青の記憶を瓶に詰めて

ROSE

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アルジャン7 緑色の瞳

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 数日シシーに会えないだけで気が狂いそうだったが、どうしても自分の中の迷いを打ち消せず、彼女の前に姿を現すことが出来ない。
 というよりは単純に寝込んだ。
 記憶にある中で唯一の発熱だと思う。
 せめて本番前にドレスくらいは贈ろうと、先日届いたドレスにカードを添え届けさせた。
 もう少し気の利いたことを書いてやるべきだったかもしれない。しかし、今まで散々格好つけてきた身としては、ここで妙な甘い言葉など綴れるはずもない。
 ドレスは気に入って貰えただろうか。あのドレスを着た彼女を早く見たい。
 まだ熱の下がりきらない頭はシシーの姿ばかりを浮かべてしまう。
 それでも、定期報告は重要だ。
 オプスキュール伯爵家に忍ばせた使用人からシシーの様子を聞こうとした。
 どうせいつもとあまり変わらない練習報告くらいだろう。そう、たかをくくっていた。

「ヴィンセント様がここ数日、セシリアお嬢様の寝室に毎晩足を運ぶようになりました」

 この使用人は見たままを報告しているだけだろう。
 しかし、あのヴィンセントが妹の寝室に?
「メイドのリリーによると、毎晩セシリアお嬢様の寝顔を観察して満足そうに立ち去っていくのだとか……」
「……ヴィンセント……随分と女の趣味がよくなったようだな……」
 実の妹にそういう目を向けているということか?
 俺のシシーと知りつつ手を出そうと?
 痛む頭もどうでもいい。
「馬車の支度をしろ」
「まだお熱も下がっていらっしゃらないのに出掛けるおつもりですか?」
 使用人の呆れた顔に苛立つ。
「ヴィンセントに自分の立場をわからせる」
 あくまでシシーの兄だ。婚約者の居る妹の寝所に足を運んでいいはずがない。
 寝間着のまま出掛けるわけにもいかないので、素早く着替える。
 シシーに会うかもしれないからもう少し装いに気を遣うべきなのかもしれないが、激しい頭痛が装いに悩むほどの余裕を与えてくれない。
「……オプスキュール伯爵家に行く」
「……あの、たぶん皆様就寝されているお時間ですよ?」
 アルジャン様は今目覚めたばかりでしょうが、と生意気な使用人は止めようとする。
 こいつの名前はなんだっただろう。興味がないから気にしたことがなかったが、たった今クビにするために名前が必要になった。
 ジャック? ジョン? そんな感じだったような気がする。
「叩き起こせ。俺が用があると言っている」
 ヴィンセントの返答によってはシシーを連れ帰るつもりだ。そしてオプスキュール伯爵家を消滅させてやる。
 自分でもまともな思考が出来ていないとは理解するが、それでも衝動を止めることなど出来そうになかった。



 オプスキュール伯爵邸に到着すると、眠そうなメイドが出迎えた。
「アルジャン様……申し訳ございません。お嬢様は先程お休みになったばかりです」
「そのまま寝かせてやれ。用があるのはヴィンセントだ」
 シシーが寝るには少し早い時間だとは思ったが、それでも一晩中練習されてふらふらの姿を見せられるよりはマシだ。
 メイドは一礼し、早足でヴィンセントの私室へと向かう。どうせまだ過去問解析でもしている。無駄を好む男だ。
 少しして、シシーとよく似たストロベリーブロンドの癖毛が資料を読みながらこちらに向かってくるのが見えた。
「ヴィンセント」
「……アル、訪問時間にはもう少し気を遣え。普通は寝ている時間だぞ」
 どうせ下らない用事だろうと紙から視線を動かさない。
「お前が妹の寝所で毎晩寝顔を観察しているという話を聞いた」
 ぱさりと、資料が落ちる。
 意外な事にヴィンセントが読み込んでいたのは楽譜だった。
「……なっ……誰が……そんな噂を……」
「オプスキュール家には俺が雇っている使用人もいることを忘れるな。シシーに関することは全て報告させている」
 特に、あの悪夢の後は詳細な報告を命じているが、あの使用人はあまり役に立たない。
「……はぁ……近頃子供返りの真っ最中なんだ。不安なんだろう」
 ヴィンセントは中指で眼鏡を押し上げながら溜息を吐く。
「不安?」
「お前、なにも言わずにこの数日セシリアの前に姿を現さないだろう? 出来が悪すぎて見捨てられたと思い込んでいるぞ」
 ヴィンセントの言葉に目眩を覚える。
 俺がシシーを見捨てる?
 なぜそんなことを考える。
「たとえどんなに出来が悪かったとしても俺が愛するのはシシーひとりだ。それに……シシーは自分を過小評価しすぎる。そこまで出来は悪くないだろう」
 成績だってそんなに悪くない。しかも最近また成績がよくなったと聞いている。
 演奏の腕はどこに出しても恥ずかしくない。
 だというのに、どうしてそれを自覚してくれないのだろう。
「どうして急にシシーのつきまといをやめたんだ?」
「つきまといではない。婚約者を見守っているだけだ。なにが悪い」
「完全につきまといだろう」
 ヴィンセントは溜息を吐き、落とした楽譜を拾い上げる
「……熱が出た。シシーに移すわけにはいかないだろう」
 会わせる顔がなかったとは言えない。
 頭痛が激しくなっていく。
「お前が熱を? 天変地異の前触れか?」
 大袈裟な驚きを見せるヴィンセントが接近してくる。
 近くで見ると顔の作りもシシーと似ているな。
 シシーが眼鏡をかけたらこんな雰囲気だろうか。
 シシーと同じ緑色の瞳から目が逸らせない。
「シシー……」
 会いたい。今すぐ会いたい。
 そう思った時には緑の瞳に手を伸ばし――重力に敗北するように体が倒れ込んだ。
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