君の思い出

生津直

文字の大きさ
上 下
18 / 92
第2章 再会

18 念願

しおりを挟む
「あの……眠れないってほどじゃないんですけど……」

 我ながらずるいような気はしたが、口がひとりでに言葉をつむいでいた。

「やっぱり何となく思い出すっていうか……」

 嘘ではない。特に暗いところで、突然あの時の恐怖がよみがえるのは治っていなかった。

 ただ、実際のところ、街で殺されかけたことや公園での猥褻わいせつ行為を思い出して不安に駆られるのは、一人で夜道を歩く時と、自宅での寝入りばなぐらいだ。部屋を真っ暗にしていると何となく気分が落ち着かず、足元に置いた電気スタンドを点けたまま寝ることにしていた。

 千尋は、再会に期待をかけながらも、実際には何か一般的な処置についてのアドバイスなり、よくあることだという気休めの言葉なりが返ってくるものと想像していた。しかし、浅葉の返答はそのどちらでもなかった。

「すまなかった。あんな目にわせて」

「えっ?」

 まさかあやまられるとは思ってもみなかった千尋は、深いいを含んだその声にうろたえた。

「いえ、浅葉さんが助けてくださったから……」

 大事をまぬがれて感謝していると伝えようとした時、陰鬱いんうつなため息にさえぎられた。

「許してもらおうとは思ってない」

(どうしてそんなこと……)

 だますつもりだったわけではないが、余計な心配をかけてしまったと急に罪悪感がき、千尋は慌ててフォローする。

「あの……大丈夫ですから、私。普通にバイトもできてますし、サークルの方も……」

 千尋が言い終えぬうちに、浅葉がたずねた。

「水曜の夕方、会えるか?」

(会える……か?)

 密かに期待したとはいえ思いがけない展開に、千尋は一瞬ぽかんとして目の前の壁を見つめた。努めて気持ちを落ち着かせ、頭の中を整理する。

 浅葉はどうやら、千尋がわずかながらまだショックを引きずっていることに責任を感じているらしい。そして、回復を手伝うためにわざわざ会ってくれるつもりらしい。ならば、千尋にとっては願ったり叶ったりではないか。しかし……。

「水曜って……あさって、ですか?」

「そうだな」

 水曜ならバイトはないし、サークル活動だけならいくらでも欠席できる。しかし、あさっては練習の後、飲みに行く約束をしていた。高遠義則たかとお よしのりと二人で。

 夏休みの初めに映画に誘ってくれたのを断ったきりになっていたのだが、八月の合宿や、後期の活動が始まってからの様子では、彼がまだ完全にはあきらめていないことが手に取るようにわかった。

 そこで、「サシ飲み」という名目なら必ずしもデートにカウントする必要はないと思い、先日千尋の方から声をかけたのだった。決して義則に気持ちが傾いたわけではない。自分に好意を寄せてくれている男性と二人で出かけることで、何かが吹っ切れて楽になれるような気がしたのだ。何かが。

 浅葉は、千尋の沈黙の意味を察したように言った。

「もし先約があるなら……」

 無理にとは言わない、と貴重なオファーを撤回される前に、いえ、いてます、と答えようとした時だった。

「そっちを断ってくれないか」

(えっ……?)

 丁重ていちょうながら、一歩も引く気はないといった一言。まるで千尋に先約があることを、そしてそれが何であるかを知ってでもいるかのような……。

「お前の経過観察の方が大事だ」

(経過観察……)

 私、別にどこも悪くありません、と言いそうになるところをぐっとこらえる。いや、恋のやまいじゃないか、という第二の自分の声が、頭上から聞こえたような気がした。

「あの、夕方って……」

結乃山ゆいのやままで出てこれるか?」

「結乃山……」

 てっきり警察署に来いという話だと思い込んでいた。しかし結乃山なら、行ったことはないが大体の見当は付く。

「はい」

と答え、バッグから手帳を取り出す。

「改札を出て左に行くと、坂を上がったところに風香和ふかわ会館ってのがある」

「フカワ……?」

「風の香りに和風の和。そこの南側の庭園に……五時でいいかな?」

「風香和会館の南側の庭園に五時、ですね。わかりました」

 あの浅葉と待ち合わせの約束をしていることが不思議でならなかった。夢ではないのだと確かめるように、たった今手帳に書き込んだ自分の字をもう一度ペンでなぞった。

「じゃ、水曜に」

「あ、はい。あの……」

 そのまま電話を切られてしまうかと思ったが、浅葉は千尋の言葉を待っていた。

「ありがとうございました。お電話くださって」

 返事がなかったが、電話が繋がっていることだけは、なぜかはっきりとわかった。やがて浅葉は、

「ああ」

と小さくつぶやき、

「おやすみ」

と付け足した。

「あ、はい。おやすみなさい」

 しかし浅葉は一向に電話を切る様子がない。千尋は手帳の文字をもう一度確認し、大きく息を吸い込むと、思い切って通話終了のボタンを押した。その息を吐き出しながら、頭の中にはまだ浅葉の声が響いている。

 今夜はおよそ眠れる気がしなかった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月
恋愛
 第7回ほっこり・じんわり大賞 奨励賞をいただきました。応援くださり、ありがとうございました。 ――珈琲が織りなす、家族の物語  バリスタとして働く桝田亜夜[ますだあや・25歳]は、短期留学していたローマのバルで、途方に暮れている二人の日本人男性に出会った。  ほんの少し手助けするつもりが、彼らから思いがけない頼み事をされる。それは、上司の婚約者になること。   亜夜は断りきれず、その上司だという穂積薫[ほづみかおる・33歳]に引き合わされると、数日間だけ薫の婚約者のふりをすることになった。それが終わりを迎えたとき、二人の間には情熱の火が灯っていた。   旅先の思い出として終わるはずだった関係は、二人を思いも寄らぬ運命の渦に巻き込んでいた。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...