黒革の日記

桃井すもも

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「ここは宝の山だわ。」

端から順繰り眺めて歩き、ここが最奥と思われる書架まで進んだ。

時折、傷を付けぬよう気をつけながら書籍を棚から抜き出し、ゆっくり開いて中を確かめる。

大体が古い時代の戦記であったり詩歌であった。
装丁が美しいものも多く、流石は侯爵家。高価な書物を数多く保有している。

だが、キャスリーンが見付けた宝の山はそこではない。

壁側の角に背の低いテーブルがあり、そこにボロボロになった本が積まれて小さな山となっていた。
修復を試みて、作業半ばで打ち捨てられた様な有り様である。

キャスリーンは一番上の本に手を掛けて、途端に背筋に雷が走った。雷に打たれた事は無いけれど、それ程の衝撃を受けたのであった。

「これって古語じゃない。」
正しく古語で書かれた書籍である。

「何故こんなところに。」

こんな粗末な扱いを受けているだなんて。まるで本の心中を代弁する如く怒りが湧いてくる。

「ここはフランツに修復を頼んでもらいましょう。」

そう心に決めて、一番上の一冊を手に取った。そうしてそのまま数冊を続けて手に取り開いてみる。

やはり詩歌がその大半であった。
侯爵家の祖先は文学に造詣が深かったと見える。

「良い趣味をされていたのね。」
古い物語は、古語の教師からも読ませてもらった事がある。

何冊か目を通してみて、その内容は寓話の様な話しが多い。
小説という文学形態が成立する以前の時代だからか。

「面白いわ。今読んでみても。」

埃の匂いに咳き込みながら、時を忘れて読み耽った。途中、フランツがお茶を持ってきてくれて、そこで漸く立ちっぱなしであったのに気が付いた。
テーブルまで戻り、手に持った古語の書物を見せてみる。

「キャスリーン様が古語を読めるとは驚きです。早速旦那様の許可を願って修復を依頼致しましょう。」

珍しくフランツも逸る様に言ってくれた。同志を得たようで嬉しくなった。

「もう少しだけ読んでいても良いかしら?」

夕暮れまではまだ間が有る。

「日が落ちる前にお迎えに参ります。」

いつでもキャスリーンを慮ってくれるフランツは、やはりそう言ってくれた。


楽しい時間はあっと言う間である。
西の空が茜色に染まり始めた。
もうじき辺りは暗くなってしまう。ランプの無い室内で、古い書物を読むのはそろそろ限界だろう。

また明日時間を作ってここへ来よう。
そう決めて、元の場所に本を戻そうと奥まった角まで歩く。

夕暮れ前であるのに、そこには既に闇が迫っていた。
両側を書架、前は壁に囲まれて、音の無い宵闇が潜む世界。

静寂の余韻に浸っていたが、もういい加減戻ろうと、躓かぬ様に注意をしながら身体を反転させる。
そこで小さな違和感を感じた。

あれ?この書物だけ新しい。
古書が積み重なった下の方、黒い背表紙が艶を放っている。古い事は確かだろうが、古書に埋もれては新しく見えても仕方ない。

別の棚のものが混ざり込んだのね。
よいしょと屈み込んで、黒い背表紙に手を掛けた。
幸い上に重ねられた本をずらすだけで抜き取れそうだ。

右手で重なる本をゆっくり持ち上げる。
癒着が無いことを確認して、左手で黒革の本をずらしてみる。
こちらもくっついている様子は無い。

抜き出せそうね。

そろりそろりと引っ張れば、存外簡単に抜き出す事が出来た。

ふぅと溜息を付いて窓辺まで戻って、立ったまま本の表紙を確かめる。

表題が無い。本では無いのか。黒革の書物。
ゆっくり開いてみれば、文字が書き込まれていた。書物だから当たり前だが、それは青く色褪せたインクの文字であった。

「日記だわ。」

日付は無く、女性らしい流麗な文字が並んでいる。
何故、女性だと解ったか。
人目で解った。心を惹かれる男性への想いが綴られていたから。
偶々目に入った一文は、この日記の書き手が恋をしている事を示していた。

キャスリーンは本を裏返して裏表紙を見る。
何も書かれていないのを確かめて、裏側の見開きを開いた。見開きは空白であったが、文字が透けて見えた。
裏側のページを一枚めくって息を飲んだ。

Amanda

一行だけ、その名はしたためられていた。

「アマンダ、貴女、アマンダなの?!」

鮮やかな赤髪が目の前を掠めた気がした。



「君は、古語が読めるのか?」

フランツが今日の出来事を報告したのだろう。晩餐の席でアルフォンに尋ねられた。
古い図書室に入った事を咎める様子は無い。ただ純粋に疑問に思ったのだろう。

「はい。幼い頃より教師に付いて学んでおりました。」

「何故」
「興味があったのです。」
「幼いのにか?」
「偶々古語を目にする機会があったので。学べば読めると言われて。」
「あれは学んだからと、そう簡単に読めるものではないだろう。」
「旦那様。」

そこでアルフォンはキャスリーンの方を向いた。会話の間、二人は一度も視線を合わせていなかった。

「あの古書の修復をお願いしてもよろしいでしょうか。」
「読みたいのか?」
「ええ。」
「...良いだろう。フランツと費用を見積ってくれ。」

ハードルを一つ飛び越えられた。思わず部屋の角に控えていたフランツに視線を移せば、フランツは小さく頷いた。



「体調が悪いのか」

キャスリーンは驚いてしまった。
行為の最中に、夫から話し掛けられた事など今まで無かった。

「大丈夫です」

キャスリーンは日記が頭から離れない。
夫に覆いかぶさられても尚、日記の事を考えていた。夫が訝る位だから余程様子が可怪しかったのだろう。

こんな閨の場でさえ鮮烈な赤髪が脳裏を掠めて、まるでこの状態を、部屋の天井からあの漆黒の瞳で見下されているような気分になった。






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