明鏡の惑い

赤津龍之介

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第二十章 移ろう時

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 そうして春の遅い六里ヶ原にも新年度がめぐり来て、悠太郎とその同級生たちは二年生になり、留夏子とその同級生たちは三年生になった。新一年生を迎える入学式が行なわれ、面長で端正な顔立ちの大岡越前こと剣持校長が、筆と墨で書いたような太く長い眉毛を寄せながら、よく響く渋みのある低い声で「えー」を連呼しつつ祝辞を述べた。それから各学年の担任が発表された。常ならばひとつのクラスを――この中学校では「ひとつの学年を」と言っても同じことだが――ひとりの担任が、一年生のときから三年生のときまで受け持つところであり、実際この年度も留夏子たちの学年の担任は、モアイ像のような顔をした埴谷高志先生であった。ところが悠太郎たちの学年には、異例の担任変更が起こった。みんなに慕われていた尾池賢一先生に代わって、市川悟先生が担任になったのである。新しい二年生のみんなは、この発表に接して明らかに不満の色を示した。市川先生にしてみれば、荒れに荒れた学年をどうにか始末した年度明けに、またしても損な役回りを引き受けたわけであった。しかし悠太郎にとっては、こうした事態も別に悪いこととは思われなかった。観光ホテル明鏡閣の黒岩栄作支配人の従兄弟が担任とあっては、親近感も湧こうというものであった。
 さてその市川先生が二年生の教室で教壇に立ち、「私の名前は市川悟です。年齢はとって二十八歳」と言うと、みんなのあいだに寒々とした空気が流れた。尾池先生ならそのくらいの年齢であろうが、市川先生は誰がどう見てももっと年配であった。「ああ、今の分からなかった? それでは説明します。〈当年とって〉というのは(と言いながら市川先生は黒板に白いチョークで板書した)今年でその年齢に達するという意味だね。それを私は〈十年とって〉という意味で使ったんだよ(と言いながら市川先はまた板書した)、わざとね。x-10=28で、x=38というわけです」と市川先生は数式を板書しながら説明したが、誰にとっても自分で言ったギャグを自分で説明するのは惨めなものであり、市川先生もまた寒いオッサンだと思われることを免れなかった。「まあそれはさておき、中学校の二年生は中だるみの時期と言われます。一年生は初めての中学校生活に緊張している。三年生は高校受験に向けて緊張している。二年生はちょうどその中間だからね。日々の生活に悪い意味で慣れているから、気が緩みがちです。そうならないように、適度な緊張感をもって、日々研鑽に努めてほしいと思います」と市川先生は話を締め括った。市川先生は話の締め括りに「思います」と言うとき、語頭にある「お」の音をいちばん高く強くして、そこから滑り落ちるようなイントネーションで発音するのであった。
 さて年度が改まるとともに、先生方の異動もあった。あの気の毒な音楽教師の棚橋晶子先生は、いずこかの中学校へと転任していった。片想いを寄せていた英語教師の金子芳樹先生が、去る二学期の終わり頃に別の女性と結婚するに及んで、棚橋先生の自暴自棄は頂点に達したのであった。棚橋先生の目はますます泣き腫らされ、頬はますますむくみ、口角はますます下がりっぱなしとなっていた。ずんぐりむっくりの体を運んで音楽室にやって来る足音はますます荒々しく、内巻きワンカールボブの髪を振り乱しながら弾くそのピアノは、ますます雑になっていた。合唱コンクールのタンバリンやトライアングルの件で、留夏子たちの学年に出し抜かれたことも、あるいは応えていたのかもしれなかった。さて新婚の金子先生は、相変わらずムースで前髪をイワトビペンギンのように逆立てていたが、その顔も体も明らかに幸せ太りしていた。そんな金子先生の様子も、棚橋先生の心を蝕んでいたのに違いなかった。悠太郎はもうこれ以上、棚橋先生の授業を受けなくて済んでよかったと思った。
 それにしても新しく赴任してきた音楽教師の野家宏のいえひろし先生は、またなんという男であったろう! ルター派プロテスタントのクリスチャンだというこの先生は、ぺったりした黒い髪を短い坊ちゃん刈りにしており、耳たぶの厚い見事な福耳を持っていた。近々と寄った鋭い目の下には隈が浮かんでいたが、その教えぶりは実に精力的であった。「俺はもちろんピアノを弾くし、合唱団で歌ってもいるし、チェロも弾く。だが余人をもって代え難いと自負する特技はほかにある。エア・ギターならぬエア・チェロだ。まあちょっと聴いてくれ。バッハの無伴奏チェロ組曲第一番ト長調より、プレリュードだ」と野家先生は、新学期最初の授業のときに自己紹介しがてら言うと、ピアノの椅子をみんなのほうに向けて置き直し、あたかもチェロを構えているかのように膝を開いて座り、左手ではあたかも弦を押さえるかのように、右手ではあたかも弓を構えるかのようにして沈黙した。そして右手が見えない弓を動かし始め、左手が見えない指板上で動き始めるのと同時に、野家先生は唇を真一文字に閉じたまま、チェロのような深々としたバリトンの声でハミングし始めたのである。時々は短く鋭く息継ぎをしながら、野家先生はバッハのプレリュードの音を、次から次へと紡ぎ出していった。その芸当に笑う生徒も多かったが、悠太郎は驚異の目でその様に見入りながら、ハミングで奏でられるバッハの音楽に聴き入った。悠太郎はまだ無伴奏チェロ組曲を聴いたことがなかったが、低音域から中音域を通って高音域へと動く一本の旋律線が、あたかも残像を置いてゆくように多声的な音楽を作ってゆく様は、さながら虚空に描かれるヒエログリフのように感じられた。演奏に熱が入ってきた野家先生は、弓が弦に激しくぶつかるときの音を、口を閉じたままくしゃみをするような音で再現した。初めは笑っていた生徒たちも、全身を使った入魂の演奏が終わると、新しい先生に盛んな拍手を送った。
 「先生のエア・チェロは素晴らしかったです。無伴奏のチェロであんなことができるなんて驚きです。単旋律でありながら多声的で……。そもそもハミングでそれを再現できることがすごいです」と悠太郎は、授業が終わると野家先生に声をかけた。「おお、真壁くんか。バッハの音楽と俺の芸が分かるとは、きみもなかなかの男だな。ルター派プロテスタントの俺にとって、やはりバッハは特別だよ。もちろんカトリック教徒だって仏教徒だってバッハは愛好するだろうが、やはりドイツ宗教改革の直系の作曲家だからね。そもそも宗教改革を起こしたルターその人が、音楽も得意でね。自分でリュートも弾けばフルートも吹いて歌もうたったし、いくつもの讃美歌を作詩・作曲した。改革運動の盟友には、ヨハン・ヴァルターという音楽家もいた。そういうわけでルター派には、特別に音楽を貴ぶ伝統があったんだ。それが大バッハに至って、空前絶後の開花を遂げたのさ。俺は日々チェロでバッハの無伴奏組曲を弾くし、機会があれば教会カンタータを歌うわけだよ」と野家先生は快活に語った。「バッハの教会カンタータ……。〈主よ、人の望みの喜びよ〉も、もともとはそうですよね? 私のピアノの先生はカトリックですが、いつか弾きながら歌ってくれたことがありました」と悠太郎が思い出して言うと、野家先生は「そうだとも。教会カンタータ第一四七番だ」と応じて深々としたバリトンの声で歌ったので、悠太郎は果汁百パーセントの葡萄ジュースを飲んだ夏の日を懐かしんだ。
 「それはそうと、真壁悠太郎というきみの名前は、ヘンデルのオラトリオ《マカベウスのユダ》に由来するのかい?」と野家先生は問うた。「それは違います。真壁は母方の姓です。私の両親は早くに離婚したので、私は真壁の家の者になりました。生まれたときの氏名は、今とは違っていたんです。でもヘンデルのオラトリオは大好きです。小学校五年生のとき、伯母がCDをプレゼントしてくれました。それを繰り返し夢中で聴きました」と悠太郎が答えると、「おお、そうだったか。それはすまないことを訊いたな。だがヘンデルのオラトリオが好きだとは感心だ。〈得賞歌〉の合唱はもちろん知っているだろう? あの主題に基づいて、ベートーヴェンがチェロとピアノのための変奏曲を書いているんだ。それも俺のレパートリーだよ」と野家先生は応じ、「噂に聞いていた通り、きみはなかなか話が分かる。職員室まで行きがてら、もうちょっと話そう」と言った。
 「ところできみの家は、照月湖という湖と関わりが深いそうだね」と野家先生は、校舎の三階からの階段を降りながら悠太郎に言った。「はい。母は湖畔の観光ホテル明鏡閣で働いています。祖父母もかつてはそうでした。祖父は観光ホテルの元支配人で、会社が取得したあのあたりの土地を、宅地建物取引士として多くの人々に売ってきました。祖父が湖の西側に土地と家を持てたのも、そういう事情からです」と悠太郎は答えた。「ほう、湖の西側か」と野家先生はやや厳粛な声で応じた。「イエスが育ったナザレは、ガリラヤ湖から西に三十キロほどのところにある。ヘンデルのオラトリオを聴いていれば、だいたいのところは分かるだろうが、マカバイ戦争の勝利によって、ナザレのあるガリラヤ地方はセレウコス朝シリアの支配から開放され、再びユダヤ教国家の体制に組み込まれていった。ユダ・マカバイの勝利がなければ、ガリラヤからキリストは出なかったのだろうな。……いや、それがどうしたと言われてしまえばそれまでだ。湖の西側とユダ・マカバイからの連想で、あらぬことを考えてしまった。いくら個人が聖書に向かうことを重んじるプロテスタントとはいえ、あまり変な想像を逞しくしては異端になってしまう。だがこれも時代の病ではないか? 何でもかんでも救済史的・終末論的なプログラムに沿って考えることは、世紀末の病ではないか? 世紀末なんていうものは、もともとキリスト教世界の考え方だからな。特に著しい問題になったのは、十九世紀末だ。その頃日本人は何をしていたかといえば、日清戦争に勝って浮かれていたのではないかね? だからあるいはこの二十世紀末が、日本人の迎える初めての危機的な世紀末と言えるのかもしれない。そういうわけで、何でもかんでもキリスト教的な救済史のプログラムに沿って考えることは、世紀末の病なのだ。あの真理教事件は、おそらくそうした現象だった。そしてあのロボットアニメの流行も、そうした現象だろう。いや、あれはロボットなのか? 正確には違うのかもしれないが、まあ私にはどうでもいい。とりあえずロボットアニメとしておこう……」
 そのロボットアニメとやらに、悠太郎は心当たりがあった。悠太郎はそのテレビアニメを観てはいなかったが、一輝や隼平はずいぶん入れ込んでいた。ふたりともクラブ活動では工作クラブに所属し、大学時代にはアルバイトで模型を作っていたという尾池賢一先生の指導のもと、やれ「初号機」だ「弐号機」だ「使徒」だと言いながら、夢中になって禍々しい姿をしたプラモデルを組み立てていた。隼平も一輝も、やれ塗料がどうした、やれエポキシパテがどうしたと、細かいところまでずいぶんな熱の入れようであった。そのロボットアニメとやらについて、野家先生は思うところがあるらしかった。「一クリスチャンとして言わせてもらえば、あのロボットアニメはまったくひどいものだ。東方の三博士がどうのロンギヌスの槍がどうのと、父なる神の宗教であるキリスト教の道具立てを使いながら、語っていることは結局のところ女性のことであり母性のことだ。それにしてはマリアのイメージがどこにもないのは奇妙だがね。ロボットとパイロットを繋ぐへそ、パイロットが浸かる羊水。母なき少年少女にとって、あのロボットが母胎となる。だがユダス・マカベウス(と野家先生は悠太郎のことを呼んだ)、注意しなければならないことがある。アダムとエヴァのエヴァとエヴァンゲリオンのエヴァは、語源的に本来まったくの別物なんだ。アダムとエヴァのエヴァはヘブライ語で生命を意味する。一方エヴァンゲリオンとはギリシャ語のエウ・アンゲリオンから来ていて、よい知らせ、つまりは福音を意味する。アニメではこのふたつを意図的に重ね合わせ混同させることで、あの世界観を作り出した。このふたつを混ぜ合わせたという一点に、あのアニメの面白さの――そんなものがあるとすればの話だが――すべてが懸かっていると言っていい。まあよくも悪くも日本人にしか作れない作品ではあったよ。一クリスチャンとして言わせてもらえば、まったく罪深い作品だがね。……とまあ新しい音楽の先生はこういう男だ。ユダス・マカベウス、きみにとって私の出現は、よい知らせかね? そうかそうか、それはよかった。音楽の新しい男性教諭、デア・ノイエとでも憶えてくれ。まあそう言っても分かるまいが、ドイツ語の形容詞の名詞化だ。その新しい男、デア・ノイエだ」
 「詳しい文法は学んでいませんが、ディー・アルテで年老いた女を意味するのと同じことでしょうか? シューマンの〈流浪の民〉の歌詞に、そういう表現がありました」と悠太郎が言うと、「これは驚いた。その通りだ。きみは〈流浪の民〉を原語で聴くのか?」と野家先生は問うた。「どちらかといえば独唱歌曲のほうが好きです。NHKの《シューベルトを歌う》が終わってしまって残念です」と悠太郎が答えると、野家先生はますます愉快そうになった。「これはいよいよ面白い。やはり湖の西側から只者は生い立たないな。俺はよい職場に恵まれた。ユダス・マカベウスよ、この爽やかな六里ヶ原で、ともに励もう!」そう言って野家先生は一階にある職員室の前で、悠太郎に手を差し出した。音楽を愛する先生と生徒は握手して別れた。職員室に入ってから、野家先生はふと考えた。去年の合唱コンクールで〈流浪の民〉の名演が評判を呼んだのは、そういえばこの学校ではなかったか? だがしかしあの曲を歌ったのは、いま話していた彼のひとつ上の学年ではなかったか? 指揮を執ったのは、彼に勝るとも劣らない俊才の佐藤留夏子さんではなかったか?――「ユダス・マカベウスのことだ、案外あの件に一枚噛んでいたかもしれないな」と野家先生は思った。思うそばからその思いは確信に変わった。
 さて六里ヶ原に遅い春が訪れる五月ともなれば、ペトラとジョルジョを見守る桜の樹が花を咲かせ、コブシやタンポポやムスカリの花も、だんだん咲けばいいものを一斉に咲いた。唐松の林は連休明けの暖かい雨上がりの日に、魔法のように一斉に緑の芽を吹いた。そんな新緑の季節には、全校生徒が学年別に班に分かれて、それぞれに旗を押し立て歩きに歩くウォークラリーがあった。そしてまた二年生には、榛名はるな山麓での高原学校があった。もともと高原に暮らしているのに、わざわざ高原に泊まりに行くのが、悠太郎には奇妙に思われた。だが澄んだ湖水を湛えた榛名湖でのカッターボート体験は、悠太郎の精神を高揚させた。それは照月湖のような小さな人造湖ではなく、大きな天然のカルデラ湖であったから――。オレンジ色のライフジャケットを身に着けた生徒たちは、二艘のカッターボートに分乗してめいめいの櫂を漕いだ。初めは動きが合わなかったが、次第に勝手が分かってくるもので、榛名富士や掃部ヶ岳や天目山に囲まれて波立ちきらめく水面を、二艘のカッターボートは滑りに滑った。悠太郎はみんなと声を合わせて、非力な腕で力いっぱい櫂を操りながら、ふと《シューベルトを歌う》で取り上げられたゲーテ歌曲〈湖上にて〉を思い出した。
 「そして新鮮な栄養と新しい血を、私は自由な世界から吸い飲む。私を胸に抱いてくれる自然は、なんと優しく善良なのだろう! 櫂の拍子に合わせて波は、私たちの舟を揺すり上げる。雲をまとって天を突く山々は、私たちの行く手に出会う」と悠太郎は、櫂を動かしながら歌詞の大意を思い浮かべた。悠太郎は自分が今あの歌曲の世界のなかにいるように思われた。ふと誰かの櫂が水面を打ち、水が飛び散って乗組員たちを濡らした。そのとき悠太郎は、入江紀之と照月湖でボートに乗ったことを思い出した。あの日悠太郎がボートに乗り込むと、恐ろしいほど足許が揺れた。怯える悠太郎を桟橋の上から見た見た紀之は、係留ロープをしっかりと引っ張りながら、「ユウ、ボートの上を歩くときは重心を低くするんだ。腰を落としてな」と助言し、その通りにしてどうにか身動きが取れるようになった悠太郎に、「そうだ、うまいぞ。よくやった」と声をかけて、自分もブルージーンズを穿いた長い脚で大股に乗り込みつつ、幼い友を見守る円かな目に明澄な光を湛えた。入江いづみはしかしスカートの裾を器用に押さえると、物怖じせずに慣れた足取りで弾むようにボートに乗り込み、弓なりのしなやかな眉を水平に持ち上げながら、兄と悠太郎のそんなやりとりを、眠たげに気怠そうな目で見つめていた。船首の席に座ったいづみが、フリルのブラウスを着た上体を柔らかくひねって、桟橋の水際に張ってあるワイヤーに通されたリングから、慣れた手つきでロープの先の留め金具を外すと、紀之は上半身を大きく動かしながら、若緑のシャツに袖を通した長い腕で、力強くオールを漕ぎ始めた。見慣れたはずの照月湖の、しかしまだ見たことのない景色が、水上を揺れる悠太郎の眼前に開けた。ボートはあるときは近々と迫る鷹繋山のほうを向き、あるときはその背後に連なる浅間隠の連山のあの山やこの山のほうを向き、あるときは雪の残る寝観音のような浅間山のほうを向いた。船尾の席に座る悠太郎は、中央の席でオールを漕ぐ紀之と向かい合っていることに気がついた。漕ぎ手から見れば、ボートは後ろ向きに進むのだ。悠太郎が物問いたげな目を見開きながらそのことを指摘すると、紀之は「ユウ、よく気がついたな。いずれはユウにも漕ぎ方を教えてやろう。いろいろな漕ぎ方があるからな」と清々しい声で言い、片側のオールだけを漕いで船首の向きを変えたり、普段とは反対向きにオールを回してバックしたり、左右のオールを交互に使って危なっかしく蛇行したりして、悠太郎といづみを楽しませた。春まだ浅い青空を映した清澄な湖水は、紀之が操るオールのブレードでふたつに割られてはまた融合し、オールの先から雫となって滴り、水面に波紋を描いては、不可思議な呪文を唱えかつ綴った。波に揺られて風のように軽やかに水上を進みながら、悠太郎は胸がはち切れんばかりの甘美な陶酔を味わっていた。空の空色を映していっそう水色に光る水と、水の水色を映していっそう空色に光る空とのあわいに、悠太郎は自分が溶けてゆくのを感じた。「何もかもが、あの頃とは変わってしまった。ノリくんはもうこの世にいないし、いづみは消息が知れない。今の俺はあの日のノリくんよりも、年上になってしまった」と悠太郎は思いに沈んで目を伏せた。「目よ、私の目よ、なぜ下を向くのか?」とゲーテの詩行が問うた。その問いの答えは、日に光る榛名湖の水面のように明らかであった。
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