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奈落の麗姫(うるわしひめ)編
第五話「轍鮒の急」
しおりを挟む第五話「轍鮒の急」
「それで?焔姫の部隊が現れたから追撃を中止して此方も退いたのですね」
銀縁眼鏡の秘書風美女がレンズを光らせて問う。
「そうさね、初戦は勝ったからね。下手に深追いして”あの化物”と削り合うのは得策じゃないだろう?」
細く切れ長な瞳と薄く赤い唇という実に色気漂う女が泰然たる態度で応じた。
新政・天都原本陣にて――
”詰めの行動”に異論があった十三院 十三子と、現場指揮に確固たる自信がある十一紋 十一は、お互い含みを持たせた言葉と険しい表情で対峙していた。
――カンッ!
「!」
「!?」
そんな剣呑な雰囲気の場に無機質な音が響く――
それはクリスタルの澄んだ盤面上に、精巧な王の彫刻が施された駒が置かれた音だ。
「それで良いわ。何の道、あの男が、あの……”食わせ者”が逃げに入ったら仕留めるのは困難極まりないわ」
変わらず盤面を見つめたままの美姫の表情は二人からは窺い知れないが……
駒を置いたときの彼女らしからぬ粗雑な音に、王族特別親衛隊の二人は思わずビクリと背筋を正し、銘々が主君を傾注していたのだ。
「……」
「……」
しかし、なんとも言えぬ緊張感……
つい先ほど大勝したとは思えぬ本営の空気である。
「そうね……」
更に――
美しい刺繍で彩られた闇黒系統の可憐な女性用軍服に身を包んだ絶世の美姫、
盤面を見つめていた京極 陽子は、腰まで届く緑の黒髪をゆっくりと踊らせて振り向く……
「っ!」
「っ!?」
その表情は臣下の二人の予想に反して――
白く透き通った陶器の肌に対照的な艶やかな紅を綻ばせ、黒髪の希有なる美姫は穏やかに微笑んでいたのだ。
「大義でした二人とも。今日はもう戦闘は無いでしょうから、部下共々ゆっくりと休みなさい」
恐ろしいまでに他人を惹きつける奈落の双瞳――
その暗黒色の双瞳に魅入られ、つい二人は幽世へと踏み入れてしまったかの幻覚に囚われる……
陽子の魔眼の前には、どの様な人物も真面な自我を保つのさえ難しいのだ。
「り、了解さ……ね、御姫様」
「か、畏まりました、陽子様」
幻想的なほどに気高く美しい主君に見蕩、呆けそうになってしまうのを裁ち切って、二人はなんとか敬礼だけしてからその場を去って行った。
――
唯独り――
そこに残った美姫は……
「……………………ふふ」
少し上ずったような震える声で、彼女は盤面上の王を人差し指で押さえる。
「やってくれるわ……最嘉。いつも……いつも……あなたは……私の神域にも無い理不尽を……」
華奢で白い指先には過多な加重が加えられ、駒は小刻みに震えて――
「……其れを押し通す」
――ガコッ!
そのまま、美姫の指と盤面の圧に弾けた王の駒は地面に落下し転がっていた。
「そうよ……こんなに乱されるのは最嘉しかいないわ」
足下に転がる王の駒を、実際に這いつくばる敵軍の王を美しき眼差しで見下す様な美姫は……
「……ふ……ふふ」
それでも、なにを想って微笑むのか?
「ねぇ、弑されたいの?それとも……私を……」
――盤面遊戯
白と黒の盤面遊戯を前に、冷徹なる無垢なる深淵の京極 陽子は、その”食わせ者”との次戦に向けて完璧な策を思考し始めていたのだった。
――
―
「確か”絶禍輪”と……敵の中では呼ばれていたそうです」
激戦地を無事離れる事に成功した後、俺の元へと直接報告に訪れた宗三 壱はそう告げた。
「なるほど、対峙する敵にとっては絶対的な禍となる車輪群……ねぇ?」
それを足を組んで座した俺は、如何にも不機嫌な頬杖越しに聞く。
――”車懸かりの陣”……改め”絶禍輪”
やられる方にとっては言い得て妙な……
――全く、性格の悪いお嬢様だ
巨大な車輪の轍に陥って瀕死の臨海軍。
「まさに現在の俺達は”轍鮒の急”ってか」
「最嘉さま……」
半ば自嘲気味に吐き捨てた俺の感想に、もう一人の側近で、同じく俺の元へと駆けつけて来ていた鈴原 真琴が心配そうに俺を見ていた。
――おおっと!?
「ま、まぁ、あれだ……予想通り一筋縄ではいかない相手だってことだ」
軍の頂点たる者の取る態度では無かったと、俺は誤魔化すように言葉を足すと同時に続ける。
「確かに初戦はどう見繕っても京極 陽子に軍配が上がったが、それもある程度考えていたことだ。それより……」
言葉通り確かに可能性として組み込んでいたが、実際はこうまで的確に裏をかかれるとは思ってもみなかった。
だがそれでも俺には、この状況を立て直す術が無い訳でも無かったのだ。
「この段階で千にも及ぶ被害を出してしまい、申し訳ありません」
宗三 壱は深々と頭を下げるが……
壱でなければそんな被害では済まなかっただろうし、抑もそれもこれも俺が無理な状況を維持させた事が原因である。
「いや、それは仕方が無い。それで収穫もあったからな……」
もっとマシな判断は出来なかったのか?
それはこの鈴原 最嘉こそが負う責任であるが、それでもこの先に勝ち筋を見いだすためにはそれしか無かった。
――少なくとも俺には……
「そ、それは!つまり敵の……あの”無垢なる深淵”の意図を既に最嘉様は……」
「さすが最嘉さまです!!ああ……我が君!」
俺の言葉に二人の側近は感嘆の声と羨望の眼差しを向けて来るが……
「あ、ああ……それは”ぼちぼち”といったところか」
正直、そこまでは届いていない。
多少の……糸口のようなものは見えた気もするが……
初戦の代償に見合った成果かというと、胸を張るほどではなかったのだ。
「確か、加藤 正成は香賀城で足止めされているんだったな?」
俺の言葉に壱と真琴は神妙な顔つきで頷く。
今回の新政・天都原侵攻で、俺の本隊とは別に北の香賀美領ルートを任せた臨海第二軍、総大将の加藤 正成は、敵の巧みな誘導により香賀城攻略を余儀なくされて足止め状態だと……この時既に報告が入っていた。
この尾宇美での集結には間に合わない可能性が高くなっていたのだ。
「大雑把な報告しか聞いていないが、俺の予想外に香賀城には中々の策士が居るようだな」
俺は二人の前だからと顔を引き締めるが、それでもその策士の成長に、多分、愛弟子である人物の成長に……
間違いなく不利になったにも拘わらず、えも言われぬ充実感があったのも事実だった。
「本丸の尾宇美攻めに三万五千、香賀美領ルートに二万、そして鷦鷯城ルートに一万五千、当初の予定である全軍の集結は……」
心配そうに俺を見上げる、真琴の大きめの瞳。
此方から仕掛ける事により、我が臨海が常に主導権を持って戦いを進めるという俺の目論見は取りあえず通ったが、それでもそれに見事なほど対応され、先手を打った事による兵力の優位は打ち消されつつあった。
――まぁ、さすが……陽子。非常に忌々しいが、それも最悪の想定内!
俺は心配ないという表情で頷いてから目の前の二人に言う。
「それくらい強敵だとは知りすぎるくらい知っていた事だ。それより問題は明日以降、まだ打つ手はあ……」
「報告っ!!」
――!
半分強がり、半分は言葉通りの俺の台詞を遮るように、その場に伝令兵が転がり込んで来たのだった。
「何事か!我が軍の兵士ならば如何なる時にも整然として対応せよ!」
直ぐさま壱が兵士に注意する。
「も、申し訳ありません……ですが……ですが……」
頭をペコペコと不倒翁の様に何度も下げながらも兵士は報告を続けた。
「鷦鷯城を攻めていた……だ、第三軍が予期せぬ敵部隊に襲われ……攻略に失敗っ!」
――っ!?
その報告には、さすがに壱や真琴だけではなく俺もあんぐりと口を開けて固まる!
「…………はっ!?いや……それで住吉は!?あの男は……」
「は、はい!熊谷 住吉様は、その謎の敵将である人物との一騎打ちに敗れて負傷……」
――は?
正直、あの”圧殺王”が一騎打ちで不覚を取るなど……
相手が”雷刃”一原 一枝であったとしても考え難い。
そして、その感想は二人の側近も同様だったようで……
「……」
「……」
言葉にならずに未だ固まっている二人に代わり、俺は兵士に質問を続ける。
「詳しい戦況は……話してくれ」
兎に角、冷静に。
兎に角、状況を正確に確認しないと……始まらない。
「は、はい……敵の部隊、それを率いる将は長い髪を二つに結んだ、眩しいプラチナブロンドの美しい乙女で……」
兵士の話は要約するとこうだった。
熊谷 住吉の臨海軍第三軍の進軍で鷦鷯城の主力であるだろう”雷刃”一原 一枝を誘き出し、さらにその情報を敵対関係の第三国に流して天都原の耶摩代領主、祇園 藤治朗に鷦鷯城攻めをさせる。
そして手薄になった城そのものを宮郷 弥代の別働隊で強襲!
空き巣狙いの駆虎呑狼の計は俺の予想通り功を奏して成功し、弥代の城強襲こそ失敗に終わったものの、二軍を戦わせて消耗させ、その後で熊谷 住吉の臨海軍第三軍で圧倒するという本命の作戦自体はほぼ成功へと向かっていたそうだが……
そこに突如謎の軍が乱入!
兵力は数百程度だったそうだが、それを率いる将がとんでもない使い手で!
光る細身の西洋剣を手に其処にふわりと舞い降りたかと思うと熊谷 住吉と刃を交え、そして――
打ち破ったという……
「住吉の具合は?」
俺の問に兵士は答える。
「結構な深手で……ですが命に別状はありません」
その言葉に一同がほっとしたのも束の間……
「ですが、その謎の将はそのまま兵を引き連れて南下……」
「南下?城に合流しなかったのか?」
「高々、数百程度の兵で?熊谷様を退けたといっても第三軍には宮郷様も居られたはずですから城攻めは続行できるはずでは?」
兵士の報告に壱と真琴が尤もな反応を返すが……
――っ!?
そこで俺は、敵の”その行動”の恐ろしさに気づいた!
「くっ!九郎江か!!」
そして俺の言葉に兵士はガックリと頷き、二人の側近は”はっ”と顔を見合わせる。
「逆に此方のもうひとつの本拠地を突くというのですか!?ですがそれは……」
壱の言葉に俺は頷きつつ、彼の納得いかない部分を説明することにする。
「確かに数百如き、我が九郎江を落とすには力不足だが……敵も別働隊を仕込んでいた以上は、それが一つとは限らないだろう」
「ま!まさか……」
――そして俺には思い当たる人物があった
「それと、謎の強襲部隊の将……その正体は多分、王族特別親衛隊の十二枚目だろう」
「え、十二支 十二歌!?佐和山 咲季が我が君との別れの挨拶の時に言っていた!?」
今度は真琴の声に頷く俺。
「そうだ、佐和山 咲……八十神 八月は王族特別親衛隊では三番目の実力者だと言っていたが、それは怪しいがな」
あの人外の怪力ゴリラ!熊谷 住吉を一蹴できる化物がそんなタマな訳がないっ!
「だがそれよりも……敵が鷦鷯城に入らずに南下した事だ。わざわざ見せつけるように九郎江へと向かったとなれば、既に先行する部隊があると考えるのが妥当だろう」
「ま、まさか……」
「尾宇美攻略に戦力の殆どをつぎ込んでいる俺達だ、九郎江の守りは薄い。それに……」
「…………な、それは……は!?」
一際曇った俺の表情を見て、壱もそれに気付いたようだ。
「壱?」
そして未だ理解していない真琴が壱の顔色の変わり様に驚いていた。
「真琴、本拠地を烏峰城に移したとは言え、九郎江は長年に渡り鈴原が治めていた地だ。そして今回の侵攻にあたり、最嘉様は後顧の憂いを絶つべく周辺にある他の小国群を強引に支配下に置かれた……つまり」
「え?ま、まさか……それって反乱を……狙って?」
そして――
そこで真琴も事の重大さに気づく。
「そうだ。分かり易い戦力と、そして俺の母方の血筋である熊原大神宮の威光により、もともと氏子であった小国群を俺は強引に纏め上げた。つまりその実力に疑問を感じさせる様な事象があったならば……現時点の地盤では反乱も大いにあり得るということだ」
――まさかこういう手を考えていたから……陽子は俺を泳がせていたのか?
――いや、そこまでは流石に俺の考えすぎだろう
「兎に角、早急に手を打つ必要はあるが……」
俺はその別働隊……つまり我が九郎江を攻める敵軍の将に心当たりがあった。
そう、俺が思い当たる人物とは、実はこっちの方だ。
「王族特別親衛隊は各戦場に確認されているが、京極 陽子の側近にして誰もが認める名将たる人物の所在が未だ不明だろう」
”無垢なる深淵”の側近にして、老いてなお、元”十剣”の実力者、名だたる老将……
「一軍の将としては”王族特別親衛隊”以上に強敵なのは間違いない……岩倉 遠海だ!」
第五話「轍鮒の急」END
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