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第13話:願い

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一方、マンション内の阿久津の私室には、すでに北条が到着していた。


「私が、狙われていると言うのか?」

「えぇ。小島と遠藤が殺された。この意味があなたにならお分かりになるでしょう?」

「あ、うぅ……。」


北条は部屋の中をまわりながら、窓と言う窓を確認する。

「最近ね、都内で起きていた凶悪事件。あれね、『神の国』って言う組織の犯行だったんですよ。その幹部の多くが、あのリストの被害者家族・遺族だったんです。」


リストの存在を北条に見抜かれていた阿久津は、真っ青な顔で話を聞く。

「だ、だが……あの件全てを私が指示した訳じゃない!」

「でも、もとはあなたの指示がきっかけ、でしょ?」

「それは……。」

「全てではなくても、リスト作成のきっかけを作ったのは阿久津さん、あなたでしょ?」

「だが、リストを作るように指示はしていない……。」


少しでも罪から逃れようと言い繕う阿久津。
しかし北条は折れない。


「確かにあなたはリスト作成までは指示してないかもしれない。あれはきっと小島が私利私欲のために作ったんでしょう。まぁ、そのお陰でここまでたどり着くことが出来たわけですけどね。」

「そうだ! あれは小島が勝手にやったことだ!」


ひとつも罪を認めようとしない阿久津に、北条は大きな溜め息を吐く。


「じゃぁ……あなたの償うべき罪をお伝えしますか……。」


北条は、部屋の窓と言う窓のカーテン・ブラインドを閉める。

「狙われているんだ。そとから丸見えって都合が悪いでしょう?」

「そ、そうだな……。」


北条は、阿久津が関わった事件を読み上げていく。

「2年前、お嬢さんの裏口入学。3年前、息子さんの万引きと、暴行事件。5年前、自身の交通事故。7年前、自身の交通違反……。おやおや、だいぶ出てくるねぇ……。」

「そ、それは……。」


北条は、過去へ遡ってリストを読んでいく。


「……10年前。轢き逃げ死亡事件。被害者は……北条  綾乃。」

「北条!?」


すべてのカーテン・ブラインドを閉め切った北条は、部屋の入口に立つと、ドアを施錠する。


「僕の奥さんでね。その日は僕の誕生日。僕の誕生日ケーキを買いに行って、その帰り道に轢き逃げに遭った。どれだけスピード出してたんだろうねぇ。即死だったらしいよ。」


入口から1歩、2歩と阿久津に近づく北条。


「お、おい……まさか……。」

「なーんにも罪の無い人が死んで、遺族や家族は悲しんで、犯人はのうのうと生きている。金を稼いで裕福に暮らし、不自由の無い生活を送っている。不平等だと思わない?」


ジャケットの内ポケットに手をいれる北条。

「『神の国』はね、そんな馬鹿な犯人達を、馬鹿な人間達を葬るために作られた組織なんだよ。」


その手からは、拳銃。
北条は迷うこと無くその銃口を阿久津の眉間に向けた……。

「まさか、あんたも……。」

「うん……残念ながら、僕が本当の黒幕ってね。頼れる相棒を神奈川に囮に出して、ようやくめぐってきたこのチャンスを生かそうとしてるわけだ。」


北条の目からは、一切の優しさを感じない。
銃口はぶれることなく阿久津の眉間を狙っている。


「やめてくれ……殺さないで……。」

その身の危険を感じてか、阿久津が北条に命乞いをする。


「君ねぇ、テレビでもやってるじゃない。命乞いをする人は大概やられて死ぬんだよ。それにねぇ……。」

少しずつ、北条と阿久津の距離が縮まっていく。


「これまで何人が、君の前で許しを、助けを乞うたと思う? そんな人たちの望みを、願いを、君は踏みにじってきたんだろう?」

距離を詰める北条。
後ずさる阿久津。

「これからは、まっとうに生きる! お前が望むならこれまでのことを公表したって良い! だからどうか、命だけは……!」

その場に土下座して命乞いをする阿久津。
しかし、北条は土下座した阿久津の横腹を蹴り倒し、その上に馬乗りになる。


「だから……。君はこれまでそうやって懇願してきた人たちをどうしたんだい? 因果応報って知ってる? 悪いことは巡り巡って自分のところに来るんだよ。もう諦めようよ。たとえ僕が君を見逃したとしても、僕が目を付けたんだ。都内にいる『神の国』の者たちは君のことを毎日、一時も離さず狙っているよ。もう、君に逃げ道は……ない。」

冷たく、そして淡々と北条は阿久津に言い放った。


「そ、そんな……。」

阿久津の表情から血の気が引いていく。
そして、少しずつ諦めの色が見え隠れしてきた。

この男からは逃げられない。

そう、阿久津の本能が告げたのだろう。
もう抵抗することをやめ、必死に恐怖と戦うことに集中した。


「……いい心がけだ。」


北条は冷たい視線のまま、引き金に手をかける。

「……っ!!!」

もはやこれまでか、と阿久津は固く目を閉じた……。


「……北条さん、そこまでだ。」



その時だった。
ようやく虎太郎が部屋に到着する。


「……やっぱり来たか、虎……。」


北条は立ち上がると、ゆっくりと振り返る。


「北条さん……冗談だよな? あんた、ずっと俺と一緒に捜査してたじゃねぇか……。」

辰川に、小島のリストの続きを見せられて、この場所にいるのは北条であるということはわかっていた。
しかしそれでも、虎太郎は信じたくなかったのだ。

嘘であってほしい。
北条と辰川が、敵を欺くための情報であってほしい。
ずっと、そう願っていたのだ。


「特務課はやっぱり優秀だったねぇ……。最後の最後で僕に行きつくとはね。灰島くんは……死んじゃったか。あの傷なら仕方ないね……。」

北条は、無機質な表情を虎太郎に向けた。


その、異常なまでの瞳の冷たさに、虎太郎は湧き上がる絶望を抑えきれずにいた。


「アンタ……言ったじゃねぇか。被害者だけじゃない。被害者の家族だって悲しい思いをしないような、そんな捜査をすることが我々刑事の役目だって……。その言葉は、嘘だったのかよ……。」

「……。」


虎太郎の必死の呼びかけ。
しかし、北条は表情一つ変えないでいる。


「全部……全部、嘘だったのかよ……。」


虎太郎が拳銃を北条に向かい構える。
その手は怒りで震えている。


「う~ん……嘘でありたかった。そう思っているよ。」

北条は、複雑な表情をこの時初めて虎太郎に向けた。
幹質な表情が崩れた瞬間だった。


「8年前までは、僕もまっとうな刑事だった。でもあの時、灰島くんが事件に巻き込まれたとき、違和感を感じた。なぜ、誰も灰島君の救出に向かわなかったのか、いや……向かえなかったのか? そんな時、僕はあの事件の直前に灰島くんからあることを聞いた。『事件の核心に触れたかもしれない』と。」


北条は、拳銃を阿久津の机の上に置くと、大きな溜息を吐いた。


「その矢先に、灰島君があの事件の捜査に選ばれた。虚偽の極道組織の加担、おびき出された主力たち。そして。実在したかもわからない組織の面々……。僕にはあの事件自体が『違和感』だったんだよ。それから、僕も個人で事件のこと、灰島くんの妹さんのことを調べた。そして……。」

北条が、悲しげな表情を虎太郎に向ける。


「……知ってしまったんだよ。僕の奥さんのひき逃げ事故。その事件は犯人が遺書を書いて自殺したと僕は知らされていた。でもね、その裏では極道組織の構成員を犯人として仕立て上げ、殺して自殺と見せかけたということも分かった。それを指示したのは、遠藤。そして……」


北条が阿久津を睨みつける。


「……何食わぬ顔で政界進出を果たした、この男だっていうこともね。」

「私は……やっていない。手を下したのは、あくまで……」

「あくまで、遠藤と小島だって言いたいんでしょう? そうやって数々の悪事を……自分の悪事まで闇に葬ってきたから、いまこういう目に遭っている、そんなことも分からないのかい?」


北条が再び、阿久津に詰め寄る。


「く……来るな!」

「もう、僕には守るべきものなんて何もない。だから君を殺して僕も死ぬくらいの覚悟なんだよ……。」


「……そんなことを聞いてるんじゃねえ!!!」


少しずつ阿久津に近づいていく北条に、虎太郎が叫ぶ。


「俺があんたに聞きたいのは、そんなことじゃねぇ。あの頃……喧嘩好きのゴロツキだった俺を、刑事の道に誘ってくれた、アンタの言葉は、嘘だったのかって話だ!!」


虎太郎は、北条に誘われ警察への道を歩んだ。
あの時の北条の目を、表情が嘘だったとは思いたくなかったのだ。

「君ねぇ、その有り余る体力を国のために使ってみる気はないかい? 頑張って勉強してさ、国を救う力になりなよ。」


それは、虎太郎が高校に入ったばかりの頃に遡る。
当時の虎太郎は、俗に言う『札付きのワル』という部類だった。
売られた喧嘩は必ず買う。
買うからにはただでは済ませない。

そんな虎太郎は周囲からは『猛獣』と呼ばれ恐れられていた。

虎太郎と北条が出会ったのは偶然だった。

喧嘩は買うが犯罪には手を染めない。
そのスタイルを貫いてきた虎太郎の仲間が、覚醒剤に手を出したのだ。


そのとき、仲間を問い詰めようと現場に来ていた虎太郎と、仲間を逮捕するために現場に来た北条がはちあったのだ。

仲間はなにもしていない、冤罪だ!
そう主張する虎太郎の目の前で検査は行われ、陽性の検査結果が出た。

仲間は、虎太郎の目に見える形で友情を裏切った。


失意の虎太郎に、北条がかけた言葉。
それが虎太郎の人生を大きく変えたのである。


「俺、ケンカしか脳がねぇんだ。警察官なんて、無理だ……。」

「刑事には、本当脳みそ筋肉で出来てるんじゃないの? って人もたくさんいるよ。でもね、大切なのは、『学力』なんてちっぽけなものじゃない。」


「学力が……ちっぽけ?」

「あぁ、学力なんかよりも大切なこと、それはね、本当に人を助ける気持ちがあるのか? 本当に悲しむ人に手を差しのべたいと思う気持ちがあるのか?って言うことだよ。」

「気持ちが大事……ってことか。」

「そう。頭でっかちで、自分のことをイヤイヤ助けるような警察官に、君は心から守ってほしいって思えるかい?」

「……思わねぇ。」

「でしょ? バカそうに見えたって、自分のために必死になってくれる刑事、そんな刑事に人は未来を見てくれるものさ。」


どう見ても、自分よりも喧嘩は弱そうに見えた北条。
しかし、その器の大きさが、虎太郎には底知れないものに感じた。


「君さぁ……警察官になりなよ。悲しんでいる人のために、苦しんでいる人のために、その有り余る力は使うべきだ。君はきっと、いい刑事になれるよ。僕が保証する。」


馬鹿なことを言う男だと思った。
目の前のゴロツキに、何を寝ぼけたことを言っているのか、そう思った。

それでも、そのときの北条の言葉は、虎太郎の心を揺り動かしたのだ。
次の瞬間、虎太郎は北条に訊ねていた。


「なぁオッサン、刑事になるためには、まず何から始めればいい?」


これが、刑事・虎太郎が生まれたルーツである。


「アンタがいたから、俺はこうして刑事になれた。そのきっかけをくれたアンタが、犯罪組織の親玉とか……冗談が過ぎんだろ……。」


怒りと悲しみに、虎太郎の身体は震えていた。

「ま、こっちとしては冗談ではなかったんだけどね。全てはこの日のために。諸悪の根元を滅ぼす、この日のためにずっと仕込んできた『布石』だったんだよ。」


虎太郎の魂の叫びにも、北条の心は動かない。


「特務課は優秀な人材の集まりだ。神の国の存在を突き止めたところまでは、僕のシナリオ通りだった。ま、このくらいなら並の刑事でも突き止められるだろうってね。ただ……。」


北条が、今まで虎太郎に見せたこともない、悪意に満ちた笑みを虎太郎に向ける。


「……そこからが遅かった。もっと早く、香川くん、古橋くん、灰島くん、そして僕の存在に気づくべきだった。警察内部にスパイがいるかも……ってところまでは良かった。もうひと押しだったね。」


まるで、ゲームの攻略法を確認するかのように、北条がここまでの捜査を指摘していく。

「俺たちが狼狽える様を見て……楽しんでたって言うのか……?」

「いいや。応援してたよ。心から。だから、ひとつだけヒントをあげたじゃないか。」

「ヒント……?」

「僕が自ら、仲間を逮捕すると言う手段で、ね。」

「……!!!」


『その事件』は虎太郎の脳裏にこびりついているかのように、残っている。
それは、恋人・奈美が殺された、連続猟奇殺人事件。


「雪ちゃん、幹部とは言っても末端だったからね。僕のことはただの刑事だと思ってたみたいだけど……。彼女は彼女なりに『いい仕事』をしてくれたよ。」


虎太郎の頭の中には、奈美、北条と3人で食卓を囲む風景がよみがえる。


ーーー二人の結婚式には、絶対呼んでよ。スピーチしたいねぇ。話したい虎の暴露ネタがたくさんあるんだよーーー


ーーーまぁ! それは楽しみですね! 絶対に招待状出しますから!ーーー

ーーーあ~ぁ~、呼ばなくていい。引出物くらいはサービスするから、そんな目的なら来ないでくれ……ーーー



3人で大笑いしながら、奈美の作る料理を食べた、あの日。


「あの日のことも……嘘だったのかよ……!」


怒りと悲しみで、虎太郎が震える。
あのときの笑顔は、あのときの言葉は、全て嘘だったのか……。


「奈美ちゃんを手にかけたのは、正直誤算だったよ。まさか、あんなに目立ちたがり屋だとは思わなかったからね……」

「テメェェェ!!」


虎太郎が北条に向かい突進する。
そして、ジャケットの襟を両手で掴み、締め上げる。


「いたたた……虎が本気で来たら、僕なんてひとたまりもないよ……優しく、優しく、ね?」

「どの口が……!!」


沸き上がる怒りは、もはや虎太郎を制御することが難しくなっていた。

「きっと、ここには虎が来ると思ってた。何日も前にね。何となく計算できてたんだよ。辰さんの捜査も、何かやけに時間がかかってたし、行く部署も限られてきたからね。きっと、あぁ、辰さんも掴んだかって思った。逆に司ちゃんは僕のことを見失うと思ってたよ。灰島くんというカードが残ってたからね。」


虎太郎に締め上げられたまま、飄々と話す北条。


「司ちゃんを出し抜くには、灰島くんというカードが必要不可欠だった。あの娘の捜査力は飛び抜けているからね。だから、灰島くんに『黒幕』であることを『指示した』んだよ。」

「じゃぁ、アンタは最初から灰島を駒にしていたってことか……。アイツ、本当は『幹部』だったんだな……?」

「ご明察。もともと、黒幕は僕。それは最初から変わってないよ。ここまでの事件の絵を描いたのは、僕。古橋くん、香川くん、灰島くんたち警察関係者を引き入れたのも、僕。」


次々と開かされる、これまでの『神の国』の動き。


「関係の無い警察幹部まで巻き込んで、アンタは……!!」

「それがね、関係、あるんだよ。」


北条が黒革の手帳を懐から出し、虎太郎に渡す。

「香川くんは、君に話した通り、まぁ……逆恨みで警察を憎んだ。高橋さんは、自白した通りさ。古橋くんは……ここ。」


それは、小島のリストの写しのように見えた。
そこにはこう書かれている。

『安全確認の怠慢による爆発事故。死者1名。当人の操作ミスによる事故として処理。』


「事故として……処理?」

「うん。本来するべきであった訓練用装備の安全点検を怠ったがために起こった爆発事故。それを警察側は扱った当人の誤操作による事故として処理したんだ。その『死者』というのが、古橋くんの弟だ。」

「マジかよ……。」

「SITのエースと当時から呼ばれていた古橋くんの弟だ。彼も優秀な隊員だったよ。間違っても装備の誤操作などしない子だった。そう古橋くんは訴えたけど……調査結果は覆らなかった。だから、僕はその事実を古橋くんに伝えた。彼は喜んで『こちら側』に協力してくれたよ。」


笑みを浮かべながら話す北条。
一方の虎太郎は、怒りと共に失望・絶望の気持ちが膨れ上がってきた。


「警察……アンタに夢を見た警察って組織は……そこまでクソだったのかよ……!」


自分が警察に入ったときの夢、憧れ……。
それら全てが、音を立てて崩れていくような、そんな気持ちだった。


「それでもだ……。」


しかし、虎太郎は折れない。


「たとえ警察という組織がどうしようもないクズの集まりだったとしても……。俺はそんな中でも正しい刑事で居続けてやる! そして、このだらけきった警察ってものを変えてやる! 頭ワリィから、どうやってって言うのは分からねぇけど……。俺は刑事であることで、背中で分からせてやろうと思ってるぜ!」

虎太郎の信念は、揺るがない。

「本当に……立派な刑事になったよ。」


虎太郎の言葉を聞き、素直に喜ぶ北条。


「いつか、ちゃんと育ててやって欲しい。『こんな風に』卑怯な凶悪犯を決して許すな、ってね。」

「な……に?」


北条は、うっすらと笑みを浮かべたまま、懐からリモコンを取り出す。


「なんだよ、それ……。」


取り出したリモコンは、ボタンが2つ。

「凶悪組織の黒幕だからね、ここからは本気で凶悪な犯罪を犯すことにするよ。ここまで来たら、僕はここから出られない。良くて逮捕、悪くて死亡……だろうね。それなら……。」


北条は一度閉めたカーテン、ブラインドを全て一斉に開けていく。


「……この、宝石みたいな夜景の中に暮らす、濁った汚い膿を全て処分していかないとね。僕も含めて。」


宝石箱の中のように、様々な色に輝く東京の夜景。
美しい光に照らされながら、北条は躊躇うこと無くリモコンのボタンを押した。


「なんのスイッチだよ!」

「僕の知識の全てを集結させた……兵器さ。」

「へ、兵器……!?」


虎太郎と北条の会話。
それを特務課の面々は静かに聞いていた。

「兵器……」

「これは、マズイんじゃないの?」

「北条さん……」

「冗談じゃないわよ……。」


一同が息を呑むなか、辰川はひとり冷静だった。


「虎…まだ慌てるな。もう少し話を聞き出せ。」

「…………………。」


北条の言う『兵器』それが何なのか。
今分かる材料は、彼の手元にあるリモコンだけ。
それが、何を起動させるものなのか、そして起動することにより何が起きるのか、北条以外は誰も知らないのだ。


「……アンタのことだ、東京じゅうを巻き込む、とんでもねぇ兵器なんだろうな。しかも、俺たちみたいな一般人じゃ、どうしようもないほどのな……。」


ずっと一緒に組んできた虎太郎。
彼は分かっていた。
いつだって北条は、自分達の考えていること、想像していることの遥か斜め上のことを考えている。

常識など通じない。

『常識』など、一般人が自分たちの限界を作るために設けた逃げ道でしかないのだから。


「ミサイルを打ち込んでも、大きな爆弾を仕込んでも、その範囲から外れた人間は生き残る。だが、どうせ殺すなら根絶やしにしたくてね……。」

憎しみに満ちた、そんな目をする北条。


「僕が選んだのは、もっと身近で、もっと人に広がりやすい兵器だよ。」

「身近で、広がりやすい、だと……?」


北条の言葉に、無線を聞いていた辰川が青ざめる。


「まさか、細菌兵器、なのか……?」


辰川が、小さく震える。


「今の状況で、細菌兵器の対策をする時間なんて、ねぇよ………!」

「ふふ……今頃、辰さんは震え上がっているかかな?」


無線機をつけていない北条。
他の特務課メンバーの様子を想像しながら話す。

「何とか全員を屋内に避難させられないか!?」


咄嗟に虎太郎が無線を飛ばす。
いまから場所の特定し、爆弾の解除は不可能なのだろう。
辰川の反応がそれを物語っている。
ならば、屋内の密閉された空間に、少しでも多くの人を避難させることが出来たら……。


「無駄だよ。空気って、細かい隙間だって普通に通れるだろう? 空気が通れる隙間があれば、細菌は通れるさ。つまり……僕がこのスイッチを押したとき、空気が流れる場所にいる人たちは皆、手遅れなのさ……。」


諦めなよ、と言うかのように北条は両手を広げ、笑みを浮かべる。

「畜生……!」


他に出来ることはないか、虎太郎は必死に考
える。

「細菌を中和させる何かがあれば……。」

「バイオテロ対策に、そう言ったものもあるにはあるけど……、僕がそれを用意するまでにボタンを押すのを待っているとは思えないなぁ……。」


「俺が、そのボタンを押す前にアンタを取っ捕まえる……!」

「……さすがに老いたとは言え、そこまで僕は鈍くはないよ。虎、君が一歩こちらに踏み出してきたら、躊躇せずにボタンを押す。」

「くっ……!」


身動きがとれない虎太郎。
しかし、北条も動かない。


「これじゃ、弱いもの苛めみたいで気が引けるなぁ……。じゃぁ、君たちに選択肢をあげよう。」


ここで、特務課メンバーたちを嘲笑うかのように、北条が口を開く。


「……阿久津を殺すか、それとも僕を殺すか。それ以外に細菌兵器を止める手段は……ないよ。」

「なんだと……?」


北条の言葉に、虎太郎が言葉を詰まらせる。


「おそらく、対策を練って準備をして、兵器の場所を探してから被害範囲を割り出して、警官たちを配備して避難勧告をして……そこまでするのにきっと2日は最短でもかかるんじゃないかな? 今の警察の力では、すぐに対応すると言っても日を跨ぐんだ。だから、こちらのタイムリミットは……今から1日にするよ。警察の常識を覆せればそれで良し。細菌兵器は諦めるよ。」


北条は、飄々と話を続けていく。


「細菌兵器を諦めたら……北条さん、アンタはこの人を殺すのをやめるのか?」

「それは……やめないよ。この男は、僕が必ず殺す。それは、変わらないことだよ。」


北条の狙いは阿久津。
その考えは変わっていない。
どうにかし北条から阿久津を引き離せないかと思っていたのだが、ここまで全く隙がない。
そこまで考えた上での、北条の提案だったのだ。

「言ってみればよ、虎……。」


虎太郎と北条のやり取りを無線で聞いていた特務課メンバーたち。
辰川が口を開いた。


「俺たちにとって最も驚異なのはよ、凶悪犯たちじゃなくて……その男、北条なのかも知れねぇ……。よくよく考えてみれば……そいつは何か行動を起こす度、何か発言をする度に、その先に起こる何かを計算していた。いや、もしかしたら些細な言葉や行動ひとつにしたって、目的に向かう計算式の一部だったのかも知れねぇ……。」


これまで共に行動していた北条のことを、少しずつ、冷静に思い出していくメンバーたち。


「本宮が、最後のターゲットを司令に定めるのも、計算だった? だから、司令を囮に……?」

「姉崎の放火事件のきっかけだって、もともとは殺人事件があったから……。その事を知っていて、放火と言う形で痕跡を少しでも減らそうと……?」

「稲取さんや、熊田さんたちは……みんな、踊らされてたってこと……?」


次々と思い当たる、北条の行動。


「常人離れした知能指数を持っているんだ。何でもあらかじめ計算して動いてたら、これほど効率的なことはねぇ。まったく、その知能をもっと人のために……。」


辰川が、そこまで言いかけた、その時だった。


「待てよ……待て待て……。」


虎太郎が青ざめる。


「北条さん、アンタ……本当に『この人』を殺すことが最終目的なんだろうな?」


虎太郎が呟く。


「おいおい虎! 何寝ぼけたこと言ってやがるんだ!」

「そりゃ、相棒を信じたい気持ちも分かるけど……。」


メンバーたちが口々に虎太郎を気にかける。


「……そうじゃねぇ、そうじゃねぇって!!」


そんなメンバーたちの心配を振り払うように虎太郎は首を振る。


「虎……君にしてはなかなか考えるじゃないか。でも、僕の目的はその男、阿久津の命だよ。」


ここまでは、辰川の助けでたどり着けた。
『神の国』の黒幕が北条であったことも、その北条の最終目的が官房長官・阿久津の命を奪うことであると言う事実も、何一つ間違えではないだろう。


しかし、虎太郎の胸の奥に違和感を感じる。

何か、ボタンをかけ違えているような、何か、重大な見落としをしているような……。


「北条さん、アンタ……この阿久津さんを殺したら、それからどうするつもりなんだ?」

虎太郎が、一言一言探るように北条に問う。


「うーん、生きていれば逃げるし、生きていなければそれで終わり。まぁ、運任せかな?」


この一言を聞いて、虎太郎は確信した。


「辰さん、みんな、大丈夫だ。都内に細菌兵器は仕込まれてねぇ。」


「なんだと!?」

「……へぇ。」


虎太郎は、自信に満ちた目で北条に言った。

「虎お前……どう言うことだ? 俺たちに分かるように説明しろよ!」


自信たっぷりの虎太郎の様子に、辰川がその真意を問う。

「狙いは俺たち警察を、都内に散らせてこちらの戦力を削ぐことだ。これまでよりもヤバイ兵器が都内にあると知れば、警察も放ってはおけない。それが日本の警察ってもんだろ? 結果、俺のところには応援は来ない。俺と官房長官、ふたりだけだったらどうにか殺して逃げられないこともない。……だろ?」


虎太郎の口許には、不適な笑みが浮かぶ。


「……本当に仕掛けられていたら、君はどうするつもりだい? 君は大勢の都民を見殺しにするんだよ?」


ゆっくりと、威圧するように北条は言う。

「何も知らない、それぞれの人生を生きている人達が、今日みんな死ぬんだよ。なぜそうなるのかも分からないまま……ね。」


まるで都民の命は自分が握っているとでも言うかのように、北条はゆっくりと、虎太郎を諭すように話す。


しかし、虎太郎の表情は変わることはなかった。


「……だったらアンタ、わざわざここには来ねぇだろ。」

「…………」

「本当に細菌兵器が存在するなら、小型のやつをひとつ、ここに仕掛けておけば良い。そして自分は何食わぬ顔で俺たちと一緒に仲間の逮捕に向かえば良い。そうすれば、だーれもアンタのことは疑わなかった。そうだろ?」


虎太郎は、いつになく冷静であった。


「……それ、虎が考えたの?」

「……あぁ。俺だってアンタと一緒に数えきれないほどの修羅場を潜ったんだ。ある程度のことは予想できるようになったさ。」

「……成長、したね……。」


北条はうっすらと笑うと、持っていたリモコンを放り投げた。


「残念! 虎だったら僕のブラフにも乗ってくれると思ってたんだけどなぁ。正解だよ。細菌兵器なんて、嘘っぱち。みんながバタバタ動いてくれれば良かったんだけどなぁ……。」


大きく伸びをして見せる北条。


「……じゃ、これにしよう。」

そして、もうひとつのリモコンを取り出すと、今度は自身のジャケットを脱いだ。
その様子に、虎太郎が絶句する。


「お、おい……。」


「残念ながら、僕が生き残る選択肢は無くなってしまったようだ。じゃぁ、落ち着いて作戦を次のフェーズに移行しないとね。」

北条のジャケットの下に隠されていたもの、それは、バスジャック事件で香川が着ていたような、爆弾つきのベストであった。


「香川くんのやつを辰さんが解除してるを見たから、より改良させてもらったよ。もう、警察にはどうすることも出来ない……。」


北条の目にはもはや生気など宿ってはいなかった。

無機質な目で、まるで虎太郎を射るように見る。

「北条さん……バカなことやってんじゃねぇよ……。そのスイッチ押したら、自分がどうなるか分かってるんだろ?」

虎太郎が悲痛な表情で北条を見る。


「もちろん。きっと木っ端みじんに吹っ飛んで、跡形も残らなくなるんだろうねぇ。まぁ、即死だし……痛みや苦しみの類は一切ないでしょ。」

「そんなことを言ってるんじゃ……ねぇ。」


湧き上がる怒り。
それを必死に腹の奥に押し込むように、虎太郎は耐えた。


「もう、充分無駄に生きた。妻が死んでから、僕も綺麗に後を追っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。僕の往生際の悪さが、今回の事件を生んだんだよ。」

「だったら……つけろよ、落とし前……。」


気が付くと、虎太郎は北条の目前まで歩み寄っていた。
手の届きそうな距離。


「これまで、あんたとその仲間たちは、酷い事件を幾度となく起こしてきた。何の罪もない人たちが、何の夢も叶えられないまま死んでいった。あんたは、その責任を取るべきだ。ただそれは……死ぬことじゃねぇ。生きて、罪を償うことだ。アンタが自分のエゴで死を選んだところで、それはただの自己満足だぜ。」

婚約者・奈美の死の一因は、北条にあった。
虎太郎はそのことを決して許すことはないだろう。
しかし、北条が自死を選ぶということが、虎太郎は許せなかった。

「死んで奈美に謝れって言ったところで、奈美と同じところには絶対に行かない。アンタは生きて、たくさんの俺と同じ思いをした人たちの悲しみや絶望を受け止めるべきだ。死ぬことは……逃げだ。」

「……キツイこと言うね、君。」


ふたりの間に静寂が流れる。


「新堂、これから阿久津官房長官のマンションに急行するわ。」

「私も行きたいけど……ごめん、無理。」

「あさみちゃんは大人しく病院に行きな!俺もマンションに向かう!」

「僕は……マンションのシステムに入って、おかしなところや北条さんたちの動向を探ることにするよ。」


特務課メンバーたちは、この隙にそれぞれの行動方針を立てていく。


「私は……『手配』してきます。」

志乃は、ここで珍しく不明確な方針を立てていた。
しかし、これまでで志乃がおかしなことをした試しはない。
一同、志乃を信じることにした、が……。


「おい志乃ちゃん……お前は大丈夫なんだろうなぁ?」

相次ぐ警察関係者の裏切り。
辰川が念を押して訊ねた。


「私は警察官。それ以上でもそれ以下でもありません。警察は市民のために。私はそのための『最善の1手』を手配するだけです。」

志乃は迷うことも言葉を選ぶこともなかった。


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