君の思い出

生津直

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第2章 再会

19 告白

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 十月二十二日。約束の水曜日。このところの陽気はどこへやら。今日はやけに肌寒い。

 千尋は学食で慌ただしくランチを掻き込み、学内で時間をつぶそうにも居ても立ってもいられず、まっすぐ結乃山ゆいのやまへやってきた。

 まだやっと二時。待ち合わせが五時だから、どう考えても早すぎる。しかし駅前からして見事に何もなく、時間をつぶすには実に不便な場所だった。

 風香和ふかわ会館の場所はすぐにわかった。結婚式やお見合いにでも使われそうな大小の個室がそろい、周囲は落ち着いた和風の庭園。建物を北側に出ると、そこも庭園の一部ではあるが、なるほど南側の方がメインという作りだった。

 ぶらぶらと歩き回りながら、千尋は昨日の昼休みにかけた電話を思い出していた。義則よしのりへの断りの連絡だ。

 急なバイトだとか、風邪気味だとかの言い訳をいくつも考えたが、義則の気持ちを察した上で気晴らしに付き合わせようとしたこと自体が後ろめたいのに、嘘までつくのはあまりに申し訳なかった。千尋は正直に話をした。

「思いがけないことが起きまして……どうしてもこの日でないといけない用事ができてしまったんです」

「そうなんだ。残念だな。じゃあ……金曜日は?」

 そう切り返されることは予想がついていた。

「あの……今はちょっと詳しいお話ができないんですけど、一旦……リセットさせてもらってもいいですか?」

 千尋はこの時、一つの覚悟を決めていた。その一方で義則を振り回すわけにはいかない。

「そっか……わかった。じゃ、そのうち練習で、だね」

 千尋は練習に毎回参加しているわけではない。金曜の練習で会おう、と言えば千尋に余計なプレッシャーを与えてしまうことを、義則は理解していた。

(悪いことしちゃったな……)

 義則との会話を思い出し、何度となくため息をつきながらぼんやりとうろつく。そうしているうちに建物の中も外もひとしきり見尽くしてしまい、千尋は再び庭園を歩き始めた。

 中ほどには、石を投げれば向こう側に届く程度の池があり、二箇所に可愛らしい小さな橋がかかっている。それを渡ってそぞろ歩くも良し、風景に溶け込むように置かれた縁側風のベンチで休むも良し、といったところだ。

 途中、カップルや年配の女性グループなど何組かとすれ違う。南側の庭園としか言われていないが、結構な広さだった。約束の五時が近付いたらもう動き回らない方がいいだろう。

 ゆるく丸みの付いた橋の上から池のこいを眺め、ふと向きを変えて欄干らんかんにもたれる。

(あれっ?)

 庭園に通じる建物の出口のすぐそばにたたずみ、じっとこちらを見ている者がいた。

「浅葉さん……」

 黒のレザーのジャケットにジーパンというスタイルの浅葉だった。

(私、時間間違えてないよね?)

 携帯で時間を確認する。まだ三時半にしかなっていない。千尋は、思いがけず早く訪れてしまった再会と、あまりに懐かしいその姿に戸惑った。

 浅葉はおもむろに千尋の方へと歩き出す。千尋は心臓が飛び出しそうな思いでそれを見つめた。

 浅葉は橋のたもとで足を止めた。デスクに向かう後ろ姿をベッドから眺めた時の距離と似ていた。髪は見違えるほど短くなり、上の方を少し立てているのが何だか新鮮で若々しく見える。

随分ずいぶん早いな」

 黙って鑑賞する対象のように思われた浅葉に突然話しかけられ、千尋は一つ深呼吸した。

「浅葉さんこそ、五時って……」

「久しぶり」

「はい。その節はお世話になりました、本当に。あの、今日ってもしかして、お休み……ですか?」

 そう尋ねたのは、浅葉のまとう空気が、あの一週間のピリピリしたものではなく、一昨日の電話の時のものに近かったからだ。

「まあ、ちょっとした空き時間ってとこかな。この後また戻るんだ」

「すみません、そんな貴重なお休み時間にわざわざ……」

 浅葉は遠い昔を思うような目をしていたが、やがて千尋の横を通り過ぎるようにゆっくりと歩き出した。すれ違いざまに目が合い、その瞳を追うようにして千尋も後に続く。

 あの電話で千尋が「後遺症」をほのめかしたからこそ、忙しい中こうして時間を割いてくれたのだろうが、千尋は今日、全く別の話題を予定していた。

 例の不安感については、これといって具体的な質問があるわけではないし、それこそ時間が解決するのを待つしかない気がする。

 それより、自分が浅葉に対して抱いてしまった気持ちを正直に吐き出すこと。千尋にとっては、それがこの「経過観察」の唯一の目的になっていた。結果的にうっとうしがられたり、怒られたりするかもしれないが、そうなればむしろ踏ん切りがついて楽になれそうな気がする。

 夕暮れの庭園は静かだった。初めて見る「休憩中だが起きている」浅葉は、物思うような足取りで敷石を踏み、どことなくふわっとしていた。その隣を歩きながら、千尋は思い切って切り出した。

「あの……よくあることなんでしょうか? その、つまり……」

 準備してきたつもりのセリフが、のどの奥で引っかかった。すると、

「ああ、よくあることだ」

と、浅葉があっさり答えを返した。

「え……」

(私、まだ何も……)

 千尋は驚いて足を止め、浅葉の顔を見上げる。

「俺がそんなににぶい人間だと思うか?」

 その柔らかい視線が千尋に届く。

「護衛されてる人間が、担当刑事に何か個人的な感情を抱いてしまうというのは、決して珍しいことじゃない。俺はそういうケースをこれでもかというほど見てきた」

 千尋は、全てを見透みすかされてしまった上、浅葉の護衛を受けてそこにおちいったのは自分だけではないのだと聞かされた気まずさにうつむき、よろよろと再び歩き出す。

 左手のさくの向こうに、待っている間さんざん眺めた丘の下の街が広がっていた。後ろから、浅葉の声だけが追ってきた。

「ただ……その逆は初めてだ」

(えっ? 今……何て?)

 千尋の足音が止まると、それよりもだいぶ低い足音が背後から近付いてくる。

「決して感心できる話じゃないからな。刑事が護衛対象にうつつを抜かすなんて」

「浅葉さん……?」

 そっと振り返ると、仔馬こうまのような焦げ茶の瞳が、まっすぐに千尋を見つめていた。浅葉は足を止め、代わりに口を開いた。

「お前が好きだ」

 時間が、止まった。

 ひんやりとした風がうなじをかすめ、千尋をかろうじて現実の世界につなぎ留める。それまで気付いてすらいなかった鳥たちの歌が、いつの間にか両耳を満たしていた。
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