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シャーニ

雪解けからはじまる

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   ≪シャーニ≫


 色あざやかな緑が、よぎった。
 視線を移すと、緑は風にゆれて、高く飛んでいった。

 視界いっぱいに、青い空が広がっている。
 青の中には、いくつもの岩山が浮いていた。小さなものから、大きなものまである。それぞれゆったりとゆれていて、生きているかのようだった。

「起きたか」

 すぐ隣から、セウラザの声が聞こえた。
 目を向けると、無表情な男の顔が映った。

「ここは、外殻の草原か」
「そうだ」

 ラトスの問いに、セウラザは即答した。
 相変わらずの事務的な対応だ。自分の分身というのは、楽でいいとラトスは思った。疲れ切った脳には、なおさらいいものだ。

 ラトスの身体は、草原に横たわっていた。大地のひやりとした感触と、空のあたたかさが心地よい。意識を失う直前まで殺伐としていたのが嘘のようだと、ラトスは苦笑いした。
 すぐ近くには、フィノアもいた。少女はすでに目を覚ましていて、マントを敷いて腰を下ろしていた。ラトスが目を覚ましたことは、一応気付いたらしい。わずかに視線を向けてきたが、すぐに空へ視線をもどした。その先になにがあるのかは、聞かなくても分かる。ゆっくりと草原からはなれていく、いびつな岩山だ。

 いびつな岩山は、すでに目視では判別しづらいほどの高さまで浮きあがっていた。フィノアの視線の先を追わねば、見つけることはできなかっただろう。
 フィノアの目は、虚ろだった。涙は流れていないが、目の周りは赤く腫れていた。

「不思議です」

 フィノアは小さな声で言った。

「何がだ」
「もっと、止まらないほどの涙が出ると思っていました」
「……そうか」

 ラトスが短く応えると、フィノアはうなずいた。
 いびつな岩山は、かろうじて見える。現の世界の国王は、まだ亡くなっていないだろう。だが、このまま夢の世界から脱出するのが遅れれば、死に目には会えないに違いない。
 脱出する手段が整っていない今、希望を持つのは愚かしい。余計な励ましは、互いの心をえぐるだけだ。

 ふわりと、風が流れた。
 フィノアの白い髪が浮きあがり、ゆれる。
 王族特有の髪色らしいが、綺麗なものだとラトスは思った。老人の白髪とはまた違う。透き通るほどに神秘的な白さなのだ。人としての差は無いはずだが、奇妙な格差を感じる。

「良かったこともあります」

 空から目をはなさず、フィノアは静かに言った。
 声には、わずかに力強さがもどっていた。

「夢魔から、父を解放できました」
「そうだな」
「わずかにでも、安らかな時を得られたはずです」
「ああ」

 フィノアの言葉に、ラトスはうなずいた。
 小さな希望だが、そうあればいいと、ラトスも思った。

 ゼメリカとの戦いは、国王の寿命を大きく削るものだった。
 国王の夢の世界は、すでに衰えはじめていた。夢魔の寄生による支えを失えば、衰弱は加速していくだろう。実際、空に浮かぶ岩山は上昇をつづけているのだ。あと数か月早ければ、助けられたかもしれない。考えても意味のないことではあるが、見えなくなる岩山を見て、思わずにはいられないことだった。

「感謝します。クロニスさん」

 フィノアはラトスに向き直って、深く頭を下げた。

「よせ。気持ち悪い」
「無礼が過ぎますね、本当に」
「そうか」
「そうです」

 そう言ったフィノアは無表情だったが、瞳に光がもどっていた。

「ですが、私の父を、人に戻してくれたのはあなたです。私には、出来ませんでした」
「結果的にそうなっただけだ」
「分かっています」
「みな、お互いの目的のために戦った。メリーさんもな」
「ええ」

 フィノアがうなずく。
 メリーは、三人からはなれたところで立っていた。空を見ながら、うろうろとしている。いびつな岩山を探しているわけではなく、ペルゥを探しているのだろう。時折、腕にはめた銀色の腕輪をなでていた。

「俺は、親の記憶がない。家族への愛情というのが、どういうものか、俺は知らない」

 メリーに目線を向けながら、ラトスはぽつりと言った。彼の言葉に、フィノアは目を丸くさせた。家族を知らないという人間に会ったことがなかったのだ。

「シャーニへの感情が、家族への愛情なのかと思うことはある。結局分からないままになってしまったが」
「そう、ですか」
「もしそれと同じなのだとすれば、辛いだろう。これまでも、今も。これからも」
「ええ。きっと」

 フィノアはうなずくと、そっと目をほそめた。
 親や兄弟を失う痛みは、大きい。目の前で失えば、尚のことだ。

「あんたはその戦いに、よくやってる」
「そうでしょうか」
「そうさ。俺の手を見ろ」

 そう言うとラトスは、左手をかざしてみせた。手の甲から指先まで、黒く染まっている。表面はごつごつとしていて、指先に至っては獣のようにとがっていた。もはや、人の手の形とは言えない。

「上手く戦えていないと、こうなるらしい」
「……そのようですね」
「王女さん。あんたは十分耐えた。よくやったさ」

 ラトスは目をほそめると、フィノアの頭に右手を置いた。
 白い髪は、ほそくやわらかい。猫でもなでているようだと、ラトスは思った。彼の手の下で、フィノアは複雑そうな表情をしていた。なでられることは拒否しなかったが、顔をしかめてラトスをにらんでいるようにも見える。

「……本当に、無礼ですね」
「そうか」
「そうです」

 フィノアは口元をゆがませて、短く言う。少女の瞳の色は、明るかった。怒ってはいない。子供扱いされたとでも思ったのだろう。ラトスはフィノアの頭から手をはなすと、両手のひらを見せて、ひらひらと振った。

「元気になったようで、何より」

 ラトスはそう言うと、立ち上がった。眉根を寄せているフィノアから、半歩距離を取る。追うように少女の目がラトスの顔をにらんが、彼は気付かないふりをして、空に視線を向けた。

 いびつな岩山は、空に溶け入りそうだった。
 だが、上昇は止まったか、ゆるやかになったらしい。溶け消える直前のところで、とどまっているようにも見えた。そのことをフィノアに伝えようかと思ったが、やめた。ラトスは唇を結ぶと、小さく肩をゆらした。

「あ、ラトスさん!」

 空を見上げていたメリーが、ラトスに向かって手を振ってきた。目をしぼって彼女に向く。ほそい指先が、空を指していた。指す方向に視線を移すと、空になにかがまたたいていた。同時に風のような音が近付いてくる。

「ペルゥか?」
「たぶん!」
「ずいぶん速く落ちてきているようだが」

 ラトスは目をしぼりながら言った。
 白くまたたいているものは、次第に大きくなってきていた。その大きさは、ペルゥの身体よりも大きかった。違うのではないかとメリーに伝えたが、彼女は頭を横に振った。落ちてきた方向を見るかぎり、いびつな岩山から一直線に飛んできていたからだ。

「少し前に連絡もありましたから」
「じゃあ、落ちるまで様子を見よう」
「え!? 受け止めないのですか!?」
「まさか。怪我をするのはペルゥだけで十分だ」

 ラトスは興味無さ気に言った。ペルゥならば、地面に直撃などしないだろう。むしろこちらをあわてさせるために、わざと派手に降りてきている線まである。メリーはあわてていたが、ラトスはなだめるようにして彼女をおさえた。

 落ちてきているものが、目視で分かるほどに近付く。白い、大きな球体だった。球体は光に照らされて、何度かきらめく。魔法のようなものだろうかと見ているうちに、球体はいきおいよく地面まで接近した。地面に直撃するかと思った瞬間、寸前で止まる。ふわりと一度跳ねあがり、左右にゆれながら回転した。
 メリーが不思議そうに球体へ近づいていく。
 念のため、ラトスは彼女の後を追った。

 草原の上でふわふわと浮く白い球体は、メリーの姿をに気付いたらしい。跳ねるように上下すると、しぼるように小さくなった。

「メリー!」

 小さくなった球体から現れたのは、やはりペルゥだった。駆け寄ってきたメリーに飛びこむ。彼女はペルゥを抱きかかえると、小さな白い身体をなで回した。

「おかえりなさい!」
「ただいまー! あ、ラトスもいるんだね」
「ああ」
「また、無茶したんだねー?」

 ペルゥは、小さな前足をラトスの左手に向ける。
 ラトスは顔をしかめると、ペルゥも困った顔をして小さくうなずいた。

「まあ、無事なら良いよね」
「ああ、そうだな」

 ラトスがうなずくと、ペルゥは小さく笑う。メリーの肩に飛び乗り、彼女の頬に白い身体をすり寄せ、甘えだした。その仕草にメリーは高揚したのか、自らも頬をペルゥに押し付ける。

「じゃれ合ってるところ、申し訳ないが。なんであんな妙な方法で降りてきたんだ」
「うーん? ああ、えっとね」

 ラトスの言葉に、ペルゥは耳を立てた。ふふんと鼻息をして、胸をそらせる。

「岩山が高く飛び過ぎて、丸くくっ付きそうになったから、魔法で固まって落ちたんだ」

 言い切ると、ペルゥはもう一度鼻息を鳴らした。
 ラトスとメリーは目を丸くして、同時に首をかしげる。

「……なんだって?」
「え? だから、岩山がね。丸くくっ付いてね? 引っ張られそうになったの。分かる? だから、落ちたの」
「……そうか」
「分かってくれた?」
「いや、全く。興味もなくなった」
「あっははー! ひどい、ひどいよー! ボクは傷付いたよー!」

 まったく傷付いていない様子で、ペルゥが笑いだした。説明は分からなかったが、とにかく緊急事態だったということだけ、ラトスは飲みこんだ。白い球体は、防御のような魔法なのかもしれない。ラトスは両手のひらをペルゥに向け、頭を横に振ってみせた。その仕草が面白かったのか、ペルゥの笑う口がさらに開き、メリーの肩の上で何度も跳ねた。

「ペルゥが戻ったのか」

 ラトスの後ろから、セウラザの声が聞こえた。
 振り返ると、セウラザとフィノアが近くまで歩いてきていた。フィノアはペルゥの姿を見ると、小走りに近寄っていく。邪魔にならないようラトスが足を引くと、フィノアは彼のそばを跳ねるようにして抜けた。

「ううん? フィノア。大丈夫ー?」
「はい。おかげさまで」

 フィノアはうなずくと、メリーの肩の上にいるペルゥに手を伸ばした。
 ペルゥは小さな耳をぴくりとゆらし、とんとメリーから飛び降りた。ふわりとフィノアに近寄り、少女のほそい腕の上で浮きあがる。ペルゥの挙動にフィノアは顔を明るくさせると、白い小さな身体を両手でつかんだ。

「うぐ」

 ペルゥは一瞬つぶれるような声をあげたが、我慢した。フィノアが傷心だと分かっているのだ。ペルゥなりに、気遣おうと考えたのだろう。

「可愛いわ。本当に」

 両手でつかみながら、掻き混ぜるようにペルゥをなで回す。ペルゥは、フィノアの手が顔面を通過するたびに、しぼるような声をこぼした。ペルゥの様子を見てメリーは戸惑ったようだが、彼女もまた我慢したらしい。両手をそわそわさせながら、フィノアとペルゥを見るのみだった。

「ペルゥ」

 なで回されるペルゥを見て、ラトスが静かに言った。

「うぎゅ……な、なに?」
「良い気分だな」
「それは、う、ぎゅ……良かった!」

 ペルゥはがっかりした表情をフィノアに見せないようにして、明るい声をだす。献身的なものだとラトスが口の端を持ちあげてみせると、ペルゥは観念したように、そっと目を閉じた。

 ペルゥとラトスの様子を見て、メリーはふと目をほそめた。そわそわさせていた両手を止め、肩から力を抜く。フィノアを含め、全員が明るく振舞おとしていることに気付いたのだ。メリーは悲しい気持ちになりそうだったが、ぎゅっと唇を強く結んだ。すると、彼女の肩をセウラザが後ろから軽く叩いた。振り返ると、セウラザが無表情にうなずいていた。
 メリーは肩に乗ったセウラザの手を見ると、黙ってうなずき返すのだった。
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