上 下
86 / 92

切り開く果てからはじまる

しおりを挟む
「がああああああ!!」

 灯りが消えると同時に、獣のような声がひびいた。

「あいつ、生きてたのか!?」

 言うと同時に、ラトスは走りだした。彼を追うように、砕くような音もせまってくる。
 足音だったのだと、ラトスは奥歯を噛み締めながら、悔いた。獣のような声は、間違いなくゼメリカだろう。どんな状態で追いかけてきているのか確認する術はないが、危機が増したのは間違いない。

「急げ! セウラザ! ゼメリカが来る!」

 ラトスが叫ぶ。セウラザとメリーは返事をしなかったが、わずかに二人の足音が大きくなったのは聞き取れた。まだ階段には行き着いていないらしい。

 ラトスは走りながら、腰の短剣をぬいた。
 逆手で伸びる短剣をにぎり、剣先を後方に向ける。背後からは、通路を踏み砕く音がひびきつづけていた。音は、ラトスたちが走るよりも明らかに速くせまっていた。
 振り返らず、ラトスは剣身を伸ばした。暗闇の通路に、鋭い音がひびきわたる。狙いを定めていないので、当たるかどうかは分からない。運良く突き刺されば、儲けものだ。

 右手のひらに、肉を削いだような感覚が伝わる。
 当たらなかったが、ゼメリカの身体をかすめたのだろう。感覚を確かめた直後、ラトスは足を止めて振り返った。柄も伸ばし、両手でにぎる。伸びきった剣の先をわずかに下げ、一気に斜め上へ斬りあげた。

「ぐが!? があああ!?」

 ゼメリカの声がひびいた。今までの足音から察すれば、無警戒にいきおいよく追いかけてきているのは間違いなかった。しかも、玉座の間と違って、ここは狭い通路なのだ。伸ばした剣をラトスが適当に振り回すだけで、ゼメリカは自ら刃の罠に飛びこむも同然になる。

 両手のひらに確かな手ごたえを感じると同時に、通路の奥で大きな音が轟いた。ゼメリカが転倒したのだろうか。連続して聞こえていた通路を砕く音が、聞こえなくなる。

「もう少し大人しくしていろ」

 ラトスは吐き捨てるように言うと、伸ばした短剣を元にもどした。
 ひるがえり、走りだす。
 先を行く二人の足音が、鋭い音に変わっていた。階段を降りはじめているらしい。ラトスの目には暗闇しか映らないが、音を聞けば、どの辺りから階段か見当が付けられる。

 短剣をかまえながら、ラトスは全力で駆けた。しばらくすると、後方から再度、大きな音が轟いた。なにかが崩れるような音と、床を踏み砕く音だ。音の間隔は次第に短くなり、いきおいよく走ってきていると分かる。

「うおお!?」

 背後に耳を立てながら走っているうちに、ラトスの左足が宙を蹴った。階段に飛びだしたのだ。がくりと前傾する。転倒しないよう、ラトスは右足の裏に神経を集中させた。同時に、両手を左右に伸ばす。
 左手のひらが、手摺にふれた。
 手摺をつかむと同時に、右足のかかとが階段をとらえる。転倒だけはまぬがれたかと思った瞬間、背後からなにかが崩れる音がした。

「通路を壊しながら走ってるのか、あいつは」

 理性を失っているゼメリカに、ラトスは顔を引きつらせた。意を決し、飛ぶようにして階段を駆け降りはじめる。
 再び、ゼメリカの叫び声が聞こえた。狂気を帯びた声に、戦うことを楽しんでいるように見えたゼメリカの余裕は感じ取れなかった。ひたすらに威圧感をまき散らし、追ってきている。

「ラトスさん! 私たち、もう下に着きました!」

 駆け降りる先から、メリーの声が聞こえた。階下の大玄関は、ぼんやりと光がたたずんでいる。いつの間にかラトスの足元も見える程度まで、明るさが延びてきていた。
 大玄関の大扉は、折れたままだった。外から流れこんできている空気が、階上へあがっている。

「外へ出ろ! もう、そこまでゼメリカが来ている!」
「分かりました!」

 ラトスの言葉を受け、セウラザとメリーは大扉から出て行った。
 二人がいなくなったのを見てから、ラトスは飛びあがり、一気に大玄関まで飛び降りた。着地と同時に、足裏から背中まで衝撃が駆けぬける。ラトスは膝を突きたい気持ちでいっぱいになったが、すぐに立ちあがった。階段を砕きながら追ってくる音が、大玄関にひびきわたっていたからだ。

 よろめきながら、大扉まで走る。すぐ後ろで、ゼメリカが落ちてきた音がした。床を踏み砕いたのか、大玄関全体に亀裂が走っていく。ラトスは急いで扉をぬけると、短剣をかまえながら振り返った。

「があああああああああ!!」

 振り返ったラトスを見据え、ゼメリカが雄たけびをあげる。

「終わりにしよう。ゼメリカ」
「ぐうあああはは!!? お前ええ!? ゼメリカを殺すのかあああ!?」

 ゼメリカが叫ぶ。大きな両足に力をこめると、足元の砕けた大理石は、さらに大きく深く砕けた。直後、はじける音と共に、ゼメリカの身体がラトスに向かって飛びこんだ。
 ラトスは、黒い短剣をかまえた左腕を前に突きだした。すると、ゼメリカの大きな身体が、ぶるんと大きくふるえた。しかし、いきおいは止まらない。

「おおおお!!」

 黒い短剣を突きだしながら、ラトスも雄たけびをあげる。
 全身に力をこめ、両足を踏ん張らせた。

 ぼろぼろになったゼメリカの左腕がせまる。
 迎え撃つ黒い剣先が、手の形を失ったゼメリカの左拳に突き刺さった。破裂音がして、大扉が見えなくなるほど黒い塵が噴きだす。

「がああああああああ!!?」
「おおおおおお!!」

 ゼメリカの雄たけびに負けないほど、ラトスも叫んだ。
 黒い剣身の先で、ゼメリカの腕が吹き飛んでいく感触が分かる。それでも、ゼメリカは止まらなかった。紅い眼を見開いて、大きな口をだらりと開けている。まともな理性を保っているようには見えない。
 徐々にラトスの身体が、後方へ押される。じりじりと滑り、大扉前の小さな広場の端まで追いやられていく。ラトスの右側には、いびつな階段が下へ延びていた。だが、ゼメリカの身体を押し返して、階段へ逃げこむ余裕は無さそうだった。

「ゼメリカをおおお殺すのかあああああ!? お前ええ!?」

 だらりと開いた口から、ゼメリカの叫び声が湧く。

「そうだ!!」
「やってみろおお!!? お前ええ!!?」

 ゼメリカの身体が、さらに前へ押し進んでくる。ラトスの背後は、半歩も下がる余裕がない。意を決して、ラトスは地面を蹴った。飛びあがりながら、ゼメリカの身体に取り付く。
 押さえを失ったゼメリカは、いきおいよく広場から飛び、落ちた。

 落下していく。
 いびつな階段を登るときは苦労したが、下に落ちるまでは一瞬だろう。ラトスは奥歯を噛み締めた。ゼメリカの身体に取り付きながら、黒い短剣を振りあげる。

「じゃあ、な!」

 短く言って、ラトスは黒い短剣を振りおろした。
 剣先が、ゼメリカの頭部に突き刺さる。深く深く、刺さっていく。ラトスは黒く染まった左手に力をこめ、剣をねじった。すると、ゼメリカの頭部が大きくふくらんで、破裂した。
 ゼメリカだった身体が、分解されていく。
 黒い塵は広範囲に散り、巨大なエイスガラフ城ををつつむようにして、霧散した。

 ただ一人落下しつづけるラトスは、伸びる短剣の剣先を真下に向け、一気に剣身を伸ばした。
 剣が、地面に突き立つ。
 衝撃を殺すために、地面に突き立つ直前から剣を縮ませはじめていたラトスは、なんとか無事に下まで降りた。足が地面に着いた瞬間、ラトスの身体はぐらりとゆれた。祓いの力を使い過ぎたのか、短剣をにぎっている感覚がほとんどない。

「ラトス!」
「ラトスさん!」

 遠くで、セウラザとメリーの声がした。
 ふらつきながらも頭をあげる。先に階段を下りていた二人の姿が見えた。満身創痍のラトスに比べて、元気そうだった。脱出するまであと少し、意識が持つだろうか。ラトスは口の端を持ちあげると、駆け寄ってきたセウラザの手をつかんだ。

「無茶をしたな」
「問題ないさ」
「そうか」
「そうだ」

 セウラザがうなずくと、ラトスもうなずいた。
 フィノアは、メリーが背負っているようだった。目を閉じているので、気を失ったか、眠っているのだろう。大丈夫かとメリーに問うと、みんな大丈夫ですと、彼女はうなずいた。

「悪い、セウラザ。外まで引きずっていてくれないか」
「動けないか」
「動けん」
「仕方ないな」

 セウラザは無表情に言うと、ラトスの身体を背負った。
 硬い甲冑には、大きな剣が背負われている。セウラザの背中の居心地は、非常に悪かった。だが、背負われた瞬間、ラトスの身体の緊張は切れた。

 絵面が悪いなと、ラトスは苦笑して、気を失った。




 岩山が、しおれていく。
 風が流れるたび、小さな石まで痩せていく。

 岩山に突き刺さった白い柱のそばに、白い獣がふわりと浮いていた。
 獣は、風が流れるたびに周囲をうかがっている。風が落ち着くと、白い柱をながめて、小さな身体を小刻みにふるわせた。

「遅いなあ」

 ペルゥはもう一度白い身体をふるわせると、うらめしそうに白い柱を見た。
 早くもどってくるようラトスたちを急かしてから、ずいぶんと時が経っている。夢魔と戦っていると言っていたが、負けたのだろうか。不安になる想像を重ねたあと、ペルゥはまた小さくふるえた。

 空に浮かぶ国王の岩山は、ずいぶんとやせ細っていた。
 ラトスたちが転送された直後と比べると、半分ほどの小ささになっている。消えてしまうにはまだ早いが、のんびりとしている時間はない。できるなら夢魔と戦うのをやめて、すぐにでも脱出してほしいところだった。だが彼らの気持ちを考えれば、そうはいかないだろう。ペルゥはただ、ラトスたちがもどるのを待つしかなかった。

『……えます?』

 不意に、声が聞こえた。
 ペルゥは小さな耳を立てると、身体を大きく跳ねあげた。

『聞こえます? ペルゥ?』
「メリー! 聞こえるよー!」
『良かった! なかなか声が届かなくて』

 メリーの声に、ペルゥはうなずく。
 メリーと会話するための銀の腕輪は、魔法の力をわずかに使っていた。その力は、あまりに小さい。声が聞こえなくなるのは、国王の夢の世界が崩壊しながらも、わずかに再生しようと藻掻いているからだ。藻掻きが乱れにつながって、小さな魔法の力まで無差別に掻き消してしまうのだろう。

「もう脱出できるのかい?」
『これから、下の草原へ行きます』
「それは良いね! 岩山の上は、だいぶ悲惨になってるから」

 ペルゥが言うと、メリーは黙ってしまった。
 しまったなと思ったが、ペルゥは取り繕わなかった。いずれ分かることなのだ。

「ボクも下に行くね。また後でね、メリー」
『はい! また後で!』

 メリーの声が聞こえなくなると、ペルゥは小さく息を吐いた。
 ぐるりと、岩山の様子を見回す。風はさらに強くなっていて、岩山をえぐるように削っていた。砂塵どころか、小石までも舞いあがりはじめている。終末感とはこういうものなのだろうと思わせる光景だった。
 しばらく悲壮な光景をながめていると、遠くでなにかが光った。

「これはいい」

 ペルゥは小さく言うと、光った方向へふわふわと飛びはじめた。
 荒れ狂う風の中、痩せた岩が崩れだす。深くえぐれるように崩れた中に、光るものはあった。それは、水晶のような石だった。水晶は水色の光をたたえていて、ゆらりゆらりと光をあふれださせていた。

 ペルゥが水晶にふれる。
 光は、ぼうっとゆれて、ペルゥの身体をつつんだ。

「待ったかいがあったな」

 ペルゥはにやりと笑うと、岩の中にある水晶を掘りだした。
 岩から取りだしても、水晶の光は消えなかった。ぼうっと光をゆらしながら、ペルゥの白い身体を水色に照らしている。ペルゥはしばらく水晶の光に魅入っていたが、強い風が吹きつけて我に返った。
 ペルゥは小さな前足をくるりと回すように動かす。すると、宙に小さな穴が開いた。ペルゥは宙に開いた穴に、水晶を入れる。音もなく水晶は飲みこまれ、穴はぶつりと消えた。

「さあ、急がなきゃ!」

 強風の中、ペルゥは飛びあがる。
 岩山の下をのぞきこむと、すでに目視で草原を見ることはできなくなっていた。ペルゥは風を掻き分けるように岩山から飛び降りた。自然落下するよりも速く落ち、草原目指して飛びだしていった。
しおりを挟む

処理中です...