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全てを捧げる精霊魚

89 ニセルハティの自己愛

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 ニセルハティはツビィロラン達を見てふわりと穏やかに笑った。その姿は何かを悪巧みするような陰険さや腹黒さは一切感じさせないのだが、この場にそぐわない優し気な美しさがいっそ異様さを際立たせていた。
 アオガが庇うように前へ出る。

「何故ここに?」

 端的に質問した。
 ニセルハティは天空白露にいたはずだ。天空白露からネリティフ国までかなりの距離があり、そう簡単に来れる場所ではない。

「知っていますか?黒き羽の主人は時空を越えるのです。」

 ニセルハティの酔ったような物言いに、アオガははぁ?と顔を歪めた。しかも小声で「キモ。」と呟く。
 




 ニセルハティは精霊魚の特徴を持って生まれた。だが耳だけにしかそれは現れなかった。
 予言者の一族の特徴として最も求められるのは金の髪に赤い瞳だ。それは太鼓の昔にいた精霊魚の色でもある。
 ニセルハティの瞳の色は黄色だ。赤ではなかった。
 
「私がニセルハティを引き受けたのは、貴方の苦しみがわかるからですよ。」

 ファチ司地はよくニセルハティにそう言った。ファチ司地の瞳も赤というには色が薄かった。
 ニセルハティとほぼ同時期にサティーカジィが生まれた。魚の丸い瞳孔、鰭の耳、鱗の白い肌、どれをとっても精霊魚そのままの姿のサティーカジィに、初めて会った時ニセルハティは苦しさを覚えた。
 どうしてニセルハティは中途半端なのか。
 ファチ司地が言っていたのはこういうことかと理解した。
 良かった。一緒に引き取られなくて。もし一緒に育っていればニセルハティは嫉妬で狂っていたかもしれない。
 サティーカジィは早くから己の重翼の存在を予見していた。
 ただでさえ精霊魚化出来るのに、重翼まで手に入れれば、ニセルハティやファチ司地からどんどん遠ざかっていく。
 
 ファチ司地から妖霊の王を紹介された。
 未だ生まれないサティーカジィの重翼を、消してしまおうと誘われる。
 
「これを飲んで下さい。」

 ファチ司地から赤い液体を渡される。
 これは何かと聞けば、これは妖霊の生血なのだという。飲めば力が増す。予言者の一族とは昔精霊魚と言われていた生き物の子孫になる。シュネイシロ神の神聖力を浴びた人間と、婚姻を重ねた結果が今であり、シュネイシロ神は妖霊だったのだから、妖霊の生血を飲めば神聖力を増すことに繋がると言われた。
 
 神聖力を増す。それはつまり、サティーカジィを超えることが出来るかもしれないということ。

 だだサティーカジィにも、一族の誰にも見つかるなと言われた。
 ……………それでも。
 それでもサティーカジィを超えたい。
 躊躇わず妖霊の生血を飲んだ。
 
 ニセルハティとファチは、産まれたばかりのイツズを攫いその両親を殺した。そして同時期に生まれたアオガをサティーカジィのもとに送った。アオガの一族をたらしこむのは簡単だった。転がり落ちるようにアオガの一族は悪に染まっていった。
 イツズを殺すのはやめておいた。もしサティーカジィが重翼の死を予見すれば、怪しまれ調べられるかもしれないからだ。だから色無なのには驚いたが、花守主の屋敷に捨ててきた。

 神聖力の増幅はニセルハティに強さをもたらし自信を与えた。
 サティーカジィさえも超える予言を得るために、ニセルハティは妖霊の王に生血を求めた。
 もっと、もっと……!
 対価として神聖力を求められた。
 天空白露を手に入れろ。
 それはそう簡単なことではない。サティーカジィの予言を出し抜くのもファチ司地と一緒にやってようやく叶う程度。重翼の存在を見失うよう予言を上書きしたが、神聖力をゴッソリと失ったのだ。
 妖霊の生血が欲しい。
 もっと欲しい。
 予言の神子を作り、乗っ取るのはどうかと話し合った。
 ツビィロランは使い道があるから妖霊の王ジィレンから手を出すなと言われた。傷付けることは許さないと言われてしまった為、新たに作ることにする。
 青の翼主がロイソデ国に大量に透金英の花を渡していると聞き、一人の王女に目をつけた。
 ホミィセナを新たなる予言の神子にしよう。
 幼く扱いやすく、ツビィロランに嫉妬している。ツビィロランへの嫉妬を煽り、予言の神子に相応しいのだと言って近付けば、なんとも扱いやすい女だった。
 その計画に妖霊の王は手を貸してくれた。ホミィセナをより確実に替え玉とする為に、生血を分けてくれた。
 これで髪の色が変わる。
 自分達でさえ黒に変わることは許されていないのに………。そう思いながらもホミィセナに生血を与えた。何も知らないホミィセナは、妖霊の生血を飲んでしまう。
 髪が黒色に染まる。
 ホミィセナが予言の神子になるのだと天空白露で祭り上げられていくのを黙って見ているだけでよかった。
 問題はホミィセナの番を誰にするかだが、その相手も扱いやすい者にしなくてはならない。
 ファチ司地と密かに動いていると、ホミィセナは開羽してしまった。まだ十八歳だというのに……。思いの外青の翼主から透金英の花を貰っていたのだと後で知る。しかも天上人になって直ぐにツビィロランを殺してしまった。
 ニセルハティとファチ司地は妖霊の王から怒りを買ってしまった。あれ程傷付けるなと言われていたのに。
 ホミィセナの開羽が予想外に早かったのと、その後のツビィロランの処刑が早すぎて、何も出来なかった。しかもツビィロランの死体を回収してくるよう命令されたのに、死体はどこにもない。
 ニセルハティとファチ司地はツビィロランを見失ってしまった。
 遠見で探そうとしても全くわからない。
 それは中にいる魂が別人になっていた為だが、そんなことは知らないニセルハティ達は慌てた。
 天空白露だけでも手に入れて妖霊の王ジィレンに渡さないと……。
 そう思いホミィセナの側にいる為に『夜姫の会』を作った。ホミィセナがより予言の神子となるように。権力を握り、裏から操れるように。
 なのになんとなくおかしい。聖王陛下は大人しくニセルハティ達の思うままに動いているように見えて、天空白露が荒れることは一切なかった。この清廉潔白な聖王宮殿の内政を腐敗と堕落に塗れさせるつもりだったのに、変わらず天空白露は清らかに存在し続けた。
 それはツビィロランの身体が行方不明になってから十年変わらなかったのだ。
 ニセルハティとファチ司地二人がかりでも読めない未来、見えない遠見に、得体が知れない存在を感じた。神聖力で負けている。それは聖王陛下やサティーカジィとは違う、誰か別の存在。

 まさかホミィセナに寄り添い、ホミィセナが最も信頼して側に置いていた人物だとは思いもせず、天空白露が落ちて、漸く今になって理解した。
 あの妖霊の王ジィレン様とこの神聖力を奪われる空間で戦っているのだ。あれ程の神聖力を持っていればニセルハティ達には読めない。
 
 もっと、妖霊の生血が欲しい。
 
 ファチ司地と一匹の弱そうな妖霊を捕まえた。殺して二人で生血をとる。何故かファチ司地はその場で飲まずに懐に収めたが、ニセルハティは直ぐに飲んだ。
 神聖力が増すだけでは髪の色は変わらない。妖霊の王に認められなければならない。
 妖霊の王ジィレンは素晴らしい。素晴らしく美しく至高の存在だ。
 だからツビィロランを捕まえて献上しなければ。

 妖霊は王に絶対服従する生き物だ。死ねと言われれば死ぬことも厭わない。火だるまになろうとも戦えと言われたら戦う。
 現に今青の翼主と戦う者達は、火を浴びようとも戦っている。
 だからニセルハティはツビィロランを献上しろと命じられていたので、それを実行しなければならない。
 妖霊の生血を飲みすぎたニセルハティは、妖霊の思考に取り憑かれていた。

 

 アオガはヤイネから預かっている白い剣を抜く。前に構えてニセルハティに対峙した。アオガの神聖力は使えないが、普段から身体強化くらいしか使っていない。剣の技量はアオガ本来のものだった。
 例え攻撃が神聖力でも、斬る。
 
「ツビィロランを渡して下さい。ジィレン様に献上しなければ。」

 ニセルハティの背に金の羽が広がる。なのにその細腕に現れたのは黒い神聖力だった。

「精霊魚のくせに戦えるの?」

 予言者の一族は戦えない者が多い。しかもニセルハティは精霊魚化出来る。
 アオガはそれでも油断は禁物だと緊張を高める。

「武芸は正直苦手ですわ。貴方が特殊なのです。」

 ニセルハティはアオガが嫌いだ。美しく眩い金の髪に真っ赤な瞳。ニセルハティが欲しかった容姿を持っている。なのにニセルハティのように精霊魚の特徴が一つもない。美しく若いしなやかな青年だった。

「聞くけど、サティーカジィ様のこと憎んでるの?」

「…………少し違いますわ。私は欲しいのです。全てが欲しい。あの美しい鱗も大きな目も欲しいのです。でも…、黒き羽も欲しい。」

「ないものねだり?」

「努力すれば手に入るのだと知ったら、努力すべきですわよね?」

 アオガの片眉が呆れたように上がる。

「手に入るわけないでしょ?」

「いいえ、ジィレン様がくださると言ったのよ。」

 だから努力するのだ。
 サティーカジィの身体を捌き、その肉を鱗を、ニセルハティに融合出来ると言った。妖霊の王が欲しいのは精霊魚の花肉。しかもとびきり質のいい花肉が欲しいのだ。
 向こうから態々やってきた。
 ツビィロランだけ先に手に入れるつもりが、一緒についてきたのだ。
 手に入れろと何かが騒いでいる。妖霊の王の命令は絶対だ。

「アオガ、なんか変じゃない?その人。」

 ツビィロランが後ろから話し掛けてくる。

「そうだね。ていに言えば操られている?」

 でもこの女は自業自得だ。
 アオガは知っている。ホミィセナに擦り寄りながら、実際はホミィセナを嫌っていた。そしてアオガのことも嫌っていた。話す内容は穏やかで優しいのに、いつも刺々しい言葉ばかりだったのだ。
 サティーカジィ様のことを好きだから許嫁だったアオガのことを嫌っているのかと思っていたけど、どうやら全てのことを妬ましく捉える性格らしい。
 こんな面倒臭い人間はどんなに美しかろうとも嫌いだ。

「やっぱり素直で純朴なヤイネがいいよね。」

「突然の惚気。」

 後ろでツビィロランが呆れていた。

「最後のお別れはよろしいかしら?」

 ニセルハティは会話が途切れるのを待っていたらしい。ニセルハティの伸ばされた手の指が、サラサラと動く。集まっていた黒い神聖力が地面に落ちて広がり出した。
 アオガ一人なら逃げられるが、後ろには意識が朦朧としているフィーサーラと戦闘能力のないヌイフェンがいる。ツビィロランはピンピンしているが、狙われている本人なので前へ出て欲しくない。

「うわっ!?」

 背後からツビィロランの叫び声がした。
 しまった!と思い振り返る。ツビィロランの側にはいつの間にかファチ司地が立って、ツビィロランの腕を掴んでいた。

「ファチ司地!?」

 アオガの叫び声に、ファチは和かに笑う。

「やぁ、久しぶりですね。まさか予言の神子の護衛になるとは思いもしませんでしたよ。精霊魚化も出来ない子供と侮りすぎました。てっきり一族と一緒に大陸に捨てられるだろうと思っていたのに、サティーカジィ様に保護されるとは思いませんでしたよ。」

 ファチ司地はアオガの一族と懇意にしていた。今のファチ司地の言葉にアオガはピンとくる。

「うちの一族を巻き込んだな?」

 ファチの言葉にアオガはニセルハティの存在を一瞬忘れた。ファチは態とそう話したのだ。
 アオガの身体に黒い霧が纏わりつく。
 先程ニセルハティが出した黒い神聖力なのだと気付いた。あまり強くもない拘束だったが、神聖力がある時ならば直ぐに切ることが出来るが、今は無理だった。

「くそっ!」

 向こう側ではヌイフェンが、うわぁと叫んでいる。アオガと同じように捉えられ、気付いたフィーサーラが剣で切ろうとしていた。フィーサーラも神聖力が抜けて上手くいかない様子だった。

「アオガ!逃げろ!狙いは俺だ!」

 ファチに捕まっているツビィロランが叫ぶ。

「それじゃ護衛の意味ないでしょ!?」

 アオガも叫んで返すが拘束が解けない。

「大丈夫ですよ。皆んなで一緒に行きましょうか。」

 黒い霧が広がる。
 ツビィロランを、アオガを包み込み、フィーサーラとヌイフェンまで覆い尽くした。
 サァアァァァァと霧が晴れると、そこにいた六人は消えてしまっていた。













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