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考えが追いつかず言葉を失うエリザベスに父は続ける。
「ウィリアム殿とエレノアの子爵家には、侯爵家から従者が付けられる。彼らがエレノア達の力になるだろう。ああ、それから、」
と、父はついでとばかりに、
「ジョージ殿は、エレノアとの婚約前からお前との婚姻をお望みであった。」
とても大切な事を、たった今思い出したように話したのであった。
「ジョージ殿は幼いお前を好ましく思っていらした。エレノアとの婚約は貸しだと仰っていたよ。だから、今回もその貸しを返せと仰ってな。」
はは、と珍しく声に出して父が笑った。
そうして最後に、
「エリザベス、侯爵家にはセドリックを連れて行きなさい。お前の従者として、これからお前の生む子の教育者として。ああ、その前に、セドリックは婚姻させねばな。」
と、エリザベスの後ろに控えるセドリックに向けて
「セドリック、今までご苦労であった。お前もアメリアも随分と待たせてしまった。アメリアと一緒に侯爵家へ行ってくれるか?エリザベスには、まだまだお前が必要だ。」そう語り掛けた。
アメリアとは伯爵家の侍女である。
そしてセドリックの婚約者である。
二人は婚姻を目前に控えていたのを、セドリックが幼いエリザベスの侍従となったことにより、エリザベスが独り立ちするまではと婚姻を延ばしていた。
ジョージへ嫁ぐエリザベスに仕える形で、セドリックとアメリアは漸く夫婦となって侯爵家へ移る事となったのである。
いつの間にか父のグラスは空になっていた。
「トマス、もう一杯よいかな?」
執事のトマスに、まるで伺いを立てるように二杯目を頼む父は、幼い頃から知る父ではなくて、信頼する腹心の部下に心を許す気安さがあった。
「今日だけでございますよ?」
冗談を言うトマスに場が和む。
「解ってるよ、トマス。今日は目出度い日なんだ。娘が侯爵家の倅に拐われてしまったからな。」
ジョージを倅に呼ばわりする父の軽口に、エリザベスは笑ってしまった。笑いながら涙も出てしまい、結果笑い泣きとなってしまった。
けれども、そんな事はちっとも気にならなかった。何故なら、部屋中皆、同じようなものであったから。父が涙を拭く姿を、エリザベスは初めて見た。そうしてその姿を決して忘れまいと、瞳に焼き付けたのであった。
灯りを手に、宵闇の邸を先導するセドリックの背中を見つめる。
十二歳の頃から、孤独なエリザベスを導いてくれた道標。この背中をみながら頑張った。エリザベスが前に出る時は、その背中を守ってもらった。
そこにはセドリックの幸せを犠牲にしていた。アメリアは心根が美しい。そして辛抱強く何より温かな女性だ。
「セドリック、漸く貴方に幸せを返せるわ。」
「私はいつでも幸せでした。エリザベス様。」
ほんの少しこちらを振り返り、セドリックが言う。
「アメリアには申し訳なかったわ。」
女の一生は短い。その女の盛りに待ちぼうけをさせてしまった。
「お嬢様の幸せを、アメリアも願っておりました。」
お嬢様とセドリックは呼んだ。五年ぶりの事であった。後継教育が始まってからはエリザベス様と呼ばれていたから。
「また私に付き合わせてしまうわ。お父様の下も離されてしまって。」
「私はエリザベス様の従者です。当然の事です。」
「有難う。貴方達がいてくれるなら嬉しいわ。わ、わ、私の子供も宜しくね。」
未だ生まれていない我が子の事を話せば、エリザベスの顔が真っ赤に火照る。宵闇の中で良かった。
「お待ちしております。お二人を。」
最低二人は生まねばならない。父との会話を思い出して恥ずかしくて堪らない。
「まあ、直ぐにお会い出来るでしょう。」
もう!お願いだからそう云う事を言うのはやめてよね!ほんと恥ずかしい!
エリザベスの無言を察したセドリックがくすりと笑った。
笑ったわね!憶えてらっしゃい、と言いたい事すら恥ずかしくて、無言で歩くエリザベスであった。
「漸く貴女を娘に出来るわね。」
今日、エリザベスは侯爵家を訪っている。
侯爵夫人にお茶のご招待を受けた。
幼い頃には、キャサリン様と名前で呼ぶ事を許されて、幼馴染の母と慕った人である。懐かしくあるも、改めて侯爵夫人、そして義母になるのだと思うと、些か緊張するのであった。
「大きくなったわね。」
もう眼差しは娘を見る母の目線である。
「エリザベス、貴女には苦労を掛けたわね。可哀想な事をしたと思っているのよ。最初からジョージと婚約させられたら良かったのに。」
「案じて頂き有難うございます、お義母様。けれど、ご心配には及びません。いまだから私はジョージ様と向き合えますの。幼い頃では解らなかったかも知れません。」
"お義母様"のワードに夫人が目を細めた。
「とんだ朴念仁よ?あれは。」
朴念仁なら慣れている。自称・朴念仁の父の顔が思い浮かぶ。
「ヘンリーも漸くと言ったところでしょう。貴女の準備が整うのをずっと待っていたわ。」
ヘンリーとは侯爵様の名である。
準備とは後継教育か、ジョージと心を通わせ合った事か。
「ウィリアムも少しは自覚が出たのではないかしら。妻を娶るのですから。」
甘ったれな二人ですけどね、そう言いながら笑みを浮かべる夫人は、子の幸せを願う母の顔であった。
「ウィリアム殿とエレノアの子爵家には、侯爵家から従者が付けられる。彼らがエレノア達の力になるだろう。ああ、それから、」
と、父はついでとばかりに、
「ジョージ殿は、エレノアとの婚約前からお前との婚姻をお望みであった。」
とても大切な事を、たった今思い出したように話したのであった。
「ジョージ殿は幼いお前を好ましく思っていらした。エレノアとの婚約は貸しだと仰っていたよ。だから、今回もその貸しを返せと仰ってな。」
はは、と珍しく声に出して父が笑った。
そうして最後に、
「エリザベス、侯爵家にはセドリックを連れて行きなさい。お前の従者として、これからお前の生む子の教育者として。ああ、その前に、セドリックは婚姻させねばな。」
と、エリザベスの後ろに控えるセドリックに向けて
「セドリック、今までご苦労であった。お前もアメリアも随分と待たせてしまった。アメリアと一緒に侯爵家へ行ってくれるか?エリザベスには、まだまだお前が必要だ。」そう語り掛けた。
アメリアとは伯爵家の侍女である。
そしてセドリックの婚約者である。
二人は婚姻を目前に控えていたのを、セドリックが幼いエリザベスの侍従となったことにより、エリザベスが独り立ちするまではと婚姻を延ばしていた。
ジョージへ嫁ぐエリザベスに仕える形で、セドリックとアメリアは漸く夫婦となって侯爵家へ移る事となったのである。
いつの間にか父のグラスは空になっていた。
「トマス、もう一杯よいかな?」
執事のトマスに、まるで伺いを立てるように二杯目を頼む父は、幼い頃から知る父ではなくて、信頼する腹心の部下に心を許す気安さがあった。
「今日だけでございますよ?」
冗談を言うトマスに場が和む。
「解ってるよ、トマス。今日は目出度い日なんだ。娘が侯爵家の倅に拐われてしまったからな。」
ジョージを倅に呼ばわりする父の軽口に、エリザベスは笑ってしまった。笑いながら涙も出てしまい、結果笑い泣きとなってしまった。
けれども、そんな事はちっとも気にならなかった。何故なら、部屋中皆、同じようなものであったから。父が涙を拭く姿を、エリザベスは初めて見た。そうしてその姿を決して忘れまいと、瞳に焼き付けたのであった。
灯りを手に、宵闇の邸を先導するセドリックの背中を見つめる。
十二歳の頃から、孤独なエリザベスを導いてくれた道標。この背中をみながら頑張った。エリザベスが前に出る時は、その背中を守ってもらった。
そこにはセドリックの幸せを犠牲にしていた。アメリアは心根が美しい。そして辛抱強く何より温かな女性だ。
「セドリック、漸く貴方に幸せを返せるわ。」
「私はいつでも幸せでした。エリザベス様。」
ほんの少しこちらを振り返り、セドリックが言う。
「アメリアには申し訳なかったわ。」
女の一生は短い。その女の盛りに待ちぼうけをさせてしまった。
「お嬢様の幸せを、アメリアも願っておりました。」
お嬢様とセドリックは呼んだ。五年ぶりの事であった。後継教育が始まってからはエリザベス様と呼ばれていたから。
「また私に付き合わせてしまうわ。お父様の下も離されてしまって。」
「私はエリザベス様の従者です。当然の事です。」
「有難う。貴方達がいてくれるなら嬉しいわ。わ、わ、私の子供も宜しくね。」
未だ生まれていない我が子の事を話せば、エリザベスの顔が真っ赤に火照る。宵闇の中で良かった。
「お待ちしております。お二人を。」
最低二人は生まねばならない。父との会話を思い出して恥ずかしくて堪らない。
「まあ、直ぐにお会い出来るでしょう。」
もう!お願いだからそう云う事を言うのはやめてよね!ほんと恥ずかしい!
エリザベスの無言を察したセドリックがくすりと笑った。
笑ったわね!憶えてらっしゃい、と言いたい事すら恥ずかしくて、無言で歩くエリザベスであった。
「漸く貴女を娘に出来るわね。」
今日、エリザベスは侯爵家を訪っている。
侯爵夫人にお茶のご招待を受けた。
幼い頃には、キャサリン様と名前で呼ぶ事を許されて、幼馴染の母と慕った人である。懐かしくあるも、改めて侯爵夫人、そして義母になるのだと思うと、些か緊張するのであった。
「大きくなったわね。」
もう眼差しは娘を見る母の目線である。
「エリザベス、貴女には苦労を掛けたわね。可哀想な事をしたと思っているのよ。最初からジョージと婚約させられたら良かったのに。」
「案じて頂き有難うございます、お義母様。けれど、ご心配には及びません。いまだから私はジョージ様と向き合えますの。幼い頃では解らなかったかも知れません。」
"お義母様"のワードに夫人が目を細めた。
「とんだ朴念仁よ?あれは。」
朴念仁なら慣れている。自称・朴念仁の父の顔が思い浮かぶ。
「ヘンリーも漸くと言ったところでしょう。貴女の準備が整うのをずっと待っていたわ。」
ヘンリーとは侯爵様の名である。
準備とは後継教育か、ジョージと心を通わせ合った事か。
「ウィリアムも少しは自覚が出たのではないかしら。妻を娶るのですから。」
甘ったれな二人ですけどね、そう言いながら笑みを浮かべる夫人は、子の幸せを願う母の顔であった。
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