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3.夫婦喧嘩を聞くのは楽しいものらしい

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 気持ちよく晴れたある朝の第二王子宮の食事室。
 あるじ夫妻の食後、テーブルをお片付け中のルチア・アラルコンは重いため息をついた。
 
「あのとき、せめてすぐに謝っておけば……!」
 
 ここ最近の彼女は深い悩みの中にいる。最愛の夫と喧嘩してしまったからだ。
 業務中にも関わらず、ついつい後悔のことばがぽろりとこぼれた。もちろん(?)長い長い溜息もつけて。

「なあに、ルチア。まだ旦那さまグスタフ卿と喧嘩続行中なの?」

 同僚であるファナがテーブルクロスを回収しながらルチアに話しかける。

「『夫婦喧嘩は犬も喰わない』っていうけど、いい加減仲直りしなさいよ。隣で暗い溜息つかれるこっちの身にもなって?」

 ファナの言葉を聞いていたらしい他の侍女も会話に加わってきた。

「ルチアたちの喧嘩なんて、『ごめんなさい』して夜甘えちゃったら収まりそうなもんなのにね」

「グスタフ卿、夜は凄そうだもんねぇ……なんて朝からする話題じゃなかったかな」

 他の侍女も話しに加わり、その場は華やかな笑い声に包まれた。
 そんな侍女同士のたわいない無駄話を聞いたルチアは、さらに深い溜息をついた。

「あらやだ。深刻そうね」

「どうしたの? おねーさんに話してみなさい。愚痴をこぼすだけでもスッキリするわよ?」

 この場にいる侍女たちはみな既婚者(子持ちもいる)で、ルチアより年上だ。若いルチアの心配をしつつ、興味津々の瞳を彼女へ向けている。
 ほとほと困り果てていたルチアは、その好奇心いっぱいの瞳たちに縋り付いた。

「なんか、避けられてるっぽいんですぅ……」


 ◇


 大好きな夫グスタフ・アラルコンと喧嘩なんて、結婚まえもあともしたことがなかった。
 だからこそ、対処のしかたが分からない。

 可憐な見た目に反して勝気な性格が災いし、どうにも口が立つルチアは不平不満が溜まると、ついつい夫を責めるような口調で話してしまう。
 厳つい見た目に反し穏やかな性格の夫グスタフは、六歳下の妻の言うことにはたいてい逆らわない。そもそもプライベートの彼は口数が少ない。だが虫の居所が悪かったのか、その日は口喧嘩に発展した。

 たぶん、言ってはいけない一言だったのだ。

『わたしと仕事、どっちがだいじなの⁈』

 なんて、答えは分かり切っているのに。案の定、彼の返事は

『ルチアこそ、俺と妃殿下とどっちが大切なんだ!』

 だった。

 答えが出せず黙ってしまったルチアと、そんな彼女を見て盛大に顔をしかめたグスタフ。
 自分の発したことばの意味を噛み締め、しょうもないことを言ってしまったと理解したルチアは、居たたまれず寝室へ逃げた。

 その日、ルチアは寝室に鍵をかけて寝てしまった。図らずも夫を締め出した格好になってしまったが、居間のソファで一晩過ごしたらしいグスタフは、翌日早朝から出勤したらしい。
 朝、目を覚ましたルチアはソファに畳まれた毛布を見て後悔した。体躯の大きい夫に窮屈な思いをさせてしまったと。

(わたしの方がこっちに寝れば良かった……)

 後悔先に立たず。
 とはいえ、すぐに謝ればいいかなんて軽く考えてもいた。そのときは。

 だが。
 あの口喧嘩のあと、お互いの仕事の都合で擦れ違いの日々が始まり、すでに二ヶ月近く経とうとしている。

 つまり。
 ちゃんと謝るどころか、顔も合わせていないしまともに口もきいていない。同じ部屋で生活しているとはとても思えないほど会わない。

 ルチアは後悔している。これ以上ないくらい、落ち込んでいる。
 夫と同じ職場にいるのに、こんなに会えないとは思わなかった。

(もしかしたら……あの人ったら、わたしを避けてる⁈)

 そんなはずはないと思いつつも、その線も捨てきれない。なんといっても自分はあの体躯の大きな夫を狭いソファに寝かせ苦行を強いるような鬼嫁だ。

 あのとき、安易に口を開いたりしなければ……!
 まったくもって後悔先に立たず。口元が緩めば船は沈むとはよくいったものである。つまり、おしゃべりは不幸を招くということわざだ。



 ◇


 
「騎士さまである旦那に『わたしと仕事、どっちがだいじ?』かぁ……きいてもしょうがない問いよねぇ」

「『俺と妃殿下とどっちが大切なんだ』っていうのも、ねぇ……」

「宮殿勤めの我々には永遠の課題、ともいえる問いだ」

「深いわ」

 ルチアから話をきいた侍女たちも苦い笑いを浮かべている。いわば、忠誠心と愛情を比べてみろという話だ。
 この第二王子宮で働いているだれもが忠誠心を認められてのこと。ルチアたち夫婦喧嘩の内容はみな心当たりがあるというか、だからこそ答えは出ないというか。
 平行線になってしまう問題である。

 場所は従業員専用食堂。
 この第二王子宮で働くすべての者たちの憩いの場でもある。手早く仕事を終えた侍女たちは、自分たちの食事を取りながらもルチアの悩み相談会を開いていた。

「んー、まぁその根本解決は難しいとしても、顔も合わせていないっていう現状が一番厄介よねぇ」

「グスタフ卿、ここ最近は王太子宮と本宮へ応援に行ってるって聞いてるよ。あと誰だったか大臣さまの護衛で遠出もしてるとか、してないとか……だからわざとルチアを避けているってんじゃなくて、本当に忙しいんだと思うよ?」

「あぁ、王太子妃さまがいらっしゃったからね。近衛の再編成とかもやっと終わったみたいだし」

 そうなのだ。
 ながいこと伴侶を決めていなかった王太子ウィルフレード・ディオス・ヌエベが自ら妃となる女性を連れてきたのだ。
 宮殿のどこもかしこも大騒ぎになったのがほんの二ヶ月まえの話である。
 本来、王太子の婚約者ともなれば何年もかけて王太子妃教育を施すし、周囲も彼女を王家の一員として迎えるための準備をする。

 たとえばこの宮のあるじ、第二王子の妃となったセレーネにしても十三歳から王子妃教育期間にはいり、十九歳で輿入れになった。その間、六年。第二王子夫妻の居住区を整えることも、彼らの警備体制を整えることも、じっくり腰を据えて準備できた。迎え入れる準備期間としては充分である。
 時間をかけて行うはずのそれを王太子夫妻のためには、たった二ヶ月の突貫工事で済まさねばならなかったのだから、忙しくもなる。

 ルチアの夫グスタフ・アラルコンの今現在の業務は第二王子殿下の専属護衛だ。
 彼は若くしてその実力を買われ、本来なら王太子の側近になっていてもおかしくない人材なのだが、その王太子本人の抜擢で第二王子の専属護衛となった。
 第二王子が十四歳。グスタフが十九歳のときだったとルチアは聞いている。

 そのときから王子殿下に仕え信任厚く有能な騎士であるがゆえに、今回の警備体制再編成における増員、それに伴う再教育や配置換えなどの見直しに意見を求められ借り出されていたらしい。

グスタフあっちは昼夜逆転してるんです……」

 ルチアが働いている日中、グスタフは家族寮で就寝しているらしい。昼間寝て、夜間業務に就いているらしい。
『らしい』というのは、ルチアが終業後帰宅すると、そこはかとなく寝室やバスルームを使った形跡があるからだ。一人暮らしが長かったグスタフは身の回りのことをひととおり自分でこなしてしまうため、部屋もキレイだしルチアが出し忘れたごみでさえまとめて捨ててくれるほど有能だし気もきく。

「あー、うちの旦那もそうだわ。……でもさ、もう少しでこの慌ただしさも落ち着くでしょ? 四ヶ月後には王太子殿下たちの結婚式やるって通達もあったし。とりあえず明日の晩に行われる王家主催の舞踏会で貴族たちに王太子妃殿下のお披露目をするってことだから、それが済めばグスタフ卿のお仕事も落ち着くんじゃないかな。ちゃんとルチアと同じ時間に帰れるよ」

 少し年嵩の侍女が笑いながらルチアに言う。
 ちなみに。
 このグランデヌエベ王国、王家の結婚式とは王宮の広場を一般市民に開放し、集まった市民たちと精霊に新たに仲間入りする者(今回の場合は嫁入りする王太子妃殿下である)にセカンドネーム――その者に相応しい名前――を配偶者が与え、それを大々的に喧伝する一連の儀式を指す。この第二王子宮の主であるベネディクト王子とセレーネ妃もそのような結婚式を行っている。


「そだね~。落ち着いたらふたりでゆっくり話して、らぶらぶ~に持ち込むんだよ?」

「ふたりはまだ若いんだから、夜の運動で仲良くなるのが一番だよね」

「こらこら。明るいうちにする話題じゃないわよ」

「はーい」

 どうやら先輩侍女たちからすれば、ルチア夫婦の喧嘩は『犬も喰わないもの認定』されてしまったらしい。
 タイミングよく食事を終えた彼女たちは、自分の持ち場につくために立ち上がった。

「らぶらぶ……夜の運動……」

 最後に立ち上がったルチアは、自分のまえのお皿が空になっていることにちょっとがっかりした。
 世の女性は悩みが(特に恋愛系)深まると食欲不振になるらしいが、ルチアには絶対当てはまらない。
 どんなに悩みごとがあってもしっかり食事を取ってしまう自分だからこそ、みんなもルチアの悩みに真剣につきあってくれないのかもしれない。

 知らず、大きなため息が零れおちた。

「どうやってそういう雰囲気に持っていけばいいのよぉぅ……」

 ルチアがグスタフと知り合って約四年。アラルコン姓を名乗り一緒に生活するようになってほぼ二年。
 初めて喧嘩らしい喧嘩をしたけれど、未だのルチアに夜の運動に持ち込むスキルはない。そしていまさら誰にも聞けない。

「あー。処女のまま離婚なんてこと、ならないよねぇ……」

 実はの悩みの方が深刻なのである。

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