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計算する男

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 エドゥアルド・ロブレスは誰よりもだった。
 

 勉強は少し目を通せば出来てしまえたし、武術だって誰よりも得意だ。
 少し親切な顔をすれば『いい人』として人望まで集まり、おまけに顔も家柄も良いものだから異性は何もしなくても寄ってくる。
 
 こうして、世の中楽勝のまま一番を生きていくのかと思っていた。
 十五歳で学園に入学し、フランシーナ・アントンに出会うまでは。
 

 
「エドゥアルド。ニヤニヤしすぎ」
「そうかな」
「まさか君がフランシーナを選ぶなんて」
 
 いつまで経っても、頬の緩みが戻らない。

 目ざとい寮生達は、そんなエドゥアルドを放っておくはずがなかった。
 フランシーナが寮を後にしてからもずっと、彼らは何かにつけてエドゥアルドをからかってくる。学園を代表するモテ男の浮いた話に、男子寮は色めきだった。

「その幸せそうな顔。羨ましいよ、俺も彼女欲しくなったな」
「フランシーナとは、そういう関係じゃ無いよ」
「嘘だろ!? 寮にまで呼んだのに?」

 寮生が、信じられないような目でこちらを見る。
 その顔があまりにも期待通りで、エドゥアルドはほくそ笑んだ。

 異性を、寮に招く。

 ガラディア魔法学園においてそれは、暗に特別な意味を持っていた。
 呼び寄せるのは、大体が意中の相手だ。それが暗黙の了解となっている今となっては、招待するということは恋仲であると思われてもおかしくなかった。
 
 しかし、勉強ばかりしてきたフランシーナはきっとこのことを知らない。 

 なぜエドゥアルドが彼女を寮にまで招待したのか。
 男子寮へ来ることで、どういう目で見られてしまうのか。

 お茶を一緒に飲もう、だなんて口実であることにも、きっと気づいていないだろう。

 そんなところが、もう、本当に――

(本当に、フランシーナって可愛いよね)

「ははっ……」
 
 うまく行き過ぎている。

 おかしくておかしくて、思わず喉から声が漏れてしまう。

 彼女は世間知らずだった。
 勉強においては学園一位を取り続けてはいるものの、信じられないくらいに無知でびっくりしたくらいだ。

 彼女は何も知らないで、本当に男子寮まで着いてきた。
 事実がどうであろうと、明日にはエドゥアルドとフランシーナの噂が学園を駆け巡っていることだろう。
 それもこれも、エドゥアルドの計画通りだ。

(本当に……何も分かってないんだから)

『あの問題は酷かったですよね。よろしければ、教えて差し上げますよ』

 あの日、彼女の能天気さには驚いた。
 一位の座を脅かす相手に、わざわざ勉強を教えるなんて。

 教えるなんて建前で、実は優越感に浸りたいだけではないのか。こちらに恩を売ろうとしているのではないか。

 エドゥアルドは警戒した。
 けれどフランシーナはなんの捻りもなく、ただ問題の解説を繰り返しただけだった。
「解けなかった」と残念がるエドゥアルドの疑問を取り除こうと、ペンをすらすらと滑らせて。

 そんな彼女の横顔を、ずっと見ていた。

 まとめられた黒髪がサラリとおちて、彼女の白いうなじが露わになる。
 耳にかかるおくれ毛に、小さな肩に、化粧っ気のない長い睫毛――エドゥアルドは思わず目を奪われた。

 そんなことを気にもとめず、真っ直ぐな瞳はメモを追い、凛とした声がそれを読み上げる。
 この時ばかりは、エドゥアルドのためだけに。

(……少しも、邪な気持ちが無いんだな)
  
 学園一位の才女。
 不動の一位が、たゆまぬ努力によるものであることをエドゥアルドは知っている。

 エドゥアルドはずっと見てきた。
 自習室で、教室で、フランシーナはただひたすら勉強に明け暮れていた。狭き門である、王家直属の事務官を目指して。

 とはいっても、彼女は働く必要など無いはずの伯爵令嬢だ。
 なぜそれほどまで事務官に憧れるのだろうかと、エドゥアルドは不思議でならなかった。

 アントン伯爵家は決して悪い家柄では無い。卒業後は人脈なり圧力なりを利用して、どこかへ嫁げば良いのではないか。
 顔のつくりは良いのだから、他の令嬢達のように着飾ればそれなりに――

(……ああ、イライラする)

 彼女のことを考えれば考えるほど、言いようのない憤りに悩まされた。
 フランシーナの努力が全て夢のためだと思うと、ふつふつと妬ましい気持ちが湧いてくるのだ。

(そんな夢、忘れてくれたらいいのに)
 

 エドゥアルドは勉強を教わったあの日から、どうしてもフランシーナが欲しくなった。

 疑うことを知らない、無知な才女。
 夢に向かって突き進む要領の悪い女。
 
 皆の視線は手に入れても、彼女だけは何故かこちらを振り向かない。

(もし……彼女が、僕を必要としてくれたなら――)
 
 ナディラのチョコレートも任用試験の問題集も、彼女に恩を売るための道具だと思えば安いものだった。
 
 真面目なフランシーナのことだ。
 今も女子寮で、問題集のお礼について悶々としていることだろう。

(ずっとそうして考えていればいい。僕のことを)

 彼女のことを想えば想うほど、頬の緩みは戻らない。

 エドゥアルドは茶葉の缶を大事そうになでると、満足気に微笑んだ。
  
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