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29 森の中へ

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 男爵から借りた腕時計が、午後の2時を指している。

 本来なら、帰宅の準備を始める時間。

「……よし」

 俺はそんな予定を無視するように、ホムンクルスの強化に取り組んでいた。

 エメラルドのような石でレベルを1にして、小太刀を硬くする。

 そうして最後に、魔物が出る森の入り口に立った。

「忘れ物はない。疲れもない。……ミルトは?」

「う、うん。お姉ちゃんも、大丈夫、だよ?」

「了解」

 そこは、ゴブリンたちが草を掻き分けていた場所。

 正面には鬱蒼とした森が広がり、刺すような気配を感じる。

 俺は腰に差した小太刀に触れながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「この先に、ゴブリンの巣があるんだな?」

「きゅあ!」

 ホムンクルスが俺を追い越して、森の奥を指さす。

 兵の配置を終えたルン兄さんが、俺たちの横に並んだ。

「本当に行くんだね?」

「はい。足手まといにならないようにがんばりますよ」

「……わかったよ。やるからには楽しもうか」

「そうですね。全力で楽しみましょう」

 ルン兄さんらしい掛け声に、兵たちも軽く肩を揺らしている。


 斥候と討伐を繰り返して4時間。

 昼食を挟みながら同じ事を繰り返した末に、ホムンクルスたちがゴブリンの巣を見つけていた。

 巣を攻めるには、兵数が心許ない。

 だが、放置して帰宅すると、巣を移される可能性が高い。

 そうしてミルトの意見も合わせて話し合い、

『戦力の分散は危険だ。全員で攻める』

 そんな結論に落ち着いた。

 ルン兄さんが中立で、俺とミルトで指揮官を説得した形だ。

「それじゃあ、練習通りに」

「「きゅ!」」

 俺とミルトを守るように、レベル1になった2体が前に出る。

 隣にいるミルトも、緊張した面持ちで魔法の本を握りしめている。

「魔法が使いやすくなる本だったか?」

「うっ、うん。わたしだけかもだけど……」

 ミルトの顔は青白く、血の気が引いているように見える。

 だけど その口から漏れ聞こえるのは、自分を鼓舞する声だけ。

(だいじょうぶ……、だいじょうぶ……、だいじょうぶ……)

 死ぬかも知れない森を前に、俺も師匠から借りた小太刀を握りしめた。

 正直怖いが、12歳の少女に負けるのは情けない。

 それになにより、相手はこの世界で最弱の魔物。

 ゲームなどでは、倒し慣れた相手だ。

「……停滞は緩やかな死、だったな」

 どこかで聞いた言葉を思いだしながら、周囲に目を向ける。

 正面の2体と、木々の隙間に見えるレベル1の文字。

 そんな森の方を向いて、俺は言葉を投げかけた。

「準備はいいな?」

「「「きゅっ!!」」」

 レベル1になったホムンクルスは、総勢15体。

 それ以外の者も、強化した小太刀を握っている。

「わっ、わたしも、だいじょうぶ……」

「了解」

 手も声も震えているが、ミルトは真っ直ぐに森を見据えている。

 いざとなれば、彼女だけでも逃がそう。

 そう心に誓いながら、俺はゆっくりと森の中に足を踏み入れた。



 木々の様子は日本の森と大差なく、小鳥のさえずりが遠くに聞こえる。

 苔に足を取られそうになるが、ゆっくり進む分には問題ない。

 そう思う中で、不意にミルトが俺の手を引いた。

(……)

 無言で首を横に振り、背後の兵に目を向ける。

 そうしてまた前を向き、進行方向から少し逸れた木の上を指さした。

 目を凝らすように見上げ、兵たちがどよめく。

(部下と共に倒して参ります)

 指揮官と数人の兵が、木々の隙間を抜けていく。

 慎重でいて、素早い。

 俺がそう思う中で指揮官が弓を引き、木の上を射抜いた。

--KYYYYYYYYYYきぃぃぃぃぃ

「っ!!!!」

 甲高い鳴き声がして、何かがドサリと地面に落ちる。

 兵たちが跳びかかり、落ちたものを剣で突き刺した。

 その様子に、護衛の2体が慌てた様子で跳び上がる。

「なにが……??」

「えっとね。木に登る魔物がいたの」

「まもの? その下にレベル1のホムンクルスがいたのにか?」

「うん。えっと、いまのは、本当に特殊な魔物だから……」

 自分からは攻撃せず、すぐに逃げる魔物らしい。

 それをいち早くミルトが見抜き、兵が倒してくれたようだ。

 兵が持ち帰ったのは、不気味な角を持つトカゲのような生物。

「森の悪魔って呼ばれる魔物で、大きくなると本当に危なくなるの……」

 他の魔物を洗脳して従えて、魔王のように振る舞う。

 過去には大量の人間を操り、大国を滅ぼしたこともあったらしい。

「だから、早めに駆除しないと危ないの」

「なるほどな」

 本当に、危険と隣り合わせの世界だ。

 身を守るだけなら十分に思えたホムンクルスの動きも、ふたを開けてみると穴だらけ。

 幼いミルトを守るつもりが、彼女の方が優秀だな。

「助かったよ。ありがとう」

「ううん。お姉ちゃんはたまたま見つけただけで、倒したのは兵士さんたちだから……」

 本で顔を隠すミルトに礼をして、改めて気を引き締め直す。

 小太刀だけじゃなくて、魔物に関する知識も早めに覚えるべきだ。

 そう思いながら、周囲の木々に目を向ける。

 そんな俺の手を、ミルトがもう一度引いた。

「たぶんだけど、ゴブリンの巣が近くにある、かも……」

「わかるのか?」

「うん。ゴブリンくらいの生き物が、通った痕跡がたくさんあるから」

 幹につけられた小さな傷。

 何かか踏んだような草の様子。

 言われても何となくでしか分からない痕跡が、ハッキリと残っているらしい。

「……了解。気をつけて進むよ」

 そうして護衛のホムンクルスが立ち止まり、俺の手を引く。

 屈みながら指さした先に見えたのは、枝を組み合わせて作ったようなバリケード。

 森の中に作った迷路のような物が、視界の先に広がっていた。
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