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第32話 配膳方女官の打ち上げ
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「お母様」
帰宅してすぐ、マドリョンカは居間で荷物を召使いに渡しているミチャ夫人に詰め寄った。
「私に来ている結婚話、今すぐだとどんなものがあるの?」
「な…… 何をいきなり」
ミチャ夫人のうわずった声をシャンポンは背に聞きつつ、土産に持ち帰った菓子をマヌェに見せる。姉としては飴細工を見せてあげたかったのだが、さすがにそれは太公主のところが是非に、との言葉だったので無理だった。
「喜んでくれた?」
「ああ、しっかりとね」
「アリカは昔から兎が好きだったから」
はっ、とシャンポンはその時今更の様に思い出した。マヌェはアリカとサボンの入れ替わりを知らない。
話しても仕方がないと思っていた部分は多い。彼女が宮中に行くことは無いのだ。だが今回のことで酷く新たなアリカはマヌェの作ったものに興味を示していた。
一体この妹にどう説明したらいいのだろう。シャンポンは一つずつ菓子の説明をしながら考える。
一方でマドリョンカは母へとしつこく問いかける。
「一体突然何を言い出すの」
「それとももう少し待った方が、もっといい所へ嫁げるとでもおっしゃる?」
「……急ぐことは無いでしょう。ともかくセレの結婚式が先ですよ。あなたのことはその後です」
「シャンポンは結婚するつもりが無いのでしょう? ではできるだけ早くお願いします」
「何をそんなに急いているの?」
「できるだけ皇子殿下と同じくらいの歳の子供を私も産みたいんです」
だから早く。
そうか、とミチャ夫人は気付いた。
「……わかりました。お母様の部屋へちょっといらっしゃい」
はい、とマドリョンカはそのままの服で母の後へと付いていく。
「マドリョンカはお嫁様になりたいの?」
「そうだね。あの子は綺麗だし、きっと何処かの家に嫁いでも皆に喜ばれるさ」
「シャンポンは?」
「私はずっとこの家に居るよ」
「でもシャンポンの子供が見たいな」
「ふむ」
それに関しては、多少の考えが無くもない。
「その時には可愛がってくれるかい?」
「もちろん!」
シャンポンにとって、全くの宛てが無い訳ではなかった。だが相手がここに婿に来ることを承知するだろうか? ただのサヘ将軍家ではなく、皇家の縁戚となってしまったこの家に。
その辺りはまた相手と相談してみよう、と思った。
*
「お疲れ様です!」
「何とかやりとげましたね!」
サボンは配膳方女官に混じってほっと一息ついていた。
「女君についていなくていいの? サボンさん」
「あ、アンダンさん。少し疲れたから先に休むってことで。私はこっちで食事をしてらっしゃいと」
「よかった! 今日は皆大変だったけど、特にサボンさんは気が張ってたようだし!」
「そうですよ。まだ女君と一緒で若いというのに、あのお歴々の側でずっと控えていたというのは」
「女君に比べれば、私なんて控えていただけです」
「ではそれは何?」
サヌキがくす、と笑ってサボンの手にある帳面を指す。
「忘れないうちに、と」
「見てもいい?」
ネルスイとサヌキが興味を示した。ええ、とサボンは答える。別にそれは構わない、とアリカから言われていたのだ。観察したことを忘れないうちに書き留めておいただけのことだが。
「わ、凄い」
ネルスイはやや文字が揺らいではいるが、事細かに書かれている帳面を見て言い切った。
「そうですか?」
「だからそこまで帳面に書く様なのはうちには居ないんだって!」
「まあともかく今日はお疲れ様だよ! お滑りをもらおうか」
どかどかと主であるタボーが配膳方へと戻ってくる。女官長の方へと報告に行っていたのだ。そして女官達はこの残った菓子を「お滑り」でもらうのをずっと待っていた。
「……そうか、米菓は本当によく出たのだな」
帳面を見ながらサヌキは満足そうにうなづく。
「おかげで! 醤油が切れそうだよ! 仕入れなくてはね」
「あ、それはもう女官長に相談を入れてあります」
「何だねサボンさん、それも女君の指示かい?」
「はい。米菓は絶対に皆の手が出るから、先に醤油は無くなる前に仕入れておくように、と」
「やれやれ」
タボーは腰に手をあてて嘆息する。
「あの方は何処まで見定めているのやら。サボンさん判るかい?」
「色々思われることはある様なのですが…… 私には」
そう言ってサボンは首を横に振る。
アリカは大量の知識のほんの断片を使って何をしようとしている。それは判る。だからと言って、何が目的なのかはさすがにサボンでは予想ができない。
「そう言えば、それ」
腰に揺れている兎に、アンダンが気付く。
「あ、はい。女君が私が持っていた方がいい、といただいたので」
「それ凄いよね」
トゥーラは見せてもらってもいい? と問いかけた。長い紐をつけて腰に下げてあるので、そのまま見せる。
「細かい!」
「と言うか、何でこんな丸くできるの?!」
「こりゃ、裁縫方に持っていったら無茶苦茶にされますよ」
だろうな、とサボンも思っていた。だが正直あの姉がここまで細かい作業が好きだったとは考えてもなかった。シャンポンがいつも付いていて、マヌェ自身と遊んだことはあまりなかったから、ということもある。
ただ彼女が自分と兄ともう一人が一緒に遊んでいるところを窓から眺めていたことは記憶にある。確かに自分は兎を追っていたのだ。
少しばかり、サボンの胸が痛んだ。
「あ、焼き菓子の中ではこれとあれが評判良かった様ですね」
帳面と「お滑り」の両方を付き合わせていたサヌキは盆の上、数少なくなっているものを指す。一つは卵と粉と蜜でどっしりと重く焼いたもの。もう一つは、逆に軽く薄く焼いた例の「皮」だった。
「重い方は、やっぱりそうそうあちこちの家では焼けないからねえ。薄い方は焼き方を知りたがってそうだ」
タボーは胸を張り、笑みを浮かべる。この卵と粉と蜜でどっしり焼いたものは、専用の大きな焼き釜が必要だったので、宮中で無いと口にすることができない、と言われていた。
「薄い方は、まあ、使い込んだ厚い鉄板があればいい。それこそ、市場の露店でも作れる。だが問題は腕だね」
「はい」
サボンもその露店を見た時の印象を思い出し、うなずく。
「一瞬ですから。薄く均等に焼くというのは、それだけで見ていて凄いと思いました」
「聞いたかい? 皆もそういうもの焼ける様になれば、いい旦那が見つかるかもだよ!」
やだぁ、と女官達は皆笑顔になった。
帰宅してすぐ、マドリョンカは居間で荷物を召使いに渡しているミチャ夫人に詰め寄った。
「私に来ている結婚話、今すぐだとどんなものがあるの?」
「な…… 何をいきなり」
ミチャ夫人のうわずった声をシャンポンは背に聞きつつ、土産に持ち帰った菓子をマヌェに見せる。姉としては飴細工を見せてあげたかったのだが、さすがにそれは太公主のところが是非に、との言葉だったので無理だった。
「喜んでくれた?」
「ああ、しっかりとね」
「アリカは昔から兎が好きだったから」
はっ、とシャンポンはその時今更の様に思い出した。マヌェはアリカとサボンの入れ替わりを知らない。
話しても仕方がないと思っていた部分は多い。彼女が宮中に行くことは無いのだ。だが今回のことで酷く新たなアリカはマヌェの作ったものに興味を示していた。
一体この妹にどう説明したらいいのだろう。シャンポンは一つずつ菓子の説明をしながら考える。
一方でマドリョンカは母へとしつこく問いかける。
「一体突然何を言い出すの」
「それとももう少し待った方が、もっといい所へ嫁げるとでもおっしゃる?」
「……急ぐことは無いでしょう。ともかくセレの結婚式が先ですよ。あなたのことはその後です」
「シャンポンは結婚するつもりが無いのでしょう? ではできるだけ早くお願いします」
「何をそんなに急いているの?」
「できるだけ皇子殿下と同じくらいの歳の子供を私も産みたいんです」
だから早く。
そうか、とミチャ夫人は気付いた。
「……わかりました。お母様の部屋へちょっといらっしゃい」
はい、とマドリョンカはそのままの服で母の後へと付いていく。
「マドリョンカはお嫁様になりたいの?」
「そうだね。あの子は綺麗だし、きっと何処かの家に嫁いでも皆に喜ばれるさ」
「シャンポンは?」
「私はずっとこの家に居るよ」
「でもシャンポンの子供が見たいな」
「ふむ」
それに関しては、多少の考えが無くもない。
「その時には可愛がってくれるかい?」
「もちろん!」
シャンポンにとって、全くの宛てが無い訳ではなかった。だが相手がここに婿に来ることを承知するだろうか? ただのサヘ将軍家ではなく、皇家の縁戚となってしまったこの家に。
その辺りはまた相手と相談してみよう、と思った。
*
「お疲れ様です!」
「何とかやりとげましたね!」
サボンは配膳方女官に混じってほっと一息ついていた。
「女君についていなくていいの? サボンさん」
「あ、アンダンさん。少し疲れたから先に休むってことで。私はこっちで食事をしてらっしゃいと」
「よかった! 今日は皆大変だったけど、特にサボンさんは気が張ってたようだし!」
「そうですよ。まだ女君と一緒で若いというのに、あのお歴々の側でずっと控えていたというのは」
「女君に比べれば、私なんて控えていただけです」
「ではそれは何?」
サヌキがくす、と笑ってサボンの手にある帳面を指す。
「忘れないうちに、と」
「見てもいい?」
ネルスイとサヌキが興味を示した。ええ、とサボンは答える。別にそれは構わない、とアリカから言われていたのだ。観察したことを忘れないうちに書き留めておいただけのことだが。
「わ、凄い」
ネルスイはやや文字が揺らいではいるが、事細かに書かれている帳面を見て言い切った。
「そうですか?」
「だからそこまで帳面に書く様なのはうちには居ないんだって!」
「まあともかく今日はお疲れ様だよ! お滑りをもらおうか」
どかどかと主であるタボーが配膳方へと戻ってくる。女官長の方へと報告に行っていたのだ。そして女官達はこの残った菓子を「お滑り」でもらうのをずっと待っていた。
「……そうか、米菓は本当によく出たのだな」
帳面を見ながらサヌキは満足そうにうなづく。
「おかげで! 醤油が切れそうだよ! 仕入れなくてはね」
「あ、それはもう女官長に相談を入れてあります」
「何だねサボンさん、それも女君の指示かい?」
「はい。米菓は絶対に皆の手が出るから、先に醤油は無くなる前に仕入れておくように、と」
「やれやれ」
タボーは腰に手をあてて嘆息する。
「あの方は何処まで見定めているのやら。サボンさん判るかい?」
「色々思われることはある様なのですが…… 私には」
そう言ってサボンは首を横に振る。
アリカは大量の知識のほんの断片を使って何をしようとしている。それは判る。だからと言って、何が目的なのかはさすがにサボンでは予想ができない。
「そう言えば、それ」
腰に揺れている兎に、アンダンが気付く。
「あ、はい。女君が私が持っていた方がいい、といただいたので」
「それ凄いよね」
トゥーラは見せてもらってもいい? と問いかけた。長い紐をつけて腰に下げてあるので、そのまま見せる。
「細かい!」
「と言うか、何でこんな丸くできるの?!」
「こりゃ、裁縫方に持っていったら無茶苦茶にされますよ」
だろうな、とサボンも思っていた。だが正直あの姉がここまで細かい作業が好きだったとは考えてもなかった。シャンポンがいつも付いていて、マヌェ自身と遊んだことはあまりなかったから、ということもある。
ただ彼女が自分と兄ともう一人が一緒に遊んでいるところを窓から眺めていたことは記憶にある。確かに自分は兎を追っていたのだ。
少しばかり、サボンの胸が痛んだ。
「あ、焼き菓子の中ではこれとあれが評判良かった様ですね」
帳面と「お滑り」の両方を付き合わせていたサヌキは盆の上、数少なくなっているものを指す。一つは卵と粉と蜜でどっしりと重く焼いたもの。もう一つは、逆に軽く薄く焼いた例の「皮」だった。
「重い方は、やっぱりそうそうあちこちの家では焼けないからねえ。薄い方は焼き方を知りたがってそうだ」
タボーは胸を張り、笑みを浮かべる。この卵と粉と蜜でどっしり焼いたものは、専用の大きな焼き釜が必要だったので、宮中で無いと口にすることができない、と言われていた。
「薄い方は、まあ、使い込んだ厚い鉄板があればいい。それこそ、市場の露店でも作れる。だが問題は腕だね」
「はい」
サボンもその露店を見た時の印象を思い出し、うなずく。
「一瞬ですから。薄く均等に焼くというのは、それだけで見ていて凄いと思いました」
「聞いたかい? 皆もそういうもの焼ける様になれば、いい旦那が見つかるかもだよ!」
やだぁ、と女官達は皆笑顔になった。
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