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7 求めていた物2
しおりを挟む数週間ぶりに夕食をおいしく感じられた気がした。
それからゆっくりお風呂に入り、リリーに髪を結って貰う。
心が軽くなったような気がするのは、やはり兄のおかげだろう。
ヴァイオリンを好きになったきっかけを思い出したからだ。
始めたばかりの頃、うまく出来ると兄が拍手をしてくれた。もっと上手くいくと頭を撫でてくれる。それが嬉しくて、兄が拍手をくれるまで意地になって彼の部屋の前で演奏を続けたこともあった。
いい兄かと訊かれると少し返答に悩む。意地っ張りだし口が悪い。でも、大好きな兄だ。小さい頃は本当に可愛がって貰っていたと思う。
いつからだろう。兄と過ごし時間が減り、距離が出来てしまったのは。
たぶん、彼がアルジャン様と過ごす時間が長くなった頃だ。
アルジャン様。
私の人生を狂わせた人。
どうしてあんな人に気に入られてしまったのだろう。
どうしてあんな生意気な一頃で返答してしまったのだろう。
アルジャン様と出会わなければ兄といい関係のまま過ごせたはずなのに。
せっかく、アルジャン様の居ない平和な時間を過ごしたはずなのに、アルジャン様のことばかり考えてしまう。
どうして。
あの方さえいなければ。
そう考えてしまうのに、姿を現してくれないことに不満さえ抱いている。
どうして突然放置したのですか。
あなたのご命令通りに動いたはずなのに。
いつだって従ってきたはずなのに。
ろくに褒められた記憶もない。
兄が甘やかしてくれるせいだろう。
幼いセシリアが顔を出してしまっている。
控えめなノックで現実に引き戻された。
こんな時間に一体誰だろう。
「どうぞ」
返事よりも少し速く扉が開くのはせっかちな兄だ。
「お兄様? 今度は絵本でも読んでくださるのですか?」
今の兄なら本当にしてくれるかもしれないと冗談を口にすれば溜息を吐かれる。
「子供返りか? 俺はそこまで暇ではないぞ」
呆れた彼は手に大きな包みを持っていた。
「それは?」
「……アルジャンからお前宛だ……その……嫌なら拒絶していい。俺が送り返してくる」
どうしてだろう。兄はなにかを決意したような表情を見せる。
「アルジャン様から?」
一体なんだろう。
随分と大きな包みだ。
楽器ではなさそう。手入れの道具にしても箱が大きすぎる。
譜面を詰め込んだらここまで軽くはならない。
一体なにが入っているのか。
不思議に思いながら包みを開く。
「……これは……」
ドレスだった。
白地に金の装飾の華やかなドレス。
袖がないのは演奏しやすさを重視したのだろうか。
それに合わせて靴や髪飾りまで入っている。
音楽祭はこれを着ろ。
たった一言、アルジャン様の美しい文字が並ぶカードが添えられていた。
「……あー……その……アルジャン曰く……期待を込めて、だそうだ」
兄の気遣いだろうか。
欲しかった言葉が紡がれる。
期待。
そう。私はアルジャン様に期待されたい。
けれども……兄の口から紡がれた言葉が真実かなんて確かめる術はない。
「……お兄様……どうしてアルジャン様は、直接渡して下さらないのでしょう……」
きっとこれだってペルフェクシオン公爵家の使用人が選んだ物だ。
「……はぁ……アルジャンが面倒な男なのはお前だって理解しているだろう?」
兄はなにか言葉を飲み込んで、選んだ表現がそれだったらしい。
「……お前だってアルジャンに言っていないことがあるだろう? それと……たぶん、一緒だ」
アルジャン様に言っていないこと。
授業を欠席までさせられて枕役を命じられるのは迷惑だとか、本番直前に課題曲を変更しないで欲しいだとかそう言うこと。
だけではない。
私が不要なら、はやく解放して欲しいだとか、他にもたくさんある。
「お兄様をいじめないで、とか?」
「べつにいじめられていない」
ぎろりと睨まれるが、不思議と以前ほど兄の視線が恐くない。
「……あー、その……なんだ。お前が思っている以上にアルジャンは厄介な男だ。けど……困ったら兄を頼れ……。俺は国でも珍しいアルジャンに意見出来る人間のひとりだからな」
それによって暴行を受ける羽目になったとしても兄はアルジャン様に挑むだろう。
兄ほど勇気を持てれば、なにかが変わっただろうか。
「……これ……どうしましょう……」
正直、趣味ではない。
白はあまり好きではない色だ。
もっと穏やかで包み込んでくれるような緑色が好き。
けれども、ドレスを着なければそれはそれでアルジャン様を怒らせてしまうだろう。
「……あー……お前に任せる。けど……贈り物は気持ちだ。それを受け取るか拒むかはお前の自由だ」
似たような話を昔聞いたことがあったかもしれない。
戸惑っていると、ぽんと頭を叩かれる。
「悩みすぎるな。今日は休め。返事は今日出さなくてもいい。むしろ、本番直前まで待たせてやれ」
どこか悪戯っぽい笑みを見せられ、困惑する。
本当に、子供の頃に戻った気分だ。
「はい、そうします。あの、これ……お兄様に預かって頂けますか?」
贈り物の箱を示せば僅かに嫌そうな顔を見せられる。
「……まだ変な噂が立ちそうだが……まあ……それでセシリアが少しでも落ち着くなら……」
渋々という様子で箱を受け取る姿は、子供の頃に食べられない野菜を押しつけたときと似ている。
「ありがとうございます。あの……お兄様、私……」
言いかけて、これ以上は迷惑なのではないかと躊躇ってしまう。
「なんだ?」
早く言えという視線に、耐えられなくなりそうだ。
「その……えっと……」
言葉が迷子になってしまう。
なにを言いかけてしまったのか。それが思い出せなくなってしまうほど。
兄は溜息を吐き、私の手を握った。
「仕方がない。今夜だけだぞ。さっさと寝ろ。俺はこの後もやることがあるんだ」
はやく寝床に入れと急かされ、どうやら寝付くまで側に居て欲しいと甘えられたと解釈されてしまったことに気付く。
「あ、いえ……その……ど、どうぞ……勉強に戻って下さい……」
やることがあると言う人を引き留めてまで寝かしつけて貰おうなんて考えていない。
別のなにかを告げようとしたのに、全く思い出せなくなってしまう。
「黙ってさっさと寝ろ。気になって集中出来なくなる」
心配だから側に居てやる。
そう言われたような気がした。
そこで、言いたかった言葉を思い出す。
「その……音楽祭……頑張ります」
だから……一番の拍手をください。
その言葉を口に出せないまま、大人しく頭を撫でられる。
この時間がずっと続いてくれたらいいのに。
その願いは意味がないものだと知りつつ、大きな手の温もりを感じながら瞼を閉じた。
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