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彼の嫉妬⑩

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 その前に、母にも話しておこう。
 もしかしたら桔平さんとの交際に良い顔はしないかもしれないが、母の話は聞いておかなければと思ったのだ。

「あのね、私、青砥桔平さんと付き合ってるの」

 思い立ったが吉日とばかりに、私はこの日の夜、唐突に母に事実を告げた。家の中にピーンとした空気が張り詰める。

「青砥って……」
「うん、志田ケミカルの」

 青砥という苗字と、志田ケミカルという会社名に、母はわかりやすく驚いた反応を見せた。

「お母さんがよく知ってる人の、一馬さんの息子さん」
「美桜、どうしてそれを……」
「ごめんね」

 母の古傷を少なからずえぐることになると思ったら、申し訳なさが先に立った。
 川井さんの言うように、全然別の人と交際したなら、母にこんな思いはさせずに済んだのに。

「美桜がね、あのビルの会社に就職するって言ったとき、すぐに志田ケミカルが思い浮かんだの。でも、美桜の会社とはほとんど接点ないだろうって思ってたんだけどな。こんなこともあるのね」

 同じビルと言っても階が全然違うし、業種も違うので、母の言うように普段は接点らしい接点はない。

「この前、私に昔の恋人のことを聞いてきたのは、このことがあったからなのね」
「ごめんなさい」
「美桜が謝ることないわよ。なにも悪くない」

 困ったように笑顔を作って、母が首を横に振った。

「すべては縁だから。私と一馬さんは縁がなかったのよ。それだけ」
「お母さん……」
「でも、そのあとお父さんと結婚できたもの。美桜が生まれて来てくれてすごく幸せよ?」

 私の母は、泣きたいくらいやさしい人だ。器が大きくて、常にポジティブで、愛情深い。

「恨んでないの? 一馬さんや志田ケミカルの人たちのこと」

 私のその質問にも、母は苦笑いをしながら首を横に振る。

「恨んでない」
「だって、二股されてたんでしょ?」
「二股?」

 母が驚いた表情で私に聞き返した。
 なにかおかしなことを言っただろうか。私は川井さんからそう聞いているのだけれど。

「二股なんかじゃないの。単純に私が振られたのよ。一馬さん、かわいらしい志田ケミカルのお嬢さんのこと、好きになっちゃったんだって。そう言われてあの時は悲しかったけど、恨んだりはしてない。一馬さんは正直に言ってくれたもの」

 私が聞いた話と少し違っているけれど、母は一馬さんと穏便にお別れしたのだと納得しているようで、きちんと決着がついていて良かった。
 考えていたよりも母の古傷に痛みはなさそうだ。

「私が桔平さんと付き合うこと、嫌じゃない?」
「私は嫌じゃないわ。でもあちらは……どうかしらね。昔はあんなに大きな会社じゃなかったけど、それが今は上場して大企業になってる。住む世界が違う、とか言われちゃうのかな? その上、母親が私だしね」

 困惑と心配が入り混じった複雑な表情をする母に、私はなにも言えなくなった。母が今言ったことは、どうにもならない事実だから。

「美桜、でもこれって、すごい縁だと思わない? 三十年以上前に私と一馬さんはお別れしたのに、そのあとお互い別の人と結婚して、その子どもたちが恋におちたのよ?」

 言われてみればそうだ。こんなに街中に人が溢れていて、その中で私と桔平さんが知り合いになったり、ましてや恋仲に発展するなんてすごい確率だと思う。本当に奇跡に近い。

「美桜と桔平さんの縁が強いのよ。これはきっと、運命の赤い糸だと思う!」

 あまりにも母がかわいらしいことを言うので笑ってしまった。
 でも、本当に運命の赤い糸で結ばれていたらいいな。
 そしたらどんな困難であっても、ふたりで乗り越えていけるから。

「私は美桜の味方だからね」

 母のやさしい言葉に、涙があふれた。
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