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第一章

壊れた家族《ニクス side》

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※回想の続きになります。
前回と同様、読まなくても問題ありません。

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 『まさか、あれは罠だったのか?』と戦慄する父の前で、メイドは赤子に頬擦りした。

「泥酔して、ぐっすり眠っている公爵様を襲うのは至極簡単でした。まあ、寝室に潜り込むのは少々手間取りましたが……でも、私はルーナ様に信用されているメイドなので。『奥様にこう指示された』『奥様に呼ばれている』と言えば、皆さん快く応じてくださいましたよ」

 『思ったより、すんなり事が運びました』とはしゃぎ、メイドは母の横を通り過ぎる。
勝ち誇った表情を浮かべながら。

「まあ、あの日の出来事を隠したまま数ヶ月間過ごさなければならないのは堪えましたが……本当はもっと早く暴露して、貴方の目に留まりたかったので。でも、赤ちゃんが居ないと相手にして貰えないと思って……ほら、待望の女の子ですよ?そのうち、娘を作りたいなって仰っていましたよね?」

 キラキラと目を輝かせ、軽い足取りで父に駆け寄るメイドは乙女のような顔をしていた。
その後ろで、母が崩れ落ちていることなど知らずに。
口元を押さえて蹲る母は、『嫌……違う……』と譫言のように呟きながら泣いていた。
恐らく、現実を受け入れられないのだろう。
信用していたメイドが自分を裏切り、あまつさえ夫に手を出したのだから。
ショックを受けない方がおかしい。

「は、母上……!」

 メイドの狂気に呑まれそうになりながらも、僕は何とか体を動かし、母の元へ駆け寄る。
でも、どうすればいいのか分からなくて……一先ず、横に座った。
真っ青な顔で俯く母の背中を擦り、オロオロと視線をさまよわせる。

 なんて、声を掛ければいいんだろう……?
“父上を信じよう”?“もう大丈夫”?“僕は味方だから”?
どれも違う気がする……今は何を言っても、きっと母上に届かないだろうから。

 己の無力さを呪い、泣きそうになる僕は助けを求めるように父へ目を向けた。
すると────憎悪を孕んだタンザナイトの瞳が、視界に映る。
ここまで殺気立つ父を見るのは、初めてだった。
恐怖のあまり体が竦む僕を他所に、メイドは父の胸にしなだれ掛かる。

「公爵様、私を側室にしてください。そしたら……」

「黙れ」

 氷のように冷たい声で吐き捨て、父は極自然に……そうなるのが当たり前かのようにメイドの肩を突き飛ばした。
すると、彼女は『きゃっ……!』と短い悲鳴を上げて床に尻餅をつく。

「こ、公爵様……?一体、何を……?」

 ここに来てようやく父の怒りを感じ取ったのか、メイドは表情を引き攣らせた。
怯えたように体を震わせ、腕に抱いた赤子を取り落とす。
その瞬間、『うぁぁぁああああ!!』という赤子の泣き声が、静まり返った空間に響き渡った。
ハッとしたように顔を上げる母の前で、父は腰に差した剣を引き抜く。

「ルーナとニクスを傷つける存在など、この世に不要だ」

 そう言って、父は────メイドの首を刎ねた。
シャッと飛び散る鮮血と共に、首は落ち……胴体は後ろに倒れる。
あまりにも呆気ない最期を迎えたメイドに釘告げになっていると、父の刃は赤子へ向かう。
────と、ここで母が立ち上がった。
乱れた髪や服をそのままに赤子の元へ駆け寄り、父から庇う。

「どけ、ルーナ」

「ダメよ、イヴェール!生まれてきた子に、罪はないわ!」

 床に転がる赤子に覆い被さるようにして、母は小さな命を守った。
どんなに怒り狂っていても、父は絶対に自分を傷つけないと信じて。

「確かにリズは人として、やってはいけないことをした!でも、子供は関係ないでしょう!?親の報いを子に受けさせるなんて、おかしいわ!」

「っ……」

 母の説得に揺れる父は、一先ず剣を下ろす。
惚れた弱みとでも言うべきか、昔から母に弱いため、無理やり赤子を殺すような真似はしなかった。
でも、『始末する』という選択を諦めた訳ではないようで、決して納刀しない。

「……じゃあ、これからどうするんだ。その女は身寄りがないだろう?」

 言外に『育てる人が居ない』と述べる父に、母は一瞬躊躇う素振りを見せた。
────が、直ぐにこう答える。

「我が家で引き取りましょう」

「なっ……!?」

「本意ではなかったにしろ、貴方の子供なんだから。グレンジャーの名を名乗る資格は、ある筈よ」

 いつの間にか泣き止んでいた赤子を抱き上げ、母はタンザナイトの瞳をじっと見つめた。
『父にそっくり』と言わざるを得ない色彩に、複雑な表情を浮かべる。
でも、赤子を見る目は優しく……とても、穏やかだった。
『あぅー』と声を発して笑う赤子にスッと目を細め、母は僅かに頬を緩める。

「貴方の子は、私の子も同然よ」

 母の寛大すぎる一言に、父はついに折れた。
『分かった』とだけ返事して剣を仕舞い、こちらに背を向ける。
実際問題、グレンジャー公爵家の血が入った子供を無闇に里子へ出す訳にはいかない。
殺せないのなら、引き取って育てるしかなかった。
父もそう理解しているから、庶子を受け入れたのだろう。
苦渋の決断を下し沈黙する父の背中に、僕はなんと声を掛ければいいのか分からなかった。

 父は今、どんな表情かおをしているのだろう?
もしや、泣いているのではないか……。

 そんな馬鹿げた考えが脳裏を過ぎる中、僕は今後の生活を心配する。
そして、案の定とでも言うべきか────この日を境に、僕の家族は壊れた。
父は罪悪感と後悔を振り払うように仕事へ打ち込み、母はショックのあまり体調を崩して部屋に籠るように……。
おかげでまともに家族と顔を合わせることはなくなり、僕は一人ぼっちになった。

 ────なのに、何で今こいつは笑っているんだ。
何でこいつが家族として、認められているんだ。
何でこいつを両親は庇うんだ。
こいつは幸せな日々を壊した原因そのものなのに……。

「何で……」

 荒れ狂う魔力が暴走し、辺り一面を凍りつかせる中、僕は白い息と共に疑問を吐き出す。
いい加減、怒りと悲しみでどうにかなってしまいそうだった。
『頼むから、僕の幸せな日々を返してくれ』と切に願った瞬間────僅かな衝撃と共に、温もりに包まれる。
驚きのあまり固まる僕は、すっかり毒気を抜かれてしまい……意識が現実へ引き戻された。
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