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空に浮かぶ国

14 昔は昔、今は俺

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 本物のツビィロランは幼い。あのまま生き続けても、きっとその本質は変わらず我儘で自己顕示欲が強かったことだろう。

 クオラジュはツビィロランが罪人として殺される前、忠告をしてくれていた。
 少し聖王陛下から距離を取り、宮殿には来ない方がいいと言われたのだ。ホミィセナに会う時も誰かがいる時がいいし、誰もいないなら自分が一緒についてきてもいいと言ってくれていた。
 ホミィセナとは二人きりになるなと忠告したのだ。
 そんなクオラジュの忠告も、逆上したツビィロランには届かなかった。翼主であるクオラジュも、予言の神子はホミィセナであり、ツビィロランは偽物だと考えていると捉えてしまった。
 ツビィロランの記憶を第三者の目から見ている津々木学からすると、決してそんなことはないと判断できる。
 純粋にクオラジュはツビィロランに忠告をしてくれただけなんだろう。
 その真意は分からないけど、ツビィロランの立場を悪化させないようにか、天空白露の神子を取り巻く環境を落ち着かせる為か、どちらにせよその時の騒動を収束させたかったに違いない。

 津々木学的にはその意見に賛成だ。理性的でいい判断だと思う。
 ま、ツビィロランには余計なお世話で、結局自滅してしまったけど。
 間違いなくホミィセナがわざと派手に倒れて持参したナイフを落としたんだろうけど、その時のツビィロランの低評価を利用して、ホミィセナが用意したであろう味方陣営に嵌められたのだ。
 クオラジュが言うように予言の神子に固執せず、静かに静観しておけば死ぬこともなかったのかもしれない。



 夜中に目が覚めて、そんなことをツラツラと考えていると眠れなくなってしまった。
 サティーカジィの屋敷はご飯も美味しく寝床も清潔で、津々木学の世界以来の快適な生活にすっかり気をよくし、晩餐を食べて早々と部屋に戻り寝てしまっていた。なので変な時間に起きてしまったようだ。
 ボーとした頭で散歩に行くかと部屋を出ることにした。
 天空白露は常春だ。暑くもなく寒くもなく、常に過ごしやすい一定の気温が保たれている。それは天空白露から発する神聖力の賜物だったが、今は少し肌寒い。
 遙か上空にある浮島なのだから、本来なら寒くて当然だろうと思った。このまま神聖力が薄まり続けると、そのうち空気も薄くなり息苦しくなるのだろうか。ほんと魔法の世界だなと思った。


 サティーカジィの屋敷はとても広い。天空白露創世の頃から存在する一族で、予言者スペリトトの子孫だと言われている。スペリトトの番であるシュネイシロ神も祖先なのだろうが、予言者の一族はあくまでもスペリトトの力しか受け継いでいなかった。
 そんな古い一族が持つ土地は広大で、聖王宮殿に近いにも関わらず山や川を所有している。イツズの薬材採取は全て敷地内で行うよう言われていた。
 明日も何やら採りに行きたいと言っていたのでそのつもりだ。

 夜の庭に出て屋敷の裏の森へと入っていく。そこまで奥に行かなければ小道もありきちんと整備されていて、散歩出来る程度の遊歩道といった作りになっていた。
 サラサラと小川が流れる音が聞こえる。小道から外れ傾斜を降り、細い小川を発見した。透明な水が流れ苔むした石が人の手が全く入っていないのだと伝えている。
 そこにはこの世界を象徴する物はなく、津々木学の記憶する前世と変わらない川と石と植物だけが視界を埋め尽くしていた。

「こうやって見れば何も変わらない。」

 人の手が入った建造物さえなければ、元の世界だと言っても違和感はないのに……。
 津々木学が死んだことも、ツビィロランになってしまったことも、ここが実は浮いた島であることも、何もかもが夢で、この森を出れば普通の家やビルが出てくるのではと思いそうになる。
 帰りたい。
 ふとそう思う郷愁に笑ってしまった。帰れるわけがないのに。
 家に帰れば両親がいて妹がくだらない話を振ってくる世界が懐かしい。十年も経ったのに、この気持ちが薄れることはなかった。妹もまさか本当に異世界に来るとは思っていなかっただろう。
 
 目を瞑り黙って佇み川の流れる音を聞いていた。

 トンと軽く肩に触れる感触に目を開けた。全く気付かなかった。ツビィロランになってから神聖力には敏感になった。十年経っても上手に使えるわけではないが、身体に内包する神聖力のおかげで他者が近付くとすぐにわかる。なのに肩に触れたクオラジュの気配は全く分からなかった。

「もうそろそろ戻りましょう。身体が冷えてしまいます。」

 自分が羽織っていた上着を脱いで肩にかけてくれた。クオラジュは優しい。その優しさは狡い。

 ……………クオラジュの優しさは、狡いのだ。

 そう思いながらツビィロランは氷銀色の美しい瞳を見上げた。不思議な瞳だと思う。まるで水の中に入っている透明な氷のようなのだ。
 
「そうだな。」

 これ以上クオラジュといると本当に絆されてしまいそうだ。
 裾の長い上着を引き摺らないように持ち上げて、降りてきた傾斜を上がり元の小道に戻った。

「……………なぁ、質問してもいいか?」

 黙々と屋敷に戻っていたが、沈黙に耐えられず話し掛けることにした。

「はい、なんでも聞いて下さい。」

 記憶の中のクオラジュとは打って変わって気安い。もっとツビィロランのことは下に見ていた気がするのだが、今のクオラジュはツビィロランが転ばないよう腰に手を添えて誘導してくれている。
 ……………この手は恥ずかしいからやめて欲しい。
 すす、と距離を取りながらコホンと咳払いをして尋ねた。

「あのさ、ずっと前のことだけど、俺がまだここにいた頃にホミィセナに近付くなって忠告してくれたことあっただろ?あれ何で言ってくれたわけ?俺のことそんな好きじゃなかったよな?」

 さっきなんとなく思い出したので聞くことにした。

「………ああ、以前の……。あれは貴方の身が危なそうだったので言ったまでです。」

「そんだけ?」

「はい。私にとって貴方とホミィセナどちらが予言の神子になろうと関係ありませんでしたが、あの状況ではホミィセナがほぼ有力でした。貴方を排除する動きもありましたので、出来れば高い神聖力を持つ貴方にも神子としてではなくとも何か出来ることがあるはずだと思ったのです。」

 実にクオラジュらしい返答だった。
 それにしてもホミィセナが神子になろうが関係ないと言うところが引っかかった。

「クオラジュはホミィセナと仲良いのかと思ってた。」

 攻略対象者としては好感度は低いかもしれないが、普通に喋っていた気がする。そんな光景をツビィロランは何度も見ていた。

「話すことはありましたが、私の仕事上宮殿に行くのは当たり前ですので、そこにホミィセナが居れば話さないわけにはいきません。貴方と会った時も挨拶には伺っていたはずですが。」

 確かにそう。そしてクオラジュが挨拶するたびに馬鹿にされていると勘違いしていたのはツビィロランの方だ。この生真面目な話し方が合わないんだろう。ホミィセナはクオラジュも攻略しようと話し掛けていたのかもしれないが、クオラジュは攻略対象者の中で一番ハードモードだ。攻略できなかったに違いない。
 
 そうか、別に仲良いわけじゃなかったのか。

 何故か心が軽くなる。
 これはきっとツビィロランの心だ。いつも痛いと泣く心が、今は少し軽くなった。
 あの日クオラジュの忠告を聞いたツビィロランは複雑な気持ちになっていた。
 もうツビィロランに話し掛けてくる人間はいなくなり、宮殿で暮らしていたツビィロランはいつも一人だった。衣食住には困っていなかったが、以前のように笑うこともなくなって、いつもイライラしていた。
 変な噂を気にして使用人を怒鳴りつけないよう我慢して、嫌いな勉強も大人しく受けていた。
 なのに人は離れていくばかり。
 これがゲームの仕様とはいえ、ツビィロランの精神状態もギリギリだった。
 
 そんな時クオラジュが普通に話し掛けてきたのだ。クオラジュは最初から最後まで態度が変わらなかった人物だ。最初から子供相手にするように下に見られていたし、顔に貼り付けた笑顔が変わることはなかった。
 でもそれはツビィロランにとって救いになったのだ。
 誰もがツビィロランの評価を下げる中、クオラジュだけが一定で変わらない。好評価でなくとも不変でいてくれることが、変な噂に左右されていないということを指し示していたので、クオラジュという人間を信じることが出来た。
 だからこそ、その忠告は心にも刺さった。
 クオラジュから見てもツビィロランはもう負けているのだ。
 もう予言の神子にはなれない。聖王陛下の番にはなれない。
 だからその忠告は聞けなかった。
 そして罠にかかり自滅した。

 ツビィロランの心をそう分析した津々木学は、哀れな子供を可哀想に思った。だからこれも確認しておいてやろう。

「…………もう一つ聞くけどさ。俺が剣で刺された時、止めに入ったのクオラジュなの?」

 立ち止まって聞いた俺に合わせて、クオラジュも立ち止まった。
 
「はい、そうですがあの時は間に合わず申し訳ありませんでした。貴方の背を切られるのは覚悟しておりましたが、まさか命までとろうとするとは思いもしませんでした。」

 真摯に謝られる。
 本当は聖王陛下に止めて欲しかっただろうけど、あの時止めに入れたのはクオラジュだけだろうとは思っていた。一番ホミィセナに遠かった人物だ。

「謝る必要はないよ。止めてくれただけでも嬉しかったし。」

 あの時死に近づいていくツビィロランは、何も考えていなかった。
 天空白露を呪いながらも、心は後悔ばかりで泣いていた。クオラジュの忠告を思い出していたのだ。
 最後に思い浮かんでいたのは大好きだった聖王陛下ロアートシュエではなく、ちょっと厳しい顔をした翼主クオラジュだったのだ。

 俺はちょっと笑った。ツビィロランの心が大分軽くなったのだと感じて。
 この十年、ツビィロランの中には恨み辛みがいっぱいで、時折思い出しては俺を悩ませていた。
 だけどクオラジュと話したことで少し軽くなった。
 まだ天空白露のことを落ちろと叫ぶ心は残っているけれど、思惑とは違った結果になったがここにきた甲斐はあったなと思う。
 
 俺は嬉しくて、自分の今の状況が分かっていなかった。






 本日捌いた鹿の肉を振る舞うからとサティーカジィから言われ、クオラジュも晩餐に呼ばれ泊まっていた。
 遅くまでサティーカジィと話し込み部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、薄着で外を歩いていくツビィロランを見つける。
 いくら月が明るいとはいえ一人で森に入る姿に追いかけることにした。

 月光の下で小川が流れる様を見つめる姿は小さいが、十年前よりは成長している。あんなに幼かったのにすっかり大人びてしまい、地上とはそんなに過酷な生活なのだろうかと思ってしまう。
 うなじが見える程に後ろ髪を短く切っているのに、横と前は長いという変な髪型は、昼間よりも黒く見えた。
 薄い肩が寒そうで思わず触れると驚いていた。癖で気配を殺してしまっていたようだ。
 上着を渡すと大人しく羽織ってくれたが、大きかったのか布を腰あたりでまくり上げて持っている姿がなんとも愛嬌があった。
 転びそうで心配になり支えながら歩いていると、どうやら気恥ずかしかったようで咳払いしながら話し掛けてきた。
 過去の私の態度はそう褒められたものではないはずだが、意外にもツビィロランは嫌な顔をせず、最終的に感謝してくれた。
 死ぬ思いをさせてしまったのに、何故許せるのか理解できない。しかもほんのり笑っている。相変わらず長い前髪で鼻から下半分しか見えないが、口角が上がり雰囲気が優しくなった。
 月の光に黒に近くなった髪が目につく。艶が増して光りが溢れそうだ。
 
「貴方は透金英を持っていますよね?」

「ん?」

 どうやら自分の髪色が黒に近くなっていることを失念していたらしい。
 
「あ、やべ!」

 上着を抑えていた手を慌てて頭にやると、ストンと裾が落ちてしまった。

「あっ!」

 汚れを気にしてまた服を持ち上げている。汚れは気にしなくていいのだがと思いつつ、今は都合が良さそうなので黙っておくことにした。

「………髪に、触れてもいいですか?」

「へ?」

 時間が過ぎるごとに髪の色が黒くなっていくのは、おそらくツビィロランの神聖力が身体の中に溜まりつつあるからだろう。この速度なら相当な神聖力を持っていることになる。透金英の樹を手元に所有して頻繁に透金英の花を咲かせていないと間に合わないはずだ。

 返事は待たずに横髪に触れた。ひとつまみ摘んで軽く持ち上げると、黒髪から光が落ちる。

「銀……、金?」
 
 なんとも言えない瞬きとなって、黒髪から溢れる神聖力が滴り落ちた。
 星の瞬き。
 
 夜の色…………。

 ああ…………ツビィロランの背に傷がなければ、きっと美しい夜の羽が広がっただろうに。

 彼の前髪に指を通し掬い上げた。驚いた琥珀の瞳がクオラジュを見上げている。こんな表情をしていたら昔のままだなと思う。
 もう片方の手も伸ばし、零れ落ちた前髪を掴み上げた。顔を近付けじっくりと夜色の髪を見つめた。
 髪の一本一本から光が溢れている。
 よく見る為に近付いたのだが、髪が短いので拳一つ分程度の距離まで顔が近付いていた。直ぐそこに琥珀の瞳がまん丸に見開かれている。
 大人になったなと思ったが、今は子供のようだ。
 クオラジュはクスリと笑った。

「美しいですね。」

 本心の言葉を目を見て伝える。これが心からの賞賛なのだと理解してもらえるように。

「…………っ!?……………っだ!あっ!わっ!」

「あっ。」

「わああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!」

 ツビィロランは走って逃げてしまった。

「あ……………。」

 屋敷の扉が見える所まで戻って来てはいたが、部屋まで送ろうと思っていたのに叫びながら走って行ってしまった。

「………………。」

 クオラジュはクスリと笑う。
 もっとあの夜色の髪を眺めたかったのに残念だと思いながら、クオラジュも自分の部屋へと戻って行った。

 クオラジュの表情にほんの少しの苦痛が浮かんだが、それは本当に一瞬のことだった。

















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