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その日の晩餐の席に、エレノアは現れなかった。心做しか母も元気が無い。何時になく静かな晩餐であった。
父に呼ばれていたエリザベスば、晩餐の後に父の執務室を訪ねた。
例によって琥珀色の蒸留酒が用意されており、父が寛ぎの時を過ごしているのが解った。
「お父様、お姉様は如何でしたでしょうか?」
エリザベスがそう聞けば父は、口に含んだブランデーをゆっくり飲み込んだ。
それから、
「承知したよ。」とだけ言う。
更なる説明をエリザベスが欲しているのが解っているのか、父はふっと笑みを漏らした。
「心配しなくともよい。エレノアなら大丈夫だ。」
「晩餐にもいらっしゃらなかったわ。」
「お前にどんな顔をしてよいのか分からなかったのだろう。」
「え?」
思いも掛けない父の言葉に戸惑っていると、
「あれはずっと逃げてきた。後継からもジョージ殿からも。」
「逃げる?」
「エリザベス。人にはそれぞれ役割がある。同じように、適材と云うものがある。」
エリザベスは父の言葉に耳を傾ける。
「エレノアは後継から逃げ出した。その方法がジョージ殿との婚約だった。」
「お姉様はジョージ様をお慕いしているのだと、」
晩餐の席で、父にジョージとの婚約を望んだ姉を思い出す。
「憎からずは思っていたろう。けれども、あれには手強い相手であったろう。何しろジョージ殿は純然たる侯爵家後継者であったからな。逃げ出したエリザベスでは敵わなかっただろう。」
「敵わない?」
「相手にされないと言うことだ。」
「ならば何故婚約なんて、」
「それも何れ逃げ出すと思っていたのではないかな。」
ジョージ様はエレノアに好意を持っていなかったのだろうか。
「お父様、ジョージ様はお姉様をどう思っていらしたのでしょう。」
「それは自分で聞いてみなさい。夫になるのだから。」
夫ですって!
エリザベスは、気恥ずかしさを今頃になって覚えた。
「エレノアにはお前ほどの教育は施してはいない。まあ、その前に逃げたがな。そうして逃げた先にも大きな責務がある事に気がついて、ウィリアム殿に逃げたのだろう。あれは侯爵夫人教育からも逃げ出した。」
エレノアが侯爵家の夫人教育に出掛ける姿を見た記憶が無かった。その前に、エリザベス自身が後継教育にあっぷあっぷで、余所を気に掛ける余裕が無かったのだが。
「エレノアは逃げてばかりだが、それも仕方の無い事だと思っているんだよ。」
「それはどういう?」
「エレノアにはエレノアの在り方がある。人を仕切って家政を熟すだけが妻ではない。お前の母をご覧。」
「お母様を?」
「あれも家政の多くをトマスに任せている。」トマスとは執事の名である。
「私はそれでも良いと思っているんだよ。あれが笑っていられるのなら。」
晩餐の席での朗らかな母の姿が思い浮かんだ。
「私は朴念仁だ。それ程気も利かない面白味の無い男だよ。それでも、あれが笑ってくれるから我が家は賑やかで明るい。あれはあちこち顔を出している社交の場でも、人と争った例(ためし)がない。上手くやってくれている。」
そこで父はブランデーで喉を潤す。そうして、
「私は彼女に感謝している。家を明るく盛り立てて、何より可愛い娘を二人も私に授けてくれた。」
と父が続ける。
「エレノアにはエレノアが生かされる場所がある。お前の母の様に。愛されて朗らかに笑って、そうして家庭を盛り立てて生きる道もある。家政など、優秀な従者を頼めば何とでもなろう。ウィリアム殿は、エレノアのそう云う所を愛して下さるだろう。お前には辛い経験をさせた。しかし、どうやらウィリアム殿もエレノアとは似た者同士であるらしい。彼にもしっかりとした従者が必要だがね。」
「お父様、お父様は私とウィリアム様がこうなることが解って婚約をさせたの?」
そこで父は少しばかり考える風であった。
「お前なら彼も成長出来ると思った。きっとウィリアム殿もそう思ったのではないかな。けれども、エレノアが側にいてはね。そうしてやはり、ウィリアム殿もエレノアへの気持ちを誤魔化せなかったのだろう。」
「二人は互いに慕っているのですよね?」
「想い合ってはいるだろう。互いが互いの逃げ場でもあったろうから。」
「逃げ場?」
「お前やジョージ殿とは生き方も考え方も異なるからね。互いに同じ思いを抱いていたのなら、自然心も通うだろう。」
「お父様、侯爵様はこんな私たちの勝手を何とお思いなのでしょうか。」
エリザベスは、以前からその事が気掛かりであった。
「エリザベス、今だからお前に話しておこう。」
父はそこで改めて話し始めた。
「侯爵様は最初からお前をお望みであった。何れ、伯爵家当主として侯爵家当主夫人として、お前には二足の草鞋を履かせようとお考えであった。未だ学園にも入っていない幼い頃から。」
「真逆、」
「真実(まこと)の事だよ。侯爵様は初めから、ジョージ殿にお前を添わせたいとお考えであった。だから私はお前には、殊の外厳しい教育を施した。令嬢らしい楽しみも華やぎも無く教育に追われ、寝る間も削って執務を学んでいることは解っていた。可哀想な事をしているとも。お前が折れてしまうのではと心配であった。だが、お前ならばきっと成し遂げるとも思っていた。そしてその通り、お前は成し遂げてくれた。お前ならば、事業の経営も領地を守り盛り立てることも、そこにいつか喜びを見出すだろうと思っていたよ。いや、願っていたのかな。だから、少しでも力になればとセドリックを与えたのだよ。」
考えの追いつかない様子のエリザベスに、父の言葉は続く。
父に呼ばれていたエリザベスば、晩餐の後に父の執務室を訪ねた。
例によって琥珀色の蒸留酒が用意されており、父が寛ぎの時を過ごしているのが解った。
「お父様、お姉様は如何でしたでしょうか?」
エリザベスがそう聞けば父は、口に含んだブランデーをゆっくり飲み込んだ。
それから、
「承知したよ。」とだけ言う。
更なる説明をエリザベスが欲しているのが解っているのか、父はふっと笑みを漏らした。
「心配しなくともよい。エレノアなら大丈夫だ。」
「晩餐にもいらっしゃらなかったわ。」
「お前にどんな顔をしてよいのか分からなかったのだろう。」
「え?」
思いも掛けない父の言葉に戸惑っていると、
「あれはずっと逃げてきた。後継からもジョージ殿からも。」
「逃げる?」
「エリザベス。人にはそれぞれ役割がある。同じように、適材と云うものがある。」
エリザベスは父の言葉に耳を傾ける。
「エレノアは後継から逃げ出した。その方法がジョージ殿との婚約だった。」
「お姉様はジョージ様をお慕いしているのだと、」
晩餐の席で、父にジョージとの婚約を望んだ姉を思い出す。
「憎からずは思っていたろう。けれども、あれには手強い相手であったろう。何しろジョージ殿は純然たる侯爵家後継者であったからな。逃げ出したエリザベスでは敵わなかっただろう。」
「敵わない?」
「相手にされないと言うことだ。」
「ならば何故婚約なんて、」
「それも何れ逃げ出すと思っていたのではないかな。」
ジョージ様はエレノアに好意を持っていなかったのだろうか。
「お父様、ジョージ様はお姉様をどう思っていらしたのでしょう。」
「それは自分で聞いてみなさい。夫になるのだから。」
夫ですって!
エリザベスは、気恥ずかしさを今頃になって覚えた。
「エレノアにはお前ほどの教育は施してはいない。まあ、その前に逃げたがな。そうして逃げた先にも大きな責務がある事に気がついて、ウィリアム殿に逃げたのだろう。あれは侯爵夫人教育からも逃げ出した。」
エレノアが侯爵家の夫人教育に出掛ける姿を見た記憶が無かった。その前に、エリザベス自身が後継教育にあっぷあっぷで、余所を気に掛ける余裕が無かったのだが。
「エレノアは逃げてばかりだが、それも仕方の無い事だと思っているんだよ。」
「それはどういう?」
「エレノアにはエレノアの在り方がある。人を仕切って家政を熟すだけが妻ではない。お前の母をご覧。」
「お母様を?」
「あれも家政の多くをトマスに任せている。」トマスとは執事の名である。
「私はそれでも良いと思っているんだよ。あれが笑っていられるのなら。」
晩餐の席での朗らかな母の姿が思い浮かんだ。
「私は朴念仁だ。それ程気も利かない面白味の無い男だよ。それでも、あれが笑ってくれるから我が家は賑やかで明るい。あれはあちこち顔を出している社交の場でも、人と争った例(ためし)がない。上手くやってくれている。」
そこで父はブランデーで喉を潤す。そうして、
「私は彼女に感謝している。家を明るく盛り立てて、何より可愛い娘を二人も私に授けてくれた。」
と父が続ける。
「エレノアにはエレノアが生かされる場所がある。お前の母の様に。愛されて朗らかに笑って、そうして家庭を盛り立てて生きる道もある。家政など、優秀な従者を頼めば何とでもなろう。ウィリアム殿は、エレノアのそう云う所を愛して下さるだろう。お前には辛い経験をさせた。しかし、どうやらウィリアム殿もエレノアとは似た者同士であるらしい。彼にもしっかりとした従者が必要だがね。」
「お父様、お父様は私とウィリアム様がこうなることが解って婚約をさせたの?」
そこで父は少しばかり考える風であった。
「お前なら彼も成長出来ると思った。きっとウィリアム殿もそう思ったのではないかな。けれども、エレノアが側にいてはね。そうしてやはり、ウィリアム殿もエレノアへの気持ちを誤魔化せなかったのだろう。」
「二人は互いに慕っているのですよね?」
「想い合ってはいるだろう。互いが互いの逃げ場でもあったろうから。」
「逃げ場?」
「お前やジョージ殿とは生き方も考え方も異なるからね。互いに同じ思いを抱いていたのなら、自然心も通うだろう。」
「お父様、侯爵様はこんな私たちの勝手を何とお思いなのでしょうか。」
エリザベスは、以前からその事が気掛かりであった。
「エリザベス、今だからお前に話しておこう。」
父はそこで改めて話し始めた。
「侯爵様は最初からお前をお望みであった。何れ、伯爵家当主として侯爵家当主夫人として、お前には二足の草鞋を履かせようとお考えであった。未だ学園にも入っていない幼い頃から。」
「真逆、」
「真実(まこと)の事だよ。侯爵様は初めから、ジョージ殿にお前を添わせたいとお考えであった。だから私はお前には、殊の外厳しい教育を施した。令嬢らしい楽しみも華やぎも無く教育に追われ、寝る間も削って執務を学んでいることは解っていた。可哀想な事をしているとも。お前が折れてしまうのではと心配であった。だが、お前ならばきっと成し遂げるとも思っていた。そしてその通り、お前は成し遂げてくれた。お前ならば、事業の経営も領地を守り盛り立てることも、そこにいつか喜びを見出すだろうと思っていたよ。いや、願っていたのかな。だから、少しでも力になればとセドリックを与えたのだよ。」
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