5 / 68
【5】
しおりを挟む
「ここは宝の山だわ。」
端から順繰り眺めて歩き、ここが最奥と思われる書架まで進んだ。
時折、傷を付けぬよう気をつけながら書籍を棚から抜き出し、ゆっくり開いて中を確かめる。
大体が古い時代の戦記であったり詩歌であった。
装丁が美しいものも多く、流石は侯爵家。高価な書物を数多く保有している。
だが、キャスリーンが見付けた宝の山はそこではない。
壁側の角に背の低いテーブルがあり、そこにボロボロになった本が積まれて小さな山となっていた。
修復を試みて、作業半ばで打ち捨てられた様な有り様である。
キャスリーンは一番上の本に手を掛けて、途端に背筋に雷が走った。雷に打たれた事は無いけれど、それ程の衝撃を受けたのであった。
「これって古語じゃない。」
正しく古語で書かれた書籍である。
「何故こんなところに。」
こんな粗末な扱いを受けているだなんて。まるで本の心中を代弁する如く怒りが湧いてくる。
「ここはフランツに修復を頼んでもらいましょう。」
そう心に決めて、一番上の一冊を手に取った。そうしてそのまま数冊を続けて手に取り開いてみる。
やはり詩歌がその大半であった。
侯爵家の祖先は文学に造詣が深かったと見える。
「良い趣味をされていたのね。」
古い物語は、古語の教師からも読ませてもらった事がある。
何冊か目を通してみて、その内容は寓話の様な話しが多い。
小説という文学形態が成立する以前の時代だからか。
「面白いわ。今読んでみても。」
埃の匂いに咳き込みながら、時を忘れて読み耽った。途中、フランツがお茶を持ってきてくれて、そこで漸く立ちっぱなしであったのに気が付いた。
テーブルまで戻り、手に持った古語の書物を見せてみる。
「キャスリーン様が古語を読めるとは驚きです。早速旦那様の許可を願って修復を依頼致しましょう。」
珍しくフランツも逸る様に言ってくれた。同志を得たようで嬉しくなった。
「もう少しだけ読んでいても良いかしら?」
夕暮れまではまだ間が有る。
「日が落ちる前にお迎えに参ります。」
いつでもキャスリーンを慮ってくれるフランツは、やはりそう言ってくれた。
楽しい時間はあっと言う間である。
西の空が茜色に染まり始めた。
もうじき辺りは暗くなってしまう。ランプの無い室内で、古い書物を読むのはそろそろ限界だろう。
また明日時間を作ってここへ来よう。
そう決めて、元の場所に本を戻そうと奥まった角まで歩く。
夕暮れ前であるのに、そこには既に闇が迫っていた。
両側を書架、前は壁に囲まれて、音の無い宵闇が潜む世界。
静寂の余韻に浸っていたが、もういい加減戻ろうと、躓かぬ様に注意をしながら身体を反転させる。
そこで小さな違和感を感じた。
あれ?この書物だけ新しい。
古書が積み重なった下の方、黒い背表紙が艶を放っている。古い事は確かだろうが、古書に埋もれては新しく見えても仕方ない。
別の棚のものが混ざり込んだのね。
よいしょと屈み込んで、黒い背表紙に手を掛けた。
幸い上に重ねられた本をずらすだけで抜き取れそうだ。
右手で重なる本をゆっくり持ち上げる。
癒着が無いことを確認して、左手で黒革の本をずらしてみる。
こちらもくっついている様子は無い。
抜き出せそうね。
そろりそろりと引っ張れば、存外簡単に抜き出す事が出来た。
ふぅと溜息を付いて窓辺まで戻って、立ったまま本の表紙を確かめる。
表題が無い。本では無いのか。黒革の書物。
ゆっくり開いてみれば、文字が書き込まれていた。書物だから当たり前だが、それは青く色褪せたインクの文字であった。
「日記だわ。」
日付は無く、女性らしい流麗な文字が並んでいる。
何故、女性だと解ったか。
人目で解った。心を惹かれる男性への想いが綴られていたから。
偶々目に入った一文は、この日記の書き手が恋をしている事を示していた。
キャスリーンは本を裏返して裏表紙を見る。
何も書かれていないのを確かめて、裏側の見開きを開いた。見開きは空白であったが、文字が透けて見えた。
裏側のページを一枚めくって息を飲んだ。
Amanda
一行だけ、その名は認められていた。
「アマンダ、貴女、アマンダなの?!」
鮮やかな赤髪が目の前を掠めた気がした。
「君は、古語が読めるのか?」
フランツが今日の出来事を報告したのだろう。晩餐の席でアルフォンに尋ねられた。
古い図書室に入った事を咎める様子は無い。ただ純粋に疑問に思ったのだろう。
「はい。幼い頃より教師に付いて学んでおりました。」
「何故」
「興味があったのです。」
「幼いのにか?」
「偶々古語を目にする機会があったので。学べば読めると言われて。」
「あれは学んだからと、そう簡単に読めるものではないだろう。」
「旦那様。」
そこでアルフォンはキャスリーンの方を向いた。会話の間、二人は一度も視線を合わせていなかった。
「あの古書の修復をお願いしてもよろしいでしょうか。」
「読みたいのか?」
「ええ。」
「...良いだろう。フランツと費用を見積ってくれ。」
ハードルを一つ飛び越えられた。思わず部屋の角に控えていたフランツに視線を移せば、フランツは小さく頷いた。
「体調が悪いのか」
キャスリーンは驚いてしまった。
行為の最中に、夫から話し掛けられた事など今まで無かった。
「大丈夫です」
キャスリーンは日記が頭から離れない。
夫に覆いかぶさられても尚、日記の事を考えていた。夫が訝る位だから余程様子が可怪しかったのだろう。
こんな閨の場でさえ鮮烈な赤髪が脳裏を掠めて、まるでこの状態を、部屋の天井からあの漆黒の瞳で見下されているような気分になった。
端から順繰り眺めて歩き、ここが最奥と思われる書架まで進んだ。
時折、傷を付けぬよう気をつけながら書籍を棚から抜き出し、ゆっくり開いて中を確かめる。
大体が古い時代の戦記であったり詩歌であった。
装丁が美しいものも多く、流石は侯爵家。高価な書物を数多く保有している。
だが、キャスリーンが見付けた宝の山はそこではない。
壁側の角に背の低いテーブルがあり、そこにボロボロになった本が積まれて小さな山となっていた。
修復を試みて、作業半ばで打ち捨てられた様な有り様である。
キャスリーンは一番上の本に手を掛けて、途端に背筋に雷が走った。雷に打たれた事は無いけれど、それ程の衝撃を受けたのであった。
「これって古語じゃない。」
正しく古語で書かれた書籍である。
「何故こんなところに。」
こんな粗末な扱いを受けているだなんて。まるで本の心中を代弁する如く怒りが湧いてくる。
「ここはフランツに修復を頼んでもらいましょう。」
そう心に決めて、一番上の一冊を手に取った。そうしてそのまま数冊を続けて手に取り開いてみる。
やはり詩歌がその大半であった。
侯爵家の祖先は文学に造詣が深かったと見える。
「良い趣味をされていたのね。」
古い物語は、古語の教師からも読ませてもらった事がある。
何冊か目を通してみて、その内容は寓話の様な話しが多い。
小説という文学形態が成立する以前の時代だからか。
「面白いわ。今読んでみても。」
埃の匂いに咳き込みながら、時を忘れて読み耽った。途中、フランツがお茶を持ってきてくれて、そこで漸く立ちっぱなしであったのに気が付いた。
テーブルまで戻り、手に持った古語の書物を見せてみる。
「キャスリーン様が古語を読めるとは驚きです。早速旦那様の許可を願って修復を依頼致しましょう。」
珍しくフランツも逸る様に言ってくれた。同志を得たようで嬉しくなった。
「もう少しだけ読んでいても良いかしら?」
夕暮れまではまだ間が有る。
「日が落ちる前にお迎えに参ります。」
いつでもキャスリーンを慮ってくれるフランツは、やはりそう言ってくれた。
楽しい時間はあっと言う間である。
西の空が茜色に染まり始めた。
もうじき辺りは暗くなってしまう。ランプの無い室内で、古い書物を読むのはそろそろ限界だろう。
また明日時間を作ってここへ来よう。
そう決めて、元の場所に本を戻そうと奥まった角まで歩く。
夕暮れ前であるのに、そこには既に闇が迫っていた。
両側を書架、前は壁に囲まれて、音の無い宵闇が潜む世界。
静寂の余韻に浸っていたが、もういい加減戻ろうと、躓かぬ様に注意をしながら身体を反転させる。
そこで小さな違和感を感じた。
あれ?この書物だけ新しい。
古書が積み重なった下の方、黒い背表紙が艶を放っている。古い事は確かだろうが、古書に埋もれては新しく見えても仕方ない。
別の棚のものが混ざり込んだのね。
よいしょと屈み込んで、黒い背表紙に手を掛けた。
幸い上に重ねられた本をずらすだけで抜き取れそうだ。
右手で重なる本をゆっくり持ち上げる。
癒着が無いことを確認して、左手で黒革の本をずらしてみる。
こちらもくっついている様子は無い。
抜き出せそうね。
そろりそろりと引っ張れば、存外簡単に抜き出す事が出来た。
ふぅと溜息を付いて窓辺まで戻って、立ったまま本の表紙を確かめる。
表題が無い。本では無いのか。黒革の書物。
ゆっくり開いてみれば、文字が書き込まれていた。書物だから当たり前だが、それは青く色褪せたインクの文字であった。
「日記だわ。」
日付は無く、女性らしい流麗な文字が並んでいる。
何故、女性だと解ったか。
人目で解った。心を惹かれる男性への想いが綴られていたから。
偶々目に入った一文は、この日記の書き手が恋をしている事を示していた。
キャスリーンは本を裏返して裏表紙を見る。
何も書かれていないのを確かめて、裏側の見開きを開いた。見開きは空白であったが、文字が透けて見えた。
裏側のページを一枚めくって息を飲んだ。
Amanda
一行だけ、その名は認められていた。
「アマンダ、貴女、アマンダなの?!」
鮮やかな赤髪が目の前を掠めた気がした。
「君は、古語が読めるのか?」
フランツが今日の出来事を報告したのだろう。晩餐の席でアルフォンに尋ねられた。
古い図書室に入った事を咎める様子は無い。ただ純粋に疑問に思ったのだろう。
「はい。幼い頃より教師に付いて学んでおりました。」
「何故」
「興味があったのです。」
「幼いのにか?」
「偶々古語を目にする機会があったので。学べば読めると言われて。」
「あれは学んだからと、そう簡単に読めるものではないだろう。」
「旦那様。」
そこでアルフォンはキャスリーンの方を向いた。会話の間、二人は一度も視線を合わせていなかった。
「あの古書の修復をお願いしてもよろしいでしょうか。」
「読みたいのか?」
「ええ。」
「...良いだろう。フランツと費用を見積ってくれ。」
ハードルを一つ飛び越えられた。思わず部屋の角に控えていたフランツに視線を移せば、フランツは小さく頷いた。
「体調が悪いのか」
キャスリーンは驚いてしまった。
行為の最中に、夫から話し掛けられた事など今まで無かった。
「大丈夫です」
キャスリーンは日記が頭から離れない。
夫に覆いかぶさられても尚、日記の事を考えていた。夫が訝る位だから余程様子が可怪しかったのだろう。
こんな閨の場でさえ鮮烈な赤髪が脳裏を掠めて、まるでこの状態を、部屋の天井からあの漆黒の瞳で見下されているような気分になった。
1,664
お気に入りに追加
2,146
あなたにおすすめの小説
結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。
真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。
親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。
そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。
(しかも私にだけ!!)
社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。
最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。
(((こんな仕打ち、あんまりよーー!!)))
旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。
この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。
天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」
目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。
「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」
そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――?
そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た!
っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!!
っていうか、ここどこ?!
※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました
※他サイトにも掲載中
【完結】大好きな貴方、婚約を解消しましょう
凛蓮月
恋愛
大好きな貴方、婚約を解消しましょう。
私は、恋に夢中で何も見えていなかった。
だから、貴方に手を振り払われるまで、嫌われていることさえ気付か
なかったの。
※この作品は「小説家になろう」内の「名も無き恋の物語【短編集】」「君と甘い一日を」より抜粋したものです。
2022/9/5
隣国の王太子の話【王太子は、婚約者の愛を得られるか】完結しました。
お見かけの際はよろしくお願いしますm(_ _ )m
アリシアの恋は終わったのです。
ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。
その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。
そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。
反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。
案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。
ーーーーー
12話で完結します。
よろしくお願いします(´∀`)
さよなら私の愛しい人
ペン子
恋愛
由緒正しき大店の一人娘ミラは、結婚して3年となる夫エドモンに毛嫌いされている。二人は親によって決められた政略結婚だったが、ミラは彼を愛してしまったのだ。邪険に扱われる事に慣れてしまったある日、エドモンの口にした一言によって、崩壊寸前の心はいとも簡単に砕け散った。「お前のような役立たずは、死んでしまえ」そしてミラは、自らの最期に向けて動き出していく。
※5月30日無事完結しました。応援ありがとうございます!
※小説家になろう様にも別名義で掲載してます。
私のことを愛していなかった貴方へ
矢野りと
恋愛
婚約者の心には愛する女性がいた。
でも貴族の婚姻とは家と家を繋ぐのが目的だからそれも仕方がないことだと承知して婚姻を結んだ。私だって彼を愛して婚姻を結んだ訳ではないのだから。
でも穏やかな結婚生活が私と彼の間に愛を芽生えさせ、いつしか永遠の愛を誓うようになる。
だがそんな幸せな生活は突然終わりを告げてしまう。
夫のかつての想い人が現れてから私は彼の本心を知ってしまい…。
*設定はゆるいです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる