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第二十章 移ろう時
三
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そうこうするうちに六里ヶ原の若葉はますます輝いて、中間試験の季節がめぐって来た。風薫る爽やかなその日、悠太郎は理科の試験を受けた。物理の分野から出題されたのは、光の屈折とか反射とか、鏡に関することであった。試験を受けているあいだじゅう、悠太郎の心は湖の水面のように揺れ惑っていた。さて午前中でその日の試験がすべて終わって帰路に着くとき、悠太郎は学生服姿で自転車を押しながら、あの解答はまずかったなと後悔していた。水面に対して垂直に入射した光は、どの方向にも屈折するはずがなかった。それなのにあたかも屈折するかのような選択肢を、悠太郎は選んでしまったのである。「問一の一で間違えるとは。こういうのがいちばんよくないんだと、尾池先生はいつも言っていたな。ほかの問題ですべて正解したとしても、叱られることは覚悟しなければ」と悠太郎は思った。するとそのとき「真壁!」と、緑の唐松林を吹き渡る朝風のような声がした。セーラー服姿で自転車を漕いできた留夏子は、サドルからひらりと降り立って悠太郎に並んだ。「試験の手応えはどうだった? 名にし負う六里ヶ原の明鏡には、訊くだけ野暮かしら?」と留夏子は問うた。「事もあろうに、光や鏡のことでへまをやってしまいました。明鏡の異名は、もう返上ですね」と悠太郎は答えた。「あら、珍しいわね」と留夏子は驚いてみせたが、ややあって「それじゃ気晴らしだと思って、ちょっと私に付き合ってくれない? 久し振りに吾妻牧場の碑を見に行こうと思うの」と提案した。「喜んで。あれからもう半年ですね」と悠太郎は応じた。ふたりは帰り道とは反対のほうへ自転車を走らせた。
ふたりは僻地診療所と幼稚園を通り過ぎて郵便局のほうへ向かった。そのあいだの路傍には、若葉の眩しい木立に抱かれるようにして「吾妻牧場碑」が立っていた。留夏子と悠太郎は自転車を停めてヘルメットを脱ぐと、石碑の裏面へ回った。そこには相変わらず牧の宮殿下の悲運の生涯が記されていた。ふたりはしばし黙って碑文に目を走らせ、前にそこを訪れて以来の出来事を思い起こしていた。定期試験の最中とは思えない、のどかな午後のひとときにカッコウが鳴いていた。やがて留夏子が口を切った。「二千町歩の大牧場を見晴るかすような眺望を得たいと思って、私はここに来たの。何という名前の馬がどこの厩舎に入っているか、どこの牧草地にはどんな種類の牧草が植わっているか、どこの畑からはどんな作物が穫れるか、牧場を管理していた人は一手に把握していたでしょう。それくらい広い視野が、今の私には必要なの。悩んでいたけど、やっぱりここに来たら考えがまとまった。聞いて真壁。私ね、このままの成績で行けば、高崎の女子高にも入れるんですって。埴谷先生にそう言われた」
「すごいじゃありませんか! そうなればわが校の誇りであり、この町の名誉ですよ!」と悠太郎は興奮して言った。この町が属する学区では、渋川の高校が最も偏差値の高い進学先であった。真壁悠太郎の存命中には、まだ学区制なるものが存在したのである。この県で最高レベルと言われる高崎の高校へ進学するには、学区を飛び越えての入試に挑むしかなかった。その合格がいかに困難であるかは、まだ留夏子よりは受験に遠い悠太郎にもよく分かった。ところが留夏子にはそれができるのだという。悠太郎が讃嘆を禁じ得なかったわけである。しかし留夏子は「あなたまで馬鹿なことを言わないで。私は自分の人生を、学校の誇りや町の名誉のために売り渡すつもりはない」と応じた。「しかし高崎の女子高へ行ければ、様々な人生の可能性が開けるのではないでしょうか」と悠太郎は問うた。「あるいはそうかもね。でも学区外受験なんて、あまりに危険すぎる。合格するのは、駱駝が針の穴を通るようなものでしょう。そんな危ない橋を渡ってまで、私はスーパーエリートを目指そうとは思わない。渋川の女子高でたくさんよ」と留夏子は言い、「真壁も気をつけることね。次は遠からずあなたが言われる番よ。おまえの成績なら高崎も夢じゃないって。よく考えることね。高校受験で全力を使い果たして、それで人生は終わりじゃないから。瞬間的な馬鹿力と、長きにわたる継続とは、全然別のことだから。真壁の力の出し方を見ていると、私はちょっと心配になるの」と続けた。「そうですね。私も無理をせず、渋川の男子高を目指します。留夏子さんも渋川へ行くなら、そのときは……」と悠太郎が言うと、「またこんなふうに会えるかもしれないわね」と留夏子が応じた。若草に覆われた明るい地面に樹々の影が揺れ、薫る風にタンポポの白い綿毛が飛んでいった。晩春の午後の光のなかで幻の馬たちが、あるいは悠々と草を食み、あるいは寝そべり、あるいは遥かなるものを聴こうと耳を立てているような気配がした。
さて試験期間が終わった直後の美術の時間には、彫塑粘土による造形が生徒たちに課せられた。針金で骨組を作り、粘土が滑らないようそれに糸を巻きつけたら、捏ねた粘土で肉づけをするのである。悠太郎は音楽に比べて美術は全然苦手であった。平面の絵画ならまだしも楽しめないではなかったが、立体の彫塑となるともうお手上げであった。そこへ行くとアテロ集落の岡崎冬美は、まったく大したものであった。あたかも生まれたばかりの怪獣がのっしのっしと歩きながら、山々を千切っては投げ千切っては投げするように、冬美は自在に粘土を操って、野球ボールを握った手の形を作り上げた。指関節の骨を浮き上がらせたその手は、強い力の凝集を感じさせた。悠太郎は三池光子さんのご主人が作ったというブロンズの少女像を思い出した。冬美なら将来ああいうものを作るようになるかもしれないと考えた悠太郎は、「冬美さん、三池黎明っていう彫刻家を知ってるかい?」と訊いてみた。すると普段は体温も血圧も低そうな冬美が、目の色を変えて悠太郎を見据え、「三池黎明と言ったか? 三池黎明がどうかしたのか?」と熱っぽく尋ねるではないか。「知ってるんだね。いや、作品がうちにあるからさ。作者の奥さんだった人が、祖父母や母の職場にいた関係で、作品がうちにあるんだ。彫刻が好きな冬美さんなら、もしかしたら知っているかと思って訊いてみたんだ」と悠太郎が面食らいながら答えると、「きみのうちに三池黎明の作品があるのか? ほとんど失われた三池黎明の作品が残っているというのか? それじゃきみは光子夫人と知り合いだったのか? お願いだ真壁、日曜日にその作品を見に行かせてほしい。スケッチブックにそれを写し取らせてほしい。頼めるか?」と冬美はほとんど取り乱して願いを述べた。「お安い御用だよ。見せるだけなら減るものじゃないしね。だが三池黎明はそんなにすごい彫刻家なのかい?」と悠太郎が言うと、「知る人ぞ知る彫刻家だな。その生涯はほとんど謎に包まれている。実際に作品を見た上で、聞き知っていることを話したい」と冬美は応じた。
その日曜日に悠太郎が、トーストと水っぽい野菜炒めの朝食を済ませて待っていると、約束していた十時を二分ほど過ぎた頃、木洩れ日のなか自転車を走らせる冬美のジャージ姿が、土手の上に植えられた唐檜の緑の合間から見えた。家では祖父の千代次が、極度に細い近視の目をしばたたきながらテレビを観ているばかりであった。悠太郎は祖父にクラスメイトの来訪と、その来意を予め伝えてあった。間接的にではあれ、株式会社浅間観光にゆかりのある彫刻作品であってみれば、それに興味を持つ者がいることに、千代次は悪い気はしていないらしかった。悠太郎に迎えられて玄関を上がった冬美は、下駄箱の上に飾られた少女像を即座に認めたが、まずは居間でテレビを観ている千代次に挨拶した。これに千代次はにこやかに答えたので、悠太郎は祖父が自分に対してもこうであってくれればよいのにと思った。冬美は鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出すと、少女の像を様々な角度から猛然と描き始めた。悠太郎はあたかも冬美の目を通じて、その像を初めて見るかのような心地がした。レース襟つきのワンピースを着たその少女は、階段のようなところに腰かけ、頭には髪を隠すようにフードを被っていた。靴を履かない足は揃えられ、両手はわずかに開いた膝のあいだで合わせられていた。あどけなさの残るふくよかな顔は、おずおずと光を求めるように仰向き、その目は天を仰いでいた。悠太郎は改めてその像を見ていると、不思議と心が静まってゆくように感じた。そのあいだに冬美は猛然たるスケッチを終えていた。
光子夫人の話を聞きたいと冬美が望んだので、悠太郎は照月湖のほとりに行くことを提案した。ひょろりと背の高い撫で肩の三池光子さんについて、そこでならよりよく思い出を語れると考えたからであった。新緑と花々に縁取られて揺らめく水面を、ふたりの中学校二年生はベンチ代わりの岩に並んで座って眺めた。レストラン照月湖ポカラ・ガーデンから、カレーの香りがした。思い出せる限りのことを悠太郎は物語った。灰色がかったボブショートの髪をした光子さんが、優雅な手つきで煙草をくゆらせていたこと。アイシャドウの目をぱちくりさせた光子さんが、月光に照らされた黒天鵞絨のような艶のある低音の声で話したこと。光子さんは麻雀が強かったらしいこと。湖畔に咲いていた水仙の花を見に連れてきてくれたこと。「スイセン」と言うときのイントネーションのこと。ナルキッソスの神話を教えてくれたこと。明鏡閣で一緒に浴衣の帯を巻いたこと。学芸村の水道屋の奥さんが、愛犬のポメラニアンを袋に入れて背負い、これに馬刺しを食べさせていたので、光子さんが運動不足と栄養過多はよくないと忠告したこと。そして引退後の夏のある日に、スイカを一緒に食べたこと。「スイカ」と言うときのイントネーションのこと。そしてそのときにくれたあの言葉――。「兄が常務をやっている浅間観光に、私が務めることになったのも、思えば主人に死に別れたからだわ。昼休みにはみんなしてお茶を飲んだり煙草を吸ったり麻雀をしたり、まあなんて楽しい職場だったことでしょう。あそこでユウちゃんにも出会えたわけだし。不幸せから幸せを、時間が彫り出してくれたんだわ。私の主人は彫刻家だったけど、よく言っていたわ。芸術家にとっては、禍いも恵みも区別がないんだって。いいことも悪いことも全部ひっくるめて受け取って、この世界への贈り物として形にするんだって。そういう人は、普通の人が思いも及ばないような重荷を背負いながら、普通の人が思いも及ばないような時間をかけて成熟するものなんだって。ユウちゃんは、そういう人かもしれないわね。いずれにせよ時間は必要よ。ユウちゃんに与えられた物事の意味が明らかになるにも、ユウちゃんが力をつけるにも、時間がかかるんだわ。ひとりで背負う重荷が長い時間をかけて、いつかたくさんの人にとっての贈り物になるのよ。恵まれたものはたっぷり受け取って、たっぷり時間をかけて力をつけて、いつかたっぷり与える人になればいいわ」
「思いがけずいい話を聞かせてもらった」と感慨深げに言った冬美は、聞き知っている三池黎明についての情報を話した。黎明は玄界灘を望む町の大地主の家に生まれたこと。フランスで彫刻を学び、生前の高村光太郎を知っていたらしいこと。高村の導きによって一時はオーギュスト・ロダンに傾倒するものの、まもなくその作風に反発するようになったこと。病を得て早くに亡くなったこと。臨終の床にあって、人手に渡ったもののほかはすべての作品を破却するよう遺言したこと。それゆえ作品がほとんど残っておらず、幻の彫刻家と呼ばれていること――。「どうやら三池黎明が表現したかったのは、ロダン的な生命の躍動ではなく、もっと清らかで静謐なものだったらしい。荒れた海のような形ではなく、静かな湖のような形を求めていたともいう。真壁に見せてもらったあの像には、たしかにそういう清らかな静けさがあった。それにしても、あの作品はなぜ残ったのかな。光子夫人が遺言を守らなかったのかな」と冬美は言った。「その可能性はあると思う。あの光子さんのことだ。すべて壊したふりをして、せめてもひとつふたつの作品を守ったのかもしれない。人手に渡してしまえば壊さなくてもいいと考えて、うちの家族にあれをくれたのかもしれない」と悠太郎は応じた。
「それにしても豊かだな、真壁の環境は。物心両面においてな。光子夫人が言ってくれた通り、きみはその重荷を背負って、ゆっくりと成熟するんだろう。何になるのか知らないが、将来が楽しみだな」と冬美が言った。しかし悠太郎は睫毛の長い目を悄然と伏せながら、「俺には将来への恐怖しかないよ」と応じた。「思えば幼稚園の頃が、この湖畔の賑わいのピークだった。大勢の人々が遊歩道を歩き、ボートを漕ぎ、パラソルテーブルの椅子に掛けてソフトクリームを食べていた。きらめく湖の水は澄んでいた。なんという今の美しさだろうと俺は思った。こんな今がいつまでもいつまでも続いてほしいと願った。だが実際はどうだい? バブルが弾けて不景気になって、水が濁って、大震災があって、真理教事件があって、この湖畔もこの国も、どんどん悪くなる一方じゃないか。かつての夏の賑わいは、大輪の薔薇の花だった。だがその薔薇は虫に食われていたんだ。夏は毎年めぐってくる。だが薔薇の花は開くたびごとにいよいよ蝕まれて、ついには死んでしまうんじゃないか。ノストラダムスの予言通りに、世界は滅びるんじゃないか。俺にはそんなふうに思われてならないんだ」
「あるいはそうかもしれないな」と冬美は言った。「再来年には世界が滅亡するかもしれない。だが仮にそうだとしても、私たちは自己の可能性を現実化する努力を、最後まで怠るべきじゃないと思う。遅かれ早かれ、人は誰もいずれ死ぬ。でもだからといって酔生夢死でいいわけじゃないだろう。自己の可能性を現実化するように努力することは、やはり人間の義務なんだ。再来年に世界が滅亡するとしても、私はいい作品を作れるように勉強を続けたい。三池黎明の作品を見せてもらって、改めてそう思えたよ。だから真壁も、光子夫人に言われたように生きてほしいな」冬美はそう話して青空を見上げ、「夏がまた来るな」と言った。いつかのようなオオルリの鳴き声が聞こえた。
そういうことがあったから、その日の午後に受けたピアノのレッスンの後で、陽奈子先生がガラス扉のついた本棚から『シューベルト歌曲集』の楽譜を取り出し、「昔は私も歌曲の伴奏をしていたことがあるの」と言って〈水面に歌う〉を弾き始めたとき、悠太郎は夕映えの照月湖のほかには何も思い浮かばなかった。フィッシャー゠ディースカウのレコードで聴いて知っていた八分の六拍子のその曲が始まるや、悠太郎はすぐさま自分が金色に光る照月湖でボートを漕いでいるような気がした。跳ね上がっては滴り落ちるような細やかな十六分音符の連続を聞きつけて、留夏子が朝風のように部屋から姿を現した。陽奈子先生の楽譜は中声用であった。メゾ・ソプラノの誰かを、あるいはバリトンの誰かを陽奈子先生は伴奏していたのだと悠太郎は思った。その誰かは今どうしているのだろう?――そう考えると悠太郎は、胸に鋭い痛みを感じた。その痛みは〈水面に歌う〉のドイツ語の歌詞となり、素人なりに鋭い歌声となって現れた。
悠太郎が歌い終え、ピアノの後奏が終わると、留夏子は眩しいものでも見るように切れ長の目を細めて、「何よこれ、きれいね」と尋ねた。陽奈子先生は曲名と作曲者を教えて説明した。「夕暮れ時の舟遊びを題材にした詩に、シューベルトが作曲したのよ。夕日に照り映える波を表すような音型が、ピアノの右手に繰り返されるの。水にたゆたう歌だから、八分の六拍子、つまり舟歌の拍子ね」と陽奈子先生は言った。陽奈子先生の言葉に興味を示した留夏子はピアノに歩み寄ると、譜面台に広げられた楽譜をのぞき込んで、「あら、日本語の歌詞もあるのね。ねえ真壁、よかったら日本語で歌ってくれない? あなたのドイツ語は冴えていて気持ちいいけど、私には分からないから」と要求した。悠太郎が承諾すると、留夏子は小学生だった頃よくそうしたようにソファに座った。そこで悠太郎は、原語の下に印刷されていた日本語の歌詞を、冒頭から歌い直すことになった。きらめき揺らめく水のような伴奏が、また始まった。
これまで照月湖を過ぎていったすべての日々の幻影を、悠太郎は歌いながら見送ったような気がした。ノリくんも、いづみも、橋爪進吉さんも、三池光子さんも、湖を訪れた名も知らぬお客さんたちも、みんな時の流れとともに過ぎ去っていった。昨日のように今日も明日も過ぎ去ってゆく。時の移ろいはやむことがない。今この時を留めたいと、幼い頃から俺は幾たび願ったことだろう。だがそれは、けっして叶わない願いなのだ――。翼高く私もまた移ろう世を逃れようという歌詞のところで、悠太郎は自分に残された時間のことを改めて思った。そして留夏子も陽奈子先生も、それを歌った少年の夭折を、一瞬とはいえ心のどこかで予感せずにはいられなかった。
ふたりは僻地診療所と幼稚園を通り過ぎて郵便局のほうへ向かった。そのあいだの路傍には、若葉の眩しい木立に抱かれるようにして「吾妻牧場碑」が立っていた。留夏子と悠太郎は自転車を停めてヘルメットを脱ぐと、石碑の裏面へ回った。そこには相変わらず牧の宮殿下の悲運の生涯が記されていた。ふたりはしばし黙って碑文に目を走らせ、前にそこを訪れて以来の出来事を思い起こしていた。定期試験の最中とは思えない、のどかな午後のひとときにカッコウが鳴いていた。やがて留夏子が口を切った。「二千町歩の大牧場を見晴るかすような眺望を得たいと思って、私はここに来たの。何という名前の馬がどこの厩舎に入っているか、どこの牧草地にはどんな種類の牧草が植わっているか、どこの畑からはどんな作物が穫れるか、牧場を管理していた人は一手に把握していたでしょう。それくらい広い視野が、今の私には必要なの。悩んでいたけど、やっぱりここに来たら考えがまとまった。聞いて真壁。私ね、このままの成績で行けば、高崎の女子高にも入れるんですって。埴谷先生にそう言われた」
「すごいじゃありませんか! そうなればわが校の誇りであり、この町の名誉ですよ!」と悠太郎は興奮して言った。この町が属する学区では、渋川の高校が最も偏差値の高い進学先であった。真壁悠太郎の存命中には、まだ学区制なるものが存在したのである。この県で最高レベルと言われる高崎の高校へ進学するには、学区を飛び越えての入試に挑むしかなかった。その合格がいかに困難であるかは、まだ留夏子よりは受験に遠い悠太郎にもよく分かった。ところが留夏子にはそれができるのだという。悠太郎が讃嘆を禁じ得なかったわけである。しかし留夏子は「あなたまで馬鹿なことを言わないで。私は自分の人生を、学校の誇りや町の名誉のために売り渡すつもりはない」と応じた。「しかし高崎の女子高へ行ければ、様々な人生の可能性が開けるのではないでしょうか」と悠太郎は問うた。「あるいはそうかもね。でも学区外受験なんて、あまりに危険すぎる。合格するのは、駱駝が針の穴を通るようなものでしょう。そんな危ない橋を渡ってまで、私はスーパーエリートを目指そうとは思わない。渋川の女子高でたくさんよ」と留夏子は言い、「真壁も気をつけることね。次は遠からずあなたが言われる番よ。おまえの成績なら高崎も夢じゃないって。よく考えることね。高校受験で全力を使い果たして、それで人生は終わりじゃないから。瞬間的な馬鹿力と、長きにわたる継続とは、全然別のことだから。真壁の力の出し方を見ていると、私はちょっと心配になるの」と続けた。「そうですね。私も無理をせず、渋川の男子高を目指します。留夏子さんも渋川へ行くなら、そのときは……」と悠太郎が言うと、「またこんなふうに会えるかもしれないわね」と留夏子が応じた。若草に覆われた明るい地面に樹々の影が揺れ、薫る風にタンポポの白い綿毛が飛んでいった。晩春の午後の光のなかで幻の馬たちが、あるいは悠々と草を食み、あるいは寝そべり、あるいは遥かなるものを聴こうと耳を立てているような気配がした。
さて試験期間が終わった直後の美術の時間には、彫塑粘土による造形が生徒たちに課せられた。針金で骨組を作り、粘土が滑らないようそれに糸を巻きつけたら、捏ねた粘土で肉づけをするのである。悠太郎は音楽に比べて美術は全然苦手であった。平面の絵画ならまだしも楽しめないではなかったが、立体の彫塑となるともうお手上げであった。そこへ行くとアテロ集落の岡崎冬美は、まったく大したものであった。あたかも生まれたばかりの怪獣がのっしのっしと歩きながら、山々を千切っては投げ千切っては投げするように、冬美は自在に粘土を操って、野球ボールを握った手の形を作り上げた。指関節の骨を浮き上がらせたその手は、強い力の凝集を感じさせた。悠太郎は三池光子さんのご主人が作ったというブロンズの少女像を思い出した。冬美なら将来ああいうものを作るようになるかもしれないと考えた悠太郎は、「冬美さん、三池黎明っていう彫刻家を知ってるかい?」と訊いてみた。すると普段は体温も血圧も低そうな冬美が、目の色を変えて悠太郎を見据え、「三池黎明と言ったか? 三池黎明がどうかしたのか?」と熱っぽく尋ねるではないか。「知ってるんだね。いや、作品がうちにあるからさ。作者の奥さんだった人が、祖父母や母の職場にいた関係で、作品がうちにあるんだ。彫刻が好きな冬美さんなら、もしかしたら知っているかと思って訊いてみたんだ」と悠太郎が面食らいながら答えると、「きみのうちに三池黎明の作品があるのか? ほとんど失われた三池黎明の作品が残っているというのか? それじゃきみは光子夫人と知り合いだったのか? お願いだ真壁、日曜日にその作品を見に行かせてほしい。スケッチブックにそれを写し取らせてほしい。頼めるか?」と冬美はほとんど取り乱して願いを述べた。「お安い御用だよ。見せるだけなら減るものじゃないしね。だが三池黎明はそんなにすごい彫刻家なのかい?」と悠太郎が言うと、「知る人ぞ知る彫刻家だな。その生涯はほとんど謎に包まれている。実際に作品を見た上で、聞き知っていることを話したい」と冬美は応じた。
その日曜日に悠太郎が、トーストと水っぽい野菜炒めの朝食を済ませて待っていると、約束していた十時を二分ほど過ぎた頃、木洩れ日のなか自転車を走らせる冬美のジャージ姿が、土手の上に植えられた唐檜の緑の合間から見えた。家では祖父の千代次が、極度に細い近視の目をしばたたきながらテレビを観ているばかりであった。悠太郎は祖父にクラスメイトの来訪と、その来意を予め伝えてあった。間接的にではあれ、株式会社浅間観光にゆかりのある彫刻作品であってみれば、それに興味を持つ者がいることに、千代次は悪い気はしていないらしかった。悠太郎に迎えられて玄関を上がった冬美は、下駄箱の上に飾られた少女像を即座に認めたが、まずは居間でテレビを観ている千代次に挨拶した。これに千代次はにこやかに答えたので、悠太郎は祖父が自分に対してもこうであってくれればよいのにと思った。冬美は鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出すと、少女の像を様々な角度から猛然と描き始めた。悠太郎はあたかも冬美の目を通じて、その像を初めて見るかのような心地がした。レース襟つきのワンピースを着たその少女は、階段のようなところに腰かけ、頭には髪を隠すようにフードを被っていた。靴を履かない足は揃えられ、両手はわずかに開いた膝のあいだで合わせられていた。あどけなさの残るふくよかな顔は、おずおずと光を求めるように仰向き、その目は天を仰いでいた。悠太郎は改めてその像を見ていると、不思議と心が静まってゆくように感じた。そのあいだに冬美は猛然たるスケッチを終えていた。
光子夫人の話を聞きたいと冬美が望んだので、悠太郎は照月湖のほとりに行くことを提案した。ひょろりと背の高い撫で肩の三池光子さんについて、そこでならよりよく思い出を語れると考えたからであった。新緑と花々に縁取られて揺らめく水面を、ふたりの中学校二年生はベンチ代わりの岩に並んで座って眺めた。レストラン照月湖ポカラ・ガーデンから、カレーの香りがした。思い出せる限りのことを悠太郎は物語った。灰色がかったボブショートの髪をした光子さんが、優雅な手つきで煙草をくゆらせていたこと。アイシャドウの目をぱちくりさせた光子さんが、月光に照らされた黒天鵞絨のような艶のある低音の声で話したこと。光子さんは麻雀が強かったらしいこと。湖畔に咲いていた水仙の花を見に連れてきてくれたこと。「スイセン」と言うときのイントネーションのこと。ナルキッソスの神話を教えてくれたこと。明鏡閣で一緒に浴衣の帯を巻いたこと。学芸村の水道屋の奥さんが、愛犬のポメラニアンを袋に入れて背負い、これに馬刺しを食べさせていたので、光子さんが運動不足と栄養過多はよくないと忠告したこと。そして引退後の夏のある日に、スイカを一緒に食べたこと。「スイカ」と言うときのイントネーションのこと。そしてそのときにくれたあの言葉――。「兄が常務をやっている浅間観光に、私が務めることになったのも、思えば主人に死に別れたからだわ。昼休みにはみんなしてお茶を飲んだり煙草を吸ったり麻雀をしたり、まあなんて楽しい職場だったことでしょう。あそこでユウちゃんにも出会えたわけだし。不幸せから幸せを、時間が彫り出してくれたんだわ。私の主人は彫刻家だったけど、よく言っていたわ。芸術家にとっては、禍いも恵みも区別がないんだって。いいことも悪いことも全部ひっくるめて受け取って、この世界への贈り物として形にするんだって。そういう人は、普通の人が思いも及ばないような重荷を背負いながら、普通の人が思いも及ばないような時間をかけて成熟するものなんだって。ユウちゃんは、そういう人かもしれないわね。いずれにせよ時間は必要よ。ユウちゃんに与えられた物事の意味が明らかになるにも、ユウちゃんが力をつけるにも、時間がかかるんだわ。ひとりで背負う重荷が長い時間をかけて、いつかたくさんの人にとっての贈り物になるのよ。恵まれたものはたっぷり受け取って、たっぷり時間をかけて力をつけて、いつかたっぷり与える人になればいいわ」
「思いがけずいい話を聞かせてもらった」と感慨深げに言った冬美は、聞き知っている三池黎明についての情報を話した。黎明は玄界灘を望む町の大地主の家に生まれたこと。フランスで彫刻を学び、生前の高村光太郎を知っていたらしいこと。高村の導きによって一時はオーギュスト・ロダンに傾倒するものの、まもなくその作風に反発するようになったこと。病を得て早くに亡くなったこと。臨終の床にあって、人手に渡ったもののほかはすべての作品を破却するよう遺言したこと。それゆえ作品がほとんど残っておらず、幻の彫刻家と呼ばれていること――。「どうやら三池黎明が表現したかったのは、ロダン的な生命の躍動ではなく、もっと清らかで静謐なものだったらしい。荒れた海のような形ではなく、静かな湖のような形を求めていたともいう。真壁に見せてもらったあの像には、たしかにそういう清らかな静けさがあった。それにしても、あの作品はなぜ残ったのかな。光子夫人が遺言を守らなかったのかな」と冬美は言った。「その可能性はあると思う。あの光子さんのことだ。すべて壊したふりをして、せめてもひとつふたつの作品を守ったのかもしれない。人手に渡してしまえば壊さなくてもいいと考えて、うちの家族にあれをくれたのかもしれない」と悠太郎は応じた。
「それにしても豊かだな、真壁の環境は。物心両面においてな。光子夫人が言ってくれた通り、きみはその重荷を背負って、ゆっくりと成熟するんだろう。何になるのか知らないが、将来が楽しみだな」と冬美が言った。しかし悠太郎は睫毛の長い目を悄然と伏せながら、「俺には将来への恐怖しかないよ」と応じた。「思えば幼稚園の頃が、この湖畔の賑わいのピークだった。大勢の人々が遊歩道を歩き、ボートを漕ぎ、パラソルテーブルの椅子に掛けてソフトクリームを食べていた。きらめく湖の水は澄んでいた。なんという今の美しさだろうと俺は思った。こんな今がいつまでもいつまでも続いてほしいと願った。だが実際はどうだい? バブルが弾けて不景気になって、水が濁って、大震災があって、真理教事件があって、この湖畔もこの国も、どんどん悪くなる一方じゃないか。かつての夏の賑わいは、大輪の薔薇の花だった。だがその薔薇は虫に食われていたんだ。夏は毎年めぐってくる。だが薔薇の花は開くたびごとにいよいよ蝕まれて、ついには死んでしまうんじゃないか。ノストラダムスの予言通りに、世界は滅びるんじゃないか。俺にはそんなふうに思われてならないんだ」
「あるいはそうかもしれないな」と冬美は言った。「再来年には世界が滅亡するかもしれない。だが仮にそうだとしても、私たちは自己の可能性を現実化する努力を、最後まで怠るべきじゃないと思う。遅かれ早かれ、人は誰もいずれ死ぬ。でもだからといって酔生夢死でいいわけじゃないだろう。自己の可能性を現実化するように努力することは、やはり人間の義務なんだ。再来年に世界が滅亡するとしても、私はいい作品を作れるように勉強を続けたい。三池黎明の作品を見せてもらって、改めてそう思えたよ。だから真壁も、光子夫人に言われたように生きてほしいな」冬美はそう話して青空を見上げ、「夏がまた来るな」と言った。いつかのようなオオルリの鳴き声が聞こえた。
そういうことがあったから、その日の午後に受けたピアノのレッスンの後で、陽奈子先生がガラス扉のついた本棚から『シューベルト歌曲集』の楽譜を取り出し、「昔は私も歌曲の伴奏をしていたことがあるの」と言って〈水面に歌う〉を弾き始めたとき、悠太郎は夕映えの照月湖のほかには何も思い浮かばなかった。フィッシャー゠ディースカウのレコードで聴いて知っていた八分の六拍子のその曲が始まるや、悠太郎はすぐさま自分が金色に光る照月湖でボートを漕いでいるような気がした。跳ね上がっては滴り落ちるような細やかな十六分音符の連続を聞きつけて、留夏子が朝風のように部屋から姿を現した。陽奈子先生の楽譜は中声用であった。メゾ・ソプラノの誰かを、あるいはバリトンの誰かを陽奈子先生は伴奏していたのだと悠太郎は思った。その誰かは今どうしているのだろう?――そう考えると悠太郎は、胸に鋭い痛みを感じた。その痛みは〈水面に歌う〉のドイツ語の歌詞となり、素人なりに鋭い歌声となって現れた。
悠太郎が歌い終え、ピアノの後奏が終わると、留夏子は眩しいものでも見るように切れ長の目を細めて、「何よこれ、きれいね」と尋ねた。陽奈子先生は曲名と作曲者を教えて説明した。「夕暮れ時の舟遊びを題材にした詩に、シューベルトが作曲したのよ。夕日に照り映える波を表すような音型が、ピアノの右手に繰り返されるの。水にたゆたう歌だから、八分の六拍子、つまり舟歌の拍子ね」と陽奈子先生は言った。陽奈子先生の言葉に興味を示した留夏子はピアノに歩み寄ると、譜面台に広げられた楽譜をのぞき込んで、「あら、日本語の歌詞もあるのね。ねえ真壁、よかったら日本語で歌ってくれない? あなたのドイツ語は冴えていて気持ちいいけど、私には分からないから」と要求した。悠太郎が承諾すると、留夏子は小学生だった頃よくそうしたようにソファに座った。そこで悠太郎は、原語の下に印刷されていた日本語の歌詞を、冒頭から歌い直すことになった。きらめき揺らめく水のような伴奏が、また始まった。
これまで照月湖を過ぎていったすべての日々の幻影を、悠太郎は歌いながら見送ったような気がした。ノリくんも、いづみも、橋爪進吉さんも、三池光子さんも、湖を訪れた名も知らぬお客さんたちも、みんな時の流れとともに過ぎ去っていった。昨日のように今日も明日も過ぎ去ってゆく。時の移ろいはやむことがない。今この時を留めたいと、幼い頃から俺は幾たび願ったことだろう。だがそれは、けっして叶わない願いなのだ――。翼高く私もまた移ろう世を逃れようという歌詞のところで、悠太郎は自分に残された時間のことを改めて思った。そして留夏子も陽奈子先生も、それを歌った少年の夭折を、一瞬とはいえ心のどこかで予感せずにはいられなかった。
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マニアな読者(笑)を抱えてる「赤井翼」氏の原案をもとに加筆しました。
「病気」を取り扱っていますが、重くならないようにしています。
希と健が「B級グルメ」を楽しみながら、「病気平癒」の神様(※諸説あり)をめぐる話です。
わかりやすいように、極力写真を入れるようにしていますが、撮り忘れやピンボケでアップできないところもあるのはご愛敬としてください。
基本的には、「ハッピーエンド」なので「ゆるーく」お読みください。
全31チャプターなのでひと月くらいお付き合いいただきたいと思います。
よろしくお願いしまーす!(⋈◍>◡<◍)。✧♡
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