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第一章

本音

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◇◆◇◆

 小公爵の体をギュッと抱き締め、私は『正気に戻って』と願う。
すると────体の芯まで凍えてしまうような吹雪はあっという間に収まり、寒さも和らいだ。
春の日差しが私達の体を優しく包み込み温める中、小公爵はパチパチと瞬きを繰り返す。

「な、にが……?」

 訳が分からないといった様子で辺りを見回し、怪訝そうに眉を顰めた。
どうやら、無事正気を取り戻したらしい。
『良かった』とホッと息を吐き出す私の前で、彼はふとこちらに視線を向ける。
と同時に、ピシッと固まった。
それはもう氷のように。

 私に抱き締められている状況に気づいて、驚いたようね。

 頭の上にたくさんの『?』マークを浮かべる小公爵に、私は内心肩を竦める。
────と、ここで父が駆け寄ってきた。

「二人とも、無事か!?」

 焦った様子で声を掛け、私達の体を注意深く眺める父は珍しくポーカーフェイスを崩している。
心配という感情を前面に出す彼に対し、私は『はい、何とか』と答えた。
まだ手足がかじかんでいて痛いが、これと言って目立った外傷はない。

 リディアの身体能力が優れているとはいえ、よく全ての雹を避けられてわね、私。

 小公爵に接近した時の出来事を振り返り、私は『ちょっと無謀だったかしら?』と今更ながら考える。
まあ、結果的に無事だったので反省する気はあっても、自身の行いを後悔することはないが。
『終わりよければ全てよし』というフレーズが脳裏を過ぎる中、小公爵はおずおずと顔を上げた。
緊張した様子で父の目を見つめ返し、そっと眉尻を下げる。

「ち、父上……僕……」

 周囲の状況を見て魔力暴走を引き起こしたことに気づいているのか、何か言おうとする。
でも、早くも言葉に詰まった。
『釈明しなければ』と焦っているものの、なんと言えばいいのか分からないようで右へ左へ視線をさまよわせる。
まるで、言い訳を探すかのように。

「小公爵────もっと素直になっていいんですよ」

 なんだか迷子の子供のようで放っておけなくなり、私は堪らず声を掛けた。
弾かれたようにこちらへ視線を向ける小公爵の前で、私はニッコリ微笑んで密着した体を離す。
そして、胸元にそっと手を添えた。

「自分の本音を建前で着飾る必要は、ありません。もちろん、相手によっては本音を隠す必要がありますが、家族は違うでしょう?」

 『余計なお世話』だと理解した上で言葉を紡ぎ、私は真っ直ぐに思いを伝える。

「もっと感情的でいいんです。私を拒む理由なんて、『嫌だから』の一言で構いません。魔力暴走に至ってしまった理由も、然りです」

 ギュッと胸元を握り締め、私はレンズ越しに見える月の瞳をじっと見つめた。
と同時に、表情を和らげる。

「お父様とお母様は、小公爵の気持ちを受け止めてくれないような方達じゃないでしょう?きっと全てを認めて許してくれる訳ではないでしょうが、真っ向から否定してくるようなことはない筈です。まずは貴方の気持ちを受け止めて、理解してくれると思います」

 まだリディアの体に憑依してから一ヶ月も経っていないが、両親の人柄は理解しているつもり。
優しくて、真っ直ぐで、時に厳しい彼らをどうか信用してほしかった。
小公爵自身のためにも。
『今の彼は無理しているようにしか見えない』と案じる私の前で、小公爵は暫し考え込む。
自分の本音を曝け出すことに、抵抗があるのかもしれない。
『日を改めた方がいいかしら?』と思案する中、父が動きを見せる。

「言いたいことがあるなら、言ってみなさい」

 小公爵の目線に合わせて身を屈める彼は、無表情ながらも優しい声色で話を促した。
すると、小公爵は僅かに目を見開き……やがて、決意を固めたようにコクンと頷く。
まだ不安が残っているのか表情はやや硬いものの、迷いは消え去っていた。
『小公爵、頑張って』と心の中でエールを送る私を他所に、彼は真っ直ぐに前を見据える。

「父上、僕は────リディアのことが嫌いです」

 驚くほど直球で本心を語る小公爵は、どこか晴れ晴れとした表情だった。
リディアに憑依したこちらとしては、ちょっと複雑だが。
でも、『本音を言っていいんだ』と説いたのは私自身なので一先ず見守る。

「父上や母上がリディアを家族として迎え入れるよう言ってくると、腹が立ちます。リディアに関心を向けるのも、気に食わない……ましてや、褒めるなんて……」

「魔力暴走を引き起こした原因は、それか?」

「……はい」

 父の問いに、小公爵はおずおずと首を縦に振った。
自分でもくだらない理由だと思っているのか、表情はどこか暗い。
でも、決して視線を逸らさなかった。
それはきっと────父が自分の気持ちを受け止めてくれる、と確信しているから。

「そうか」

 とりあえず相槌を打ち、一旦押し黙る父はそっと目を伏せる。
と同時に、頭を下げた。

「────悪かった、ニクス。私の配慮が足りなかったようだ。もっと、お前を気遣うべきだった」

 『そうすれば、こんなことにはならなかった』と反省し、父はおもむろに顔を上げる。
タンザナイトの瞳にやるせない気持ちを滲ませつつ、彼は小公爵の頭を撫でた。
乱暴ながらも、愛情を感じる手つきで。

「どんなに優秀で大人びていても、まだ子供だということを忘れていた。私は父親失格だな」

「い、いえ!決して、そんなことは……!父上は尊敬に値する、素晴らしいお方です!」

 間髪容れずに反論を述べる小公爵は、『自慢の父です!』と主張した。
一生懸命フォローする息子に、父は一瞬呆気に取られるものの……直ぐに目元を和らげる。
喜びを隠し切れない、といった様子で。

「ありがとう。その評価に恥じない言動を心掛け、今後とも精進する。だが、一つだけ言わせてくれ」

 そう前置きすると、父は瞬く間に厳しい顔つきへ変わった。

「リディアを危ない目に遭わせたこと、きちんと謝りなさい。ニクスの感情は理解出来るし、私も反省すべきだが、こればかりは見逃してやれない」

 親として、大人として悪い点はしっかり説教する彼に対し、小公爵は『はい』と頷く。
根は素直なのか、それとも父と心を通わせたことで憑き物が落ちたのか、苦言をすんなりと受け入れた。
どことなくスッキリした面持ちでこちらに向き直ると、真っ直ぐ目を見つめ返す。
そこに迷いはなく、真摯な態度で謝罪しようとする姿勢が垣間見えた。

「リディア、危険な目に遭わせて悪かった。あと、魔力暴走を止めてくれたこと感謝す……おい!」

 突然焦った様子で声を荒らげる小公爵は、こちらに手を伸ばした。
ガシッと肩を掴まれたような気がするが……確信はない。
何故なら────急に視界が歪み、上下左右の感覚を失ったから。
とてもじゃないが、周囲の状況を確認する余裕はなかった。
私は鉛のように重くなった体を何とか動かそうと画策するものの……更に悪化し、脳に振動が走る。
そのせいで、一気に思考が溶けた。

 あ、れ……?意識が……。

 頭の片隅で『ヤバい』という単語が、木霊する中────私はついに気を失った。
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