蛇と鏡の誰そ彼刻

水笛流羽(みずぶえ・るう)

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痛みとは即ち悦楽の甘露

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 明け方の務めを終えて神殿に戻ったケツァルコアトルは、ころりと床に転がるそれに気付いて目を瞠った。出ていく時には気づかなかったが、昨夜からそこにあったのだろう。
 誰のものかと頭を巡らせるまでもない。鮮やかに青いシウイトル製のその装飾品は、見覚えたくもないのに見慣れてしまったものだった。
 脳裏に浮かぶのは、昨夜も許しも得ず入り込んできて、ケツァルコアトルの体で快楽を貪った淫売。あの忌々しい神が、淫らで非情な青年神が、置き忘れていったのだろう。
 その無駄に整った顔と不快な嘲笑を思い出し、つい眉間に皺が寄る。忌々しい思いで、床に転がる青色から目を背ける。だがなぜか、それにまた目を吸い寄せられてしまった。
 あの淫乱な神がどうなろうが、自分の知ったことではない。失せ物に困れば、少しでも狼狽えれば、良い気味だ。そう思い込もうと努力した。自分には何ら関わりのないことだと信じようとした。
 なのに、何故だろうか。つい、神殿を出てしまったのだ。

 来てしまったからには届けざるを得ない。会いたくもないが、仕方がない。また溜息を漏らし、ケツァルコアトルはその神殿に足を踏み入れた。
 神官に出くわしたなら渡しておくよう言付けることもできたのに、運悪く誰にも会わない。奥へ奥へと進んで、とうとうその神の居るはずの部屋に辿り着いてしまった。仕方なく、努めて平然とした声を繕って声を上げた。
「お邪魔するよ」
 さっさと用事を済ませて帰りたいと、ケツァルコアトルはそればかりを思っていて。相手が眠っていようが構うものかという投げやりな気持ちで。部屋の中など窺うこともしなくて。
 だから、足を踏み入れるまで全く気付けなかったのだ。秘めやかな、淫らな、その気配に。
 
 踏み込んだ瞬間に気付いても、もう手遅れだった。淫靡で猥雑で粘りつくような空気が手足に絡み付いて、ケツァルコアトルは動くことさえできずに棒立ちになった。
 寝床で絡み合う二つの影から、目を逸らすことさえできない。淫らな声と音が耳を汚しても、耳を塞ぐことさえ思いつけなかった。
 立ち尽くすケツァルコアトルにこの神殿の主神は気付きさえしなかったが、その神を自分の膝の上に座らせて下から揺さぶり上げているもう一柱の神は、ややしてこちらに目を向けた。それは、ショロトルだった。
 面倒臭そうにこちらへと顔を向けた邪悪な兄弟神は、それがケツァルコアトルだと気付くと僅かに驚いたような顔をした。だがすぐに、にんまりと笑う。
「んだよ、そんなとこで。混ざりてえか?」
 くく、とショロトルが喉の奥で笑う。その声が聞こえたのか、半ば目を閉じて悦楽に浸っていた「それ」が、億劫げに目を開けた。
「ぁ、だ、れ……」
 ゆるりと顔をこちらに向ける「それ」。紅潮し蕩けた、そのかんばせ。快楽に蕩けた瞳が朧にケツァルコアトルを映したが、それは僅かの間だけだった。 
「集中しろよ」
「くぅ、っ……」
 笑いながら軽く腰を突き上げるショロトルに、その神が甘い声を上げ背筋を震わせる。またショロトルに向けられたその眼は、うっとりと蕩けていた。その眼差しに、ケツァルコアトルは殴られるような激しい衝撃を感じた。
 この自分に組み伏せられ、甘い声を上げ、あられもなく乱れ善がっていた、その青年神が。ほんの数刻前には確かに自分の体の下で身悶えていた、その淫らな神が。今はそんな目付きをしてショロトルを見て、ケツァルコアトルのことさえももう忘れたかのような顔をして、そしてその声は。
「ぁ、あ、しょろと、る、しょろ、と、もっと、もっと……」
「はは。本っ当に、ゴーヨクだなあ」
 甘くさえある声で詰りながら、ショロトルは容赦なくその神を揺さぶる。その神は切れ切れに歓喜の声を上げ、感に耐えない様子でショロトルの肩に爪を食い込ませた。
 目が、離せない。艶やかな髪の乱れかかる、整ったかんばせから。理性の色を失って、ただショロトルだけを見つめる瞳から。甘えた声を漏らしてもっともっとと催促する、花弁の色をした唇から。
 うっとりと蕩けた瞳が映すのは、ケツァルコアトルではなくショロトルで。その唇が呼ぶのも、邪悪な兄弟神で。眩暈を感じた時、ケツァルコアトルは遅まきながらそれに気付いた。
 汗ばんで淫らに艶めく肢体の至る所には、血さえ滲ませる生々しい噛み跡。肩にも胸にも、腹や脚にまで。
 茫然と傷を辿るケツァルコアトルの視線に気づいたのか、ショロトルがくくっと笑った。言い訳めいたところさえもない、間延びした声が嘯く。
「そんな目で見んなよ。こいつが喜ぶから、噛んでやってんだぜ?」
 しゃあしゃあと言いながら、あっけらかんと責から逃れながら。見せびらかすようなゆっくりした手付きで、ショロトルはその神の額に張り付く髪を払い除けた。億劫げにゆるゆるとまた開く瞳に、わざとらしくにっこりと笑いかける。
「イタイのが、好きだもんなあ?」
「ん、すき、きもちぃ、あ、ぁあ……!」
 譫言のように答える唇は、また揺すりあげられて甘えた声を漏らす。その声音に身震いしたケツァルコアトルに、ショロトルがまた視線をよこした。また喉の奥で笑って、見せ付けるように大きく口を開けて。
 ケツァルコアトルが思わず声を上げ、制止する間さえも無く。ショロトルの鋭利な歯は、汗ばんで淫らに光る肌へと突き立てられた。
 ひぅ、と息を飲んだその神が、身を震わせる。その虚ろな瞳に紛れもない歓喜が走ったのを、ケツァルコアトルも見た。邪悪な兄弟神にも、それは勿論分かっているのだろう。満足げでくぐもった笑い声を立てたショロトルは、ゆっくりと口を離すと同じ傷に舌を這わせた。
 生々しい噛み傷をこじ開けるように、赤い舌は傷口を這う。ぁん、と甘えた声を上げた青年神が、ショロトルの肩を弱々しく引っ掻いた。
「んぁ、もっと、もっとして。かんで、しょろと……」
 肌を擦り付けるようにしてねだるその神に、ショロトルは笑い声を立てた。ぎらぎらと邪悪に光る目がまたケツァルコアトルに向けられ、嘲るようにまた笑う。それに何かを感じることさえ、ケツァルコアトルはできなかった。
 もどかしげに身をくねらせて快楽を欲しがる青年神から、目が離せない。淫らに蕩けている甘えた声を茫然と聞きながら、耳を塞ぐことさえ忘れていた。
「あ、ぁ、あ、そこ……!」
「っは、本当に、インランだよなあ?」
 甘い声でショロトルが詰っても、淫らなその神は恥じ入りもしない。恥ずかしげもなく、恥も外聞もなく、そこ、もっと、と蕩けきった声でねだるばかり。
 満足げに喉の奥で笑ったショロトルが、ふとまたこちらに視線を寄越した。意地悪く唇の端を吊り上げる。その表情に嫌な予感を覚えたが、ケツァルコアトルが言葉を発する前に兄弟神が口を開く。
「お前はどうせ知らねえよなあ? こいつすげえ遊んでるから、イロイロできんだよ」
「な、にを……」
「知らねえんだろ、どうせ」
 見せてやるよと嗜虐的に笑ったショロトルは、何を思ったか青年神の男根に添えていた手を離した。直接的な快感を取り上げられたその神が、もどかしげな声を上げる。
「ぁ、やだ、やめる、な……」
「少しは我慢しろよ」
 あっさりと聞き捨てるショロトルに、青年神は嫌がって首を打ち振った。ショロトルの肩に添えられていた手を滑らせて、自分自身の先走りで汚れている手を何とか捕まえようとする。
「ろ、しょろと、さわ、って……」
「嫌だね」
 意地悪く笑うショロトルには望みを叶えてやるつもりがさらさらないことは、茫然と立ち尽くすケツァルコアトルにも見て取れた。縋るように虚ろな瞳を揺らめかせている青年神にも、それは理解できたらしい。
 耐えきれなくなったように、その神が自らの中心に手を伸ばす。だがその手は、ショロトルにあっさりと掴まれた。
「だーめだ」
「ゃ……」
 自ら慰めることさえ許されなかった青年神が、泣き出しそうな声を上げる。その声音にかまた笑ったショロトルは、青年神の手首を捕らえたままにまた腰を使い始めた。
 ひゃう、と高い声を漏らした青年神は、それでももっと直接的な快感が欲しくてたまらないらしい。喘ぎを漏らしながら、切れ切れに懇願する。
「やだ、さわって、イきた……っ」
「駄目だ」
 あっさりと退けたショロトルが、掴んだままの手に軽く爪を食い込ませる。その小さな痛みにかまた声を漏らした青年神に、ショロトルは甘いが嗜虐的な声で囁いた。
「後ろだけで、イけるだろ?」

 いやだ、さわって、と尚もぐずる相手に構わず、ショロトルは一層激しく腰を揺さぶり立てる。ケツァルコアトルは声も出せず、茫然とそれを見つめていた。
 忙しなく熱っぽい呼吸だけが、部屋に満ちていく。降り積もって、積み上がって、ケツァルコアトルの胸までも蝕んでいく。その吐息を漏らしている、花弁にも似た唇。
 もう意味をなさない切れ切れの喘ぎは、上り詰める一瞬を待ち侘びて切なげに震える。ショロトルに手首を掴まれたままの青年神の指の先が、びくっと震えて空を掻く。それでもあと僅かの刺激が足りないらしく、蕩けた瞳には苦痛に似た色が混ざり始めていた。
 何も映していない虚ろな瞳をちらりと眺めたショロトルが、唇の端を吊り上げる。そのぎらつく両眼が、ケツァルコアトルに向けられる。そして、その口が大きく開いて。
 ショロトルの鋭い歯が、まだ血を滲ませている少し薄い肩に容赦無く食い込んだ。びくっと体を震わせた青年神が、声にならない絶叫を漏らす。
「っ、ーー!」
「おー、出さねえでちゃんとイけたか。偉いなー、頑張ったなー」
 びくびくと体を震わせる青年神には、揶揄の籠もった労いもきっと聞こえていない。くたりと倒れ込む体を受け止めたショロトルは、あやすようにその豊かな髪を撫でた。その優しげですらある手付きに、何か得体の知れない暗い感情がケツァルコアトルの胸で湧き上がりそうになる。
 乱れかかる髪の間から覗く、紅潮し蕩けたかんばせ。虚ろな、何も映していない瞳が、鈍く光る。開いたままの唇は血のように紅く、ちらりと見える歯並びがやけに白い。その鮮烈な色に茫然としてから、ケツァルコアトルはやっと目を背けることを思い出した。
「っ!?」
 慌てて目を逸らすと、ショロトルの笑う声がする。不快なその声につい目を向けてしまうと、邪悪な兄弟神はにんまりと笑みを深めた。
「お前も挿れるか? 代わってやるよ」
「な、」
 嘲りのたっぷりと込められた意地の悪い響きに、その卑猥な戯言に、咄嗟に反論さえ出来ない。我に返ったケツァルコアトルが言葉を探す前に、もう一柱の神の虚ろな呻きが耳に届いた。
「ぁ、……?」
 絶頂の余韻から漸く覚めてきたらしいその青年神が、ぼやけた声を漏らす。のろのろと持ち上がるその顔を覗き込み、ショロトルはわざとらしくにっこりと笑いかけた。
「もう大丈夫か? 後ろでイくの、ヨかったろ?」
「……ん」
 緩慢に頷いた青年神が、とろんと笑う。満足げに笑ったショロトルは、いかにも優しげな手付きで紅潮した頬を触り、甘い声音で問い掛けた。
「まだ、足りねえだろ?」
 擽るように頰を触りながら、ショロトルが甘く甘く尋ねる。青年神はぼんやりした瞳で少し考えて、それからとろっと笑った。
「たりない」
 もっと、と甘え蕩けた声がねだる。その声音に身震いしたケツァルコアトルにちらりと目を向けて嘲笑を浮かべたショロトルは、何を思ったか青年神の顎に手をかけて優しくケツァルコアトルの方を向かせた。
 理性のない瞳が、あどけないほど透明にケツァルコアトルに向けられる。その色に狼狽して息を飲んだケツァルコアトルの耳に、優しく言い含めるようなショロトルの声が届いた。
「なら、あいつのも、ココ、挿れてもらおうな?」
 甘い声で囁きながら、ショロトルの指はその場所をいやらしくなぞったらしい。既にショロトルの雄を深々と咥え込んでいる、その秘められた熱く狭い場所。
 くぅ、と声を漏らした青年神の虚ろな瞳に、怯えが揺れた。嫌々と首を横に振り、拙く訴える。
「ゃ、だ、むり……」
「無理じゃねえだろ。怖くねえから」
 ショロトルが宥めるような声を出しても、その神は聞き入れない。怯えた表情で、ふるふると首を横に揺らす。
「ゃだ、できな……っ」
「仕方ねえなあ」
 ぐずる相手にも、ショロトルは困った顔も見せない。わざとらしく息を吐いたその唇が、にんまりと笑って。
「もっと痛くてもっとキモチイイ事、したいだろ?」
 優しげな声で尋ねられた青年神は、ぱちりと瞬きをした。理性のない瞳に、薄ぼけた光が揺れる。
「も、っと……?」
 青年神は不思議そうに呟いて、考えるような顔をした。ショロトルの手がもう一度、その細面の顔をケツァルコアトルに向けさせて。無垢と呼べそうな視線に不意を突かれたケツァルコアトルは、身動きもできずにショロトルの声を聞いた。
「あいつのココに挿れたら、もっともっと痛くて、気が狂いそうにキモチイイだろうなあ?」
「っ、!」
 そんなことなどしない、勝手なことを言うなと、ケツァルコアトルが抗議する暇もなかった。透き通るようだった瞳に、淫らで貪婪な期待が満ちる。そのあまりにも醜怪な変化に棒立ちになるケツァルコアトルに構わず、青年神はもどかしげにショロトルに向き直り、甘えた声でせがむ。
「したい、して、しょろとる、はやく……っ」
「はは、その気になったか?」
 甘い声に揶揄されても、青年神は気に留めた様子もない。早く早くとねだる声にまた笑ったショロトルは、わざとらしい様子でケツァルコアトルの方に視線をよこした。
「ほら、言えるだろ? オネダリして、あいつの挿れてもらおうな」
「……ん」
 促されて幼子のように頷いたその神が、ゆるりとこちらに顔を向ける。はっと身構えるより早く、ケツァルコアトルはその視線に射竦められた。
 理性の色のない、蕩けきったその瞳。淫らな期待に染め上げられた眼。それが、甘やかに笑みを刷いて。
「なぁ、きて、はやく。けつぁる、こあとる」
「っ……!」
 その声に、ケツァルコアトルは思わず身震いした。舌足らずで幼い口調。甘えきった、あどけないとさえ呼べそうな、子供じみた声。怖気の走るようなその声が、なぜかケツァルコアトルの心臓を激しく揺さぶる。 
 返答もできないケツァルコアトルに、青年神は向き直ろうとした。もたもたと体をこちらに捻じ向けようとして、咥え込んだままのショロトルの雄を意識したのか吐息を震わせて。けれど甘えたその声は更にねだった。
「ぁ、ん、ゃく、はやく。がまん、できな……」
 蜜のような声音が耳を犯し、頭蓋の中を埋め尽くす。淫らに笑む美しいかんばせから、視線を逸せない。呼吸さえ忘れ、ケツァルコアトルは食い入るようにその笑顔を見つめた。
 あのきらきらと輝いていた少年神は、こんな声で、こんな口の聞き方で、淫らに誘いかけたりしない。あの眩しいほどに美しかった少年神は他ならぬこの神自身の手で殺され、貶められ、二度と帰ってこない。
 分かっているのに。誰よりも理解しているのに。どうして、その声は甘く聞こえるのだろう。
 立ち竦むケツァルコアトルに、その神はことんと首を傾げた。その手が、こちらへと差し伸べられて。
「いっしょに、きもちぃこと、しよう?」
 蕩けるように、その神は笑った。

 目眩と耳鳴りを感じながら、ケツァルコアトルは誘い寄せられるように足を進めていた。ふらふらと歩み寄り、寝床の傍に膝を突く。嘲りの篭った笑い声が聞こえたような気がしたが、すぐに耳鳴りの彼方に消え失せる。
 茫然としたまま、差し伸べられる手に触れた。ぎこちなく、恐る恐る、握り締める。熱いその指先は細くて、なよやかでさえあって、強く握れば砕け散ってしまいそうに思えた。
 その間もずっと、ケツァルコアトルはその細面のかんばせに目を奪われたままだった。満足げに笑う美しい顔から、目が離せない。あどけない光を満たした瞳に、心臓を鷲掴みにされたかのようだった。
 茫然としたまま、ケツァルコアトルはその愛らしく笑む顔に顔を寄せようとした。だが唇を重ねる一瞬前に、きょとんとして見上げている瞳を閉じさせたいと願う。
 だから空いている手で、その切れ長の目の端に触れた。不思議そうに瞬きをするその目元を指先でなぞる。それで理解したのか、長い睫毛に縁取られた瞼がそっと下された。
 その瞬間に、ケツァルコアトルははっと我に返った。その眼が掛けていた得体の知れない魔術から解き放たれるように、自分を取り戻した。
 自分は、何をしようとした。
「っ!?」
 弾かれたように身を離し、床に倒れてしまいそうになるのをやっと立て直す。心臓がどくどくと鼓動し始める。まだ手の中にあった悍ましい指を思い出して、投げ捨てるように振り払った。
「けつぁ、る……」
「呼ぶな!」
 不思議そうな声を遮って怒鳴りつけた。湧き上がる憎悪と憤怒はその淫蕩で残虐な神に対してのものであり、にやにやと眺めている兄弟神へのものであり、そして自分に向けられるものでもあった。
 この淫売は、あの少年神ではない。あの少年神は、二度と戻らない。もう二度と、あの少年神に手は届かない。あの美しかった少年神は、この無慈悲で淫乱な神自身の手で息の根を止められたのだから。
 そのことを、自分はどうして忘れることができたのだ。一瞬でもこの淫売に誑かされ、誘惑に乗ろうなどとしたのだ。そこに少年神の面影を見出したような錯覚に、うかうかと陥ったりなどしたのだ。
 激情と自己嫌悪を振り切るように、背を向けた。足早に出口を目指す。背中にぐずるような声がかかっても、ケツァルコアトルはもう決して振り返らなかった。 
「やだぁ、はやく……」
「はは、振られちまったなあ。カワイソウになあ」
 じゃあ、他のモノ挿れてやるからな、ちょっと待てな。あやすように甘ったるく囁く、ショロトルの薄気味悪い声。はやく、とそれに応える吐息は既にケツァルコアトルには興味を無くして、別の快楽に夢中になっている。
 それが何だ、自分には何ら関わりのないことだ。自分に言い聞かせながら部屋を飛び出す。驚いた顔で振り返る神官を突き飛ばさんばかりの勢いで、殆ど走るようにして神殿を出る。やっと日差しの中にまろび出た、その時だった。
『ぃ、ぁ、あぁああああああああああ!?』
 その淫らな穴に「他のモノ」をねじ込まれたのか。甘えた絶叫が、遠く聞こえた。耳を塞ぐ時間さえ惜しんで、ケツァルコアトルは逃げるように走り出した。
 
 やっとの思いで、自分の神殿に帰り着いて。誰も近寄るな、誰が来ても取り継ぐなと、震えそうな声で神官に命じて。奥の間に閉じ籠ったケツァルコアトルは、震えている手で自分の顔を覆った。
『きて、はやく』
『がまん、できな……』
『いっしょに、きもちぃこと、しよう?』
 いつまでも、耳の奥で反響している声。消し去りたいのに、薄れてさえくれない。声の亡霊はいつまでも囁き掛けて、ケツァルコアトルを苦しめる。
 まだ指に残っている、熱く細い指の悍ましい感触。打ち消すように装束で手を拭っても、肌にこびりついて離れない。その手を強く握りしめると、爪が掌に食い込んだ。
『けつぁる、こあとる』
 甘え切った声音が、また耳の奥で自分を呼ぶ。その悍ましさに身震いした。
 厭わしい兄弟神を咥え込んだままに、まだ足りないとケツァルコアトルにまで色目を使った淫乱。それに一瞬でも惑わされた自分が、許せない。
 激しい自己嫌悪に苛まれながら、崩れ落ちるようにして寝床に座りこんだ。やっとの思いで、あの淫売への怒りを呼び戻す。自分への軽蔑と憎悪を、その淫蕩な神へのものにすり替える。
 そうだ。恥じ入るべきは、あの淫らな神の方なのだ。誘惑し堕落へと誘い込もうとする者こそが悪なのだ。その犠牲者が、ただ毒に誑かされ惑わされた者が、罪悪感を覚える必要などあるものか。
 自分に何度も言い聞かせても、まだ不安げな鼓動を鎮めない心臓。心を落ち着けようと目を閉じ、ケツァルコアトルは身を横たえた。下肢でその器官が熱く強張っている理由など、知りたくもないのだから。
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