君の思い出

生津直

文字の大きさ
上 下
83 / 92
第5章 記憶

83 決意

しおりを挟む
 廊下に出た長尾は、大部屋に向かおうとする浅葉を追いかけた。

「なあ」

 その声に浅葉が振り向く。面と向かって聞くなら今しかない。長尾は覚悟を決めて切り出した。

「お前さ、田辺に協力頼むって話、最終的にかなりプッシュしたんだろ?」

 長尾は当初、千尋の協力を得るためにこそ浅葉が交際を演じているのだと思った。しかし、本当に気持ちがあっての恋愛なのだとしたら、大切な相手をこんな危険な場に差し出す神経は理解し難かった。

「ああ」

「いいのかよ。麻紀勢まきせ組にも目付けられてんだろ」

 千尋本人には過去の話しかしていないが、宇田川が自由の身となった今、対立する麻紀勢組で、再び千尋を利用して宇田川を脅す計画が持ち上がる可能性がある。

「それは柏崎かしわざき時代の話だ。菅野かんのになってからは、素人衆には一度も手を出してない」

 麻紀勢組による八年前の田辺千尋誘拐計画が頓挫とんざしたのは、このトップ交代劇が最大の理由だと浅葉は見ていた。しかし、たとえ千尋自身が狙われる可能性は低いとしても、宇田川に対する攻撃に巻き込まれる恐れは十分ある。

 長尾は食い下がった。

「そもそもリスク分の価値あんのか? 宇田川がこっちの要求すんなりむとは思えねえだろ。奴にしてみりゃ、立て直しの最大のチャンスがパアになんだぞ」

 宇田川は朝木里あさぎり会の二番手だが、会長は長い間やまいの床に伏し、宇田川の服役中は会長の息子が一時的にその座を埋めていた。結果的にすっかり弱体化した朝木里会に宇田川が帰ってくるという図式だ。

 麻紀勢組との対立は今に始まったことではなく、この取引を中止したところで、いずれ激しい抗争に発展することはおそらく避けられない。つまり、取引を諦めろというのは事実上、麻紀勢組と和解した上で朝木里会を解散し、足を洗えという意味になる。

 長尾が見る限り、宇田川はプロそのものだった。その判断に千尋の存在が影響するなど、眉唾まゆつばものでしかない。しかし浅葉は例によって全く揺らがなかった。

「最終的には呑む」

「なぜわかる?」

 浅葉は長尾の目を見据えて言った。

「そんな気がするんだ」

 その言葉に長尾は口をつぐんだ。気がするで済むか、と普通なら怒鳴り散らしてもよさそうな場面だが、浅葉がそんな気がする、と言う時は大抵何か根拠がある。これまで、浅葉の「そんな気」が外れたことは一度もなかった。長尾はため息混じりにその場を離れた。



 千尋は、いい加減泣き疲れた頃、今日の浅葉の言葉を思い出していた。

 もう十年以上前の話だけど、その手の抗争に一般人が巻き込まれたことがあるんだ……。

 今回もそれと状況が似ており、過去の教訓から検挙よりも人命を優先することになったという。しかし、その十五年前の事件にはまだ続きがあった。千尋は帰宅後に思い立ってパソコンを開き、検索してそれを知ってしまった。

 千尋の七歳の誕生日に、同じ首都圏内で起きていた悲劇。浅葉が千尋に対してその結末を伏せたことが、今の千尋にとって唯一の希望といえば希望ではあった。しかしそれは、逆らい難い疑念の前にかすんでしまっていた。

 浅葉が最初から、警察の目的達成のために恋人を装って千尋を手懐てなづけたのだとしたら……。

 千尋は、再び流れ出す涙を膝で拭った。

 千尋を見つめた目、千尋に触れた手、溢れるほどに注がれた愛情。どれも本物としか思えなかったが、人をだますことはある意味浅葉の仕事の一部だろう。

(そうだよね。話がうますぎたよね……)

 もし全てが嘘だったならそれほど悲しいことはないが、不思議と、許せないという気持ちは湧かなかった。浅葉が誰よりも切実にこの取引の中止を望んでいるのだとすれば、それにはもっともな理由がある。そのために、出所してくるこの男を説得すべく、一年という長い任務を浅葉が明日全うしようとしているなら……。

 その計画を最後の最後で棒に振らせるチャンスが今千尋の手中にある。だが、千尋はどうしてもそんな気になれなかった。

(そのお陰で見させてもらった、一年の長い夢……)

 千尋は、浅葉と過ごした時間のひとコマひとコマを思い出していた。誰かのことをこれほど狂おしいまでに思い、求めたことはかつてなかった。浅葉の意図がどうであれ、彼に対する自分の気持ちは変わらないような気がした。勘違いもここまで完璧にさせてくれれば、悔しさすら湧かない。

(嘘ならせめてつき通して。あなたとの美しい思い出はけがしたくない……)

 一睡もせずに迎えた朝七時半。千尋は昨日のバッグから、携帯と坂口の名刺を取り出した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

処理中です...