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3章 俺の愛しい皇子様
85 魔女サグミラよ、さようなら
しおりを挟む魔女サグミラは逃げていた。
リッゼレン王子の背後から見たユキトは美しかった。そして同時に恐ろしかった。
頭に何か魔導具を当てて、あの紫の瞳はサグミラを見た。
細められた目は銀の睫毛の隙間から紫の輝きを透かして、サグミラを射抜くように一瞬目を止めたのだ。
サグミラは聖女サナミルの身体を得て強くなった筈だった。
綺麗で可憐な少女の身体は聖属性に溢れ、どんな人間も魅了出来ると思っていた。
「無理だわ。」
はぁはぁと息を吐いて魔女サグミラは走っていた。
轟音の後、俯いた顔を上げたユキト・スワイデルの睥睨は、全ての人間をあの場所に縫い留めた。
神の如き威圧。
サグミラは己の力不足を感じた。
もっと、もっと龍気が欲しい!
窓の外に翡翠の魔法師の魔力を感じたが、ユキト・スワイデルが出て行った後、暫くすると龍達が城や城下町に落ちる音が響き渡った。
轟音と地響き、砂混じりの埃が落ち、城の中の惨状は真っ白になっていた。割れたタイルや石が音を立てて落ちる中、サグミラは急いで落ちた龍の元へ駆けていた。
城にも何体もの龍が落とされた。
まだ生きているかもしれない。
そうしたらサグミラの餌になってもらうつもりだった。
プラチナブロンドの長い髪が埃まみれになるのも厭わずに駆け抜けて、漸く一体の龍に辿り着く。
急がねばあの銀髪の皇子がサグミラを殺しにやってくる。
何故かそう直感していた。
翡翠の魔法師以上にサグミラに恐怖を与えるユキト・スワイデルには、その美しい顔も相まって非常に恐ろしく感じた。
「………そんな!?」
苔の様に濃い緑色をした龍に辿り着いたが、その龍は既に生き絶えていた。
サグミラはまた走り次の龍の所まで急ぐ。
黄色の鱗の龍も死んでいた。
次も、その次も、息の無い龍ばかり。
この分では城下町に落ちた龍も死んでいそうだった。どの龍も動く気配が無い。
「そんなバカな!?」
龍はそんな簡単に死ぬ生き物では無い。
なのに、此処に集まっていた数十体もの龍は死に絶えている。
誰がこれをやったのか、分かりすぎる程に分かってしまった。
「ユキト・スワイデル………。」
頭に何かして変化した人間。
恐ろしい……、恐ろしい!!
頭を抱えサグミラは何処に逃げるべきか考えた。
「はは、龍気をいくら取り込んでも、もうお終いだぞ?」
やけに楽しそうな声が、サグミラの混乱した頭に響いた。
ついさっき迄、ベットの上でその唇を楽しんだばかりなのに、まるで魔力を含んだかの様な美声にサグミラは背筋が凍った。
ゆっくりと振り返ると、翡翠の魔法師を抱き抱えて、ユキト・スワイデルが立っていた。
いつの間に追い付いたのか、分からなかった。
「嫌よ、…………いや!」
サグミラの人生は貧しい家から始まった。
木と泥で出来た低い屋根、家の中も土を固めた地面に、寝床に板を敷いただけのベット。
掛け布団なんかあるわけ無い。
着る物もずっと着れなくなるまで朝も晩も関係なく着続ける。
サグミラは普通の顔の親から産まれた普通の顔の子供だったが、一つ普通で無いのは髪も瞳も黒かった事だ。
闇属性だと親から疎まれて育った。
人の魔力を吸い取る悪い人間だと言われていた。
その内どこかに売られてしまった。
其処は汚れた仕事を請け負っていた。
人を殺す。
サグミラは言われるがままに闇魔法で死ぬまで魔力を吸って殺していった。
自分が生きる為になんの疑いもなく。
徐々に身体が崩れ、皮膚が溶けた様に垂れ下がった。
まだ少女のサグミラは老婆の様になっていった。
なのに髪は真っ黒で、黒い瞳だけは世を呪うかの様に爛々と光っていた。
そんなサグミラも国の王子様には、普通の少女の様に憧れを抱いていた。
燃える様な赤い髪に水色の瞳の王子は、国中の憧れの的だった。
サグミラは憧れていただけでどうにかなりたかった訳ではなかった。この時までは。
ある日、国に聖女と言われる女性が現れた。
フィーゼノーラという綺麗な女性は聖魔法師だった。
その美しさと人々を癒す魔法で、王子様に見初められた聖女は、国中の憧れとなった。
「がはははは、そんな醜いお前でも聖女様に憧れるのかぁ?聖魔法師ならお前の醜い姿も治せるだろになぁ!」
誰がそう言ったのか、もう忘れてしまった。
ただ聖属性の治癒ならあたしの醜い崩れは治るのだと覚えた。
フィーゼノーラの花祭り。王子と結婚した聖女様が国民に加護を授ける日、あたしも聖女様が降らせる花に手を伸ばした。
ゆっくり手のひらに落ちてくる一輪の花は、あたしの手のひらに触れる前に弾けて散った。
「……………あ゛?」
もう喉も潰れて満足に出ない声。
「…じぇい、女さま………。」
花をください。あたしにも治癒の加護を。
あたしの醜い身体を治して。
聖女の視線はあたしを見て顰められた。
聞こえない声が、汚ない、と呟いた。
あたしは夜に神殿に忍んで聖女を喰った。
魔力を吸ったつもりが、龍気だった。
美味しい、美味しい、美味しい。
もっと頂戴。その身体も頂戴。
あたしは聖女の中に入り込み、聖女になった。
魔力を吸ったらもっと強くなる。
あたしの中に聖属性が溢れたら、闇属性も増えて、魅了魔法がもっと増える。
あたしはカーンドルテ国の聖女となって、長く長く君臨する。
聖属性の聖女と闇属性の魔女は表と裏。
王となった王子も、あたしを蔑んだ民も、あたしを売った親も、皆んなあたしの人形にしてあげた。
「さあ、ロルビィ、終わりにしよう。哀れな魔女はペテン師に任せよう。」
魔銃に残るもう一つの紫緑銀色の弾丸。
「折角ピィが魔女を撃つ為に用意してくれたんだ。」
ユキトの言葉にロルビィは翡翠の目を見開いた。
「ユキト殿下、ピィの事…………。」
ユキトはロルビィの口をそっと指で塞いだ。
「………っ、なに!?あたしは何もしてないわよ!?少しあんたの魔力を貰っただけじゃない!!」
少し?
ユキト殿下を仰ぎ見ると、何の感情も窺わせない無表情で魔女サグミラを見ているユキト殿下。
………後で聞いたら怒られるかな?
魔女サグミラは今回もユキト殿下に何かをやったのだけは理解出来た。
早くこの世から抹殺しよう。
二度と目の前に現れないように。
「ねぇ、覚えてる?俺が言った言葉。」
俺は魔女サグミラに尋ねた。
今回の人生では魔女と話す機会は無かった。コイツは俺を見ると逃げてばかり………。
いや、覚えるからこそ逃げたのか。
「俺が殺すから、魂に刻んどけって言ったよね?」
ロルビィはニコリと微笑んだ。
ああ、漸く殺せる。
忌々しいこの魔女を。
「ヒィィ!?」
魔女サグミラは恐怖に駆られて悲鳴を上げながら逃げ出した。
遠くへ、早く!
ザワリと大気が揺れて、レンレンの蔦がサグミラの足に絡まる。
倒れて狙いがズレないよう、幾百という細い蔦が魔女サグミラを固定した。
ぐちゃぐちゃに巻き付く緑の蔦の間から、サグミラは目を見開いてロルビィの翡翠の瞳を凝視するしか無かった。
ユキトはロルビィに魔銃を握らせ、後ろから抱き込んで自分の両手でロルビィの手を包み込む。
キュウンーーー
瓦礫が崩れる音と、人々の喧騒が響くのに、その音は静かに空間に響いた。
ーーード、、オオォン
空気を割くように、紫緑銀色の弾丸は魔女サグミラの胸を撃った。
少女の姿のサグミラは、吹き飛びながら撃たれた胸をへこませる。
めり込み弾丸の中へミシミシと窪み、サグミラは断末魔を上げて手足をばたつかせた。
いや、あたしが、知らない、お前のせい、悪く無い、いや、嫌、イヤーーーー
言葉にならない叫びを上げて、サグミラはめり込み、小さくなっていく。
「ーーーーーっ!っっ!!」
サグミラは音の無い叫びを上げて、小さくなり虚空へ消えた。
「……………終わったの?」
パチパチと炎が上がり出す中、ロルビィはまるで夢から覚めた様にポツリと呟いた。
ユキトはふわりと安心させる様に笑う。
「終わったよ。ペテン師のところ行っただろう。」
ロルビィは背後から抱き込むユキト殿下を見上げた。
ふわふわの銀髪が月明かりに透けて白く輝き、銀の粉を散らして綺麗だった。
ユキトは翡翠の瞳に唇を落とす。
閉じた瞼に軽くキスを送り、さあ帰ろうねと優しく抱き締められ、ロルビィはポロリと安堵の涙を流した。
時空の神ルーベンディレウス・ロルビィ・セレンテストルテは、次々と送られてくる罪人に目を通していた。
罪人とは世界を滅ぼす原因を作った者を指す。
大量の龍に、灰龍オスノル。
罪の重さは時空の神の目分量によって、罪の重さに比例した歯車となる。
龍の世界が滅んだ日、崩壊する魂の大河と大時計の修復、龍達の処遇に追われ、取り逃がしてしまった罪人達だった。
しかも、この罪人まで捕らえてくれるとは…………。
あわよくば……、その程度の期待だったが、やはり龍の世界を作った管理者の仕事は完璧だった。
記憶を保持して生まれ変わるのを拒否した為、仕方なく送り出したが、無理矢理にでも記憶を復活させて正解だっと、時空の神ルーベンディレウス・ロルビィ・セレンテストルテは一人頷く。
「何よ!?ここ!」
魂はどす黒く、綺麗な丸ですらなくドロドロとしていた。
触りたくも無い……。
此処から一歩も動けない時空の神は、仕方ないと諦め話し掛けた。
「此処は魂の大河を見上げる場所。大時計と歯車を管理する場所だ。お前は世界を滅ぼした罪により今から歯車となる。」
無表情に時空の神は言い渡した。
「はあ!?あたしは世界を滅ぼして無いわ!!」
サグミラは聖女を乗っ取り、国を操り、人を沢山殺したが、世界という規模で何かをした覚えは無かった。
「ふむ、数度転生を繰り返すうちに記憶は大河で洗い流されてしまったが、お前の魂は罪人よ。」
思い出せ、その罪を。
虹色の髪がフワリと広がる。
そこは科学の世界。
六十四人の科学者が一つのエネルギーを作り出した。
永遠に動くエネルギーの動力炉。
新たなる見えざる光を使って作り出す新技術。
完成間際でそれは宇宙を滅ぼす兵器になった。
解体しよう………。
エネルギーを作ったところで使う存在のいない世界が出来上がるだけだった。
最新の注意を持って進められる解体。
その中のリーダーはまだ独身の男性だった。恋人も一緒に研究する職員だった。
二人は仲が良く、この解体が終わったら、田舎の星に引っ越して細々と暮らそうと約束していた。
それをよく思わない人間がいた。
研究員でも無い、ただの職員。
想い人とその恋人を引き離す為、恋人に罪を着せようとした。
このスイッチを押せばいい。
そう思った。
一度動き出した動力炉は止まらないのに、電気のスイッチを消す様に、点けたら停めれると思い込んでいた。
想い人の恋人に態とぶつかった。
重要な配線を切る作業中で立ち入り禁止にしていたにも関わらず、入り込んでスイッチの方へ押した。
思惑通りにスイッチに体重が乗る。
保護していたガラスケースは事前に取っておいた。
こっそり逃げて笑い転げた。
沸く様に笑いが止まらず、きっと想い人を奪ったアイツは責任を取って消えると思った。
まさか皆んな絶望して頭を撃つとは思わなかった。
六十四人の死体と動き出した動力炉に、世界は震撼した。
もうお終いだと騒ぎ出し、世界は動力炉に溶けて無くなった。
「押したのはお前だ。かろうじて避けたのに、すかさず押して罪をなすりつけた。」
時空の神ルーベンディレウス・ロルビィ・セレンテストルテには見えている。
ただあの時は龍の世界と科学の世界、二つの世界が同時に消滅した。
手に負えなかったのだ。
一度転生すると時空の神は干渉できなくなる。
捕まえる時をじっと待っていた。
「お前には一番大きな歯車になってもらおう。どんな世界の消滅の余波が来ても壊れない、丈夫で大きな歯車に。」
銀色の瞳の中に禍々しいサグミラの魂が写り込んでいる。
怯え、魂の大河に逃げようとしたが、サグミラの魂は歯車の形に変わった。
ごろごと肥大しながらサグミラの歯車は進み、ガチリと他の歯車と歯車の間に挟み込まれて止まる。
ミシミシという不快音が少し解消された様にゴロゴロと回り出した。
龍達も灰龍オスノルも既に他の場所に入り回っている。
いつになく滑りの良い音を立てて歯車が回り、ジゴォと時計の針が一つ動く。
それは重々しく、世界に響いた。
時空の神ルーベンディレウス・ロルビィ・セレンテストルテはただそれを静かに聞いていた。
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