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第一章・はじまりの物語
開戦
しおりを挟む風が、土を舞い上げた。
輝夜からほど離れた草原。所々に土肌の茶色が覗くその地に集結するは、数多の強者たち。
人と妖という種族の違いが、そのまま勢力の違いとなって相対する構図を作る。
片や、街の方角を背にして陣形を構える武装した人間たち。不揃いの鎧と兜を身に纏い、思い思いの武器を手にして戦いに臨む彼らの表情には、緊張感が漂っている。
これから戦を行う彼らの中心に在るのは、歴戦の武士の思わしき壮年の男性や、見るからに荒くれ者といった様子の人間ではなく、まだ年若い少年少女たちだった。
異世界から召喚された、まだ齢二十にも満たない子供たち。
周囲の人々よりも緊張した面持ちでいる彼らの中には、生気のない顔を青ざめさせている者もいる。
彼らにとって、これが初陣。訓練ではない、本物の命のやり取りを今から行おうというのだから、その緊張も当然のことだろう。
それでも、大和国の人々から妖との戦いを終焉に導く英雄としての活躍を期待されている少年少女たちは、健気にもその希望を背負うに相応しい雄姿を見せようと自分自身を奮い立たせ、襲い来る恐怖に抗っていた。
共に戦う仲間たちの、学校の級友たちの中心で、神賀王毅は深く呼吸を繰り返す。
いよいよ、本番だ。この大和国にやって来てから学んだ全てを出す機会が、やって来た。
顔を上げ、遥か遠くに見える山々の麓を見つめてみれば、そこには自分たちが戦う怪物たちの姿がある。
猩々のような巨躯。その全身に生えた黒々とした体毛を逆立て、牙を剥き出しにした口から涎を垂らす獰猛な猿の妖たち。
この辺り一帯の山を住処とする魔獣、狒々……書物で見たその姿を想像し、遠巻きながらも確認出来た敵の姿を目にした王毅の心臓が、激しく振動した。
あれは訓練で相手してきた人間でも、人形でもない。意思を持ち、敵意を持ち、殺意を持った自分たちの敵だ。
奴らは人を食う。人を襲う。人を殺す。自分たちには手加減など、躊躇いなど、していられる余裕なんて欠片もない。
以前、燈が口にした言葉を思い出す王毅。
この世界での戦いは、敗北が即ち死を意味すると彼は言っていた。
その通りだ。この戦で負けることがあれば、王毅たちは無事では済まない。それに、軍勢を打ち破った妖たちは勢いのままに輝夜の街にまで攻め込んでくるかもしれない。
英雄として期待され、多くの人々からの希望を背負ってこの場に立つ自分たちが負けたとあれば、大和国の住民たちも絶望してしまうだろう。そうなれば、この国の破滅は凄まじい速度で進むことになってしまう。
負けられない理由なんてものは幾らでもある。
自分のため、期待してくれている人たちのため、仲間たちのため……全ての人々の命を負けるために、この戦いに負けるわけにはいかないのだ。
(……どうか、俺たちを守ってくれ。誰一人欠けることなく、無事に学校に帰れるように……)
懐にしまってあるお守りをくしゃりと拳で握り締めながら、王毅は心の中でそう強く念じた。
異世界に転移してから今日まで、様々な面で自分をサポートしてくれた花織から貰ったこのお守りには、なんだか御利益がある気がする。彼女は幕府に仕える巫女で、そんな彼女の気力が込められたこのお守りに念じれば、不思議と自分の願いも届くような気がした。
それが、気休めにしかならないことはわかっている。
この戦いに勝てたとしても、その中で犠牲が出るかもしれないなんてことも理解出来ている。
それでも……王毅は、何かに縋りたかった。異世界転移した生徒たちのリーダーとして、誰にも自分の弱さを曝け出せない彼は、神頼みという方法で自身の不安を吐き出す。
震える拳を強く握り、自分の怯えを懸命に堪える王毅。
そんな彼に対して、傍に控えていた壮年の男性武将が声をかけてきた。
「王毅殿、陣形が整え終わりました。これより、攻撃を仕掛けます」
「は、はい……!」
いよいよ、その時が訪れた。戦いに臨む全ての者の準備が終わり、敵とぶつかり合う時がやって来たのだ。
ごくりと、緊張に息を飲んだ王毅の口の中からは水分が消え失せ、カラカラに乾いている。
高校の合格発表の時にも、大会の優勝が懸かったPKの時にも、こんなに緊張することなどなかった。
当たり前だ。今から、自分たちは戦争を始めるのだから。
「者ども、聞けい! これより我らは、罪なき女子を攫い、喰らう妖どもを討ち果たすべく、彼奴らとの戦に臨む! 決して、死を恐れるな! お前たちが命を捨て、妖を一体討てば、その倍以上の命が救われると思って敵を討て!」
そんなこと、出来る訳がないと王毅は思う。
無論、この演説を行っている将軍は、王毅たちに死ねとは言っていない。彼らを守る軍勢や、この場に集まった傭兵たちに対して先の言葉を投げかけているのだ。
だが、それでも……命を捨てて敵を討つという、現代の日本においては絶対にあり得ない行動を美徳として推奨するこの世界の常識に、王毅たちが重圧を感じないわけがなかった。
「この戦は、遥か遠き地より我らを救うために馳せ参じてくださった英雄様たちの初陣でもある! 英雄様たちがいれば、我らに敗北は無い! 英雄様たちと共に戦い、勝利の栄光を掴むのだ! 人を喰らうしか能のない妖どもに、目にもの見せてくれようぞ!!」
続けて将軍の口から発せられた言葉を聞き、王毅は感じていた重圧を更に強める。
この場に集まった人々は、自分たちのために命を懸けて戦い、その最中に死んだりするのだろう。英雄である王毅たちのために死ねるのならば、戦の中で命を落とせるのならば、それが本望であるとばかりに命を投げ捨てる覚悟が出来ているのだろう。
自分たちは、それを背負わなければならない。
既に燈という犠牲を出し、たった一つの死を背負うだけで精一杯になっている王毅にとって、百を超える人々の期待や献身はあまりにも重過ぎた。
(でも、そうだ。俺たちは、やるしかないんだ。そうしなきゃ、虎藤くんに顔向け出来ないんだ……!)
折れそうになる心を、必死に叱咤する。
自分の弱さで、不備で、命を落としたクラスメイトの顔を思い浮かべた王毅は、苦しみを堪えながら胸いっぱいに吸い込んだ空気を思い切り吐き出した。
「行こう……! 必ず、勝って帰ろう……!」
傍にいる仲間たちに、搾り出した声でそう告げる。
この場にはおらずとも、今から戦いに臨む他の生徒たちにも心の中で死なないでくれと祈りを伝える。
もうこれ以上は背負えない、背負いたくない……弱い自分を許してくれと、それでももう誰にも死んでほしくないと願いながら、王毅が武神刀の柄を握る。
瞬間、平原に大きな法螺貝の音が響いた。同時に地を揺らすような鬨の声が上がり、急速に兵士たちの興奮が昂っていく。
人が動く。事前に立てた作戦に合わせ、各々が自分の役目を果たすために動き出す。
妖が迎え撃つ。自分たちの縄張りを守るため、小賢しい人間を屠るために唸りを上げて戦いに乗り出す。
地響き、咆哮、空気の唸る音。
狂騒、その一言が相応しい激動の瞬間が、人と妖を包み込む。
時間にすれば、たった数時間で終わる戦い。終わってみれば、呆気ないと思えるかもしれない戦。
だが、それでも、こうして熱狂の渦に飲み込まれた若者たちにとって、この瞬間と雰囲気は眩暈がするくらいに心を揺さぶる出来事だった。
「始まった、始まったんだ……!」
妖の集団へと突撃して行く第一陣の姿を目にして、王毅がうわ言のようにそう呟く。
早鐘を打つ心臓の鼓動が、鳴り止まない耳鳴りが、込み上げてくる吐き気が、こう言っていた。
戦が、始まったのだと。
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