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第2章 再会
22 名前
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「そっかあ、実は甘党なんですね」
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、純粋にケーキが好きってことですか?」
「うーん、嫌いじゃない」
首をかしげながら、今度は生クリームの乗ったシフォンをたっぷり持っていく。
「ちょっと……」
と怒ってはみせたものの、のっけから当然のように恋人モードの浅葉の振る舞いに、どうしても頬が緩んでしまう。千尋も負けじと、浅葉がまだ手を付けていなかったモンブランをたっぷり削ってやった。すると、
「あー」
と口を開けて顎をしゃくる浅葉。千尋の脳内に花が咲く。栗色の塊を押し込んでやると、浅葉はフォークに噛み付き、千尋の動きを封じた。
千尋は、そっちがその気なら、と、浅葉の右手にあったフォークを頂戴し、改めてモンブランを攻撃する。それが千尋の口の中に消えるのを、浅葉はいかにも幸福そうに見つめた。
周りから見ればバカップルそのものだろうし、千尋は本来こういう浮かれ方はしないタチだが、今日ばかりは特別。過去にはあまり感じたことのなかった恋愛の威力を思い知る。
「これは?」
と千尋がチーズケーキをつつくと、
「チーズはチーズで食いたいじゃん。なんでケーキにするかな」
と言いつつも、大きめの一口分を切り取る。千尋は、
「文句言うなら食べないでくださいよ」
と膨れてみせながら、「チーズケーキはNG(?)」と頭の中でメモする。
「そうだ、あの怪我……撃たれたとこ、大丈夫ですか?」
「ああ、何だっけ? そんな昔のこと、おぼえてないな」
「すっごい腫れてましたけど」
「傷もしょっちゅう作っとくと、治りが早くなる」
「絶対そんなわけないし」
あのバスルームで間近に見た浅葉の肌を思い出し、目の前の薄い生地に覆われた脇腹につい目をやってしまう。千尋は慌てて目を逸らした。しかし、もし浅葉とこのままうまくいけば、いずれは体の関係にもなるだろうという期待とも不安ともつかぬ思いが頭をもたげる。
これほど美しく、愛嬌すら示し始めた男に抱かれたくないはずはない。だが、それに引き換え自分は、という思いもますます強くなる。
千尋は自分の体型が決して気に入っているわけではないし、行為に関しても基本的に受け身だ。かつての交際相手には、「つまんねえ女」と鼻で笑われたこともある。浅葉にがっかりされたらどうしようと、早くも心配になってきた。
浅葉はケーキを食べながらも飽きることなくずっと千尋を見つめ、無理に話題を作ろうとはしなかった。それでいて千尋と一緒にいることをじっくりと味わい、楽しんでいる風に見え、これぞ自然体という感じがした。
千尋は必要以上にドキドキして目を合わせられなくなってしまったが、紅茶を飲んでごまかし、しばらくケーキに集中することにした。庭園にはいつの間にか、小さな黄色いライトがぽつりぽつりと灯っている。
五つのケーキを二人で跡形もなく平らげてしまい、水のお代わりをもらったところに携帯が鳴り出した。浅葉はジーパンのポケットに手を入れてその音を止めた。アラームだったらしい。柱の時計は五時五十分を指している。
「そっか、もう時間……」
「送ってくよ」
「え、でも、これから仕事に戻るんですよね? 六時前ってもう……」
「うん。それ、お前んち経由の場合ね」
(あ、さっきの時点でそこまで予定してくれてたんだ……)
「すみません、お忙しいのに」
言いながら自分でも、なんて他人行儀な、と思う。つい先ほど恋人になったはずだが、手の届かない憧れの存在と思っていただけに、まだ実感が湧かなかった。
「といっても、今日は電車なんだけど」
電車だろうと何だろうと、あの浅葉が直々に送ってくれるというだけで千尋は舞い上がっていた。
浅葉は、財布を出そうとする千尋を制し、クレジットカードで支払いを済ませた。サインをする手の脇に置かれたカードには、SHUJI ASABAとあった。
(シュウジ……)
知りたくてたまらないけれどこれまで聞けずにいた、浅葉のファーストネーム。よりによってなぜその名なのか、と千尋の心は一瞬曇った。しかし、今すぐ下の名前で呼ばなければならないわけでもないし、呼ぶ頃にはきっと気にならなくなっているだろう。
千尋は気を取り直し、
「ごちそうさまです」
と笑顔を向けた。
「いや、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、純粋にケーキが好きってことですか?」
「うーん、嫌いじゃない」
首をかしげながら、今度は生クリームの乗ったシフォンをたっぷり持っていく。
「ちょっと……」
と怒ってはみせたものの、のっけから当然のように恋人モードの浅葉の振る舞いに、どうしても頬が緩んでしまう。千尋も負けじと、浅葉がまだ手を付けていなかったモンブランをたっぷり削ってやった。すると、
「あー」
と口を開けて顎をしゃくる浅葉。千尋の脳内に花が咲く。栗色の塊を押し込んでやると、浅葉はフォークに噛み付き、千尋の動きを封じた。
千尋は、そっちがその気なら、と、浅葉の右手にあったフォークを頂戴し、改めてモンブランを攻撃する。それが千尋の口の中に消えるのを、浅葉はいかにも幸福そうに見つめた。
周りから見ればバカップルそのものだろうし、千尋は本来こういう浮かれ方はしないタチだが、今日ばかりは特別。過去にはあまり感じたことのなかった恋愛の威力を思い知る。
「これは?」
と千尋がチーズケーキをつつくと、
「チーズはチーズで食いたいじゃん。なんでケーキにするかな」
と言いつつも、大きめの一口分を切り取る。千尋は、
「文句言うなら食べないでくださいよ」
と膨れてみせながら、「チーズケーキはNG(?)」と頭の中でメモする。
「そうだ、あの怪我……撃たれたとこ、大丈夫ですか?」
「ああ、何だっけ? そんな昔のこと、おぼえてないな」
「すっごい腫れてましたけど」
「傷もしょっちゅう作っとくと、治りが早くなる」
「絶対そんなわけないし」
あのバスルームで間近に見た浅葉の肌を思い出し、目の前の薄い生地に覆われた脇腹につい目をやってしまう。千尋は慌てて目を逸らした。しかし、もし浅葉とこのままうまくいけば、いずれは体の関係にもなるだろうという期待とも不安ともつかぬ思いが頭をもたげる。
これほど美しく、愛嬌すら示し始めた男に抱かれたくないはずはない。だが、それに引き換え自分は、という思いもますます強くなる。
千尋は自分の体型が決して気に入っているわけではないし、行為に関しても基本的に受け身だ。かつての交際相手には、「つまんねえ女」と鼻で笑われたこともある。浅葉にがっかりされたらどうしようと、早くも心配になってきた。
浅葉はケーキを食べながらも飽きることなくずっと千尋を見つめ、無理に話題を作ろうとはしなかった。それでいて千尋と一緒にいることをじっくりと味わい、楽しんでいる風に見え、これぞ自然体という感じがした。
千尋は必要以上にドキドキして目を合わせられなくなってしまったが、紅茶を飲んでごまかし、しばらくケーキに集中することにした。庭園にはいつの間にか、小さな黄色いライトがぽつりぽつりと灯っている。
五つのケーキを二人で跡形もなく平らげてしまい、水のお代わりをもらったところに携帯が鳴り出した。浅葉はジーパンのポケットに手を入れてその音を止めた。アラームだったらしい。柱の時計は五時五十分を指している。
「そっか、もう時間……」
「送ってくよ」
「え、でも、これから仕事に戻るんですよね? 六時前ってもう……」
「うん。それ、お前んち経由の場合ね」
(あ、さっきの時点でそこまで予定してくれてたんだ……)
「すみません、お忙しいのに」
言いながら自分でも、なんて他人行儀な、と思う。つい先ほど恋人になったはずだが、手の届かない憧れの存在と思っていただけに、まだ実感が湧かなかった。
「といっても、今日は電車なんだけど」
電車だろうと何だろうと、あの浅葉が直々に送ってくれるというだけで千尋は舞い上がっていた。
浅葉は、財布を出そうとする千尋を制し、クレジットカードで支払いを済ませた。サインをする手の脇に置かれたカードには、SHUJI ASABAとあった。
(シュウジ……)
知りたくてたまらないけれどこれまで聞けずにいた、浅葉のファーストネーム。よりによってなぜその名なのか、と千尋の心は一瞬曇った。しかし、今すぐ下の名前で呼ばなければならないわけでもないし、呼ぶ頃にはきっと気にならなくなっているだろう。
千尋は気を取り直し、
「ごちそうさまです」
と笑顔を向けた。
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