君の思い出

生津直

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第5章 記憶

90 罪

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 宇田川の娘が取引日時を知っているという垂れ込みがあったと、課内が色めき立つところまでは想定通りだった。

 ところがその後、苑勇会えんゆうかいが千尋を狙っているという架空のストーリーを石山に告げたところ、その話は既に長尾から聞いているという。実際にそういう動きがあることを、長尾がキャッチしてきたのだ。

 浅葉は頭を抱えた。どこでどう漏れたのか、あるいは苑勇会が勝手に想像したのかわからないが、千尋が本当に危険にさらされることになってしまった。浅葉は、自分が生み出したかもしれない危険から千尋を守るための段取りを必死で整えた。

 そしてあの日……。

 幼少期から現在までの数十枚の写真と大量のデータでしかなかった田辺千尋が、生身の人間として目の前に現れた。

――罪を犯せば必ず罰が下る。たとえ警察の目を逃れても、法が裁き切れなくても、いつかどこかで償うことになるんだ。捕まって牢屋ろうやに入ることで救われる人間がどれほどいることか……。

 幼い頃からしつこいぐらいそう聞かされてきた。しかし、あの晩に父が迎えた最期を、天罰だと思いたくはなかった。法が裁いてくれない罪を、背負ったまま彼は生きた。彼自身の深い悔恨こそが、早すぎる死の意味ではないかという気がした。



 巡査時代、浅葉は担当事件の資料を探していた時に、たまたま二十数年前のある事件のファイルに出会った。その中で目にした、思いがけない名前。

 父が事件を担当していたことは何も珍しい話ではなかったが、そこに記されていたのは、父と母の本当のめだった。それまでに当人たちから聞かされてきたものとは全く別の……。

 幸い母は犯罪者ではなかった。しかし、事件に少なからず関与する立場にあったことは間違いない。当時のことをよく知っているはずの石山を問いただしたが、彼は多くを語らず、代わりにこんなことを言った。

「肉親の過去が気になるのはわかるが、お前もプロなら、そんなことに引きずられるんじゃない。今やるべきことに集中しろ。それから……せいぜい真似はしないことだな」

 その日はまるで仕事にならなかった。

 誰よりも曲がったことが大嫌いだった親父が、人生でたった一度道を踏み外したという事実。そこまでさせるほどの何が母にあったというのか、その時の浅葉には理解できなかった。

 好むと好まざるとに関わらず絶対の存在だった親父の弱みをついに握ったとほくそ笑む代わりに、浅葉はただ打ちのめされていた。信じられなかった。

 もちろん法的には問題なかったはずだし、実際クビになったわけでもない。しかし内部的にすら何の処分も受けずに済んだのは、おそらく彼の日頃の功績に対する温情が働いた結果にすぎないだろう。

 これを罪と呼ぶのかどうかはわからない。しかし、少なくとも本人だけはそう感じていたであろうと、容易に想像がついた。親父がなぜあそこまで口を酸っぱくして息子たちに倫理を説いたのか、ようやくわかったような気がした。

 浅葉がいつもの冷静さを取り戻したのは、そのファイルを見付けた翌日のこと。

 それから一年も経つと、感情をどこか遠くへ追いやるという技術を身につけるための、いい肥やしになったとしか思わなくなっていた。

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