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8)日曜日に御手を拝借〈2〉

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 昼食を済ませ、和都と仁科はかつて白狛神社のあった跡地へと向かった。
 そこは狛杜高校からも見えるなだらかな山──狛山の中腹にあり、山頂を越える道の、大きなカーブの膨らんだ辺りにある、小さな駐車場のようなスペースから行くことができる。
 少し分かりにくい出入り口も、かつては生い茂っていた雑草が短く刈られ、定期的に手入れされているようだった。
 石段の跡が残る坂道を少し登ると、雑木林に囲まれた空き地に出る。砂利石が敷き詰められ、奥のほうには新品の小さな祠と、かつてはそこそこな大きさだったと思われる木の切り株が鎮座していた。切り株にはいつ付けられたのか、ぐるりとしめ縄が掛けてある。
 街中よりも清々しい、洗練された空気。
 和都はその気持ちのいい空間で一度大きく深呼吸をした。それから誰もいない空間に向かって声を掛ける。
「ハクー、バクー、いるー?」
 まるで和都の呼びかけに答えるように、敷地内をぐるりと円を描くような大きな風が巻き起こった。
 ややあって、竜巻のような風がしゅるしゅると収束すると、その旋風の中央から二つの人影が現れる。
 一人は白い髪に白い肌、白と赤を貴重とした着物のような姿の青年。もう一人も青年だが、黒い髪に黒い肌で、黒と青の着物を着ている。着物といっても、どちらの服も神社に使える神職が着ているような、狩衣のような服だ。
 そして人間のように二本足で立った姿をしているが、二人とも耳はオオカミのもののように頭上から伸び、それぞれ髪色と同じ大きな獣のしっぽが生えている。黒髪の青年にいたっては、額の中央から金色の角まで生えていた。
「……え?」
 予想外のものの登場に、和都は目を丸くする。
〔あ、カズトだー!〕
〔いらっしゃい、カズト〕
 しかし、彼らは自分を知っているらしく、親しげに話しかけてきた。
 確かに声はよく知っている声だ。
「……だれ?」
〔えー? ボクだよ、ハク!〕
 困惑する和都に、白い髪の青年はそう言うと、その場でひょいと飛び上がり、空中でくるっと一回転する。
 しかし着地した時には、四本足で立つオオカミの姿になっていた。
 白いフサフサの毛並みに、赤と白のねじり紐を首に巻いた、よく知っているハクの姿だ。
「ええーー?!」
「あー、神様としての名前がついたから、そういう形もとれるようになった、とかそういうの?」
 和都の隣で見守っていた仁科が尋ねると、黒い髪の青年──バクが頷いた。
〔ああ。少し前に安曇神社の使者がきて、依代にしめ縄を回す際に名付けをしてくれてな〕
「なんていうの?」
 和都に問われ、ハクは身体を起こすように再び白と赤の装束を着た人型に戻ると、どこか誇らしげに胸を張って言う。
〔ボクは狛神こまがみ珀之守はくのかみ!〕
〔そしてボクが狛神こまがみ莫之守ばくのかみ
「……かっこいい!」
〔えへへー〕
 仁科よりも背の高い、青年姿でキリッと格好よくしてみせたが、和都の言葉にハクは照れたように耳を垂れた。見た目は変わっても、中身はあまり変わらないらしい。
「名前がつくと、神様っぽくなるんですか?」
「神様は基本自由な存在だけど、人の想いや願いに左右されやすいんだって。だから名付けて奉ることで、きちんとした神様になれるんだ。その影響じゃないかな」
「なるほど……」
 この場所に住むことを提案はしたが、神様についてはまだまだ勉強したほうがいいかもしれないな、と和都は思った。
〔ところで、カズト。お前、何か妙なものを持っているな?〕
 少し眉をひそめた顔でバクに尋ねられ、和都はここにきた目的を思い出す。
「あ、そうそう。これを二人に見て欲しくて」
 和都はショルダーバッグの中から例のペンを取り出した。
 普通の人には何の変哲もないサインペン。
 しかし、和都や仁科同様、神様であるハクやバクには、とても禍々しいものに視えているようで、険しい表情をされる。
〔どうしたんだ、これ〕
「実は……」
 和都はここ最近学校で起きていた、このペンを使うことで不思議な現象が起きる『エンジェル様騒動』について説明した。
〔……ふむ。これはペンがおかしいというか、そもそも使われているインクが特殊なようだな〕
 バクは和都からペンを取り上げ、まじまじと見ながら言う。
「インク?」
〔ああ。普通の人間がまじないのための文字を普通に書いても、何も起こりはしない。霊力チカラが篭っていないからな。だがこのペンは入っているインクが霊力チカラを持っているから、普通の人間がまじないの文字を書くと、そこそこの効力を発揮するようになる〕
「えっ!」
「……なるほど。だから本来なら簡単に起きるはずのない降霊術が、きちんと発動してたのか」
〔だろうな〕
 一般的な降霊術は、術を行う者にある程度の霊力があったり、近くにたまたま協力的な霊がいたりした場合などに発動することがある。
 成功することが運に近いものを、毎回成功させるには相当な霊力が必要だが、ペンにそれを補助する役割があったなら、今回の件も納得できるものだ。
「そんなインク、あるんだ」
〔ボクは詳しくないけど、そのようだなぁ〕
 バクの言葉に、仁科がどこか難しい顔をする。
「……インクではないが、そういう特殊な墨なら心当たりがある。安曇神社の神社のお守りの効力が強いのも、そういう特別な墨を使っているから、だからな」
「そうなんだ!」
「うん、その墨を作ってるとこは、『本物』の界隈では有名な店でね」
「へー! 墨があるなら、インクもありそうだね……」
「だな。……でも、普通の人間が買えるものじゃないはずなんだが」
 安曇家のようないわゆる『本物』の霊能力者たちが扱う道具は、一般には流通していない。一部の人間だけが知っている、特定の店でしか購入できないので、簡単に手に入れられるものではないのだ。
「あ、じゃあこの、ペンに巻きついてる赤いのは?」
〔そのペンに執着している霊の痕跡だな。このペンが使われると現れるヤツだ。返事を書いていたという手首の幽霊は、おおかたそいつだろう〕
〔でも、なんか変じゃない?〕
 バクの隣から、ペンを覗き込むように見ていたハクが言う。
「変?」
〔フツーはそんなふうに、お化けの痕跡がぐるぐる巻きになってることってないからさぁ〕
〔確かにそうだな。ペンを見つけた幽霊が執着してきたなら、糸屑がくっついている程度だ。よほどこのペンに未練があるか、あるいは……〕
「……意図的にペンに結びつけられた、か?」
 仁科が言うと、バクが頷いた。
 ただでさえ特別なペンに、普通ならありえない形で幽霊が結び付けられているのだ。何かしらの意思を感じる。
〔……誰かが、学校に故意に持ち込んだ、かもしれんな〕
「なんのために?」
〔さぁな、そこまでは分からん〕
 バクが呆れたように息を吐いた。
 このペンは学校外の人でも来校できる、文化祭の時の落とし物である。誰かが何かの目的を持って、故意に持ち込んだとしたら、なくはない話だ。
〔ま、このペンがなくなれば、そいつも現れることはなくなる。これはどうする? 不要ならハクに食わせるが……〕
「お願いしていい?」
〔もっちろん!〕
 和都の言葉に、ハクがにっこり笑って頷く。
「あ、写真だけ撮らせてくれ。一応安曇に報告はしておきたい」
 一般ではない人間が関わっている可能性を考えると、たとえ小さな事件だったとしても、報告はしたほうがよさそうだ。
 仁科がペンの写真を数枚だけ撮影する。何の変哲もないサインペンの写真だが、見る人によっては視えないものも視えるはずだ。
〔んじゃー、食べちゃうね!〕
 そう言ってハクは再び白いオオカミの姿に変身する。先ほどよりも巨大な姿だ。
 バクはその姿を見上げると、持っていたペンを空高く放り投げる。
 白いオオカミはよく晴れた空に思い切り飛び上がり、その大きな口でぱくんと一飲みにして食べてしまった。
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