聞こえてきた。
「沈丁花。それは、きちんと台本を読み込んだとは言えないな」
「じ、じゃあ、苅安賀先輩はわかってるんですか」
「当たり前だろう。この『ファニーキャスト』は演劇部を舞台にした青春。そして主人公・鞠沢マリオの設定はルイの生い立ちをもとに作られている」
「……はいっ?」
 ウガツ先輩をモデルにしてるってこと?
「それじゃあ、ウガツ先輩が演じたほうがいいに決まってるじゃないですかっ。何でわざわざ男女逆転劇……それも、その主人公を私がやるんですかっ」
「それだよ」
 苅安賀先輩と私の間に割って入ってきたウガツ先輩に、ビシッと指を突き付けられた。
 〝それだよ〟って、どれだよ?
「鞠沢マリオは、君の当て書きだと言っただろう」
「ウガツ先輩がモデルなのに……?」
「設定は僕だが、マリオ自身は君自身をイメージして書かれているということだよ」
 ウガツ先輩がややこしいことをサラリと説明してのける。
「今回のことについて、ハッキリと抗議してくる堂々とした姿勢。読み聞かせで鍛えられた、ハキハキとした滑舌。エチュードで成長したトチらず、流れるような言いまわし。君は僕と出会ったことよりも、とっても主人公だよ!」
「い、意味がわからないですっ!」
 すると、ウガツ先輩は「アッハッハ」と笑ってから、困ったように唸った。
「沈丁花くんは、〝異性装劇をやるにはぴったりの役者〟ということだよ」
 花が咲くように笑う、ウガツ先輩。
 苅安賀先輩が呆れたように言った。
「まったく。ルイは、いつも強引なんだ。説明も、新入部員の勧誘も」
 言いながら、ポリポリと頭をかく先輩。
「異性装演劇で有名な劇団があることは知っているか? 女性のみで構成されていて、もちろん男性役は女性が演じる。そして、学生演劇でも異性装演劇は当たり前にあるんだ。つまり男女逆転劇には魅力的な何かがある。それは——〝違和感〟だ」
「違和感が、魅力……? 普通に聞けば、マイナスなイメージの言葉ですよね」
「人は不完全なものに魅力を感じるんだ。何年たっても完成しない塔、なかなか成就しない恋愛漫画、壊れかけの苔むした廃墟。写真や絵画も被写体を中心に添えるよりも、少し左右にずらした方がしっくりくると感じる。女性が男装している漫画が爆発的にヒットしたマンガもたくさんある」
 そういえば昔、映画で見たっけ。
 事故で、男女の魂が入れ替わってしまったっていう内容のやつ。
 男女入れ替わりもので、男装とは違うけれど……確かに、面白かった。
「でも、どうして私なんですか」
「お前がとあるスキルにおいて、非常に優秀だからだ」
 苅安賀先輩が言った。
 それは、ウガツ先輩がたびたび私に言っていたことだ。
「それって、いったい何なんですか?」
「〝他人を理解し、分析する能力〟だ」
「私が……ですか?」
 すると、ウガツ先輩が深くうなずいた。
「エチュードや普段の生活のなかで、君はその能力を知らず知らずに、発揮していたんだよ。〝他人を理解し、分析する〟。自分じゃない誰かになる役者にとって、もっとも大切なものだ」
 ウガツ先輩は、私に『ファニーキャスト』の台本を手渡しながら言った。
「ゲッコー先輩は、見抜いていたんだ。君の力を。だから、この男女逆転劇の主役に君を当て書きした。この作品の主人公は、君だ——沈丁花マシロくん」



 『ファニーキャスト』 脚本・日下部月光

 主人公 鞠沢マリオ役 沈丁花マシロ
 部長  円藤エニシ役 宇月ルイ
     部員・先生役 苅安賀ハイド

 アンサンブル県スプーキー中学校。
 そこにひとつの部活動があった。
 それは……エンゲキブ!
 自分ではない誰かを演じ、物語のなかを生きる唯一無二の芸術!
 しかし、そのエンゲキブには一人の問題児がいた。
 名を、鞠沢マリオ。
 彼はエンゲキなどに、興味はない。
 興味があるのはただひとつ。
 このエンゲキブに彼の大好きな小説『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』を演じてもらうこと!
 マリオは『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』をなんとしてもエンゲキにしてもらうためにエンゲキブに入ったのだ。
「そのためなら、どんなこともする!」
 入部初日にそう宣言したマリオに、部長の円藤エニシは言った。
「じゃあ、まずはそのキャバリなんとかが何なのか、教えてくれないかな」
「犬です」
「犬は無理だよ。舞台にあげられないからね。だから、エンゲキにすることはできないかな」
 エニシにそう突っぱねられても、マリオは諦めなかった。
 発声練習用の早口言葉は『キャバリア・キングチャールズ・スパニエル』。
 エチュードでは必ず、犬役。
 そして、犬役がとてつもなくうまい。
 四足歩行、吠え方、徹底して人間味を出さない完璧主義。
 エニシはたずねた。
「どうしてそんなに犬役がうまいの?」
「好きだからです。だから、研究してるんです。犬のことを」
「なぜ、そんなにこの『空飛ぶキャバリア~』をエンゲキにしてほしいのかな」
「それは……演劇にすれば、自分のすぐ目の前で『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』の世界を体感できるからですよ。俺は、この小説のおかげで……もう一度エンゲキをやろうと思えたんです!」
 マリオは幼いころ、特撮番組を見て、自分も演技というものをやってみたいと思った。
 そのことを母親に言ったら通わせてくれたのが、子どもエンゲキ教室。
 そこでさらにエンゲキを好きになったマリオは、一気に才能を開花させた。
 しかしそれゆえに、あまりにも他の子と差がついてしまった。
 教室の先生は言いにくそうに、マリオにこう言った。
「もう、マリオくんは上手だから、この教室には通わなくてもいいんじゃないかな」
 意気消沈するマリオ。
 そんな時に出会ったのが『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』。
 突き抜けるほどにおかしくて、そして切ない。
 一匹の犬が大暴れする、シュールコメディだ。
 尽きることのないマリオの情熱についにエニシは、負けた。
 そして『空飛ぶキャバリア~』をエンゲキ化することを決意。
 スプーキー中学校演劇部が本気を出す。
 犬を擬人化した、エンゲキ。犬役はもちろん、鞠沢マリオ。
 この劇で、エンゲキ大会に挑んだ。だが結果は……選外だった。
 しかし、マリオの挑戦は止まらない。
「次はもっともっと上の賞を目指す! この『空飛ぶキャバリア・キングチャールズ・スパニエル』で!」
「いやいや。今度は違う脚本にしようよー!」
 エニシの叫びが、空にこだました——。



 ヒミツ基地四人での台本の本読みが終わり、私は息をついた。
 これが日下部先輩が書いた脚本。
 ウガツ先輩の生い立ちを生きる、マリオ。
 そして私が演じる、マリオ。
 いや……難しすぎるよ~!
 何なの、キャバリア・キングチャールズ・スパニエルって。
 めっちゃ言いにくいんだけど!
「ほ、本当に私がマリオ役をやるんですか」
「まだそれを言うのか、沈丁花」
 ギロッと苅安賀先輩が睨み付けてくる。
 うう。少しは優しくなれたかと思ったのに!
「男性役なんて、どうすればいいんですかっ。私、女なんですよ。ガニマタで歩くとか?」
「マシロ。男だったらガニマタってイメージなのか?」
 セントがくすくす笑ってくる。
 そりゃあ、セントや先輩たちはガニマタ歩きなんてしてないけどさ!
「女性だってバレないようにするには、どうすればいいんですかね」
「何で、女性が演じてることを隠す必要があるんだい」
 ウガツ先輩が言った。
「沈丁花くん。これを見てくれないか」
 ウガツ先輩がソファから立ち上がった。
 そして、右手をスッと前に出す。
 指先を真っすぐに、動きはやわらかく。
 唇をきれいに弓なりに結び、ふんわりと笑む。
 いつもの先輩の笑い方とは、どこか違う。
 背をスッと伸ばして。
 左足をななめ後ろに引き、もう片方は軽く曲げる。
 両手は腰のあたりで何かをつまむ動作をする。
 これ……ドレスのすそを掴んだんだ!
 そのままゆっくりとドレスのすそ持ち上げ、礼をする。
 体育ジャージを着ているハズなのに、ちゃんとドレスを着ているように見える。
 優雅で、上品な動き。
 すごい……これが、ウガツ先輩の女性役。
「どうかな。それじゃあ、男性だとどうなるだろう。見てて」
 ウガツ先輩はそろえていた両足を肩幅に開き、胸をはる。
 さっきは華奢な女性にしか見えなかったのに、それだけでしっかりと男性に見える。
 胸に右手を当て、左腕は大仰に伸ばす。
 左足をさっきと同様に下げ、礼をする。
 女性と男性の仕草。
 それをしっかりと意識するだけで、こんなにも変わってくるんだ。
「沈丁花くん。〝分析〟は、できたかな」
「そのために、今のを見せてくれたんですか」
「君なら、すぐに理解できるだろうと思ったからね」
 楽しそうな、ウガツ先輩。
 本当に演劇が好きなんだな。
 すると、セントがニヤリと笑った。
「マシロ。今から、ウガツ先輩とエチュードやったらどうだ? 〝男女逆転〟で!」
「いやいやいやいや、何言ってんのセントッ?」
 出たよ。腹黒・鳥塚セントが!
 絶対、面白がってるよね!
 でも、もう手遅れ。
 だってウガツ先輩が、目を輝かせてるんだもん。
「いいアイデアだ、鳥塚くん! さっそく行こう、稽古部屋に!」
 やっぱりこうなるかあー!



 すぐさま、稽古部屋へと移動した私たち。
 苅安賀先輩とセントが見守る中、男女逆転エチュードが始まろうとしていた。
「ウガツ先輩が女役。マシロが男役というのは決定。設定の舞台は……どうします、ハイド先輩」
「そうだな。せっかくだから、兄妹設定でいこう」
 思わず「ええ……?」とつぶやいてしまう。
 私が兄で、ウガツ先輩が妹。
 頭がこんがらがりそう!
「よろしく、沈丁花くん」
「よ、よろしく……お願いします……」
 苅安賀先輩が、手をパンと叩く。
「それでは、エチュードスタート!」
 は、始まっちゃった!
 私は、今から男役。ウガツ先輩のお兄さんだ。
 まず、男性になりきらないといけない。
 立ち方は、肩幅に開いて、胸をはる。
 おお、なんか……こうするだけで気分が男性になったような感じになってくる。
 ウガツ先輩はというと、手を後ろに組み前かがみになって、何かをのぞいている。
「このコンビニ、今日発売のジョンプ、売り切れっぽいね~」
 ウガツ先輩、しゃべり方まで女性っぽくなってる。ちょっと可愛い。
 私も男性の喋りかたを意識する。
 さっきの本読みの時に気づいたんだけど、低くし過ぎるとわざとらしくなるんだよね。
 だから、地声のちょうどいい低いところを探す。
 しゃべり方は、セントを参考にしよう。
「最近人気だった連載が、最終回だったよな。お前、あれ読んでたの」
「電子でね。でも最終回は紙で買うべきだったかなあ。数十年後にプレミアつきそうじゃない?」
「いや、ムリだろ。みんな買ってたし。つくなら、数千年後じゃないか」
「教科書に載るレベルじゃん!」
 テンポよく、会話が続いてる。調子いいかも。
 しかし少し気を抜くと、自分の仕草に戻ってしまう。
 これは、ふだんよりも集中力を使うかもしれない。
「ねえ、お兄ちゃん。新発売のポテチあった。買いたい」
「視力よすぎだろ……。勝手に買って来いよ」
「お金ない。貸して」
 ウガツ先輩が小首を傾げて、手を差し出す。
なのに、あざと過ぎず、とても自然だ。
 すごい。女性の仕草が研究しつくされてる。
 私はというとあまり動くとボロが出そうで、うかつに動けずにいた。
 やばい。棒立ちになっちゃうよ。
「……何で貸さないといけないんだよ。ポテチくらい明日でいいだろ」
「だって、今食べたいの。お兄ちゃんも食べたいでしょ。肉じゃが味のポテチ」
「……わかったよ。行って来い」
 バックポケットから財布を取り出し、そこから小銭を取り出す動作をする。
 やっと、しっかりとしたパントマイム。
 そして、ウガツ先輩の手の平に適当に渡す。
「サンキュー、お兄ちゃん。それじゃあ、行ってくるね」
 コンビニの中に入っていく妹を見送る、兄。
 財布をポケットにしまったところで、エチュード終了。
 苅安賀先輩が、「はあ」と息をついた。
「沈丁花、動きが硬すぎだ。パントマイムをもっと積極的にやれ。それじゃあ、男性の演技をしているとはいえない。ただの棒立ち人間役だぞ」
 ご、ごもっともです……。
「肉じゃが味のポテチには、〝なんでジャガイモの菓子に、ジャガイモ味のフレーバーが出るんだよ!〟ってツッコんでほしかったなあ」
 ウガツ先輩に残念そうに言われるけれど。
 すみません、そんな余裕なかったです!
 はあ。私、マリオ役……ちゃんと演じれるのかな。

 *

 鞠沢マリオ役を極めるため、私は……人間観察を始めた!
 学校のクラスメイトはもちろん。
 町ですれ違う人、テレビの芸人やタレント、動画サイトの配信者。
 あと、男女が逆転した演劇のDVD。
 ウガツ先輩が貸してくれたんだ。
 仕草、表情、話し方。
 歩き方から、目線の動き。
 何度も何度も見返した。

 そして……ついに大演劇祭まで、残り一か月。
 いよいよ、通し稽古が始まった。
 通し稽古っていうのは、冒頭から終わりまでを一通り演じ切る、稽古のこと。
 主役のマリオは主人公だけあって、セリフが多い。
 相変わらず、私がひんぱんにトチるから、なかなか稽古が進まない。
 やっぱり何度も同じシーンでつまずいてしまう。
 どんどん、主役への自信がなくなっていく。
 その度に『ヒーローたちのヒミツ基地』のときに苅安賀先輩が言ってくれた言葉を思い出す。
 ———自信のないやつは舞台で輝けない。そんなやつの芝居、誰が見たいんだ?
  役の人生を背負うからには、私は舞台の上で輝かないといけない。
 〝鞠沢マリオを輝かせる〟ために、私はとことん走り続けた。
 ……とは言っても、主役という重みはズッシリと私の背中にのしかかっている。
 学校の昼休み、私は誰もいない屋上に座り込み、空を見上げていた。
 ふわふわの雲、猫が丸まっているみたいだ。
「雲も、猫を演じているのかなあ」
「面白いことを言うなあ、君」
 ビクッと肩が跳ね上がる。
 てっきり、誰もいないと思ってたから。
 後ろに、カジュアルな服装の男の人が立っていた。
 あれ? ここ学校だよ、制服は?
 男の人は目を細めると、座ったままの私を見下ろしてくる。
「さっきのセリフ……君、演劇かなんかやってるの?」
 この人、口調がハキハキしてる。聞きやすいし、滑舌も滑らか。
 まとうオーラも、きらきら輝いている。
「え……っと、一応……」
「へえ~なるほど。君、演劇部の一年生? 俺、その演劇部を久しぶりに見に来たんだけど、早く来すぎちゃってさ。ここで昼寝してたんだよね」
 なるほど。そこへ、私が来ちゃったわけですね。
 ……って!
「まさか、演劇部のOBの方ですか」
「そう。レンズチャンネルって知らない? 動画サイトで、演劇関連の動画あげてるんだ。界隈だと結構有名なんだよ、俺」
「えっ。レンズって……もしかしてあなたは、常泉レンズ先輩ですか?」
「うん、そうだよ。やっぱり知ってたかあ」
 この人が、常泉レンズ先輩……!
 ふと、頭によぎったウガツ先輩の浮かない顔。
 常泉先輩が大演劇祭に出ると知ったときのウガツ先輩は、明らかに元気がなかったように見えた。
 あんなウガツ先輩を見たのは初めてだった。
 それは常泉先輩が、演劇に入部しようとしたウガツ先輩を追い出したからだ。
「いやあ、ムックに〝演劇部部員はチャンネル登録強制だぞ〟って言っておいたからな。ははは、ちゃんと働いてるじゃん、現部長」
「先輩、演劇部に何のご用だったんですか」
「今度、大演劇祭があるだろう? 俺も出るからさ。OBである俺の応援に来てもらおうと思って。たくさん応援がいたほうが、やるほうもテンションが上がるじゃん」
「先輩は、高校の演劇部として出るんですよね」
「いや、俺は自分の動画チャンネルの常連メンバーで出るんだよ。よく動画内でコントやってるやつらがいるでしょ。あいつら」
 先輩は、私が動画を見ているものだと思い込んでいるみたい。
 つまり、私のことを演劇部の部員だと思ってるんだよね。
 でも、ごめんなさい。
 ぶっちゃけ、常泉先輩のチャンネル、見たことないんです。
「ウガツ先輩の劇団も、大演劇祭に出るんですよ」
 私の言葉に、常泉先輩がピクリと反応する。
「ああ、アイツなあ」
 とたん、常泉先輩と目が合わなくなってしまう。
「……宇月ルイ。ちゃっかり自分の劇団を立ち上げてるなんてさ。すげえよなあ。まあ、その悔しさのおかげで俺も自分のチャンネルを立ち上げることができたんだけど。今やチャンネル登録者数十万人超えだよ! 俺は着々と認知度を上げている。知ってる? 俺、学生演劇界の主人公とまで呼ばれてるんだよ。このまま、俳優デビューまでまっしぐらに駆け抜けてやるさ。どう? ウガツなんて目じゃないだろ」
 あれ———常泉先輩って、まさか。
「先輩。ウガツ先輩に……嫉妬してるんですか?」
 すると、常泉先輩はスッと表情を消した。
「はは。そうやってハッキリ言ってくるやつってあんまりいないよ。君、おかしな子だね」
 こちらを振り返った常泉先輩。
 唇は笑っているのに、その目は一ミリも笑っていない。
 その奥で、ほの暗い感情が渦巻いているのが見える。
「うーん。やっぱり君、おかしいよ。演劇部のくせに、ずいぶんとウガツの肩を持っているように見える」
「演劇部に入部していたら、ウガツ先輩を敵に回さないといけないんですか」
「俺の時はそうだったよ。次の部長も、演劇対決を申し込んだりしてウガツの劇団をツブそうとしていたしさ」
 いや、それはただ単に美土里先輩が苅安賀先輩に敵対心を燃やしていただけですよ。
「とにかく、ウガツ先輩をいじめるのはもう止めてください。年上なのに大人げないですよ」
「……君、演劇部じゃないな。もしかしてウガツの劇団の団員か?」
「はい」
 今さら隠すほどのことでもないと正直に言った。
 すると常泉先輩は突然、笑い出した。
「さすがの演技力だね。演劇部の部員のフリをして、俺から大演劇祭の演目の情報でも聞き出そうとしていたってわけ?」
「えっ」
 いや、そんなつもりはなかったんだけど。
 演技なんて一ミリもしてなかったし。
「あの、ウガツ先輩のこと、嫌いなんですか」
「うん。俺より才能のあるやつは、全員嫌いなんだ」
 すごく自己中心的な人だけど、ものすごく正直な人だな。
「部活見学の時に、ウガツ先輩に〝君はもうすでに演技がうまいじゃないか。これ以上上手くならなくてもいいんじゃないか〟って言ったらしいですね」
「言ったよ」
「なんでそんなこと言ったんですかっ」
「その時は俺が部長だった。部長である俺よりうまいやつに教えることなんてないじゃん」
 さも当然だ、とばかりに常泉先輩は言う。
「あの日、新入生歓迎の劇を披露したんだよ。新歓では、劇の内容にかかわらず観劇している新入生を一人選び、いきなり劇に加えるくだりが恒例なんだ。初めてのアドリブを戸惑いながらもがんばるやつもいれば、頭が真っ白になっておろおろするやつもいた。まあ、どちらにしてもウケるから定番のくだりになってんの。でも……ウガツは違った。その年の新歓でいじり役に選ばれたウガツは、完璧にアドリブをこなした。台本の流れを崩すことなく、変な間を作ることもなく、相手の目を見てセリフを言うんだ。こいつは俺よりうまい。瞬時に悟った」
 常泉先輩は、淡々とウガツ先輩との過去を語った。
 まっすぐに、空を見つめて。
「でも入部を断るなんて、常泉先輩はやっぱりおかしいですよ」
「そうだなあ。今の話をしようか」
「今の話、ですか」
「ウガツは俺より……うまかった。今は俺の方が上だ。演技力でもアドリブ力でもね」
 私の顔をのぞき込む常泉先輩。
 その目には、きらきらとした自信が満ち溢れている。
「大演劇祭、君も出るの?」
 何を聞かれようとしているのかわからず、ただ「はい」とうなずく私。
「……脚本は誰?」
「えっと、演劇部の日下部先輩です」
「ふうん、ゲッコーの本か。それは強敵だな。あとは誰が出んの」
「私と、ウガツ先輩と……えっ、これって」
 大演劇祭の情報を聞きだされてるっ?
「はは、やっと気づいたね。面白いな、君」
「も……もう聞かれても、何も答えませんから!」
「別に今の質問じゃ、何もわからなかったよ。ゲッコー脚本は要注意だけど」
 そうなんだ……。
 一応、常泉先輩にバラしちゃったこと、先輩たちに報告した方がいいよね。
 苅安賀先輩にどやされそうなのが憂鬱だけど。
「そろそろ昼休みが終わるな」
「あっ、時間」
「じゃあ、大演劇祭で会おう。そう言えば君、名前は?」
「沈丁花マシロです」
「オッケー。またね、沈丁花くん」
 そう言い残し、常泉先輩は屋上から出て行った。
 バタンとドアが閉まったと同時に、ホッと胸をなで下ろした。
 ……緊張した。
 あれが、常泉先輩か。
 自分への自信で満ちあふれている人だった。
 今は、ウガツ先輩よりも自分のほうがうまい、って言い切っていた。
 それほどに日々を、演劇に打ち込んでいるんだろうな。
 私も、あんなふうに自信が持てたら。
 舞台で輝けるようになるのかな。
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