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9)寒夜の後日談
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修学旅行も目前に迫った放課後。
委員活動と仁科の手伝いで、和都は遅い時間まで保健室に居残っていた。
外はすでに真っ暗で、そろそろ帰ろうかというタイミング。コンコンとノックの音がして、保健室のドアが開く。
「失礼します」
ガラガラと引き戸を開けて入ってきたのは、風紀委員の活動を終えた春日だった。
「あら、春日クン」
「ユースケ、そっちも終わったの?」
「ああ。もう暗いし、一緒に帰れるならそのほうがいいかと思ってな」
「ありがと。こっちも終わったとこ」
暗い夜道は、いくら男子生徒といえど、複数人で下校した方が安全なことに違いはない。
「もう真っ暗だもんねぇ」
仁科はそう言いながら窓の外を眺める。
夕焼けのオレンジ色はとっくになりを潜め、よく晴れた空を深い紺色が支配していた。
通学鞄に筆記用具などを仕舞っていた和都が、あれ、と何かに気付き、鞄の中をガサゴソと漁っている。
「どうした?」
「あー、読みかけの本、教室に置きっぱだぁ」
教室から出る際、置いておく教科書類と一緒に読みかけの本を置いてきてしまったらしい。
「昼休みに読んでたやつか?」
「……うん。取ってくるから、ちょっと待ってて!」
和都はそう言うと、足早に保健室を出て行った。
保健室には春日と仁科の二人きり。
静かになった室内で、仁科はああそうだ、と春日の方を見る。
「……そういや、春日クン」
「なんですか」
春日は普段通りの、無表情に近い涼しい顔だ。
ここ最近の出来事で、仁科の言いたいことにも気付いているだろうに、なんという奴だろう。
「アイツに……和都に告白したらしいじゃん」
「……はい。ちゃんと振られたんで、安心していいですよ」
仁科の言葉に、春日は全く表情を変えずに答えた。
「いや、そこじゃなくて……」
春日の返答に、仁科は眉を下げて息を吐く。
まったくもう本当に、一年の頃から思っていたが、なんとも扱いにくい奴だ。
「俺には『告白する気はない』とか言ってたのに、と思ってさ」
夏休みに二人で話をした時、仁科は春日が和都をどう思っているのかを聞いている。自分と同じような想いを持ちながら、困らせたくない、と気持ちを握りつぶす覚悟を持っていた。
それなのに、今回は盛大に和都を混乱させ、困らせていたのだ。理由くらいは知りたい。
そう思っていたのだが、春日は「ああ」と気付いた顔をしてから、小動物なら射殺してしまいそうな、鋭い視線をスッと仁科に向けてから言った。
「……どこかのクソ教師が、自分が責任を取るとか言っておきながら、曖昧な態度をとっている上に、婚約者もいるとか聞いて、さすがにムカついたんで」
「やっぱ俺への当て付けかよ」
「当たり前でしょう」
なんとなく予想はしていたが、今回の件は自分への盛大なる当て擦り、そして警告だったわけだ。
「……ちゃんと言ったつもりになってたんだよ。申し訳なかったね」
「まぁ、そんなことだろうとは思ってましたけど」
そこまで見越した上で仕掛けてくるあたり、やはりいい性格をしているなぁと仁科は呆れた。
「アイツが『イエス』って返事したら、どうするつもりだったの」
「……普通に、付き合いますけど」
当然でしょう、という返答に、仁科はついに項垂れる。
「どこまで本気なんだよお前……」
「決まってるでしょう、全部ですよ」
いつだって全力で、和都のためになることなら、彼を救えるのなら、自分が何を言われても、傷ついても、些事だとばかりに平然としているのが、春日祐介なのだ。
「……まぁ、アイツ見てれば『それはない』って確証はあったんで」
和都の気持ちも知っていた。選ばれないことなんて最初から知っている。
もしかしたら、なんて淡い期待も持ってはいない。
でも、和都のために必要なことだと思ったから、やっただけだ。
「青春ごっこにオトナを巻き込まないでよ」
「子どもに手ぇ出しといて、何言ってるんですか」
「……キスはまぁ、チカラ分けるのに必要だからしてるけど、それ以上のことは本当にしてないよ」
「そうなんですか? 意外ですね」
「お前、俺のことなんだと思ってんの? 学校の先生よ?」
とっくの昔にそれ以上の関係にまで持ち込んでいると思われたらしい。全くもって失礼な話だ。
「……先生って本当、見た目と行動があってないですよね。ムカつきます」
「そんなに軽薄な人間に見えるぅ?」
「中学の時に塾でお世話になった先生が、複数人の女性と遊んでるようなタイプの人間で。その先生にそっくりなんですよね」
「そーかい」
やたらと自分を警戒していたのは、その辺の経験からくるものらしい。なんとも迷惑な話である。
不意にこちらを見ていた春日の視線が逸れて。
「まぁ、本当にヤバい人間は、上手に本性を隠してるもんですけどね」
「……そうかもね」
春日の姉は、大人に裏切られて自殺を図ったと聞いている。その言葉は、その経験からくるものだろう。
「俺は鼻が利くので分かりますけど、アイツはその辺ポンコツなんで。アイツには、代わりに見極めて、ちゃんと守ってくれるオトナが必要なんです」
彼もまた和都のように、大人に傷つけられ、大人を信用できずにきた子どもだ。
「……アイツ泣かせたら、先生でも容赦しないんで」
そんな彼に、大事なもの託された。
だからこそ、誠実な大人でありたい。
「わかってるよ」
「まぁ、アイツが面倒くさすぎて付き合ってられなくなったら、いつでも言ってください。こっちで引き取ります」
春日が片眉をあげて、どこか楽しげに言うので、仁科はムッとして言い返した。
「ぜってーやらねぇ!」
それだけは、絶対にさせない。絶対にだ。
決意を固く結んでいると、ふと暗い廊下の方から、パタパタと軽い足音が近づいてきて、それからすぐにガララッと音を立てながら保健室の引き戸が開く。
「ただいま!」
息を切らせた和都が戻ってきた。
「おかえり。本あった?」
「うんっ」
和都はそう答えて、栞の挟まれた本をこちらに見せる。それからテキパキと帰り支度の続きを始めた。
夜が深くなり始めた時間。
仁科は息をついて言った。
「遅くなっちゃったし、ご飯でも食べていこうか?」
「あ、行きたい!」
「奢りなら行きます」
「いーよ」
すかさず返した春日に、仁科は口角を上げて返す。
「やったぁ!」
「食べるもん決めて、駐車場のほう行ってて。戸締りしてくるから」
「はーい!」
学ランの上にコートを羽織り、通学鞄を持った二人は揃って先に保健室を出ていった。
「えー、何食べよう」
「そういや、駅の向こうだけど、新しいラーメン屋出来てたな」
「マジで! 寒いしいいね、ラーメン!」
春日と一緒に廊下を歩きながら、和都は後ろを振り返って仁科に手を振る。
「せんせー! ラーメンいこ、ラーメン!」
「はいはい」
昇降口へ向かう二人に手を振ると、仁科も帰る支度を済ませ、保健室の明かりを消した。
〈了〉
委員活動と仁科の手伝いで、和都は遅い時間まで保健室に居残っていた。
外はすでに真っ暗で、そろそろ帰ろうかというタイミング。コンコンとノックの音がして、保健室のドアが開く。
「失礼します」
ガラガラと引き戸を開けて入ってきたのは、風紀委員の活動を終えた春日だった。
「あら、春日クン」
「ユースケ、そっちも終わったの?」
「ああ。もう暗いし、一緒に帰れるならそのほうがいいかと思ってな」
「ありがと。こっちも終わったとこ」
暗い夜道は、いくら男子生徒といえど、複数人で下校した方が安全なことに違いはない。
「もう真っ暗だもんねぇ」
仁科はそう言いながら窓の外を眺める。
夕焼けのオレンジ色はとっくになりを潜め、よく晴れた空を深い紺色が支配していた。
通学鞄に筆記用具などを仕舞っていた和都が、あれ、と何かに気付き、鞄の中をガサゴソと漁っている。
「どうした?」
「あー、読みかけの本、教室に置きっぱだぁ」
教室から出る際、置いておく教科書類と一緒に読みかけの本を置いてきてしまったらしい。
「昼休みに読んでたやつか?」
「……うん。取ってくるから、ちょっと待ってて!」
和都はそう言うと、足早に保健室を出て行った。
保健室には春日と仁科の二人きり。
静かになった室内で、仁科はああそうだ、と春日の方を見る。
「……そういや、春日クン」
「なんですか」
春日は普段通りの、無表情に近い涼しい顔だ。
ここ最近の出来事で、仁科の言いたいことにも気付いているだろうに、なんという奴だろう。
「アイツに……和都に告白したらしいじゃん」
「……はい。ちゃんと振られたんで、安心していいですよ」
仁科の言葉に、春日は全く表情を変えずに答えた。
「いや、そこじゃなくて……」
春日の返答に、仁科は眉を下げて息を吐く。
まったくもう本当に、一年の頃から思っていたが、なんとも扱いにくい奴だ。
「俺には『告白する気はない』とか言ってたのに、と思ってさ」
夏休みに二人で話をした時、仁科は春日が和都をどう思っているのかを聞いている。自分と同じような想いを持ちながら、困らせたくない、と気持ちを握りつぶす覚悟を持っていた。
それなのに、今回は盛大に和都を混乱させ、困らせていたのだ。理由くらいは知りたい。
そう思っていたのだが、春日は「ああ」と気付いた顔をしてから、小動物なら射殺してしまいそうな、鋭い視線をスッと仁科に向けてから言った。
「……どこかのクソ教師が、自分が責任を取るとか言っておきながら、曖昧な態度をとっている上に、婚約者もいるとか聞いて、さすがにムカついたんで」
「やっぱ俺への当て付けかよ」
「当たり前でしょう」
なんとなく予想はしていたが、今回の件は自分への盛大なる当て擦り、そして警告だったわけだ。
「……ちゃんと言ったつもりになってたんだよ。申し訳なかったね」
「まぁ、そんなことだろうとは思ってましたけど」
そこまで見越した上で仕掛けてくるあたり、やはりいい性格をしているなぁと仁科は呆れた。
「アイツが『イエス』って返事したら、どうするつもりだったの」
「……普通に、付き合いますけど」
当然でしょう、という返答に、仁科はついに項垂れる。
「どこまで本気なんだよお前……」
「決まってるでしょう、全部ですよ」
いつだって全力で、和都のためになることなら、彼を救えるのなら、自分が何を言われても、傷ついても、些事だとばかりに平然としているのが、春日祐介なのだ。
「……まぁ、アイツ見てれば『それはない』って確証はあったんで」
和都の気持ちも知っていた。選ばれないことなんて最初から知っている。
もしかしたら、なんて淡い期待も持ってはいない。
でも、和都のために必要なことだと思ったから、やっただけだ。
「青春ごっこにオトナを巻き込まないでよ」
「子どもに手ぇ出しといて、何言ってるんですか」
「……キスはまぁ、チカラ分けるのに必要だからしてるけど、それ以上のことは本当にしてないよ」
「そうなんですか? 意外ですね」
「お前、俺のことなんだと思ってんの? 学校の先生よ?」
とっくの昔にそれ以上の関係にまで持ち込んでいると思われたらしい。全くもって失礼な話だ。
「……先生って本当、見た目と行動があってないですよね。ムカつきます」
「そんなに軽薄な人間に見えるぅ?」
「中学の時に塾でお世話になった先生が、複数人の女性と遊んでるようなタイプの人間で。その先生にそっくりなんですよね」
「そーかい」
やたらと自分を警戒していたのは、その辺の経験からくるものらしい。なんとも迷惑な話である。
不意にこちらを見ていた春日の視線が逸れて。
「まぁ、本当にヤバい人間は、上手に本性を隠してるもんですけどね」
「……そうかもね」
春日の姉は、大人に裏切られて自殺を図ったと聞いている。その言葉は、その経験からくるものだろう。
「俺は鼻が利くので分かりますけど、アイツはその辺ポンコツなんで。アイツには、代わりに見極めて、ちゃんと守ってくれるオトナが必要なんです」
彼もまた和都のように、大人に傷つけられ、大人を信用できずにきた子どもだ。
「……アイツ泣かせたら、先生でも容赦しないんで」
そんな彼に、大事なもの託された。
だからこそ、誠実な大人でありたい。
「わかってるよ」
「まぁ、アイツが面倒くさすぎて付き合ってられなくなったら、いつでも言ってください。こっちで引き取ります」
春日が片眉をあげて、どこか楽しげに言うので、仁科はムッとして言い返した。
「ぜってーやらねぇ!」
それだけは、絶対にさせない。絶対にだ。
決意を固く結んでいると、ふと暗い廊下の方から、パタパタと軽い足音が近づいてきて、それからすぐにガララッと音を立てながら保健室の引き戸が開く。
「ただいま!」
息を切らせた和都が戻ってきた。
「おかえり。本あった?」
「うんっ」
和都はそう答えて、栞の挟まれた本をこちらに見せる。それからテキパキと帰り支度の続きを始めた。
夜が深くなり始めた時間。
仁科は息をついて言った。
「遅くなっちゃったし、ご飯でも食べていこうか?」
「あ、行きたい!」
「奢りなら行きます」
「いーよ」
すかさず返した春日に、仁科は口角を上げて返す。
「やったぁ!」
「食べるもん決めて、駐車場のほう行ってて。戸締りしてくるから」
「はーい!」
学ランの上にコートを羽織り、通学鞄を持った二人は揃って先に保健室を出ていった。
「えー、何食べよう」
「そういや、駅の向こうだけど、新しいラーメン屋出来てたな」
「マジで! 寒いしいいね、ラーメン!」
春日と一緒に廊下を歩きながら、和都は後ろを振り返って仁科に手を振る。
「せんせー! ラーメンいこ、ラーメン!」
「はいはい」
昇降口へ向かう二人に手を振ると、仁科も帰る支度を済ませ、保健室の明かりを消した。
〈了〉
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