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全てを捧げる精霊魚

88 スペリトトの魂

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 ツビィロランは暗い城の中を走っていた。
 聖王宮殿は建物が横に長く階層も高くないので明るいが、この城はやたらと暗い。石造りの重厚な壁に厚い扉が時折現れるが、後を追ってくると思えた妖霊の王ジィレンが追って来なかった為、ツビィロランは兎に角離れるよう走った。
 下に下に、階段を探しては降りて行く。
 どこまで降りたか分からず立ち止まった。息が上がり肺が苦しいが、捕まるわけにはいかない。神聖力で身体強化をしようとしたのに、何故か上手くいかなかった。力が抜けるような感じがする。
 闇雲に走ったので、キョロキョロと辺りを見回した。窓がない為外の様子が分からない。
 止まって気付いたが、ドオォォンという地響きが聞こえる。
 何かが起こっているのだろうが、どうしようと悩んだ。
 あまりにもここが暗くて、もしかしたら地下まで来てしまったかもしれないと思い至った。もっとよく見てから走るべきだった。
 あの妖霊の王ジィレンの目を見ていると、ゾワリと恐怖が這い上がり、逃げることしか思いつかなかったのだ。
 自分らしくないと頭を振る。
 
「兎に角外を目指そう。」

 自分の行動を決める為に、言葉を口に出した。

「そんなこと言わずに是非見てもらいたいものがあるのですよ。」

 誰もいないと思っていたのに、急に声が掛かった。ゆっくりとした丁寧な話し方が、天空白露を思い起こさせる。
 声の方を見ると、ファチ司地が廊下の真ん中に立っていた。
 用心しながらファチ司地の様子を窺う。

「見てもらいたいもの?」

 ファチ司地は笑って頷いた。ファチ司地は確か精霊魚化できる天上人だったはずだ。神聖力も多いはずだがサティーカジィのように眩い金髪ではなく、薄い金色をしていた。瞳の色も同じように薄い桃色をしている。

「スペリトトの魂です。貴方をこの世界に連れてきた存在ですよ。会いたくはありませんか?」

 何故それを知っているのだろうかと疑問が湧く。
 ツビィロランの中に入っているのが、異世界から来た他人だと知っているのは、天空白露にいる数人と神仙国の女王コーリィンエくらいのはずだった。

「ああ、警戒しないで下さい。ジィレン様がスペリトトを捕まえて吐かせたのですよ。」

「捕まえた?」

「はい、透金英の親樹からようやく出てきたところを捕まえたのです。」

 それは竜の住まう山の頂上で、クオラジュがスペリトトの像に剣を突き刺した時だろうかと思った。あの時から全くスペリトトの存在を感じなくなっていたのだが、妖霊の王に捕まっていたのか。

「なんで捕まえたんだ?」

「分かりませんか?ジィレン様もシュネイシロ神を求められているのですよ。スペリトトに出来てジィレン様に造れないはずありませんからね。」

「つまりスペリトトから造り方を盗んだわけだ。」

 だが材料はどうするつもりだろうとツビィロランは警戒した。目の前の男は精霊魚だ。そして妖霊の王がいるということは、他にも妖霊がいるのかもしれない。魔狼と世界樹の葉はないと聞いている。
 何をするつもりなのかまだ分からなかった。
 ツビィロランは迷ったがついて行くことにした。
 ラワイリャンから見せられた過去のスペリトトは、シュネイシロに寄り添う穏やかな人間だった。戦いの時は勇ましく強かったが、常にシュネイシロのことを想い続けているのが分かった。この身体を作った時、どんな気持ちでいたのか考えると放置できない気がしたのだ。
 捕まっているというなら、逃がせないだろうか。


 
 ファチ司地の後をついて行くと、どんどん城の奥に進み、薄暗さが増してくる。これはいよいよヤバいかと、自分の判断の甘さを後悔し始めた頃、着きましたとファチ司地の足は止まった。完全にここは地下なのだと思うが、それにしては大きな扉の前だった。
 ファチ司地が手を翳すと、ヴゥンという音を立てて文字が浮かび上がり、ガチャンという重たい鍵が開く音がした。

「スペリトトは魂の存在ですので、満月の光で昇華してしまわないよう最下層に閉じ込めているのですよ。この部屋も月の光が一切届かないように作られています。」

 先に入ったファチ司地に続いて中に入りながら、扉が自動で閉まろうとしていたので近くに転がっていた箱をソッと足で動かして挟めた。
 こちらへ、と手で促しながらファチ司地は真っ直ぐ歩いて行った。大きな部屋には蝋燭の炎が、壁に掛けられた燭台の上で燃えていた。中はとても暗い。
 
 案内されたのは部屋の奥の更に奥。壺を指差された。大きさで言えばツビィロランの腕で抱えれそうなくらいの大きさだった。

「え?この中?」

「そうです。」

 当たり前だと言わんばかりの様子に、ツビィロランは狼狽えた。スペリトトは人だ。魂とはいえ壺の中に?

「開けていいの?」

「術が掛けられておりますので、出ることも外の光が中に入ることもありません。ご安心下さい。」

 何が安心なのか分からないが、ツビィロランは蓋を開けた。陶器で出来た見た目だが、思ったより重たい。
 中は空洞だったが、透明な何かがユラッと揺れている。まさかこの透明なものがスペリトトの魂?人の形すらしていない。

「喋れないの?」

「この壺に入っている限りはジィレン様が許可しないと喋れません。」

 じゃあ何故案内したんだと文句が言いたい。

「なんでこの状態のスペリトトを俺に見せたんだ?」

 蓋を再度被せるのが可哀想に思えて、手に持ったままファチ司地を振り返った。何かあったらこの重たい蓋を投げつけてやろうと思う。

「貴方も同じだからです。」

「は?」

「貴方もその身体から出れば同じなのですよ。」

 魂の形なんて分からない。クオラジュがラワイリャンの身体を作るときにスペリトトの像から回収した魂を器の中に入れていたようだが、ツビィロランにはあまりその魂が見えなかった。目に見えないものなのかと何となく納得していたのだが、このスペリトトの魂を見る限り本当に目には見えにくいものなのかもしれないと思った。
 それにしてもファチ司地の目的が分からない。
 ツビィロランはグッと蓋を握り締めた。
 
「なぁ、この中に手を突っ込んでも大丈夫なのか?撫でてみたいんだけど。」

「……さあ?どうでしょうか。」

 ファチ司地が何を言いだすんだと狼狽えたのが分かった。
 ツビィロランはズポッと壺の中へ手を突っ込む。中にいたスペリトトの魂は、突然入ってきた手に驚きヌルヌルと手に擦り寄ってきた。
 手を入れた瞬間に壺の表面に何か膜があるのだと気付いた。それは開けた蓋の部分を蓋の代わりに覆っている為、中のスペリトトには外の様子が分からないのだと知る。
 破れるか?
 ツビィロランは自分自身に確認する。身体から神聖力が抜けていっている。だがツビィロランの身体は無尽蔵に神聖力を生み出すことが出来る。出て行くならそれ以上作ればいい。
 ツビィロランはスペリトトの魂を握った。多分握っている。むにょっとした感覚が手のひらの中にあり、突然掴まれて慌てているのか分かった。

「少し我慢して。」

 スペリトトの魂はちゃんと聞こえたのか大人しくなる。なんだ、意外と素直な性格してるんだ?てっきりもっと凶悪なのかと思っていた。
 壺の中に思いっきり神聖力を叩き込んだ。ビキッとヒビが入り壺が一瞬で粉々になる。

「な!?」

 ファチ司地が驚いた。
 俺は驚いたファチ司地に思いっきり壺の蓋を投げつけた。ファチ司地の右肩にゴンっと当たる。
 呻いて座り込んだ横を、スペリトトの魂を持ったまま走り抜けた。このまま逃げてやる!
 またツビィロランは走って逃げた。手の中のスペリトトは透明なのではなく仄かに光っていた。おかげて落とさずに済みそうだ。箱を挟んで開けていた扉を潜り、スペリトトの魂を胸に抱えて出口がありそうな方向へと走った。

 腕に抱いたスペリトトがうにょんと右側に傾く。
 落としそうになり慌てて抱き直した。そっちの方向に何かあるのだろうかと、スペリトトが傾いた右側へ進む。それを何度か繰り返し、どうやら階段のある方へ導いてくれているのだと気付いた。

「ーーーはぁ、はぁ、……出たっ!」

 城の外に出ることができた。さっきから地響きと破壊音が鳴り響き、人が騒ぐ喧騒が聴こえてくる。出口に近づく程城の使用人達とすれ違ったのだが、誰もツビィロランのことに注目する人間はいなかった。皆逃げるのに必死だ。今出て来た出口が使用人専用の出入り口だったのが良かったのかもしれない。それに兵士はこの騒音の方へ行ってしまっているのだろう。
 ツビィロランは迷いながらも音の方に行くことにした。
 かなり遠くに出たのか、城の影になって見えない。

「………はぁ、はっ、うぐっ、はぁ、はぁ!」

 いつもは神聖力で身体強化しているのに、今は出来ない。息が苦しく足が疲れてきた。それでも漸く音の方に近付いた。

「!」

 さっき逃げたばかりの塔が見えた。塔は城の前面にあったようで、ツビィロランは裏口にいたらしい。
 空にはカラスのように黒い羽を背に羽ばたく妖霊達が無数にいた。それに対峙しているのはクオラジュだ。
 クオラジュの上にはイツズを抱いたサティーカジィが飛んでいて、空に浮かぶ渦を押さえているような格好をしていた。
 助けに来てくれたのだと嬉しくなるが、状況はあまり良くない。先程から感じている神聖力の使いにくさを、クオラジュ達も感じているのではないかと思った。
 更に走って近付いていく。
 クオラジュに見つけて欲しいが妖霊の王ジィレンも塔の上にいるので、派手に動けばジィレンの方に見つけられ捕まりかねない。
 樹々や建物の影を使って慎重に近付いていった。
 かなり塔まで近付くと、少し離れた場所に落ちていったフィーサーラとヌイフェンが座り込んでいるのが見えた。遠目にもわかる程フィーサーラの頭から血が流れている。
 走り寄って声を掛けた。

「ヌイフェン!」

 ハッとヌイフェンが顔を上げる。今にも泣きそうに藤色の瞳に涙を浮かべていた。

「神子っ!」

「ヤバいのか?」

「いえ、大丈夫です。頭だから出血がひどいだけです。」

 そうフィーサーラは答えたが、顔が青白い。

「俺を抱えて背中から落ちたんだ。」

 いくらしっかりしていると言ってもヌイフェンはまだ十四歳だ。動揺してどうしたらいいのか分からなかったのだろう。

「とりあえずここは危ないから離れよう。それから俺も上に行ってみる。」

「行かない方がいいです。ここは神聖力が失われていく。いくら神子でも限度があります。」

 フィーサーラが言うように、フィーサーラの真っ赤な髪は薄い赤茶色に変わり、ヌイフェンも本来の白髪に戻っていた。
 さっきファチ司地が話していたように、妖霊の王がシュネイシロの身体を作ろうとしているのなら、神聖力も大量にいるはずだ。その為に集めているのか?

「とにかく一旦離れよう。」
 
 よろけるフィーサーラをヌイフェンと一緒に両側から支えて歩き出す。背後からはクオラジュが放つ炎の豪球が次々と飛んでは妖霊達を落として燃やし城を破壊していた、さっきから続く地響きと轟音はこれだったらしい。

「この状況であれだけの攻撃を放つのも人間技ではありませんね。」

 汗を流しながらフィーサーラがぼやく。

「予言者の当主が押さえているあの渦が天空白露と繋がっていて神聖力を取り込んでいると思う。あんたが力不足ってわけじゃないよ。」

 おおっ、ヌイフェンがフィーサーラを庇っている。仲良いのか?開墾地の雑用も直接頼んでるしな。意外な組み合わせだ。

 俺達は城の正門に向けて歩いていた。距離があるしフィーサーラは俺達二人より身体が大きいので支えるのに必死で進まない。
 
「ツビィロラン!」

 前方から叫びながら走ってから人影が二人見えた。
 トステニロスとアオガだ。

「アオガっ!」

 叫ぶとグンッと二人は一気に距離を詰めて来た。二人共足が速い。

「赤の翼主は怪我を?」

 息も切らさずトステニロスが尋ねてくる。
 トステニロスにフィーサーラを預けてから、今までの経緯を話した。
 ヌイフェンがグラリと倒れる。え!?と驚き倒れたヌイフェンをアオガと支えると、真っ青な顔で口を抑えていた。

「あっ、バカっ!二人には話したらダメなんじゃない!?」

 アオガに言われてハッと気付く。あっ、精霊魚のこと話したらダメなんだった。俺が慌てるとトステニロスが制した。

「待って、こんなことがあった時の為にサティーカジィ様からいいものを貰っている。」

 トステニロスは懐から指輪を出した。それをヌイフェンとフィーサーラに一つずつつける。フィーサーラは怪我もあって意識朦朧だった。

「何それ?」

「一時的にだけど魂の契約違反の罰を緩めてくれるらしい。効果は指輪が壊れるまでしか保たないから、サティーカジィ様に早めに対処してもらわないとならないけどね。」

「てことは早く上をどうにかしなきゃか。」

 後ろ上空を見上げると、まだ戦闘は続いていた。
 次々と妖霊達がクオラジュを取り囲み攻撃を仕掛けている。クオラジュから炎の渦から回り、燃える黒い羽が落下していくのが見えた。

「秘密を喋ったはずのツビィロランはピンピンしてるのは何故?」

 アオガが不思議そうに首を傾げる。そう言われると何でだろう?失語になるんじゃなかったっけ?

「ここが神聖力を吸われる空間ってことと、ツビィロランの神聖力の多さが関係してるのかもね。罰を与えようにも魂の契約を弾いているのかもしれない。」

 契約する意味あるの?とアオガは意味ないよね~とボヤいている。トステニロスはそもそも予言者の当主より神聖力で勝てる人間が少ないからと笑って説明していた。魂の契約とはより神聖力の強い方が強制的にかけるものなので、強者は有利に、弱者は不利になるものらしい。

「その小脇に抱えているのがスペリトトの魂?」

 アオガが尋ねる。

「ああ、うん、連れて来たんだけど…。」

 トステニロスが思案気にスペリトトの魂を見た。そして手を出して受け取ろうとしたが、スペリトトの魂は仄かに明滅して嫌がった。

「あまりいい感じはしないけど、引き剥がすのに時間がかかりそうだね。」

「うん、とりあえず持っとくよ。」

 荷物じゃないんだからとアオガがツッこんでくる。
 クオラジュの戦闘にはトステニロスが行くことにした。俺達じゃ羽がないので飛べないからだ。
 正門まで戻ってフィーサーラを壁に寄り掛からせて、トステニロスは走って行った。
 
「私も早く天上人になりたい。」

 アオガの呟きに話しかける人物がいた。

「出来損ないのくせに偉そうにしないで。」

 女性の高い声だ。俺達はそっちを向いて驚く。

「ニセルハティ?」

 俺の問い掛けに、目の前に現れたニセルハティは嫣然と微笑んだ。





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