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第1話:美しき犠牲者たち

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虎太郎と本宮が対峙している。

何度も何度も、本宮は鉈を振り下ろすが、虎太郎はその軌道が読めているのか、それとも本能で躱しているのか、鉈は虎太郎の服すらかすめることが出来ずに空を斬る。


「おいおい……お前、自分より弱い者しか殺せねぇのか?とんだ殺人鬼だなぁ、あぁ?」


虎太郎が本宮を挑発する。
本宮は真っ赤な顔をして次々と鉈を虎太郎に向かって振り下ろしていく。


「どうして挑発するの……?余計に危険だわ!」


刃物を持った犯人は挑発するな。
それが、警察学校時代から習ってきたセオリー。
司は、そんなセオリーとは真逆の行動をしている虎太郎の意図が分からずにいた。


「……それは、周囲に民間人がいるかもしれないから、でしょ?いまは本宮と虎の一騎打ちみたいになってる。そうなったらもう、1対1の殺し合い。『そっちの』土俵なら、虎に任せた方が間違いない。」


「そっちの……?」


北条は、虎太郎の経歴を知っているからこそ、虎太郎のやり方に絶対の信頼を寄せている。


「虎はね……若い頃は『ギャング』と呼ばれる反社組織に居たんだよ。」

「……え?」

「この話、僕と司ちゃんとの秘密にしておいてね?」


ふたりの秘密、と前置きをしたのち、北条は虎太郎のことを語りだした。


「学校での喧嘩は負け知らず。もともと格闘技をやる前から相当強かったんだ。そのぶん争いごとも多かった。ギャングになったのも、絶えない争いの流れで仕方なく、だ。」


本宮に疲れの色が見え始めた。


「その組織、極道組織とも繋がっててね。下手な仕事は自分の死に直結した。仲間たちが、何人も東京湾に浮かんだらしいよ。虎は、何度も何度も死の恐怖を感じながら生きてきた。命を守るために、死なないために強くなるしかなかったんだよ。」

「…………。」


北条の話に、司は絶句する。


「そして、警察の一斉検挙のためにギャングは解散となった。メンバーのほとんどが逮捕されたからね。その、逮捕されてないメンバーたちのひとりが、虎だったんだ。虎は確かにその強さを生かして用心棒のような事はやっていた。でもね、薬にも手を出していないし、詐欺や破壊活動等の犯罪には一切手を出さなかったんだ。僕は、虎に今後の人生についてよーく話した。結果、どういう経緯かは本人しか分からないけど、虎は警察官を目指すことになった……。と言うわけさ。」

「そんなことが……。まさか、今では刑事になっているなんて……。」


どのように北条が新しい道を指し示したのかは分からない。
しかし、結果として虎太郎は、特務課に無くてはならない存在となろうとしていた……。


「はぁ、はぁ……くそ、どうして当たらないんだ……。」


本宮は、もはや戦意を喪失しているようにも見えた。
何度襲い掛かっても、怯むどころか余裕すら見せる虎太郎。
今まで襲ってきたどの人間とも違う、不思議な感覚。


「僕がこれまで殺してきた人間はみんな……恐怖に顔を歪め、命乞いをしながら逃げ回ってたのに……。」

「……そうやって命乞いをしてきた人間を、お前は無慈悲に殺したってことだよな?」


虎太郎の拳が固く握られる。
その行動が、自身に危害を及ぼすものだと、本宮は即座に理解した。



「……ひっ!や、やめ……」


本宮の懇願が終わるよりも早く、虎太郎の拳がその頬にめり込んだ。
成す術もなく、本宮は後方に弾き飛ばされた。


「う……うぅ……。」

「オラ、立てよ。まだ終わっちゃいねぇぞ……。」


そんな本宮の髪を掴み、無理やり立たせる虎太郎。
次は顎に、腹に思い切り拳を叩き込む。


「もう……やめて……。」


激痛に表情を歪めながら、本宮が虎太郎に乞う。
しかし、虎太郎は本宮の髪を掴んだままの左手を離そうとしない。


「まぁ待てよ。もう少ししたら、あの鉈……借りるからよ。あと数発殴って動けなくなったら、今度はあの鉈で少しずつ身体を切り刻んでやる。お前がやってきたようにな……。」


本宮が殴り飛ばされたとき、思わず手を離してしまった鉈を見ながら、虎太郎が言う。
その視線に、本宮は本当に死の恐怖を感じた。


「誰か……助けて……ころ、殺される……」

本宮は周囲に視線を泳がせる。
司に、そして北条に視線を向け、必死に訴えかける。


「北条さん……。」

司が困った表情で北条を見る。
しかし、北条は小さく首を振った。


「大丈夫、虎は本当に殺したりはしないよ。もう少し、任せてみようよ。」


本宮の懇願などどこ吹く風。
北条は飄々と答えた。


「司ちゃん、君は本当に優秀な刑事だ。加害者の人権なんかも考えて心配しているんだろう。でもね……。」


虎太郎が、本宮をまた数発殴り、床に投げ捨てる。


「……決して足を踏み入れてはいけない領域に踏み込んだ加害者は、それなりの覚悟をしておかないといけないんだ。そう……。」


この時の北条の鋭い視線に、司は凍り付くような恐怖を感じた。


「……それこそ、死ぬ覚悟をしないとね。」


もはや、逃げる余力も残っていない本宮。
虎太郎はそんな本宮の側に歩み寄る。

カラカラと、赤黒い鉈を引きずりながら。


「頼む……殺さないで……」

恐怖の先の絶望を感じた本宮。
手も足も動かない、そんな状況で、消え入りそうな声でそれでも必死に命乞いをした。


「俺は、ちゃんと聞いてやるよ。……何か、言い残すことはないか?」

虎太郎の冷たい目。
本宮をまるでゴミのように蔑んだ、無機質な視線。
その視線を感じたとき、本宮は自分は本当に殺されるのかもしれないという不安に襲われた。


「ごめん……なさい!僕が間違っていた!ただの逆恨みだ!美しいものが好き……それは、美しいものにより多く近づくための口実だったんだ!本当は、美しいものを壊したくて……美しいものが憎くてたまらなかった……!」


時おり、呻き声をあげながら本宮が自分の想いを吐き出していく。
その様子を虎太郎は、口を挟むこと無く聞いていた。


「じゃぁ……何で綾さんと付き合ったんだよ。同棲までして……。」


本宮と綾の付き合いは長かったはず。
同棲にまで進展するには短時間ではなかなかうまくいかないものだ。


「綾さんには……いままでの女性たちとは違うなにかを感じてたんじゃねぇのか?そうじゃなければ、憎しみに駆られたお前が、綾さんと生活を共にするはずがねぇ……。」

虎太郎自身、婚約をした恋人がいるから分かる。
生半可な気持ちじゃ共に暮らすことは出来ない。
それこそ、いつか人生を共にする覚悟がなければ……。


「綾は……俺の話を聞いてくれた。反論するでもなく、意見するでもなく、ただ俺の話を聞いてくれたんだ。だから……心を許してしまったのかもしれない……。」


本宮の孤独に唯一寄り添ったのは、綾だったのだ。


「綾さんが、第一の被害者じゃねぇな?」

このとき虎太郎の直感が、新しい事実を導き出した。


「あぁ……何人か殺して、ここで繋ぎ合わせていた。この『作品』のことは気付かれることはなかったが……、綾は俺が人を殺したことを知ってしまった。」

「話し合おうとはしなかったのか?」

「綾は……一緒に罪を背負うから、僕のことを待つから自首してくれと言ってきた。でも……何年も『作品』を放置したらダメになってしまう。だから僕はもう少し時間がほしいと言ったんだ。それなのに……。」


本宮は、自首して罪を償うことよりも、自身の『作品』を完成させることを優先させてしまった。

そして、それに綾が反論してしまったことで、本宮に殺意が芽生えてしまったというのだ。


「バカ野郎……自分の恋人だぞ。殺すことがどう言うことか、考えなかったのか?」

「考えた。考え抜いた結果……綾は安らかに死なせてやろうと思ったんだ。苦しまずに、眠ったままで……。」

そう言った本宮の目には、涙が光っていた


「バカ野郎が……!」

虎太郎は、地を這う本宮を無理矢理立たせる。


「お前が本当に反省して、ちゃんと罪を償ったいたら……きっと、待ってたと思うぞ、綾さんは……。」


そう言い、もう一度だけ、本宮を思いきり殴り付けた。
不格好に地に倒れる本宮。


「お前が殺しをやっていたと知っても、綾さんは逃げなかった。それどころか、ちゃんとやり直していこう、そう思ったからお前と話したんじゃねぇのか?」


虎太郎の大きな声が反響する。


「綾……僕は、僕は……!」


ようやく、ことの重大さに気付いた本宮。
虎太郎は、大きなため息を吐くと、それ以上はなにも言うこと無く本宮の両手に手錠をかけた。


「もう、誰も死んだ人は戻ってこないけど……、死んだ人たちの分、しっかり償え。」


こうして、一連の事件は容疑者逮捕をもって幕を閉じた。


「虎、お疲れ。」

警察の応援が来るのを待ち、到着次第経緯を報告し本宮を引き渡した虎太郎達。
ボーッと本宮が残した『作品』を見ながら、虎太郎はいろいろと考えていた。
そんな虎太郎を、缶コーヒーを差し出しながら、北条が労いの言葉をかける。


「あぁ……。北条さん、なんで人間ってすぐに分かり合えないものなんだろうな……。」


綾の説得の真意を、本宮が察していれば。
ここまでの連続殺人になる前に、本宮が自分の過ちに気付いていれば……。

虎太郎の心のなかは、悔しさで一杯だった。


「……警察の仕事に、完全なハッピーエンドなんて無いのさ。たら、ればが多いから、刑事は犯人を逮捕しても心が晴れない。でも、それで良いんだ。絶対に刑事をしている限り、完全なハッピーエンドなんて無いから、刑事達は事件の早期解決を望むし、早期解決に向けて全力を尽くすんだ。それは何も、可笑しな事じゃぁ無いよ。」


これまで幾度と無く凶悪事件の犯人を逮捕してきた北条。
彼の中で、心から満足のいく解決の仕方など、きっと一度もないのだろう。


「あーあ、事件を未然に知ることが出来るなら、どれほど気持ちが楽だったことか……。」


北条は、苦笑いを浮かべたまま虎太郎の隣に座った。
そして、胸ポケットから煙草を出すと1本口にくわえ……。

虎太郎が素早くライターの火を北条に近づける。


「お、サンキュ。」

ふたりが相棒バディとなってから、事件解決後お馴染みとなったこのやり取り。

北条が虎太郎にコーヒーを差し出し、虎太郎は北条の煙草の火をつける。


「このやり取り……出来るだけやりたくないんだけどな……。」

「あぁ、もっともだよ。事件解決は嬉しいことだけれど、事件が起こるのは嬉しくない。疲れるし危ないし、何より悲しいからね。」


本宮が乗ったパトカーの回転灯をボーッと眺めながら、北条と虎太郎は大きく息を吐いたのだった。
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